第4話 適当に投げたものほどよく当たる
気が付けば、辺りは明るかった。
「起こしてっていったじゃん!! ごめぇん!!」
川で水を汲んでいるカイニスに謝れば、苦笑された。
お詫びではないが、朝食の用意を代わりにする。とはいえ、昨日残した鶏肉をカイニスが汲んでいた水に放り込み、煮込むだけだが。
「エリサさんって、こういうの慣れてるんですか?」
「キャンプの事? いや、小さい時に行ったなんちゃってキャンプだけだよ。それ以外は文化的な生活してた」
「その割には手際良いっすね」
「それなら、カイニスの手際がいいんじゃない? 昨日見たままやってるだけだし」
昨日見たカイニスの動きをそのまま真似ているだけだ。それに、肉の量も調理も違う。焼きと煮込みをしていた時とは別で、煮込みだけで難易度も違う。
異世界に来てからの初めての料理。
「うーん……塩が欲しい!」
「調味料の類は、迷宮の中じゃ貴重っすからね」
「汗かき動物の汗を集めて蒸発させる?」
「それ、食いたいっすか?」
「…………地下迷宮じゃあ、塩の確保は難し――いや、岩塩は?」
「それなら、ここより深い階層にあるかもしれないっす」
深い階層。
つまり、魔物もいる、ここのような明るくて、開放的な森の中ではなく、石造りの迷宮ということだろう。
ふと、天井を見上げれば、昨日までは気にも留めなかったそれ。
「なんで、地下なのに朝と夜がわかるんだ?」
昨日は、あまり気にしてなかったけど、寝る時には確かに暗かった。でも、今は明らかに焚火ではない光源で照らされている。
天井に照明のようなものはないし、この前の階層でも、ところどころに松明があるだけで、アレだって旅団が置いているのだろう。ここに異世界人がパニックを起こさないように。
それなら、本来はここは光もない暗闇のはず。植物だって、ここまで成長はしないだろう。
「それなら、地上まで穴が開いてるんですよ」
「穴?」
「見に行ってみます? ちょうどいいし」
ちょうどいいの意味は分からなかったが、カイニスについていけば、確かに天井に大きな穴が開いていた。
出口からは空も見えているし、確かに地上に繋がっているらしい。
「この高さを飛ぶには、飛竜が要りますが、ここに飛竜はいないし、地上は騎士団と警備隊が守ってて、ここから逃げるのは難しいんすよ」
確かに、地下迷宮に比べては小さいかもしれないが、この大きな穴を塞ぐのは重労働だし、罪人たちの逃げる手段にならないなら、この穴を塞ぐのは後回しにしたのだろう。
しかし、乱雑に開けられた穴の壁面は遠目に見ても荒れている。山登りが得意なら、クライミングできそうな程度には、凹凸がある。
あの穴までたどり着けたらの話だが。
「まぁ、ここから逃げるのは難しいですけど、支援物資が落とされるんですよ」
「支援物資?」
「旅団が元騎士団だって言ったでしょ。地上に残ってる騎士団の一部が、こっそり服とか鎧とか食べ物とか物資を投げ込んでくれるんですよ」
どうやって剣や鎧などの金属製品を手に入れているのかと思っていたが、そういうことか。
「エリサさんの防具でもあったらいいなと思ったんですけど、運よく落ちてくるなんてェ――!?」
上を見るとは言うが、実際見ているのは斜め上であって、本当の真上を見ていることなんてそうない。
そう、真上っていうのは、盲点なのだ。
カイニスが気が付いて、助けてくれなければ、支援物資に頭を割られるところだった。
「物資ってさ、パラシュートでもつけてゆっくり落としてくるのかと思ったよ。自由落下かよ」
こっそり落としているから、バレる前に見えない場所まで落ちてもらわないといけないのか。
「アンタ、アラウネといい、運がいいのか悪いのかわかんねーな……」
「幸運も悪運も高い自覚はあるよ」
鳥の糞に当たることも、烏が頭に止まったり、死にかけのセミが頭に落ちてくるとか、看板が目の前で取れかけたりとか、わりと色々あったが、新しく物資が落ちてくるを入れておこう。
それにしても、バレないように落とすためとはいえ、自由落下の結果、木箱は粉々だし、おそらく緩衝材代わりに入れられている衣服の類は散らばっている。
重要な物資は、鎧や盾の中に仕舞っているらしい。
それを、カイニスは気にした様子もなく漁っている。
「旅団も常に落下物は監視してますし、ここは罪人もいますから、必要なものはとっとと取って逃げるのが一番なんすよ」
「なるほど」
元々は旅団に向けたものだろうが、ここで生きていくには仕方ない。
武器の見分けはつかないので、カイニスに任せ、替えの服を見繕う。いつまでも会社の制服っていうのも嫌だし。
手早く、いくつかの服と食料を抱え、カイニスも武器をいくつか見繕うと、足早に逃げ出した。
絵面は完全にコソ泥か強盗だ。カイニス曰く、旅団もある程度は配布し、漁られることも容認しているため、度を越さなければ目を付けられることはないらしい。
今回の量ならおそらく目を付けられることはないだろうということだ。
河原に戻ってきて、お互い取ってきたものを確認する。
まず、服。それから、保存が利きそうなビスケットふた袋、塩ひと瓶。カイニスは砥石三つと盾ひとつ、短刀ふたつ、紐ひとつ、傷薬ひとつ。
その内、ナイフよりも少し大きめの短刀と中央部分が少し広く作られた不格好な紐は、私のために見繕ったものだという。
「これって、投擲紐?」
「あ、使ったことあります?」
「あるある。水切り対決に飽きて、投擲紐作ったらめちゃくちゃ怒られた」
「それはよくわかんないっすけど、使ったことあるならよかった」
懐かしいと手ごろな石を手に取って、幅広の部分に巻きつけ、回す。ある程度、勢いがついたら、紐の片方を離せば、石が飛んでいく。
手で投げたよりも速いスピードで森の茂みに吸い込まれていく。
「キャンッ」
「事故です」
視線が痛い。
目を合わせてはいけない。
少し待っても魔物が現れる様子はない。カイニスが盾を構えながら声のした方へ足を進めれば、そこには倒れていたのは犬。
まだ生きているようで、小さく唸っている。当たったのは、腹の辺りらしい。
「腹の辺りだと、気絶もしないね」
「できるなら頭がベストっすから。それでも、距離を考えれば、どこ当たっても十分ですけど。それより、先に戻ってもらっていいっすか?
俺は、ちょっと周りの罠に動物が掛かってないか見てくるんで」
「え、これじゃダメなの?」
「犬は賢いですから、飼い慣らしたら魔物の近づくのにも気が付いてくれるんすよ。だから、食料にするのは最後です」
そう言いながら頭を撫でるカイニスの手を気持ちよさそうに受け入れている犬。随分と人に慣れているみたいだ。
まだ動けそうにないから、後で連れて行こうとカイニスは立ち上がる。
「じゃあ、罠見に行くんだっけ?」
「エリサさんは、先戻っててください。えーっと、ほら、着替えたいって言ってたじゃないっすか。できればその、俺が見に行ってる間に、済ませてくれると嬉しいっていうか……」
「あ、そういうこと」
言いにくそうに視線を逸らすカイニスの言葉の意味をようやく理解する。
それなら、早く戻って手早く着替える方がいいだろう。
日下部が戻るのを確認すると、カイニスは剣を抜き、犬の首を落とした。
そして、首のなくなった犬には目もくれず、森の中を進んでいく。
その頃、日下部は川原に速足に戻り、適当に服を選ぶとその場で脱ごうと手に触れ、一応岩陰に向かう。
今着ている服にすれば、肌触りは少し良くないが、思っていたほど悪くない。それに、着方も難しくない。
「この世界にも、犬もいるんだな。動物と魔物は別枠で存在するってことか。人慣れしてたし、こっちでもペットとして定番なのかな?」
後で聞いてみようかなんて気楽に考えるが、ふと迷宮に犬がいるのかという疑問に陥る。
しかも、人に飼い慣らされていたような犬が。
カリッと小石が軋む音に、小川の方へ跳ぶ。
すぐに起き上がれば、いかにもこの迷宮を根城にしていますというような山賊のような風貌の男。その手には、片刃の剣。
胸には、黒いトカゲの入れ墨。罪状はわからないが、トカゲと竜はどうやら罪が違うらしい。
とにもかくにも、あの山賊は明らかにこちらを殺そうとしている。それは事実で、過去の罪なんて知る必要はない。
「逃げんなよ。痛い目見んぞ」
「お前がヘタクソなんだよ。言い訳すんな」
煽れば血走った眼で、刃を振り上げてこちらに向かってくる。
それと同時に、水を吸ったズボンを顔面に叩きつける。武器を持っていないと油断してたのか、きれいに顔面に入って、いい音がした。
そのままの勢いで駆け出し、悶絶している男の脇を走り抜ける。とりあえず、森の中。
カイニスが昨日罠を設置した辺りにいるはず。会えなくても、魔物用の罠にかければ死ぬか捕まえられるだろう。
煽れば食いつく単純な山賊みたいだし。
石が弾ける音がブレる。
今までの二回はどちらも不意打ち。なんだったら、これからやろうとしているのも不意打ち。
なぜかって、そりゃ、争いごとのない現代社会を一般の社会人として2年頑張っていた人間が、争いごとは日常の人間と真正面と戦って勝てるわけがないから。
振り返って状況を見た方がいいか、それとも少しでも前に行く方がいいか。
背中に感じる圧は、どちらを選択しても間に合わないことを予感させた。
異世界に来て、2日。意外に生き残って、楽しめたんじゃないだろうか。
走馬灯まで見えた気がするが、今の選択肢は、顔面から逝くか、背中から逝くかの違いだけなんだよ。
「――」
達観していたその時、走馬灯が本来の意味を為したらしく、転ぶようにその場に蹲る。
ほぼ同時に尻へ痛みと、前方に転がっていく音。
痛みを堪えながら顔を上げれば、山賊は少し前で転んでいた。何が起きたのかと、目を白黒させている間に、痛む尻と膝を我慢しながら、山賊に駆け寄り、頭を片足で踏みつける。
寝転んでしまった人間は、額を抑えられると起き上がれなくなる。たとえそれが、指一本であっても。
「テメェ!! ふざけんな!! このアマ!! 足退けろ!!」
ナイフはどちらも持っていない。
山賊の使っていた剣は少し遠くに転がっている。山賊の手は届かないけど、手を伸ばすにもギリギリで、足が少しでも浮いたら、山賊は力業で退けてくるだろう。
今だって、足を殴って、握って、圧力をかけてきている。思い切り踏んでいないと、抜け出してしまいそうだ。
カイニス、早く戻ってきて――!!
会って2日の彼に助けを求めるのは、少し違う気がするが、この状況を打破できるのは、彼だけだ。
殴りにくいだろうに、結構痛い。痛みを堪えていたその時だ。
突然、痛みが消えた。
「詰めは甘いが、立ち回りは及第点だ。嬢ちゃん」
そこにいたのは、血に濡れた剣を持ち微笑む知らない男だった。
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