第3話 罪人の彼
追手は来なかった。
アレックスは驚いてはいたけど、明らかに気づかれていたし、追いかけようとすれば簡単に捕まえられたはずだ。
だけど、追わなかった。
「…………わりとマジで味方かもな」
一応、ゲームでいう初心者狩りみたいなものの可能性も考えた。
だが、それなら拠点の目の前でふたりはもうひとりの仲間が抑えられる状況で、逃げ出すひとりを追いかけてくるような気がする。
それか、ひとりくらいなら誤差なのか。着ている服も同じだし、一番下の人間のようだから無理する必要はないとか。
「考えてもしょうがない。本当にいい人なら、どうしてもって時にこっそり行ったら、食料と水くらい分けてくれるだろ」
道、わかんないけど。
座り込んで、息を大きく吸い込む。
久々に何も考えずに走った。人の事とか、仕事の事とか、何も考えないで、思いの向くままに。
小さい時はやってたような気がするけど、いつからこんな普通でいないととか思い始めたんだろ。
「……キャラじゃねェ!! そうだよ。今は死ぬまでにどのくらいこのファンタジー異世界を楽しむかだよ」
心は軽い。
マラソンなんて精神力の戦いだよ。というわけで、隣で私の推しキャラの話をし続けてくれませんかって頼んできた吹奏楽部の女の子がいたけど、本当だ。
実感はしたくなかったが、疲れたって感覚が麻痺している気がする。
麻痺している今なら、もう少し周辺を探索できるだろうかと、歩き回った時だ。
「………………」
SNSでたまに見かける面白い形の大根によく似た何か。
ただ妙に目がある上、瞬きもしてる。そして、こちらに気が付くと歩いて向かってきている。
魔物ですね。マンドラゴラ的な何か。
しかし、まだ距離はあるし、この手足のリーチ差。走って逃げれば間に合う。
「っとぁ!?」
駆け出した直後、なにかに引っかかり地面に顔を突っ込みそうになる。
腕で防いだものの、妙に動かない右足のせいで、色々痛かった。顔を上げれば、案の定、細い根っこが右足首に絡まっていた。
向かってきてる大根との距離はまだある。
ナイフを取り出して、根っこに突き立てれば、案外簡単に切れた。
立ち上がろうとした時、右足首の近くの地面に白い何か。反射的に持っていたナイフを突き立てれば、鼓膜を破りそうな悲鳴が響く。
「キェェェェエエエェェェェエエ――!!!」
あまりの音量に視界までおかしくなった。
ようやく視界が戻ってくれば、向こうにいた大根の魔物は倒れている。そして、ナイフには白い瑞々しそうな大根、の魔物。
よくわからないが、倒せたようだ。
しかし、大きな羽音が響いたと思えば、こちらに向かって急降下してくる鳥の魔物。
これは、ムリ。
唯一の対抗手段のナイフは、大根に刺さったままだし、鈍器としては使えるけど、ほぼ真上から落ちてくる鳥に振りかぶったところで、ほとんど効果がない。
これ、結構痛い死に方な気がする。
「伏せろッ!!」
突然響く命令に頭を下げれば、耳元で足を踏みしめる音。なにかが風を切る音。鳥の叫び声と重たい何かが地面に落ちる音。
そっと顔を上げれば、そこにいたのはアレックスではない男。
「なんとか無事っすね。よかった」
差し出された手を取ろうと手を出すと、そこには大根。
「さっきのアラウネの声だったんすね……」
「アラウネ……?」
「そいつの名前ですよ。って、あ゛っアンタ、もしかして異世界の人間!?」
「待て。ここの人間は、異世界の人間に慣れ過ぎじゃないか?」
今までの大きな違和感を解消する一言だった。
「あ、あ゛ー……だったら、洛陽の旅団のところまで案内しますよ。そこで色々聞いた方がいいっす」
「ヤダ」
「ヤダって……つーか、洛陽の旅団とはもう会ってたんですね。そりゃそうか……アイツら、すぐに保護してるもんな」
言いにくそうに洛陽の旅団まで案内しようとする彼は、即答する私に困ったように頭を掻く。
「なんか嫌なことでもあった? 洛陽の旅団は、善意で騎士団の連中がやってる慈善団体っすよ。この地下迷宮で最も安全な場所だし、アンタみたいな異世界の人間を優先して保護してる。
ま、まぁ、ちょっと嫌なことがあったかもしれないですけど、冷静に考えたら大したことないかもしれないですし!」
慌てたように付け足された言葉に、彼も悪い人間ではない気がした。
だから、
「別に旅団ってより、一緒にいた人間が、軽く頭蓋骨を万力で締め上げられてくれれば許せるよ」
「それ死ねってことっすよね?」
別に殺そうと思ってない。
頭蓋骨をゆっくりとパキパキっと割れていって、それを鑑賞していられればいい。死んでほしいなんて思ってない。殺したいとも思ってない。
「…………」
「信じてないでしょ!? 本当だよ!? 殺したいとか思ってないよ!? まぁ、死んじゃうかなとは思うけど」
「そうっすか」
冷たい。
「反省のない言葉だけの謝罪なんてされたところで腹が立つでしょ!? というか、もはや言葉で許す段階じゃないから、せめて、さ」
「それはわかる」
なんか、妙なところで意気投合してしまった。
「しょーがないっすね。俺もフラフラしてるだけだし、一緒にいます? そこに川があるんで、そこで今日は休みましょう」
「え、いいの?」
「いいっすよ。女の子をひとりにするわけにもいかないし、アンタを連れて行ったせいで旅団内の殺人の共犯にされたら困るし」
「なんかごめん。やる時は、全員やるね。具体的には、飲み水に毒入れるとかで」
「リアルで怖ェ!!」
彼は、カイニスといって、元冒険者らしい。
案内してくれるカイニスについてくれば、歩いて渡れそうな小川が流れていた。それから、焚火の痕に微妙に整頓された場所。
「ここに住んでるの?」
「数日だけです。まぁ、家があるわけではないですけど、迷宮ですし。ここ」
「そういえば、開放的過ぎて忘れてたけど、地下迷宮だっけ」
「気持ちはわかります。この階層だけ異様なんすよね」
確かに、この前の階層は地下通路って感じだった。土や植物に溢れたこことは違う。見上げた先にある天井と同じ石造りだったはず。
「なんで?」
「さぁ。迷宮の一部がおかしなことは多いっすけど、白いアラウネがいるレベルの高品質な土がなんでこんなところにあるかはわからないっす」
刺さった大根を見せれば、頷かれた。
なんでも、アラウネは土の質により、性質が変わるらしく、透き通るような白いアラウネは中でも高級品であり、薬として売り出したなら10年は働かなくてよくなるらしい。
アラウネは群れで行動し、そのリーダーは土の中に隠れており、リーダーが最も栄養価が高く、高級品だという。そして、リーダーを倒せば、その群れは全滅するらしい。
「ただし、リーダーを地上で倒すと断末魔で近くにいる奴は死ぬんで、普通は犬とかにやらせます」
「先に教えて欲しかった」
反射的に土の中にナイフを突き立てたが、もし掘り返してたら死んでいたということか。
確かに地面の中にいても、近くの地面がふかふかになるぐらいの衝撃だったもんなぁ。
手際よく焚火などの準備を終えると、輪切りの大根を水の中に投下する。薬を作る技術も無ければ、買ってくれる人もいないので、食べてしまうのがいいらしい。
ついでに、襲ってきた大きな鳥も解体して焼かれている。
「あのさ」
ここに来るまで、話したことと言えば、この迷宮の事、アラウネの事、鳥の捌き方とか焚火の方法なんて、個人的な関心には尽きないが、正直大事なことには触れていなかった。
むしろ、最初にあんなことを言ったから、きっとカイニスが気にして、敢えて触れなかったのだろう。
なら、こちらから触れないといけない。さすがに、何も知らずにこのままってわけにはいかない。
「異世界の人間っていっぱい来るの?」
「俺も詳しくはないっす。本当に、ちゃんと知りたいなら旅団に行くべきだと思います。でも、俺が知ってる範囲でいうなら、この迷宮にはよくやってきます」
「この迷宮には……ね」
「この地下迷宮は、訳ありの罪人が収容されるんです。この迷宮の最深部に住む魔物を倒したら、解放されますが、それも本当かどうか怪しいですね」
「つまり幽閉みたいないものか」
ここにいる分には、食事も取れれば、飲み水も確保できる。生きることはできそうだ。
あくまで魔物を倒せるならという前提はあるが。
「旅団が来てからは、特に生きることは簡単になったらしいですよ。旅団がこの階層にいくつかの拠点を作って、規則を作ってからは、魔物に襲われて死ぬ人も減ったとか」
その洛陽の旅団は、元王立騎士団の騎士たちで構成されているという。
主な目的は、異世界人の保護。
「やっぱり、明日、旅団まで送りますよ。気になるんでしょ?」
その行為そのものが、もはや旅団が今のこの状況について、詳しい事情を知っていると物語っているようなものだ。気にならないわけがない。
しかし、しかしだな。アイツらに会う可能性を考えれば、行きたくない。
悩んでいれば、カイニスは襟を少し下に引っ張って見せた。そこには黒い、何かの入れ墨。
「罪人には、胸に墨を入れられるんです。これは、大罪の黒龍っていって、大量殺人を犯した奴に刻ま、れ、る……そんなに覗き込まれると、恥ずかしいんすけど」
「ごめん」
黒龍なんて言われたら見たいじゃん。
自分から見せてきたのに、少し恥ずかしそうに隠されると、着替え中にドアを開けてしまった気分になる。
「とにかく! 俺は殺人犯なんだよ! そんな奴と一緒にいたくないだろ」
「皮膚剥ぐ? 焼いてもいいけど」
「意味わかんねェ!!」
「え、いや、だって、その入れ墨が怖いかって話なら、剥げばいいんじゃないかなって。水と焚火もあるから、今なら焼くって選択肢もあるよ?」
「異世界人ってもっとお淑やかって聞いてたんだけど……」
頬を引きつらせているカイニスは、本当に怖いらしく、入れ墨の辺りを守るように手で覆っていた。
「だ、大丈夫だって! 男の向こう傷は勲章でしょ? それに、傷薬の原料あるし!」
一匹だけ干しているアラウネを指さしてフォローすれば、呆れを通り越してため息をつかれた。
なんだろ、デジャブが。
「えーっと……やる?」
「遠慮します」
即答だった。
「つーか、俺が言いたいことわかって……わかって……いや、アンタ、頭悪くなさそうだし、ん? じ、実は悪い?」
ものすごくバカにされているような気がするが、別にカイニス自身がバカにしているというよりも、本当に疑問で困惑しているらしい。
「普通は、殺人犯は怖がるんすよ?」
「いやわかるよ。でも、今のところカイニスから殺されかけたことも無ければ、暴力を振るわれたわけでもない。
逆に、色々教えてくれたり、ご飯も作ってくれる。ついでに言えば、会ってから私のことを優先して提案をしてくれてる。それなら、怖がる理由も逃げる理由もない」
人を見る目なんてないから、今まで自分に向けられた言葉や行為から人となりを判断するしかないが、今のところカイニスは”良い人”だ。
実際がどうかなんて置いといて。
ぱちりと弾ける焚火の音と川のせせらぎ。
素朴な味付けではあったが、十分に満たされた腹に、疲れもあったのか、眠気がやってくる。
「眠いなら、これ使うといいっすよ。厚めの布なんで多少の砂利なら痛くないですから」
「それ、カイニスのでしょ」
「周りに罠を仕掛けてるとはいえ、夜は魔物も活発っすから、ふたりで一緒に寝るわけにはいかないですから、交換で。先、どうぞ」
厚手の大きな布を渡され、体に纏ってから横になる。
昔、林間学校で使った寝袋以上に砂利を感じるが、疲れもあったのかすぐ眠りに落ちそうになる。
「じゃあ、少し経ったら起こして、ね」
「っす。おやすみなさい」
「おやすみ」
眠気に誘われるまま、瞼を閉じれば、あまりにも簡単に眠りへ落ちて行った。
すぐに寝息を立て始める日下部に、カイニスは困ったように眉を下げ、焚火に薪をくべる。
「あんま、簡単に人は信用するもんじゃねーっすよ」
小さくつぶやくと、傍らに置かれた剣を手に取った。
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