09. Welcome to Babel ①:嗚呼吾らが永世君主
「あっつい!!」
レシーは我慢の限界を呻いた。
酷暑の8月半ば、彼女の魅了力に予想以上のものがあったので、道行く人が窓から顔を見取らぬよう目深なフードを被らせ、国道ことバーバラビル参道を2キロ行く。日射激甚、道路に沿い立つ店々から空調の冷風が漏れ出、かえって熱気を際立てた。
「ねーえー、馬車で行ったらダメだったのー?」
「参道ですからね。
「わたしも神様なんだけど……」
「相手は世界を救った永世君主様ですよ?」
「ふぅん」
玉の汗を手首で拭い、目に染みたのを指腹で抑え取り、かえって増して痛むので渋顔し、俯けば
逃げ場なさが悟られて胸が焼ける。
「アルがヒーローってこと?」
「ええ」
「……そ」
「まったく、笑えん話ですね」
けれど胸のすく心地になって、隣に立つ彼のことをしばし見つめた。
「ねぇ」
「予め言っておきますが、俺は、あなたのことが嫌いです」
「わたしはものすごく好きよ?」
「だから言っておくんですよ」
リシオンはヘンッと斜に構えて、悪童から一歩幅を取った。しかし悪童はいとわしく笑くぼを上げ、先刻の一歩を詰めつつ肩から肘で小突いた。
「何です」
「つれないぞー」
「ロード君というものがありながら、いいんですかね」
「……いいもん。ロードだってわたしに構ってくれないし」
二人して後ろ見した。
「これが
「先月工事が終わったから」
「あの飛ぶものは何ですか!?」
「監視ドローン」
「じゃあ、あのキラキラした板は……」
「ネオン看板」
逐一答えるスピナはほんのにわかながら笑み、言い淀まない。ロードがわちゃわちゃ騒ぎ立てるのを見守って、折節ごとに彼が幼らしくはにかむので重ねるように笑み、互いにそれが面白くなるので更なっていく。好い仲に見えた。
「レシーラン様、大丈夫ですよ」
「何が」
「ありゃ姉弟みたいなもんです」
「姉弟?」
「ええ。それも、割と意識的な姉弟ごっこです」
「……今のうちはね」
「まさか」
鼻で笑う。
「あ、ここ左です」
そして、それが如何にも会話の不意だったので、レシーは黙って左折した。
もうほとんどない唾を飲み下した。
「……これの最上階まで行くの?」
「ええ」
それは天を目指す白
天頂に走りながら細ってゆき、各階ごとに走る灰白の横筋がまた気持ち悪い。これをガルターナ万民、決して思いもよらないけれど、レシーはそこに奇怪と奇妙を覚えた。その純正の白さがまた厭に思われる。
それでいて別途、肝が冷えた。
「何であんなにどでかいの」
「言っちまえばまあ逃げ場ですね。随分高所になりますが、大丈夫ですか」
「気付くじゃない、そういうとこよ」
「へい、どうも」
しかし野望的に笑って見せる。
「大丈夫。怖いって、楽しめるのよ」
両腰手して頂を睨み上げ、その野望的な様、勇を誇るような美の女神であるから、リシオンも小揺るぎした。
その追随にロードがやっとやって来て、わぁなどと漏らしつつ見上げるものだから、例の後頭掻きをする。
「お前、何つーか、元気だなぁ」
心根で釣り合わなさを笑っていた。
「え? ああ……そうですね、暑いのには大分慣れましたね」
綻びなく笑っていた。
何も言えなくなった。
「私たちは、ここで失礼します」
代わってスピナが挨拶する珍事となり、気が醒める。
「え……一緒に来てくれないの……?」
「これも諸々教義にありましてね」
「あ、うん……」
彼に倣って切り離した。
それから四半時経つ。
「……ロード」
「なに?」
「帰ろ?」
「駄目だよ。今だって、大神アルゴルをお待たせしてるんだから」
「うん……」
「……」
「ロード」
「なに?」
「やっぱり帰ろ?」
「どうしたのさ」
「帰りたい」
「レシー、謁見なんだよ」
「わたしと謁見どっちが大事なの」
「比べることじゃないよ」
「うん……」
「……」
「ロード」
「レシー、もう行くよ」
少年は察しが悪い。独り自動ドアの機構と曲線美とに仰天し、レシーを急かし、彼のような辺境出身者向けの説明プレートを読み込んでわくわくとエレベーター呼び出しボタンを押した。
レシーがわかりやすく嘆息してなお、夢中の彼は気付きもしなかった。
「ほら、来たよ。もう行こう」
「ロード」
「何さ」
「わたしね、ロードのこと好きだよ」
「……ありがとう」
「ロードは?」
「え?」
「ロードはどうなの?」
「どうしたの」
「聞いたことないから、聞きたい」
「……行こう」
恥じて言わなかった。
「最上階」
【畏マリマシタ】
「うわ、すごい」
うだり顔のレシーを「はやくはやく」と手引き、すると彼女は沼道でも行くように遅々として、ロードが差し伸べた手に引かれるので無抵抗に乗り込んだ。
ゲートの閉じる音、そのほんの直後、奈落に落ちていくような低音があってすぐに無重力感が襲った。
「わぁ」
「っ」
この
コンクリート張りがガラス張りに変わった。
「わ、高」
「いやあああああああああああああっ!!」
レシーはもう足が立たなくなって、ロードの膝に縋り付いても脱力してだめだった。しゃがむことすら出来ずにその場で頭を抱え、閉じた瞼に入る光線すら恐れて丸くなった。
立ったままでいる彼は「え、あ」と漏らしてから膝を落とし、
「大丈夫?」
かく問うた。
レシーは答えるより叫んだ。
「ねえ、レシー」
そうして手探る彼女に腕を掴まれ、ハと思いつき、やっと抱きしめた。
「ごめん、気付かなかった」
ロードはそれ以上のことを言えなかった。より強く抱きしめることも出来なかった。
自省と自責が始まっていた。自分の気の回らなさ愚図さをこれからどうしていけばいいのか、これでは自分という人間は生きていけない、これでは出会うすべての人に呆れられる、こんな人生不適合者がやっていけるのか、等々連ねたところで夢想に切り替わる。
いつか、何かあるに違いない。これからの人生のどこかしら、気付いていないだけで見つけることが出来るに違いない。だいいち、一度は人のために身を差し出した身、その勇気がある自分だから、大丈夫、何か手にするに違いない。
「ロード」
このとき抱きしめている相手を思い出した。
「レシー、次何かあったときは、絶対助けるから」
義務感と自己保証に駆られて誓ったそのとき、減速感が生じ、暫くののち「チン」と停止した。
「……」
「もう、着いたよ」
その途端レシーは腕を抜け出、表札曰く「アルゴル部屋」なる一室に駆けたと思えば、そのドアを強く三度叩いた。
「レシー!」
「アル!! ちょっとツラぁ貸しなさいよ!!」
ロードが小たまげて抑えようとする、その前についに蹴った、そのうえに、蹴破った、バッタンコンと諸々
見れば部屋は六畳一間である。ロードにとっては未だ物珍しいけれど、脳内においては神殿でもあるはずだった。そこにはただの一室が黙座して、何某かの神秘を語りかけたりはしなかった。
「……アル?」
冷静になったレシーは、踏みつけているドアの残骸がやけに不安定なこと、もっと言えば餅でも敷いてあるかのように柔らかく弾むので気付いた。
「…………アル?」
横に太い大神はそこにおわした。
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