3・おやつとクリスマスローズS

 昼食を終えたふたりはコーヒーを飲みながらソファでだらけていた。次の勝負をするレースまでは1時間ぐらい余裕がある。しかし、その先のおやつの話になった。


「それよりエルケはおやつの準備をしなくてもいいの? とんでもない名前のケーキを作るって張り切ってたよね」


 エルケは少し面倒くさそうに顔をしかめた。


「『シュヴァルツヴェルダー・ キルシュトルテ』だ。……しかし、スポンジの土台だけでも作っておけばよかったな……」


 直訳すると「黒い森のサクランボケーキ」という。ココアとキルシュ――サクランボの酒――を混ぜたスポンジに、サワーチェリーと生クリームのコンポートを載せる。それらを覆いつくすかのように生クリームを絞っていき、形を整える。仕上げは雪原に見立てた土台の上に、落ち葉代わりのチョコやチェリーを飾り付けて出来上がるのだ。結構手間がかかるドイツ伝統ケーキなのである。


「あたしがスポンジケーキだけでもついでに作ろうか?」

「いや! それだけはダメだ。私が自分で作らなきゃ意味がない。我が家の味を新和にも知ってもらいんだ」

「それは楽しみ♪ あたしもスイーツづくりがんばるよ」

「バームクーヘンを作ってくれるんだっけ? 手作りなんて母さん以来。新和のお菓子も料理もなんでもおいしいから楽しみだわ」

「うんっ。任せといて!」


 キッチンに立って13時をメドにエルケのケーキ作りを始める。新和は後片付けを買って出た。


「新和は私の手伝いをしていて大丈夫?」

「生地は材料を混ぜて冷蔵庫に寝かせてあるの。あとはこれで焼いてトッピングをするだけなんだよ」


 新和は卵焼きで使う四角いフライパンを取り出して見せた。


「ああ、なるほどね。同じ巻く料理だから、それでもいいんだ。私、キャンプで肉を焼くような、あのクルクルでやるもんだと思ってた」

「それでやるとさすがに手間がかかり過ぎかなって。でもね、決して手抜きじゃないからねっ」

「はいはい」


 エルケはハンドミキサーを使い、生地がもったりするまで泡立てる。ココアとキルシュも入れて、今度はヘラを使って混ぜていく。溶かしたバターも満遍なく生地と合わせ、ムラが出ないようにヘラを動かす。


「よし、もう焼いてしまおう」


 新和が用意した型に流し入れ、空気を抜いてからオーブンに入れた。


「ふう、これでひとつ終わった」


 エルケが手の甲で汗をぬぐっていると、セットしておいたタイマーがけたたましく鳴った。


「エルケは予想しなくていいの?」

「実はさっきの新馬戦のときにいっしょに済ませて、馬券も買っていたんだよ。新和のほうはどうした?」

「え、嘘? 馬券買わなくちゃ」


 新和は洗い物をそこそこにタオルで手を拭き、リビングのソファのタブレットを操作する。


「あたしはラブセプテンバーにしたよ!」

「私はブレンヴィーン。今からそっちに行くよ。なんか飲む? 私は名前からの連想でグリューワインのホットを飲むけど」

「あたしもそれ飲みたいな~」


 エルケがホットワインを持ってソファに向かうと、ちょうど返し馬をしているところだった。


「ラブセプテンバーはとても気持ちよさそうに走ってるけど、ブレンヴィーンは騎手が強めに制御している感があるわね」

「あまり折り合いがついてないみたいだねぇ」

「そうかもしれないけど、まだわからない。人間だって、直前までは落ち着いていても、いざ本番となれば、ガチガチに急速冷凍されてしまう人だっている。馬だって生き物だし、頭の良い生き物だからなおさら」

「あえてそうやっている可能性もあるってこと?」

「私はそっちのほうに賭けたい。過去の情報を見ていて、元気がありすぎるほうが勝つみたいだから」


 返し馬が終わって各馬がゲートの近くで輪乗りしている中、ブレンヴィーンはピタリと動かなくなった。


「どうしたんだろ?」

「ルーティンに入ったみたいね。離れた所で他の馬の様子を観察しながら、ファンファーレが鳴るまで精神を落ち着かせている」


 ファンファーレ後、1番のブレンヴィーンは真っ先にゲートに入っていく。3番のラブセプテンバーは嫌がり、少し時間がかかったもののなんとか収まった。


「ラブちゃん大丈夫かな~?」

「出遅れなければいいけどね」


 その後のゲート入りはスムーズに進み、ゲートが開かれる。エルケの言う通りにはならず、出遅れ馬は出なかった。


 ほぼ横ばいのスタートを切り、徐々に先行争いに突入していく。第1コーナーに差しかかるころ、ラブセプテンバーが他の馬に追い立てられるように先頭に上がってきた。


「自分のペースで上がってきてないからまずいね」

「明らかにイレ込んでいる。いや、イレ込まされてのかな。一旦ペースを落としてハナを譲るか、外のほうでハナをキープするか」


 対してブレンヴィーンは中段の馬込みにいた。脚を溜めて間隙を縫って一気に差す作戦なのだろう。


「ブレンヴィーンは動けないのかな?」

「動かないんだろう。周りが仕掛け出したり、ついていけなくて脱落するのを待っている。最後のほうで脚を爆発させたいけど、さすがに今回は込み合い過ぎている。少し嫌でも外へ位置を取らなきゃ、前には行けない」


 向こう正面を過ぎ、ラブセプテンバーが外の3番手。


 ブレンヴィーンは中団を維持し続けて、7、8番手のあたり。第3コーナーで仕掛ける馬が出る中、自分の出方を見定めているようだ。


「ラブセプテンバーが一応いい位置にはいるけど、苦しそう……」

「最初に後続馬にやられたからね。急かされてもスルーできるスキルか、お先にどうぞってできる余裕と胆力がないと。あとでお前らをまとめて差してやる! って思わなきゃ勝てるレースも勝てない」

「頭脳と根性と負けん気も重要なんだね」

「そう、自分優位のレースを作らなくちゃ。全部が自分のために優位に動いてくれるレースなんて早々ない」


 先頭争いの2頭が激しく競り合いながら坂に入る。だが、その2頭を嘲笑うかのように、栄光への道筋を見つけたブレンヴィーンが、まくって上がってくる。瞬く間に2頭を追い抜くと、まるで平坦な道を往くかごとく、そして軽快ささえ感じさせる末脚で、ゴール板を3馬身の差をつけて疾駆していった。


「カッコいい勝ち方だね~」

「ラブセプテンバーは6着。もっと調教で鍛え上げないと落ちていく一方になるかも。やっぱり、ハートに強さがないとダメね」


 そう言いながらエルケは唇を新和の頬に強めに当てた。


「エルケが馬だったら、牡馬(ぼば)なんて目じゃないぐらい強いんだろうなぁ」

「有馬に出るメタモルアクトレス並みに?」

「そうそう。男勝りで馬体も均整が取れていてさ、カッコいいに決まってるよ」


 やたら褒めまくる新和に、エルケは残ったホットワインを一気にあおった。


「新和、あなた飲み過ぎじゃない? 少し水を飲んだら?」

「やだなぁ~、そんなに照れなくてもいいじゃん」


 エルケはやれやれと言わんばかりに立ち上がり、水の入ったコップを渡した。


「まだ酔い潰れてもらっちゃ困るから、1杯だけ飲んで」

「わかったよぅ~」

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