2・昼ごはんの準備と新馬戦

 有馬を彩った名駿の特集とそのあとの未勝利戦を、ホットビールを片手にふたりは緩く観ていた。


「少し早いけどお昼ごはんの準備をして、それから予想に入ろうか」


 エルケの提案に新和が快諾して、早速料理に取り掛かった。


 エルケはジャーマンポテトとこの日のために手作りしたソーセージ。どちらもドイツの伝統的な料理である。


 ジャーマンポテトはコショウとマスタードが効いていてガツンとくる味わいだ。


 ソーセージはチューリンガー風。ハーブやにんにくが練り込まれたもので、食べごたえがあるようにあえて太く長く作ったそうだ。


「なんで風(ふう)がついてるの?」

「チューリンガーは厳しい基準があるのよ」


 新和は甘じょっぱく味付けしたきんぴらごぼうと、こんにゃく抜きの豆腐とキノコがマシマシ豚汁を作った。


 きんぴらごぼうは、ドイツでもごぼうを食べていたという情報だけで作った。日本のごぼうは独特の味わいがあるが、ドイツのは種類が

違うらしく、最初は戸惑っていたが、すぐに慣れて大好物のひとつとなった。


 豆腐のほうは、ドイツのほうではベジタリアンやヴィーガンにとっては欠かせないものらしい。エルケはどっちでもないが、両親が大好物で幼いころから食べていた。キノコも同様の理由だ。


 こんにゃくは味と食感がダメ。どうしても理解できない食材とのことで、今ではもう戦力外通告を受けている。


「よし、あらかた準備はできたわね」

「このまま食べちゃうってのもありじゃない?」


 新和の甘い誘惑にエルケは毅然と首を振った。


「ダメ。満腹だと眠気が勝って、ロクに頭が働かないから」

「だよね~」

「お互いいい勝負をしましょ」


 エルケは自室に入っていく。ひとりで考えたいらしく、ドアを閉め切った。こうなってはスタートの直前まで出てこない。


 ふたりは時々各レースで単勝で1頭だけ選び、どっちが1着を取るか勝負をしている。見事的中したら、当たったほうが外れたほうに頬にキスをするのだ。どっちも外れた場合は、特に何もない。お互い軽く慰め合うだけだ。


「ホント、エルケって何事もガチなんだから」


 新和は苦笑しながらソファに寝転がった。タブレットを操作し、中山競馬場で行われる新馬戦の情報を調べる。出馬表をひと通り眺め、


「カソクスルトキメキかー、いい名前。この牝(こ)にしよ」


 あっさり即決。決していい加減に決めているわけじゃない。新和にとってこれが自分に合った決め方なのだ。何度かエルケの真似をしてみた。しかし、頭がごちゃごちゃにこんがらがって、馬券を買うまでに至らなかった。そんな思いをするぐらいなら、インスピレーションで決めたほうがいい。


 一方のエルケは、データを洗いざらい一度頭に入れる。調教具合、血統、馬の生年月日、どこの牧場産か、厩舎、騎手、当日の天候など。それに加えてパドックでの馬の状態も見る。そうして突き詰め、自分の最適解を出すのが性に合っていた。


 ソファでボケーっとテレビで流れているパドックを観ている新和。ガチャッとドアが開いて、ひとりがけ用のソファにエルケが腰かけた。


「私は、イッチョヤッタルカに単勝で1000円にしたわ。新和は?」

「お、エルケにしては珍しく変わった馬にしたんだね。あたしはカソクスルトキメキだよ~。同じく単勝で1000円だね」

「ここの馬主は時々素っ頓狂なのをつけるからね。でも、血統は折り紙付きだし、調教はいい具合に仕上がっている。問題ないわ。ただ、カソクスルトキメキはどうなんだろ……。そこまで期待できるような感じじゃなかったけど」

「まあまあ。ほら、レースが始まるよ」


 ふたりの視線がファンファーレの音色に釣られてテレビに向く。比較的スムーズな枠入りが済むと、少しの間ののちゲートが開き、一斉に馬たちが飛び出していく。


 カソクスルトキメキが先頭に飛び出し、イッチョヤッタルカは4頭の先頭集団のすぐ後方の位置につけた。各馬最初の坂を悠々と登っていく。


「みんなかっ飛ばして行くねー」

「そろそろついていけなくなる馬も出てくるころだ」


 向こう正面を過ぎて第3コーナーに差しかかる。緩い下りを最初に下っていくのはカソクスルトキメキ。イッチョヤッタルカは、最後の直線に備えているのか3馬身後方辺りを走っていた。現在3番手である。


「このまま行っちゃってもいいけど、最後の直線は短いし坂だし、大丈夫かな?」

「脚が残っていればいいけど、かかり気味に飛ばしているようにも見えたからなぁ。残念だけど落ちてきそうな気もする」


 カソクスルトキメキが急坂に挑もうとした瞬間に、イッチョヤッタルカがスパートをかけ猛追してきた。高低差に苦しめられ、勝利まで目前のカソクスルトキメキにはキツイ展開だ。坂を登り切る直前にはとうとう並ばれ、勢い的にイッチョヤッタルカが有利と思われた。


「これはダメかも……」

「カソクスルトキメキの勝負根性が消えかかってそうね」


 しかし、カソクスルトキメキの勝負根性は尽きていなかった。しなる鞭に最後の力を振り絞って、前に前に少しずつイッチョヤッタルカを離して行き、わずかの差でゴールしてみせた。


「おおっ、すごいすごい!」

「ゴール前でググッと伸びていったわね。大した馬だわ」

「じゃ、キスするね~」


 新和がエルケの頬にキスをする。エルケもしたい気持ちを抑え、なすがまま受け入れた。


「どうせキスなら情熱的にしたいものだわ」

「それはふたりして同じ馬を買って、当てないといけないね。あと、確率がめちゃくちゃ低いけど、同着ゴールとか」

「競馬歴が長い身としては、安易に同じ馬券にしたくない。予想して突き詰めていっしょならいいけど。次の勝負は負けたくないわね」


 エルケが真剣に語った直後に、ふたりの腹の虫が抗議の声を上げた。匂いだけの生殺しを散々受けた脳は、落ち着いた瞬間を狙って腹に命令を下したのだろう。


「お腹空いたね」

「頭を使ってペコペコだわ」


 ふたりは昼ごはんをとりあえず摂ることにした。

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