クリスマスイブの祭典

ふり

1・雪が降り止まない南関東北部で

「降りやまないなぁ……」


 牧野(まぎの)新和(にいな)が、窓の外を眺めている。立ち並ぶビルやマンションや店々(みせみせ)には、雪化粧が施されている。


 大粒の雪が、昨晩から降っても降っても降りやむ様子がない。窓を開ければ、窓枠にはこんもりと雪が積もっている。さらに地上に目を向ければ、その雪に人や車が苦慮していた。


 ――こういうときは外に出ないに限るねぇ。

「ただいま。外は地獄の極寒。関東のクセに降り過ぎよ」 


 エルケ・クラウゼは、金髪のスパイラルパーマに絡んだ雪をタオルで取っている。コンビニへ朝食の買い出しに出ていたのだ。


「関東と言っても、ここは山に近いからね。降るときは降るんだよ」

「こう積もっていると、ドイツにいたときに降った大雪を思い出すわ」

「ドイツも結構降るんだっけ」

「地域にもよるけど、降るときはって感じ。あっちのほうは曇りや雨の日が多いから。冬は早いし、春はなかなか来ない。しかもこっちでいう北海道並みに寒い。だからこんな日は――」


 エルケはエアコンのリモコンを操作する。温風の吹き出す量が途端に多くなった。新和は苦笑いした。


「……今から見たくないよ。来月の電気代の明細」


 このほかにコタツ、テレビ、パソコン、ゲーム機、電気ポットなどが稼働中だ。


「日本のマンションにもハイツングが広まればいいのよ」


 ハイツングとは内部にお湯を循環させて、暖を取る器具のことだ。オイルヒーターと形状が似ていて、そのおかげで24時間家中どこでも暖かい。ヨーロッパの冬には欠かせないものである。


「日本は人がいるところが暖かければいい考えだからね。贅沢は敵だし、我慢が美徳だから」

「寒さを我慢しても、いいことなんてひとつもないわよ?」


 エルケは着込んだ服を脱いで下着姿になると、半袖にハーフパンツを身に着けた。


「……そう、だね」


 新和はもうツッコむ気にもなれなかった。コタツに置かれたコンビニ袋を漁る。頼んだサンドイッチの包装を開けて口に運んだ。


「あー、広めの部屋を取って、そこでダラダラして過ごすのもありだったかもね。ほら、冷蔵庫もレンジもあるし。テレビを見ながら食っちゃ飲みして寝るってだけの黄金行動しかしなくてもいいし。何より! 片づけなくてもいいし」


 エルケの口調は、仕事中には絶対出さないだらけきったものだった。部下たちが聞いたら、さぞや嘆き悲しむだろう。


「ホント、エルケって仕事と私生活の性格が全然違うよね」

「当たり前じゃない。オンオフを切り換えられないようじゃ、人生やってられないわよ」

「さすが辣腕(らつわん)プロジェクトリーダーは違うね~」

「ふっふっふ、もっと褒めていいのよ」

「んー……あまり褒めてないかも」


 ピンと来ない顔でエルケは鮭おにぎりを頬ばり、こげ茶色のビールを流し込む。母国のビールで、フレンスブルガー・ドゥンケルというらしい。


「かっ飛ばすね。いくらなんでも朝から飲み過ぎなんじゃない?」


 エルケは洗顔や歯磨きを済ませてから、パンよりも早くビールを口にしている。朝8時を過ぎた段階ですでに1リッター近くを胃に収めていた。


「まだまだ、シラフに毛が生えたようなものよ。4杯以上飲んでないし、水やお茶を飲んでいる感覚だわ。もっと飲まないと、血中に流れ込んでいかない」


 エルケはケロッとした顔で、最後の一滴まで惜しむようにビールを飲み干した。


 確かに顔色に変化はないが、声のトーンが徐々に上がっていた。もちろん、そのことに新和は早々と気づいている。しかし、指摘はしない。


 同棲初期にそれを指摘したところ、しどろもどろになり、顔をトマトのように真っ赤になってしまった。ぬいぐるみを抱きしめて、部屋の隅っこに座り、恥ずかしいのかしばらく口を利いてくれなかったのだ。


 ――エルケはシャイなんだよね。決して怒ってるわけじゃなくて、恥ずかしくて居たたまれなくなる。そんなところもかわいいんだけど、口を利いてくれるまで時間がかかるのが難点なのよねぇ。


 だから今は好きにさせておくのだ。普段は仕事で感情を押し殺しまくっているから。


 エルケの仕事はテレワークが認められており、わざわざ東京のど真ん中に出勤しなくてもいい。それでもチーム作業だから、個々人の力量や技量は様々だ。進捗が遅れることもしばしばあり、納期が切迫して寝ずに働いている姿も新和は見ている。


 プロジェクトリーダーとなれば、力量や技量は当たり前だとして、度量も非常に重要だ。能力の高低もあれば、性格の良し悪しもある。しっかりして仕事が出来る人間もいれば、ちゃらんぽらんで仕事も出来ずに人のせいにする人間もいる。


 ――あたしは絶対できないなぁ。チームをまとめ上げる自信がないもん。ひとつのことに全力で取り組めはするけど。

「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」


 ライトブルーで細めのアーモンドアイが、微笑みを浮かべている新和を不思議そうに捉えている。


「ソーセージを食べて、ビールを飲んでいるエルケが幸せそうだなって」

「このふたつはドイツ人の心よ。自然と頬が綻ぶの。ホント、ドイツ人でよかったわ。日本人だったら、お酒を分解するアレがないんでしょ。新和は例外みたいだけど」


 新和も酒豪の部類に入る。今はまだ紅茶を飲んでいるが、ひとたびスイッチが入ればエルケと渡り合えるのだ。


「あたしも遠い祖先はドイツとかロシア生まれのだったのかもね~」

「そうだったらおもしろいわね。って、もうこんな時間じゃない。ホットビールを飲みながら、新馬戦の予想をしましょうよ」


 エルケの母国のドイツでは、寒い季節はビールを温めて飲む。そのまま飲んでも美味しいらしいが、そこにクリームや香辛料なんかをトッピングすると、もっと美味しいとのことだ。


「まだ9時になったばっかりだよ。中山の新馬戦でしょ? 11時半ぐらいからだから、まだ早いって。少し競馬チャンネルの有馬記念特集でも観よ?」

「わかった。ホットビールは甘口と辛口のどっちがいい?」

「甘口がいいな~」

「ビールの種類は?」

「エルケと同じで!」

「ん。ちょっと待ってて」


 エルケがマグカップに黒ビールを注ぎ、それぞれにトッピングを加え、レンジで温める。あまり長時間温めない、大体1分前後で充分なのだ。


「はい、どうぞ」

「ありがとー」


 新和のホットビールはホイップクリームにシナモンが入ったもの。エルケのほうは、すり下ろしたしょうがとコショウが入っており、スパイシーな匂いが漂っている。


「甘さと黒ビールのコクがいい感じに合わさって美味しい~! シナモンが忘れないで、と言わんばかりに主張してくるのもいいねぇ」

「だいぶ慣れてくれたみたいで嬉しいわ。ドイツの冬はこれを飲まなきゃ、あっという間に風邪を引いてしまうから」

「ホント、同感同感」


 テレビから耳目を引く実況の名調子が流れてくる。最後の直線のデッドヒートが映し出されている。その中の真っ白な馬体を観て、新和が嬉しそうに手で示した。


「あ、ホワイトロマンスだよねっ?」

「そう、よく勉強しているわね。短距離から長距離までのありとあらゆる重賞を掻っ攫っていった。連闘につぐ連闘にも耐えて、それでもなお己の力を高め続ける唯一無二の牡馬(ぼば)だったみたい。バブル崩壊後のヒーローよ」

「『芦毛は走らない』なんてもはや迷信にしか思えないよね」


 次に、雨の中の重馬場を苦ともしない走りを見せる青鹿毛映る。中団から勢いよく抜け出し、コーナーで次々と前方の馬たちを抜いていく映像が流れる。


「今度はラーファガだね~。虎視眈々と中団で息を潜めて最後のコーナーか直線で一気に差す。調子のいいときは、突風に吹かれたかのように空間ができたとか。他の馬がわかっていても差し返せなかったんだよね」


 エルケは満足気にうなずいて新和の頭を撫でた。元々新和はそこまで競馬に興味がなかった。だが、エルケのによって、そこそこの知識を以って話せるようになったのだ。

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