第4話 翌朝、牢の中で。
翌朝。
意外にも私は牢の中でぐっすりと寝てしまった。
自分でも驚きだが、予想以上に泣き疲れたせいなのかもしれない。
あれだけ私の中にあった脳が壊れるような感情の洪水も清流のように落ち着いて清々しい気持ちだ。
「おや。目が覚めたようだね?」
「え? セブルズ?」
起きた私が最初に目にしたのは黒髪の美男子だった。
手には食事の載ったプレートがある。
「牢は冷えていたからね。温かいスープを用意させたんだ。焼きたてパンもあるよ」
「ありがとう……じゃなくて。私は罪人なのよ? それなのにどうして貴方が食事を!?」
受け取ったプレートを一度傍に置いてセブルズに尋ねる。
公爵家の嫡男である彼がどうしてここにいるのか。
「罪人か。それについてだけど君は釈放されるよ。誤認逮捕なんてあってはいけないからね」
「誤認ですって?」
「そうさ。昨晩提出された告発状をよく見たらあり得ないものが混じっていてね。幸いにも多くの令嬢が会場にいたから脅し……聞いたら素直に教えてくれたよ」
今、脅したって言おうとしなかった?
セブルズはハハハッと笑い流した。
「司法の関わる問題で嘘はご法度だ。嘘で人を貶めたりして後でバレたら虚偽罪で投獄だと親切に教えただけだよ」
「でも、私を捕まえろと命じたのは王子よ」
「あの場のアイツが持っているのは君を会場から追い出す権利までだ。投獄なんて越権行為だし、トネリがアイツを殺そうとしたなら話は変わるけど、あくまで男爵令嬢と告発状の内容に基づいての投獄だ。その告発状が消えれば釈放は当たり前さ」
そう話すセブルズの口調がやけに荒い。
今までの彼なら間違ってもフィリップ王子のことをアイツだなんて呼ばなかった。
「ミシェルさんと王子はなんと?」
「知らない。朝になったら二人の部屋はもぬけの殻だったんだ。城内にはいないよ」
どういうことだろうか?
投げやりなセブルズの態度に私は困惑してしまった。
もぬけの殻? 城にはいない?
「まずは君が牢にいた間に起きた出来事を教えようか。最初に──」
何が起こったのか分からない私にセブルズは言い聞かせるように語り出した。
会場での騒ぎ聞きつけたフィリップ王子の親である国王と王妃が家族会議を開いた。
その場で両親はまず裏をとるべきだと言ったが王子はそれに応じずに私を即刻処罰するべきだと言った。
妃教育で私に良くしてくれていた王妃は後妻の姉でもあり、妹の娘である私を守ろうとしたらしい。
それに逆上した王子は母である王妃を罵倒。
妻と息子の喧嘩に陛下が頭を抱えているところにセブルズが持ってきた告発状はでっち上げだという報告。
これは怪しいと気づいた両親がミシェルと話をさせろと言うが王子はこれを拒否。
『傷ついている彼女をこれ以上追い詰めるわけにはいかない。いくら父上と母上でも許さないぞ!』
もしも不当な理由での婚約破棄に王子の命令による誤認逮捕となれば王家の面子が潰れるのだと説得するが、王子は聞く耳を持たない。
もういいからトネリの解放とミシェルの事情聴取を急がせろと陛下が命令を出す。
すると今度は王子が剣を抜いて自分の首に押し当てたとか。
『私の言う事が信じられないというのならこの場で首を斬るぞ!』
『『馬鹿な真似はよせ(しなさい)!!』』
息子の自害宣言に慌てる両親。
結局、双方の話し合いの結果は一晩経って落ち着いてから関係者全員を集めての会議となった。
「僕も城に残って朝を待ったんだが、陛下達が呼びに行った時にはアイツは女と夜逃げした。世話係が手引きして金銭と馬を渡していた」
まさかの駆け落ちだった。
「部屋に残された手紙には一方的に陛下達への絶縁願いが書いてあった」
王子からの絶縁って……。立場的にはされる側だと思うのに。
「『真実の愛を求めて俺は自由になる。親の決めた政略結婚なんて御免だ』と捨て台詞も残していたよ」
それでたった一晩で駆け落ちを決行するとは物凄い行動力だ。
昔から何か一つに集中すると周囲が見えない人だったが、それがここまでの騒ぎになるなんて。
「陛下がすぐに捜索依頼を出そうとしたが、王妃がこれを止めたんだ」
「え? どうしてなの。母親なら息子のことが心配になるでしょうに」
「『あの子はもう成人しました。そんな子が自分で選んだのだから連れ戻すのは許しません。親の気持ちも知らずに王家の名に泥を塗って絶縁を求める覚悟があるなら好きにさせましょう』……肝が冷えたよ」
あー、あの方ならそんなことを言いそうだ。
グレゴリー公爵家の女はいずれも強い女性が多い。
瞬く間にアークジョージ侯爵家に馴染んだ後妻もだが、セブルズの母は社交界を牛耳る大物だ。
私と王子の婚約の邪魔を躊躇していた者は彼女達を恐れていた。
陛下は王妃の尻に敷かれているそうだし、何も言えないだろう。
「まぁ、アイツは剣の腕だけはあるから用心棒でもすれば食っていけるだろう。男爵令嬢は知らないが」
ミシェルのことはよく調べあげている。
彼女は野心家で他人を見下すのが好きな女性だ。
王子に近づいたのも妃の座を狙ってのことだろうが、それを捨ててまで王子に付いて行くなんて……。
「無理矢理に王子が連れ出したとかじゃないわよね」
「ありえるだろうね。アイツの暴走癖は天下一品だ」
妃になれると思った翌日には王家を捨てた男と二人旅。
随分と落差の激しい逃避行が始まったものだ。
「王位は第一王女に移るのね」
「いや。あの子は既に他国の王子と婚約をしている。今更それを動かせば国際問題だ」
「じゃあどうするのかしら? 王子もいなければ妃候補もいないのよ」
王子が消えただけでも大事件だが、次の王が決まらないのも大問題だ。
「王妃から僕が指名されたよ。父は王弟だけど婿入りの時に継承権を放棄したからね。まさか回ってくるなんて思いもしなかったさ。公爵家は弟に任せるよ」
セブルズが苦笑いする。
王家の分家の公爵家で、王弟と王妃の姉の間に生まれた彼なら誰もが納得するだろう。
社交界でも王子と正反対の月の貴公子と呼ばれる彼のことだ。よりよい国を作ってくれる。
「おめでとう。幼馴染としてお祝いするわ」
「ありがとう。それでトネリにお願いがあるんだ」
「何かしら? 今の私に出来ることならなんでもするわ」
母だけではなく好きだった男にさえ捨てられて大衆の前で婚約破棄を申し付けられた私に出来ることなんて少ない。
でも、昨晩後悔していたセブルズへの謝罪になるようなことはしてあげよう。
その後はどこかの田舎にでも移り住んで静かに暮らすのもいいかもしれない。
「そうだね。だったら僕の婚約者になって王妃になってくれよ」
「は?」
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