第28話 彼の正義と彼女の事情


「……少し、場所を変えましょう。リチャード、後は頼めるか?」


 手の力を緩めたリビアングラス卿の視線は私の方からリチャード卿の方に移る。


「え、あ……分かりました! じゃあ、皆さん、長期休みの前に今期であったトラブルについて……」


 リビアングラス卿に促されたリチャード卿が何事もなかったかのように皆を取りまとめようとする。ただ他の生徒達はちょっと納得いかなそうな雰囲気だ。


「いやいやいや、今の何だよ!? まずそこの説明じゃねぇ!?」


 鮮やかな赤髪赤目の八重歯が印象的なやんちゃそうな美少年が納得いかなそうに立ち上がって声を上げると、思いっきり彼の顔面に水の玉がぶつけられた。

 水玉は彼の真向かいに座る緩やかな長髪と同じ綺麗なアイスブルーの目を持つ美少女から放たれたようだ。


「アシュレー! リチャード様を困らせないでくださいな! ではまず私から、中等部で起きたトラブルなんですが、少々気にかかる事がありまして……」


 水玉をぶつけられた赤の少年もぶつけた青の少女もその髪と目の色から公爵家の人間なのは明らかで、彼らのやり取りに口を挟む生徒はいなかった。


 赤の少年が頬杖をついてちょっと口をとがらせている中、美少女が何事もなかったかのように語り始めるのを見届けてから、私とリビアングラス卿は生徒会室を退室した。



 生徒会室からそう離れていない廊下の突き当りで止まる。そして――リビアングラス卿に再び冷たい眼差しを向けられる。

 これからの話を誰かに聞かれるのが怖くて防音障壁を張る。また手を掴まれて止められるかと思ったけれど大丈夫だった。


「申し訳ありませんでした。私のせいで……」


 深く頭を下げる。しばらくの沈黙の後にやはり怒気を帯びた声が落ちてきた。


「……何故嘘を付いたんです? 彼女を追い詰めて悲しむマリアライト卿を見たくなかったからですか?」


 顔を見なくても彼が静かに怒っている事が分かる。そして冷たい声が心に刺さる。


「正直、それもあります……ですが、それよりもっと単純な話です。私はフローラ様が怖いんです。婚約破棄して、イジメの噂を流されて、襲われて、婚約リボンまで盗られて……侯爵令嬢相手に、辺境の、領地も権力も持たない子爵の娘に過ぎない私が反論したら、これから入学する弟や妹にまで被害が及ぶかも知れない……」


 ポツり、ポツりと正直な言葉を紡ぎ出す。リビアングラス卿はそれを厳しい表情でただ黙って聞いていた。


「それに……今の一件で流石にフローラ様も大人しくなると思います。だから…あまり、フローラ様を責めないでください。お願いです。これ以上あの人達に関わりたくないんです……」


 ただでさえ公侯爵家の人間達が集まる生徒会の真っ最中に吊し上げられたのだ。相当プライドが傷つけられたと思う。そんな彼女をあまりに攻め立てれば、噛まれる。


 あの敵意に満ちた眼差しは喉元に噛み付かれる直前のようにすら思えた。


 でも追い詰められたフローラ様を庇った私は、フローラ様に対して"貸し"を作れたはずだ。今の状況ならもう私に何かしてくる可能性は低い。


 私だってここまでされて何も悔しくない訳じゃない。だけど先程のうろたえるフローラ様に少し溜飲が下がったのも確かだ。これに懲りて私に関わらなくなるのならそれが一番望ましい。もしこれにも懲りずに何かしてくるというのなら――


「……貴方の事情はどうであれ、私は素知らぬ顔をして人の物を盗んだ挙げ句に噂を流すという彼女の酷く悪質な行為が許せなかった。例え彼女が15歳という未熟な人間でも、彼女がした行いは裁かれるべき罪だと思います。貴方がした事は悪人を庇う行為に他ならない……ですが……」

 リビアングラス卿の声が少し、穏やかになった気がする。


「……私は彼女を裁いた後の事まで深く考えていなかった。裁きを受けて悔い改めてくれればと思っただけで、彼女が名誉を貶められた事でより憎しみを強めてソルフェリノ嬢の家族を攻撃する可能性まで考えていませんでした」


 その言葉に顔を上げると、真顔で真っ直ぐの眼差しにはもう怒りの感情は感情が宿っていなかった。


「……兄弟が自分のせいで理不尽に蔑まれたり襲われる事を思うと先程の貴方の行動は理解できます……事を荒立たせてしまうような真似をして申し訳ありません」

 今度はリビアングラス卿が私に深く頭を下げる。


「あの、リビアングラス卿……もしご家族から叱責を受けるのであれば私も一緒に謝らせてください。元はと言えば私が……」

「いいえ、罪に事情も地位も魔力の色も関係ない。私は罪に問われる事を覚悟で彼女のポーチを漁りました。私の罪は私だけが償うべきです」


 そう言い切るリビアングラス卿の表情には一切後悔の感情が見えない。眩しい位に強い彼の眼差しに自分のちっぽけさや無力さを思い知らされる。

 

「リビアングラス卿は、何でそこまでして、こんな私を……」

「私は、これ以上貴方が貶められる事に耐えられなかっただけです。貴方が悲しい顔をしていたら、私、は……」


 リビアングラス卿の言葉がそこで不自然に途絶える。


 そして――彼の体がグラリと体が揺れて後ろに倒れそうになった所を思わず引き寄せると、リビアングラス卿はそのまま私の方に倒れ込んだ。


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