第29話 予想外の告白


 もたれかかるように倒れ込んできたリビアングラス卿の髪が頬に触れる。


 風に靡く度にフワリと揺れる金髪は見るからにサラサラなんだろうなとは思っていたけれど、実際触れてみると本当に柔らかで滑らかな髪質に驚く。


(……って、今それどころじゃない!)


 慌てて彼の表情を確認すると、目を閉じて完全に意識を失っているようだった。ひとまず彼を保健室に運ぶ。

 既に放課後という事もあり他の生徒に会う事無く保健室にいた校医さんに託し、リチャード卿の元へと急ぐ。


 丁度会議が終わった所だったのか生徒会室から何人か人が出てくる所だった。皆さっき入ってきた私の事を覚えているのだろう。皆冷めた目や怪訝な目、好奇の目で私を見て通り過ぎていった。


 その中にリチャード卿の姿がなく、恐る恐る生徒会室を覗くと――


「リチャード卿! 何で貴方がいながらあんな事になるの!? 何で兄さんを止めずにさっさと逃げた訳!?」


 見事な黄金の髪を縦ロールにした女生徒がリチャード卿に詰め寄っていた。


「すみません、ロザリンド様。でもレオナルド様はけしてロザリンド様に迷惑をかけるつもりではなかったんです」

「こんな所であんな事をして私に迷惑がかからない訳がないじゃない! 兄さんは後半年で卒業だからいいかもしれないけど、私は後3年半もマリアライト嬢と一緒なのよ!? ただでさえ影で兄の出来を比較されて肩身狭い思いしてるのに……逆恨みされたらどうするのよ!?」


 フローラ様と同学年なのだろうか?そう思うと酷くいたたまれない気持ちになってくる。


「す、すみません、私のせいで……」


 私の声に振り返った、蜂蜜色の目をしたまだまだあどけなさが残る少女にギロりと睨まれる。その少しつり上がった眼差しがリビアングラス卿によく似ている。


「別に私、貴方に謝って欲しい訳じゃないわ! 私は非常識な兄さんに怒っているの!」

「でも、元はと言えば私が婚約リボンを無くさなければ……ごめんなさい」


 頭を下げながらもう一度謝ると沈黙が漂う。初対面の私に怒鳴り散らす事には抵抗があるようだ。


「……もう、皆兄さんに甘いんだから! そんなだから兄さんがどんどん無茶するのよ!! 誰かがビシって言ってくれないと、兄さんは馬鹿だから分からないのよ!」

「すみません……ところでマリー嬢、レオナルド様は?」


 謝り慣れているのか、平謝りの割には冷静なリチャード卿がこちらに視線を向ける。


「それが、突然倒れられて……今保健室に寝かせてもらってます」

「ええ!? ああもう、これだから兄さんは……!! 本当、いい加減にしてほしいわ!」


 令嬢に似つかわしくない足取りでロザリンド嬢が歩き去っていく。その姿を見てリチャード卿は改めて重いため息を付いた。


「全く、レオナルド様は本当に無茶なさるんですから……」

「あの、あの方って……」

「レオナルド様の異母妹のロザリンド様です。本当はもう少し大人しい方なのですが、どうしてもレオナルド様と折り合いが悪く……ロザリンド様が中等部に入って以降はレオナルド様本人程ではないにしても、ロザリンド様も影で色々言われているみたいで常にピリピリしておられます」


 リチャード卿は困ったようにそう言うと重いため息を付いた。


 そんなの、器なんて生まれつきじゃないですか。器が小さいからと言って馬鹿にするのも兄弟の器の大きさで肩身狭い思いをするのはおかしい、どうしようもない部分で人を貶めるのはおかしい――頭ではそう思っていても、それを口に出すことは出来なかった。


 フレデリック様と一緒にいた時、深い悪意こそなけれど彼の器の小ささを馬鹿にしていた自分は確かにいたのだから。今綺麗事を言う資格が自分に無い事は重々分かっていた。



 リビアングラス卿の様子を見に行く、というリチャード卿と共に保健室まで着いた所でロザリンド嬢とバッタリ再会する。

 彼女の後ろにはまだ意識が戻っていない様子のリビアングラス卿がフワフワとやや不安定に宙に浮かんでいた。


「あ……ロザリンド様、あまり乱暴に扱っては……!」

「どうせまた薬の飲みすぎで意識を失っただけでしょう!? 夜まで起きないんだから家で休ませた方が良いに決まってるわ!! 今日こそお父様にみっちりお説教してもらうんだから!」


 ロザリンド様は顔を真っ赤にして浮かぶリビアングラス卿を連れて歩き去って言った。


「リチャード卿……薬って?」

「ああ、魔力回復促進薬マナポーションの事です。流石に2本も飲んだら意識失いますよね」


 サラッと言われた台詞に血の気が引く。

 魔力回復促進薬マナポーション――戦闘や怪我人の治療の際、魔力が尽きた人間が体と精神に負担をかけて魔力の自己回復力を早める高価かつ緊急用の薬。


 『その薬は魔力の核を刺激する為、精神にかかる負担は特に大きく一時的に性格が変貌する人間までいるから、滅多な事で使ってはいけない。回復量を上げる為に2本飲むなどもってのほか!』と中等部で薬学の基礎を教えてくれたおじいちゃん先生が口を酸っぱくして言っていたのがすごく印象に残っている。


 そんな薬を一度に2本も飲むだなんて危険過ぎる――そう思った私の表情から何を考えているのか察したようで、リチャード卿は言葉を続けた。


「強力な魔力検知は魔力をかなり消費します。見ての通りレオナルド様は一般貴族と同じ位の魔力しか持っていません。だから魔力回復促進薬マナポーションを飲んで一時的に魔力の自己回復量を高めて魔力探知を行ったんです。確実にリボンの位置を確認できる魔力探知を行うにはその位の魔力が必要だったんです。本来あれはご自身の暗殺や襲撃に備えた緊急用に所持している物で、頻繁に使って良いものではありません」

「どうして、そこまで……」


 無意識に呟く。例え裁かれる罪だと思ったからと言って、自分の体に負担をかけて、自分の名誉を傷つけてまでリボンの所在を明らかにしようと思う程の事だったのだろうか?


 それで自分に何か得がある訳でもないのに――理解できない。



「……中等部の頃からレオナルド様はマリー嬢の事が好きでしたから」

「えっ……!?」


 予想外すぎるリチャード卿の発言に思わず声が上がる。もしかして、と思った事はあるけれどお人好しだからという理由で納得して潰えていた可能性だった。


(何で……!? だって中等部時代、私あの人と話した事なんてないのに……!?)


 目が合えばいつも真顔か不機嫌そうな顔で、嫌われていると思っていた。


 私の驚きをよそに尚もリチャード卿は言葉を続ける。


「最初は確か、1年の前期だったかな?図書室で自習している時、近くの席でいつもとても可愛らしい子も自習していると言っていました。なので最初は一目惚れだったと思いますが、そういう日がずっと続いて……魔力や容姿に優れて努力せずとも引く手数多だろうに自分と同じ様に一生懸命努力するマリー嬢は凄い、とより慕うようになり……同じ上クラスに入られた時は自身の事のように喜ばれて……。マリー嬢はマリアライト卿の方ばかり見ていたので気づかなかったと思いますが……」


 そこまで言って私が唖然としている事に気づいたのか、リチャード卿は苦笑いを浮かべる。


「……すみません。本来ならこういう事はレオナルド様自身から打ち明けた方が良いのでしょうがあの人、そういう所も頑固で。マリー嬢の心の中にはマリアライト卿がいるし自分の器の大きさでは彼女に釣り合わないから、と話しかける事も出来ずにいるうちにマリー嬢が婚約して……でも婚約破棄の件でようやく話しかけたと思えば自分は酷く嫌われているみたいだから僕が代わりに助けてやってほしいと頼まれたんです」

「ご、ごめんなさい……私のせいで……!」


 やっぱりリビアングラス卿に頼まれたからリチャード卿は私を助けたのだ。推測こそしていたけれどその理由には驚くしか無いし、リチャード卿には謝るしか無いけれど。


「いえ、今朝も言いましたけど僕の事は本当に気にしないでください。僕もマリー嬢が婚約破棄やイジメの噂で傷ついて学院を去ったりするのは可哀想だなって思ってたし、そんなに家に帰りたい訳ではなかったので」

「……噂、信じてなかったんですか?」

「貴方の熱心に勉強している目やマリアライト卿と一緒にいる貴方を見てたら、まさか彼の妹を虐めるとは想像もつかない……と、レオナルド様が言うし、実際に僕も貴方を見ていてそう思いました」


 接点がない人でも、私の事を信じてくれている人がいたのだ――その事実に目が自然と潤んでくる。

 

「あの……マリー嬢はレオナルド様の事を苦手に思ってらっしゃると思いますが…あの方は本当に融通が利かず、頑固な面があります。真顔で睨まれると怖いし。ですが根は貴方がこの学院で無事に卒業できればと心から願っている、優しい人ですよ。……って、すみません。流石に女性のポーチを強引に開けたのは引かれたかなと思って、つい喋りすぎてしまいました」


 確かに、女性のポーチを漁ってあのリボンを見つけたのだと思うとかなり乱暴な印象を受ける。私の為にやってくれた事だから引くより罪悪感の方が強いけれど。


「レオナルド様はああいう方ですし、正直あの方の想いを受け止めてほしい……とまでは言えません。ただあの方の事を誤解されたまま、本心を知らないまま避けられるのはお二人の友人として辛い。どうかあの方の事を、何の噂も肩書も魔力の色も気にせず、真っ直ぐ見てあげてください。その上で避けられるのであれば、僕も諦めがつきます」


 そう笑った後リチャード卿は一礼して去っていく。



 予想外の展開と予想外の告白に頭を整理する為に――そして潤む目から溢れ出ようとする涙を堪える為に、私はしばしその場で立ち尽くしてしまった。


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