第26話 お人好しとお節介


「マ……あ、いや、ソルフェリノ嬢……」


 フレデリック様は私の顔を見るなりこちらに近づいてくる。


 私に会いに来たんだというのは分かる。でも、何で――と思って婚約リボンの事だと察した時にはフレデリック様がもう目の前に立っていた。


 こんなにすぐ近くに立たれるのは婚約破棄された時以来だ。綺麗な紫色の瞳に元気がない事が少し気にかかりつつ、言葉を待つ。


「ソルフェリノ嬢……その、婚約……の件なんだが……」

「ごめんなさい……! 無くしてしまったんです……!!」


 酷く言いづらそうに言葉を紡ぐ中で聞こえた言葉から、やっぱりリボンの件かと思い食い気味に言葉をかぶせる。


「無く……無くした?」

「婚約リボン、見つけ次第すぐにお返しいたしますので……! 関わらないでくれと仰るから返して良いのかどうか、悩む内にすっかり忘れてしまってて……! 本当にごめんなさい!」


 勢いよく言い切ると、フレデリック様がバツが悪そうに頭をかき出す。


「ソルフェリノ嬢……確かにフローラはリボンが返ってこない事を気にしていたけれど、僕は……」


 フレデリック様の言い出しづらい事を言う時に頭をかく癖は変わっていないようだ。


 ちょっと諍いがあった時いつも私が謝っていたけれど、たまにフレデリック様から謝ってくれる時があって、その時はそうやって気まずそうに頭をかいて――ちょっとの沈黙の後にハッキリ謝ってくれた。


 でも今はちょっとの沈黙が流れても何か返ってくる気配はない。そしてこうやって何か言ってくれる事を期待している自分が――


「僕は……」


(駄目……聞いちゃ、駄目)


 この人に期待して、何が待ってる? 結局もし謝られて、また婚約できたとしても絶対フローラ様が邪魔しに来る。その時この人は――私をまた、突き放す。


 顔をそらして教室に入ろうとすると、手を掴まれた。

 力強い手ならまだ振り払えたのに。酷く弱々しい手は私に振り払わせる選択肢を与えてくれなかった。


 心がゾワゾワ震える。フレデリック様自身への嫌悪ではなく、フローラ様から何をされるか分からない、という恐怖が私をゾワゾワさせる。

 そんな私の恐怖をどう感じ取ったのかフレデリック様が自ら手を離した、その時。



「マリー嬢、どうしたんです?」



 リチャード卿が声をかけてきた。一人だけのようだ、と思ったけれど少し奥で歩き去っていくリビアングラス卿の後ろ姿が見えた。


 恐らく私がフレデリック様とモメているっぽい姿を見て、気になってリチャード卿だけ声をかけさせたんだろう。お人好しすぎると言うか、お節介過ぎるというか。


 リチャード卿だって付き合いが良すぎるのだ。こんな生意気な私の事なんてもう、放っておいてくれればいいのに。

 そんな思考が顔に出てしまっていたのか、リチャード卿は困り顔で微笑んだ。


「マリー嬢……貴方が僕を避ける理由は分かります。確かに僕もレオナルド様も正直マリアライト卿とは相性が悪い。ですがマリアライト卿も僕達も様々な色の民を統べる公侯爵家の人間です。相性の悪い人間と仲良くしている人間を憎むような心の狭い人間ではありません。壁を作られるのは正直、寂しいです」


 荒んだ心にリチャード卿の善意が暖かく染み入ってくる。


「……お二人には色々親切にしてもらって、凄く感謝しています。でも私は……私と関わる事で二人が何か言われたりしないか心配で……私は離れた棟で何言われてても後半年弱で卒業だと思えば耐えられます、ですが……」


 私の為に貴重な時間を使ってほしくない、私と関わったせいで酷い風に言われてほしくない、そんな想いから言葉を紡ぎ出すとリチャード卿は首を小さく横に降った。


「僕達の事は本当に気にしないでください。僕もレオナルド様も悪評には慣れていますし、狡い言い方ですが目に余る噂が広がれば表立って戦う事も、暗に握り潰す事もできる力を持っています。そういう力がありながら友人が悪評に怯えて傷つき困ってるのをただ放置する人間にはなりたくないんです」

「友人……」

「そうです。僕にとってマリー嬢は大切な友人です。出来る事ならもっと仲良くなりたいし、頼られたいと思っています」


 そう言って微笑むリチャード卿の笑顔は、私の事を本当に迷惑だと思っていないのだと思わせるには十分だった。

 ここまで言わせて尚、頑なに拒める程今の私の心は強くなかった。


「……実は、フレデリック様から以前もらった婚約リボンを、無くしてしまって……私がまだ婚約リボンを返してない、って中等部で噂になってるみたいで……それでフレデリック様も……」


 喋っている間に、一つ、涙がこぼれ落ちる。


「リボン……心当たりは全て探されたんですか?」

 私の目から溢れ出る涙に触れず、ひたすら優しい声が殊更涙を誘う。


「寮も学校も心当たりがある場所は一応……後は念の為使った事のある特別教室を確認しようと……」

「そうですか……マリアライト卿、僕も探してみますのでリボンを返すのはもう少しお時間頂けませんか? もし紛失したリボンの賠償を求められるのでしたら僕が負担します」


 いつも穏やかな表情のリチャード卿が真っ直ぐにフレデリック様を見据える。

 

「ぼ、僕はリボンの賠償を求めに来た訳じゃない……!ただ……!」


 いつの間にか、教室の廊下側の窓から何人か顔を出していた。ガヤガヤと人目についている事に気づいてかフレデリック様の顔が赤くなる。


「ソルフェリノ嬢……今はお互い冷静になれなさそうだ。また今度、人目に突かない場所で話そう。失礼する……!」


 フレデリック様はそう言うと颯爽と去っていく。そして私はリチャード卿に促されるように教室に入った。クラスメイト達は何も言ってこずそのまま席に付き、いつの間にかリビアングラス卿も席についていた。



(リボンの事じゃないとしたら……何だったんだろう?)



 数節前の私だったら気になって授業や内職どころの話じゃなかったのに。今は疑問には思うものの授業に集中できるし、休み時間の藁人形づくりも淡々と出来る。


 そんな自分を『頑張ったね』って褒めてあげたい反面、少し、寂しかったけれど――休み時間の度にクラスメイト達がチョコやら飴などのお菓子を代わる代わるおいてくれる

 何か声をかけて5点減点されてしまうのは怖い、でも何かしてあげたい――そんなクラスメイトの優しさで寂しさはすぐに埋まっていった。


「恋愛の事はよく分かんないけど、元気出しなさいよ」


 ネイは藁人形作りを1個だけ手伝ってくれた。ネイらしくてそれも嬉しかった。


 そして放課後になってエクリュー先生から特別教室の鍵を借りて確認していく。次の部屋に向かおうとした時に強い黄色の魔力の波を感じた。


 この目が覚める程鮮やかな黄色はリビアングラス卿――そしてこの感覚は多分魔力探知だ。


 ちょっと嫌な予感がしつつ、その覗かれたような不快感に禁止にされるだけの事はあるなと思いながら次の教室に手をかけようとした時、リチャード卿の声が聞こえた。


「あ、マリー嬢!すぐに来てください! リボンが見つかりました!!」

「えっ、何処に……!?」


 すぐに顔を上げて声がした方を向くとリチャード卿が息を切らせて駆け寄ってくる。


「それが……ちょっと困った状況になってしまって……!!」


 いつも以上に眉尻を下げて狼狽えているリチャード卿は見るからに本気で困っていた。

 それ以上聞かず早足で歩くリチャード卿の後を着いていくと、自分には全く縁のない生徒会室に辿り着く。


 丁度会議中だったのか、大きな円卓に一定の間隔を置くように十人近い高等部と中等部の生徒達が座っている。だけど――何か異様な雰囲気だ。


 その異様な雰囲気を作り出しているのは、立ち上がっている2人の男子生徒なのは間違いないだろう。


 フローラ様に詰め寄る形で立っているリビアングラス卿と、そのリビアングラス卿を止めようとしているフレデリック卿――


 そしてその明らかに狼狽えているフローラ様の前に口紅や手鏡、櫛など色んな小物が散らかっている。


「……何故、このリボンが貴方のポーチの中にあるのですか?」


 リビアングラス卿の冷たい声に視線を移すと、彼の右手には紫の婚約リボンが握られていた。


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