第25話 婚約リボン


「マリー、貴方、婚約リボンってどうしたの~? もう婚約破棄して半年立つのに貴方が婚約リボンを返してないって中等部で噂になってるみたいだわ~」


 部屋を尋ねてきたテュッテにそう言われたのは、魔導工学科に入ってもうすぐ半年――紫の節の前期休みが後1週間程後に迫る頃だった。


「え……あれってやっぱり返さなきゃいけないの?」


 言われて久々にアクセサリーボックスにしまいっぱなしのリボンの存在を思い出す。贈り主の色で染めた生地に金の刺繍を施した、婚約の証のリボン。


 魔導工学科で1日1限はある工学の授業では粉塵や火花、油や錆止め等の薬剤で汚れる事も多くて装飾品をつける気がせず、編入して以降はアクセサリーボックスを全然開いてなかった。


「どうなのかしら~……私も貰った事ないから分からないけど公侯爵家が使う婚約リボンは手染めや市販品じゃなくて魔力染めだって聞くから高価な物なのは間違いないと思うわ~……もし自分から返しづらかったら私からフレデリック様に返してもいいけど~……?」

「でも……そうしたらテュッテが何か言われない?」


 テュッテが私を心配して噂が大きくなる前に解決しようと善意で言ってくるのは分かっているけれど、そこまで頼っても良いのだろうか?


「大丈夫よ~同じクラスだし、皆から分からないようにこっそり渡すわ~。難しそうだったらロッカーにでも入れるわよ~」


 テュッテの屈託の無い笑顔と提案に心が揺れる。

 私が常に人の目がある場所にいるようにしているという事が功を奏しているのか、この数節フローラ様からの目立ったアクションはないけれど、わざわざ魔物がいる穴に飛び込む勇気はない。


 だけど中等部からの噂――という事はフローラ様がまた何か言った可能性が高い。リボンが返って来ない事が不満……リボンを返せという事だろう。また噂に背びれ尾ひれが付く前に返した方が良い。


「そう……じゃあテュッテにお願いしても良い?今持ってくるから」


 あれからもう半年か。何だかんだバタバタしてあっという間に過ぎてしまったような気がする。

 あの時は手放す事もできそうになかったリボン。今も多少心が疼くけれど――手放せない程痛くはない。


 時間は妙薬と言う通り、自分の心が癒えてきているのだ。そう思いながらまた一つケジメを付ける為にアクセサリーボックスを開く。



 無い。



 紫色に金の刺繍が施されたフレデリック様からの婚約リボンが、無い。



 落ち着いていたはずの心が、慕情以外の理由で激しく脈打つ。


「テュッテ……! どうしよう、婚約リボンが無い! 確かにここに入れたはずなのに……!」

「ええ~…!? どうしましょう~?」


 テュッテの気の抜けた復唱で少し冷静になる。無いならとりあえず部屋中を探すしか無い。あのリボンにはフレデリック様の魔力が込められている。だから魔力探知すれば探せるはずだ。


 目を閉じて、水面に石を投げた時に生じる波紋を想像するように自分の魔力を広げる。


 波紋に触れた魔力の色――テュッテや自分の魔力、魔道具や装飾品に込められた微かな魔力は感じられるけれどその中に紫色の物はない。


「部屋にはないみたい…明日、寮や学院の中も探してみるわ」


 婚約リボンをアクセサリーボックスに入れた記憶はあるから、学院の中にあるとは思えないけれど……もしかしたら思い違いなのかも知れないし、探さない訳にはいかない。



 だけど――朝早くから寮の周りや学院内の心当たりのある場所で魔力探知をしても見当たらなかった。


(困ったわ……)


 この学院には外部からの魔力を一切遮断する部屋もいくつかある。


 魔力探知にかける魔力を強めればそういう部屋の中やもう少し遠い場所にある魔力や小さな魔力もある程度探知できるようになるのだけど、周りの人の迷惑になってしまう。


 探し物を軽く探す程度の魔力探知ならともかく、強い魔力探知は体の中を覗かれているような感覚があるらしく、静寂の中で轟音を鳴らす行為のごとく嫌われているし校則で禁止されている。


(無いと思うんだけど、念の為エクリュー先生に相談して放課後に部屋を確認させてもらおうかな……)


 ここまで探して無い、という事は――誰かに盗まれたんじゃないだろうか?



 アクセサリーボックスを全く確認していなかったし、寮の部屋の鍵だってうっかり施錠せずに校舎に行った日が3回程あった。


 そんな日は部屋で待ち伏せされて襲われるのが怖くて、テュッテやネイを探して部屋の点検が終わるまで部屋の外で待機してもらっていた。


 バイトを譲ってからネイは何だかんだと私に話しかけてくれるようになって、私もネイにも色々質問するようになった。

 実際話してみると割とストレートな物言いをするけれど、それを素で言っているのだと思うとあまり悪い気はしないし、こちらもストレートに返してみてもネイは気を悪くした様子はない。


『鍵に施錠したかどうかが分かる機能つけたら?』


 工学準備室でも使っていた、開けたら黄色、閉めたら青色に変わる施錠確認付きの鍵。2回目に呼ばれたネイからちょっと呆れたように言われた。


『図書室で過去の卒業課題の設計図で公開しても良い、ってなった物を纏めた資料の中に事細かく載ってたから自分で作れると思うわよ?一応鍵の加工については管理人に聞いた方が良いと思うけど』


 そう言われた翌日図書室でその資料を探してみると、確かに分かりやすく作り方が記載されていた。管理人さんの許可ももらったので前期休みに入ったら作ってみよう! と思っていたのだけど――


 襲われる事ばかりに集中して盗難の可能性を全く考えていなかった単純な自分を反省する。



 もし、盗まれたのだとしたら――犯人は一人しか思い当たらない。

 だけどその本人が噂を流しているのだ。何を考えているのか理解できない。


 だから間違いなく盗まれた、とも言い辛い。とにかく探せる場所を全部探してから改めて考えてみよう。


 そう思っている間に授業時間が近づき、教室の方に向かうと丁度教室の前に――フレデリック様が立っていた。


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