第20話 彼女の心境・2(※フローラ視点)


 兄様と2人でマリアライト邸に帰省するとお父様とお母様が出迎えてくれた。


「フローラ……大丈夫か? ソルフェリノ嬢に迫害されたと聞いたが……」


 もう50代になろうというのに逞しい体付きで凛々しさを感じる、整った顔立ちのお父様の温かい言葉に笑みが溢れる。


「お父様、心配してくれてありがとうございます。でもフローラは大丈夫です。兄様が傍に居てくれるから」


 大好きなお父様とお母様。でもお母様は私がお父様と話していると、今みたいに冷たい視線を向けてくるの。

 子どもの時はそれが何故か分からなくて寂しかったけれど、執事からその理由を聞いてからは寂しくなくなったわ。


 お可哀想なお母様。誰かを好きになってもその麗しく毅然とした姿から殿方の庇護欲をそそる事が出来ず、ことごとく別の女達に殿方を奪われていただなんて。


『ウィスタリア様はフローラ様を愛しています。ですが旦那様をそれ以上に深く愛しておられて旦那様を誰にも奪われたくないあまりに冷たい態度を取ってしまうのです。この館に女性メイドを一切置かないのもそれ故です』


 執事の言葉の通り、お母様はお父様さえ関わらなければ私に優しい。

 お母様の可哀想な事情を知ってから私はお父様に甘えなくなったの。そしてお母様にも甘えなくなった。その分兄様が私を気遣ってくれた。私もその分兄様に甘えるようになった。


 私には兄様しかいないの。だから、兄様を独り占めしようとする獣には渡さない。


「フレディ、フローラ……貴方達に確認したい事があります。このまま応接間に行きましょう」


 お母様はそう言ってお父様と腕を組み、先を歩いていく。

 応接間でお母様に婚約破棄したい旨をお兄様が伝えると、お母様はいつになく厳しい顔をして『こちらから婚約破棄する事はなりません』と仰っしゃられた。


 自領の民が他領の民に、そして女が男に虐げられる事を何より嫌うアルマディン領の女侯爵にとって、など激高する姿が目に見えているからと。


 私が彼女に酷い事された事には目を伏せて『いかな理由があろうと隣領と険悪な関係になる事は避けたいの。婚約破棄だなんてアルマディン領の娘の名誉を傷つけるような行いは断じて許しません』と言われてしまった。


『フローラ……辛いのは分かるけれど、私も広大な領地を治める主として家族の事だけを考えて動く訳にはいかないのよ』


 そう言って悲しげな顔を向ける母様に、私も兄様も何も言えなかった。


『母上……申し訳ありません。私が軽率でした。侯爵家の後継ぎとして、婚約するという事の重大さを分かっていませんでした……』


 ああ、兄様は本当にお優しい。どうかその穢れなき心のままでいてほしい。


 お母様はアルマディン女侯爵に関わりたくないだけ。『私の領の女を蔑ろにしないで!』と事前の連絡も無しに館を訪れられて、お父様と会ってしまうのを避けたいだけ。


 今なお男達を惹きつけてやまないと言われる魔性の女にお父様を奪われるのが怖いだけ。


 傍目から見てもお父様はとても優しい、熱を帯びた目でちゃんとお母様を見ているのに。私がお母様と話している時ですら寂しそうな目でお母様を見つめているのに。 

 何度も裏切られているとそんな愛に溢れた眼差しも信じられなくなるのね。ああ、お母様は本当に哀れな方だわ。


「フレディ……貴方、マリーさんに頭を下げて向こうから婚約解消を申し出るよう手紙を書きなさい。それが一番無難だわ。最悪、向こうからの婚約破棄という形でも構いません。それが嫌だと言うのなら私がマリーさん宛てに婚約解消を依頼する手紙を送っても良いですけれど……」


 お母様はフラれる事に慣れてしまっているのでしょうか? 獣を刺激しない方法を淡々と話すお母様に対して兄様は苦しそうな表情を浮かべている。


「……いえ、母様の手を煩わせるような真似はできません。僕が、マリーと直接話してみます……」

「直接会うのはやめなさい。お互いに未練があればよりややこしい事になってしまうわ。はぁ……向こうが傷物にでもなってマリアライト家にはふさわしくないからと婚約解消を申し出てくれたらいいのだけど……彼女、とても可愛いから襲われる可能性がありそうだけれど、そう都合良く襲われてくれないわよねぇ。学院内だと尚更ね……」


 深い溜め息をついた後に一瞬、母様は私を見た。そして、母様の話は終わった。



 今回の休みは私が兄様を独り占めできて――二人きりで過ごせる貴重な時間を堪能して幸せだった。だけどやっぱり兄様は何処か上の空で、私が傍にいるのに寂しそうだった。


(兄様を1日でも早く楽にしてあげたい)


 そう思ってマリアライト邸の――紫の魔力を持つ母様と兄様と私しか入れない書庫に入ってみる。

 埃臭くはないけれど窓もない部屋の中、私の背より少し高い位置に一定の距離をおいてかかったランタン達が淡く輝いている。


(以前入った時より色の違うランタンの数が増えてる……)


 取り外しの容易なランタンの中で輝く色は殆どが淡い紫色だけれど、水色やら黄緑やら橙やらピンクやら――違う色が7つ位並んでいる。


(呪術で奪った物は対象者が死ぬまで保管する場所が必要だと聞いた事はあるけれど……こんな薄暗い場所に保管されるなんて可哀想)


 マリアライト家は元々有名な呪術師が築いた家系という事もあって類まれな呪術の才に恵まれている者が多いの。だから書庫に並ぶ本も呪術の本が多く、その次に音に関する術。そして魅了や催眠の術に関する本が多い。


 改めてそれらを色々読んでみたけれど――やはり人の感情を操作するような魔法の記述はどの本にも書かれていない。


 成果を得られずに書庫から出た私をお兄様がお茶に誘ってくれたので、魔法の事は一旦忘れて兄様の心がゆっくり癒えるのを待つ事にした。



 なのに――学院に戻ってくるなり薄汚いメス犬と遭遇してしまった。退学していなくなっている事を毎日願っていたのに、神様の意地悪。

 しかも兄様の同情でも引くつもりなのか、髪まで切って。


 そしてこの休みの間に女性でもなければ一般貴族でもないと仲良くなってるなんて、本当に浅ましいわ。

 しかも私達と相性の悪い、黄色や黄土色の高位貴族だなんて。


 苛立ちを抑え怯えた表情を貼り付けて、落ちこぼれの公爵令息の追求をどう切り抜けようか考えていた時――優しい声が聞こえてきたの。


「マリー……」


 髪を切って同情を引く――まんまと獣の術中にハマってしまった優しい兄様の唖然とした呟きが胸に刺さって痛い。

 でも、私が腕に抱きつけばお兄様は私の騎士になって私を守ってくれる。


 いつだって私を想う優しい声で呼びかけてくれる。

 だから何とかしてお兄様を癒やしてあげたい。邪魔者を消したい。



 ――向こうが傷物にでもなってマリアライト家にはふさわしくないからと婚約解消を申し出てくれたらいいのだけど――



 冷めた視線で私を見据えて呟いたお母様の言葉を思い出す。


 傷物――そう、傷物になってしまえばいい。常識ある貴族なら傷物になった女を侯爵家に嫁がせようとはしないはず。向こうから婚約を辞退させてしまえばいいのよ。


 何事もなかったかのように取り繕うならその場で証拠を突きつけてやればいい。傷物になった娘をそのまま嫁がせるような下賤な家だと知らしめればいいの。


(だけど……お母様の言う通り、学院内で襲わせるのは難しいのよね……)


 人目につきやすく、いつ人が来るとも知れない校舎内で事に至らせるのは至難の業。

 人の用意はともかく、彼女の行動パターンや襲って事が済むだけの時間、場所……足がつく行動は避けたいと思うと、どんな風に誘き寄せるかが難しい。


 寮の朝食を食べている時にそんな事を考えていると兄様から少し言いづらそうに打ち明けられる。


「フローラ……実は進級試験の成績が少し良くなかったんだ。マリアライト家を継ぐ者として僕は魔法学科で常に一番でありたい。だからしばらく訓練場で魔法の鍛錬をしようと思う。フローラは僕に構わず友達と一緒に登校すると良い」


 そう言って新学期に入ってからお兄様は訓練場で毎朝鍛錬をするようになった。

 寮の窓から兄様の姿を見つめていると、時折チラチラと工学室の方に視線を向けている。


 それが気になって飲み物を持って訓練しているお兄様の所に行ってみた。

 そして工学室の方を見ると工学準備室の中にあの女の姿が見えた。


「……ソルフェリノ嬢?」

「ああ……彼女は工具点検のバイトを始めたみたいだね」

「へぇ……」


 そう、バイトをしているの――工具点検となれば恐らく、1日1回はあの部屋に入って作業する事になるのかしら?


 兄様は私が渡した飲み物で喉を潤しながら、あの獣がいる部屋を少し寂しげに見つめている。


「……彼女には近い内に婚約解消を申し出てくれないか頼んでみる。フローラは何も心配しなくていい」

「兄様、無理しないでくださいね。私、兄様が無理している所を見たくありません……」


 ああ、兄様が母様の忠告も聞かずにあの獣と直接話そうとしている。手紙のように形に残して悪用されてしまう可能性だってあるから『手紙を書く』と言われるよりはずっといいのだけれど。



 ああ、お母様の気持ちが少しだけ分かるわ。特に『大切な物を守りたい』っていう気持ちは本当によく分かる。



 私の大事な兄様と関わろうとする下賤な獣なんて――私達の目の前からいなくなってしまえばいいの。


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