第22話 お互いの都合と衝突・1


「ソルフェリノ嬢! 大丈夫ですか!?」

「ひっ……!!」


 助けられた立場だという事も忘れてこの人の叱りつけるような怒声に怯え、身構える。

 そんな私を見たリビアングラス卿はハッと何かに気付いたような表情を浮かべた後、顔を背けた。


「失礼……! 私はこの男を見張ってますので、身なりを整えてください…!!」


 ツナギ服の降ろされた部分から薄い肌着を通してその下の桃色のブラが浮き出てしまっている事に気づく。

 震える手で服のファスナーを上げていると、バタバタと誰かが走ってくるような音が聞こえてきて、肩で息をしているエクリュー先生が工学準備室に入ってきた。


 工具点検中に突然この男子生徒に襲われた事、身を守ろうとしてドアに魔弾をぶつけてしまった事を、途中途中声を詰まらせながら謝罪する。

 私の説明を聞きながらエクリュー先生は眉を顰めて気を失っている男子生徒の様子を確認している。


「この生徒が気を失っている間にお2人からもう少し詳しい状況を聞きたいのですが……ソルフェリノ嬢は大丈夫ですか?辛いようなら今日はもう寮に戻って休んで、後日改めて話を……」

「いえ、大丈夫です……!」


 エクリュー先生が来てくれた事で大分心が落ち着いてきた。それに休んだら授業についていけなくなってしまう。


「……分かりました。それではいくつか手短に質問させて頂きます」


 エクリュー先生は簡潔に淡々と聞いてきたので感じたままを話す。私から話を聞いた後リビアングラス卿にも同じ様に聞いた。


「……レオナルド様、無茶なさらないでください。貴方のお父上に貴方を任されている以上、あまり勝手な行動を取られると……」

「すみません……先生もソルフェリノ嬢もどうかこの事は父には内密に願います」

「えっ」


 私の声にリビアングラス卿はギロ、と視線を向ける。これまでとは違う怪訝な視線だ。さっきから一体何に怒っているのだろうか?


「誤解しないでください。この事件そのものをなかった事に、という意味ではありません。私が無茶をした、という事を父に知られたくないだけです」

「あ、いえ……この件を無かった事に出来るのなら、それが一番いいので……」

「「えっ」」


 今度はリビアングラス卿とエクリュー先生が同時に声を出す。


「多分、その人、何か魔法をかけられてるんです。だからこの件でその人が退学になっちゃったりするのは気の毒で……」

「気の毒って……第三者がそれを言うなら分かりますが、貴方を襲った人ですよ!?  貴方はそれでいいんですか? 自分を襲った人間と同じ学院で過ごせるのですか!?」

 リビアングラス卿の詰め寄るような視線が痛い。


「で、でも……! もし操られて全く記憶がなかったとしたとしたら、自分の知らない間に退学処分になるなんて、可哀想じゃないですか……!」


 ピリピリと感じる空気に耐えきれず、声を荒げてしまう。


 催眠や魅了系の術は被術者――術をかけられた者はかかっている間の意識がない事がほとんどらしい。被術者の意識を閉ざした方が操りやすいからだと、魔法学科に居た頃授業で習った。


 とても高度な術になると被術者の意識があるまま操る事ができるらしいけれど、あの意識の定まらない虚ろな目は、前者と見て間違いない。


 催眠あるいは魅了されていたからやる事なす事全て無罪――というのはおかしいかもしれない。だけど私は、魅了や催眠されていた事が分かっている相手に対して重い懲罰を課す方に抵抗を覚える。

 抵抗する術を知らない、あるいは知っていても術者より魔力が劣る者は皆、被術者になり得るのだから。


 一時的にとは言え身に覚えのない事で退学の危機に晒された身としては、この男子生徒が誰かに操られていたとしたら――同じ様に身に覚えのない事で退学に追い詰められるのだと思うと、とても他人事とは思えなかった。


 リビアングラス卿は新たに言葉を被せてくる事はなかったけれど、静かに怒っているような眼差しで睨まれて酷く息苦しい。


 この人に真顔で見つめられて怖いな、と思った事は何度もあるけれど、威圧感――と言うのだろうか? 明らかに怒っている事が分かる顔は今までとは違う怖さを感じる。この目で長く睨まれたくない。


「……分かりました。では、この生徒を聴取し、本当にソルフェリノ嬢の言う通り術によるものだと判断したら、この件は内密に処理して頂くように理事長に進言します。もし術などでは無く故意だと判断した場合は退学処分、という事でよろしいですか?」

「……はい」


 私とリビアングラス卿の間に流れる険悪な空気を感じ取ったのか、エクリュー先生が妥協案を提示したので小さく頷く。


 万が一故意だったとしてそれで退学になったら逆恨みされないか不安ではあるけど――この男子生徒の目の奥にこの男子生徒の物ではない異質な魔力を感じた以上、私の中ではもう術によるものだと確信していた。


「……レオナルド様、ここの処理は私に任せてソルフェリノ嬢を教室に送ってあげてください。1限は自習にします」

「分かりました。よろしくお願いします」


 リビアングラス卿がエクリュー先生に頭を下げる。


「ああ、ソルフェリノ嬢、最後に……貴方が言っていたように、この生徒に催眠術がかけられていたとしたら……自分が襲われる事に何か心当たりはありませんか?」


 心当たりはあった。だけど――言えない。


 微かに感じた紫の魔力はフレデリック様の色によく似ていた。

 だけどフレデリック様は絶対にこんな事する人じゃない。術者はフレデリック様とほぼ同じ色の魔力を持つフローラ様しか考えられない。


 私を虐めの噂で退学に追い込もうとする人だ。きっとこの男子生徒が退学になっても痛くも痒くもないのだろう。

 あの儚げで貞淑で優しそうな女の子が、今はとても陰湿で恐ろしい存在に思える。


 そして、その事を言ってしまったら――


 フローラ様は絶対に『はい、私がやりました』なんて言わない。逆に私がフローラ様を陥れようとしているという流れになりかねない。

 あの男子生徒が失神した後、紫色の魔力は見えなくなってしまった。証拠がなくなれば証明のしようがない。


 そして絶対にフレデリック様は知らない。なら、この事を知ったら……私がフローラ様を追求したらフレデリック様はどう思うのだろう?

 きっと私とフローラ様がここまで険悪な状態になっていると知ったらより心を痛めてしまう。


 あの悲しそうな目で私を見るのか、怒りを宿す目で私を見るのか。


(……もうやめてよ、もう、私に関わらないでよ……!)


 お望み通り婚約破棄して、学科変更までしてフレデリック様から離れたんだからもう良いじゃない。

 そっちはそっちで、こっちはこっちで関係ない人生を歩めばいいじゃない。それなのに――

 

(私だけならまだしも……フレデリック様まで苦しめるような事をしないで……!)


 もう一緒の未来を歩めなくても、あの人の寂しそうな目に心揺らがされる位には……傷ついてほしくないと思う位には、好きなんだから。


 ねぇ、フローラ様……貴方もそうなんじゃないの? 何で貴方も大好きなフレデリック様を苦しめるような真似ができるの?


 ああ……フレデリック様は私じゃなくて自分を選ぶって知ってるから?



 そんなの――おかしい。


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