第17話 工具点検のバイト


 晴れて魔導工学科に編入できた――のは良いものの、まだ問題は山積み。


 その中の一つを解決する為に、授業が終わった後私はすぐに校舎の玄関に向かい、掲示板を食い入るように眺めていた。


 音石キットで銀貨2枚使ったので今手持ちのお金は銀貨5枚と銅貨10枚…工具を譲ってもらった事で最初思っていたよりお金に大分余裕が出来たけど、後期の足りない授業料の補填の為に金貨2枚が必要になる。今後の自習の材料費でもお金が消えていく事を考えると、1日でも早く効率の良いバイトを探さなければならない。


 後期休みが終わって新年度が始まったからだろうか? 休みの時に見た時より結構張り紙の量が多い。私以外にも何人も張り紙を眺めている生徒がいるので一つ一つじっくり読み込んでいたら先に取られるかも知れない。


 無理だなと判断した時点で次の張り紙を確認していく。


(<魔法学科の杖や水晶の手入れ>……魔法学科はフレデリック様達と遭遇しちゃうかも知れないから駄目、<薬学科の調剤器具の洗浄(放課後)>……ベタベタな器具とか洗うの絶対時間かかりそうだけど…これは一応保留……)


 <魔導工学で使用する貸し出し工具の点検――工学準備室に保管されている貸し出し工具で紛失している物や明らかに破損している物の報告、汚れている物は綺麗に拭き取る。時間は授業開始前あるいは放課後。平日1日1回、銅貨1枚。長期休み中は業務無し。※寮住まいの生徒限定>


(これだぁ……!!)


 その紙を手に取った瞬間、続いて別の手が重なる。


「あっ!!」


 大声に驚きながらその手の主を見ると、まさかのクラスメイト――ネイ嬢だった。私が驚いた隙に取ろうとした張り紙をこちらも負けじと引っ張る。先に触ったのは間違いなく私だ。


「こ……このバイト、私が2年間ずっとやりたかった奴なの! 先輩が卒業してやっとできると思ったのよ……! お願い、これ私に譲って!」

「ご、ごめんなさい、これは譲れないわ……! 私、お金が必要だから……!」


 振り切ろうとしたけれど向こうにも紙をしっかり握られている。勢いよく引っ張ったら破れてしまいそうだ。


「お金が必要なら親を頼ればいいじゃない……! 私は親を頼れないのよ……!!」

「わ、私だって親を頼れないわ……!」

「本当にいいの……? 工学準備室にはお化けが出るのよ…!?」

「お……お化け?」


 唐突なお化けの登場に一瞬吹き出しそうになってしまう。


「そう、確か十数年前だったかしら……工学室の事故で死んだ生徒が死霊と化して呪いの声をあげてるって話を聞いた事があるわ……!」

「工学室で死んだ人はいないって聞いた事あるけど……!?」


「そんなの、正直に死んでますよって大っぴらに言ったら怖がって学生来なくなっちゃうでしょ……!?」

「もしいたとして死霊ゴースト化してたら浄化されてるはずだけど…!?」


 この世界にいる魔物の中には強い恨みを持つ人間の死霊も存在する。そしてそれは治癒師や魔道士が使う破邪の魔法で浄化する事ができる。

 こんな多くの子女が通う学院でお化けなんていたら真っ先に浄化される。


「知らないわよ……! でも学院の七不思議になってる位なんだから、いるのよ……!」

「七不思議? 何それ……! 聞いた事ないわ……!」


 ネイ嬢が苦し紛れの嘘をついているとしか思えないけど、ネイ嬢もなかなか手放さない。


 周囲の視線が気になってチラと見回すと、同じような事やってる組がもう1つあった。よくある光景なのだろう。周囲もさして気にしてないみたいだ。


「貴方……見た目の割に神経も力も強いわね……!!」

「私、お化けなんかに怯えてる場合じゃないから……!!」


 ここまで真剣だと多少譲ってあげたい情も湧いたけれど、張り紙の最後の方だったし、これまで見た中でこれが私にとって一番手軽で効率の良いバイトなのは間違いない。


(勉強の時間をあまり削らずに安定して収入が得られる貴重なバイト……絶対に譲れな……)


 突如、ガシッ、と私の手首とネイ嬢の手首が力強く掴まれる。手の主を確認しようと振り向くと眉を顰めたリビアングラス卿が立っていた。


「レオナルド卿、邪魔しないでください……!」


リビアングラス卿の眼力に負けずにネイもキッ、とリビアングラス卿を睨む。


「……ネイ嬢、貴方は既に作業室と訓練室清掃のバイトを2つ掛け持ちしているはずです。バイトをしていないソルフェリノ嬢の希望するバイトまで奪おうとするのは良くありません」


「レオナルド卿には関係ありません!」

「いいえ関係あります。生徒同士の喧嘩は生徒会の人間として放っておけません。まして同じ魔導工学科のクラスメイトです。最高学年の人間として下級生に恥じない品位を……」


クドクドと説き始めるリビアングラス卿にうんざりしたような表情を浮かべてネイは紙から手を離した。


「もうっ……!! 分かりました!! 私が諦めれば良いんでしょう、諦めれば!!」


 ネイ嬢が荒々しい足取りで去っていく。仕方ない事とは言え、唯一のガールクラスメイトなのに初日で嫌われてしまった。


「ソルフェリノ嬢、すみません……ネイ嬢は自分で授業料を払うからと親の反対を押し切って高等部に進学しているので日夜バイトに励んでいるのです」


 苦学生の貴重な収入源を奪ってしまった事に罪悪感を感じるけれど、こっちも譲ってあげられるような余裕はない。


「あの……ネイ嬢、リビアングラス卿にかなり乱暴な口の聞き方をしていましたけどいいんですか?」


 恥ずかしさからまだリビアングラス卿と向かい合う事が出来ずどうしても視線がズレてしまう。


「公式な場で言われれば注意しなくてはなりませんが学院内でそれを気にしても仕方がありません。罵倒された訳でもないですし」

「でも……リビアングラス卿は以前、フレデリック様の態度について怒ってましたよね?」


 リビアングラス卿の言い方に違和感を覚えて問いかける。そう、中等部で度々この人はフレデリック様の言葉遣いを注意していた。


「ああ……彼は教師に対して一切敬意を払っていませんでしたから。侯爵家の子息となると一般貴族の教師は何も言えません。公爵家の子息である私にしか注意できなかった」


 確かに思い返してみれば中等部のフレデリック様はそこまで陰険な態度ではなかったけど、ちょっと鼻につく位の嫌な感じは出していたかもしれない。


 でもフレデリック様は誰も彼もを見下していた訳じゃなく、高等部に入ってより専門的な教師に教えられるようになってからは一切そんな感じがなくなり、真剣に、そして楽しそうに授業を受ける姿を見てホッとしたのを覚えている。

 

「ああ……ソルフェリノ嬢は私が彼を口うるさく注意していたから私を嫌っていたんですね」

「……すみません」

「いえ、嫌われても仕方ない事をしていたのは私ですから。それでは、失礼します」

「え、あ……」


 私の戸惑いをよそに、リビアングラス卿は頭を下げて去っていく。どんな顔をして去っていったのか、視線をずらしていたからよく分からなかったが声からは何処とない寂しさを感じた。


 ネイ嬢を諌めてくれたお礼を言えなかった事も相まって微妙な気まずさを感じつつ、そのまま紙を受付に持っていってバイトの説明を受ける。


「細かな破損とかは節に1度に先生が見てるから、貴方は授業がある日に毎日点検して綺麗に整えてくれればいいわ。体調不良で休む時は寮長さんにここのバイトをしてる事を伝えてね? 支払いは節末。これは工学準備室の合鍵よ。無くさないでね?」


 受付のお姉さんからテキパキと説明された最後に鍵を渡される。普通の鍵に比べて持ち手の部分が大きく、薄黄色の魔晶石が嵌っている。


「貴方がいつそれを使って工学準備室を開閉したか、時間と一緒にその鍵に記録されるのよ。で、こっちの魔道具に鍵を挿せばその記録が印刷されて入らなかった日を確認できるって訳。後、施錠時には魔晶石の色も変わるの。締めたら薄黄色、開けたら水色にね。それで施錠忘れ対策もバッチリ」


 お姉さんが持つ片手に収まる丸く黄色い玉に鍵を差し込む穴と紙を差し込むような穴がついている。


「へぇー…面白い魔道具ですね」

「工学準備室の工具セットって高いから盗難や悪戯防止の為に鍵の管理も厳重なのよ。昔は準備室の施錠時間を毎日日誌に書き込んでもらってたんだけど、6年位前にこのバイトをしてた魔導工学科の子がそれが面倒なのとうっかりの施錠忘れを防ぐ為に、って卒業課題で作ってくれたのよ。動機はどうあれ便利でしょ? 今じゃ他の特別室の鍵にも使われてるわ。眉目秀麗な上に文武両道で魔力の器も大きい侯爵家の跡継ぎとか……天もイケメンにはついつい何物も与えちゃうのねぇ……」


 しみじみと天井を見上げるお姉さんの視線の向こうにはこの鍵を作った生徒が浮かんでいるようだ。そのうっとり具合にどれほどのイケメンだったのか興味が湧きつつ、その場を後にする。


 こうして私は運良く効率の良いバイトに着く事が出来た。この学院に通う生徒の殆どが貴族という事もあり扱いは丁寧で、工具が酷く汚れている事は無く、紛失や破損は先生に報告すればいいだけの簡単な業務は1日約30分で終える事が出来た。


 ネイ嬢が2年間待ち望み、咄嗟にお化けが出るという嘘をついてまで勝ち取ろうとしていた理由が分かる。


 週に銅貨5枚。つまり一節に銀貨2枚。つまり5節で金貨1枚になる。今手元にあるお金を考慮して材料費を差し引く事を考えると少し心許ない。


(でも今は授業に追い付く為に勉強の時間もほしいし……ひとまずバイトはこれだけでいいかな)


 様子を見つつ、採取や単発のバイトをこなして補填していけば何とか学業と両立できるだろう。

 改めて工具をくれたリチャード卿や銀貨をくれたテュッテ、お母様への感謝の気持がこみ上げる。


 こうして朝、工具点検のバイトをこなした後授業を受けた後寮に戻ってご飯を食べて追いついていない部分を部屋で勉強する――そんな日々が始まった。



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