第16話 魔導工学科へ


 逃げるように寮に戻ってベッドに潜り込んでから、その日と次の日の午前中はベッドの中から出られなかった。


 それでも午後には涙も枯れて冷静になった辺り、少しは私も強くなっているのかも知れない。

 そして冷えた頭は魔導工学科への編入試験を受けた事も、進級試験を受けなかった事も後悔していなかった。


 もしフレデリック様にもまだ私を想う気持ちがあったとしても、それはフローラ様への家族愛にはかなわない。

 戻った所でもう元の二人には戻れない。違う形の幸せは得られたとしても、前のような幸せはもう戻ってこないのだ。


(しっかり、しなきゃ……)


 流れ出た涙は私の心を軽くしてくれた。だけど同時に私の中から色々持っていってしまったような気がする。それがありがたくて――酷く、寂しかった。



 翌日、初の魔導工学科の授業に備えてツナギ服を纏いゴーグルを頭に、防護マスクを首にかけて姿見をチェックする。やはり野暮ったさはあるものの、いざ実際自分が身に着けてみるとそこまで酷い姿でもない。


 ツナギ服姿のリビアングラス卿もリチャード卿もそんなに芋臭い感じはしなかったから着こなしの問題なのかも知れない。



 教科書と工具セットを持って部屋を出て、魔導工学科最高学年の教室に近づくに連れて胸の鼓動が大きくなる。



(うう……ドキドキする……!)


 新たな噂は出てないだろうけどこれまでの噂が魔導工学科に広まっていたらどうしようとか、またこの見た目で何か言われちゃうのかなとか――


 漠然とした不安で胸が押し潰されながら一つ息をついて教室の中に入ると、既に何人か同じツナギ服を身にまとった男子生徒たちがどよめいた。


 男子生徒達の視線を一気に浴びて、怖くなってすぐ近くの教室の一番前の隅っこの席に座る。この席なら誰かを目が合ったりしなくて済む。


「おい、女子だ……女子が入ってきたぞ……!! 俺は教室を間違えてしまったのか…!?」

「落ち着くんだ、あの子以外は見知った奴ばかりだから教室は間違っていないはずだ……!! 次元が違う可能性は否定できないが……!」

「次元が違う!? そんな、まさか……! しかしそうでもなければあんな可愛い子が魔導工学こんな科に来るはずがないッ……!!」


 興奮しているのか、ヒソヒソ声の割にはよく通る声が聞こえてくる。


 何だろう、この何か飢えた獣の檻の中に入ったような感じ。後悔してないはずなのに(本当にこのクラスに入って良かったのかな?)という不安が過って、慌てて首を横に振って散らす。


「あ、あの子もしかして、学期末に魔法学科でマリアライト領の侯爵令息に婚約破棄された子じゃないか……!?」

「えっ……待て……婚約破棄……!?」


 ああ、やっぱりここにも噂が――どんな風に言われてしまうのか、不安でゴクりと喉が鳴る。


「って事はフリーって事……!? 婚約者いない可愛い子が来るとか、家にも縁談にも恵まれない俺達を哀れんでついに神様がお恵みを……!?」

「いや、神様には悪いが僕はこんな所に出会いを求めてない……! 他の貴族達と色々比較されてしまう……! 家の事とか色々比較されてしまう……!!」

「お前達、落ち着け……! って言うか女の子ならネイ嬢がいるだろう……!?」


 男子の理解できないトークの中で『女の子ならネイがいる』という単語に気分が高揚するのと同時に目の前を通り過ぎた生徒に目を奪われる。


 首にかかる位のダークブロンドの髪のサラサラ具合にもしかして…!? と見つめていると視線を感じたのか、少し切れ長の目を向けられて無意識に背筋がシャンとする。


 ボーイッシュな印象こそ受けるものの、その顔立ちや体つきは女の子で間違いない。


(良かった……このクラスにも女の子がいた……!!)


 男だらけのクラスに女一人飛び込むより、一人でも女の子がいてくれた方がどれだけ心強いか。

 仲良くなれたらいいな、と思って笑顔を浮かべてみたけれどフイ、と視線をそらされてかなり離れた席に座られてしまった。


「あ、噂をすればネイが来た」

「俺、ネイは無いな……尻に敷かれるの目に見えてるし。って言うかお前ネイの事女として認識してたのか……? おい、そういう事は早く言ってくれ。友人の恋路は俺達全力で応援するぜ?」

「わ、私はそんなつもりで言ったんじゃない……! というか余計なお世話だ! 私の事は放っておいてくれ……!」


 そんなヒソヒソ話に甘酸っぱい青春の香りを感じつつ、ネイと呼ばれた女の子の方を見つめる。


(ネイ嬢……仲良くしたいな……でも私の噂が広まってたらきっと良い気はしないよね……?)


 真面目に通っている人間なら尚更、婚約破棄されて学科変更した女なんて微妙に思うだろう。


 そして誰とも目を合わせるのが怖くて前の隅の席に座ったけど、こちらを見てるらしき視線やヒソヒソがちょっと怖い。敵意はないけれど、こう、刺されんばかりの好奇心の視線が痛い。


「おはようございます、マリー嬢」


 優しい声に呼びかけられて振り返ると、私の所にリチャード卿とリビアングラス卿が近づいてきた。


「編入おめでとうございます。今日からはクラスメートとしても宜しくお願いします」

「こ、こちらこそ。よろしくお願いします……!」


 優しいリチャード卿に対して精一杯笑顔を作ってみたけれど、上手に笑えているだろうか?


 先日の件で巻き込まれてしまったも同然のリチャード卿には何だか申し訳ないし、リビアングラス卿に至っては思いっきり泣き顔を見られて、恥ずかしくてまともに顔を見られない。


 表情はともかく、視線を合わせられない私は変に思われていると思う。だけど二人はガチガチに固まっている私に気を使ったのか会釈した後、離れた席に座った。


 それとほぼ同じくしてチャイムが鳴り、ツナギ服姿の糸目の先生が入ってくる。まさか先生もツナギ服だとは思わなかった。



「持ち上がりの生徒達にはお馴染みの顔で申し訳ありませんが、編入生がいるので改めて自己紹介しますね。クオン・フォン・ゼクス・エクリューです」


 30代――だろうか? 物腰の落ち着いた、穏やかそうな先生だ。


「そして、その編入生……マリー・フォン・フュンフ・ソルフェリノ嬢は魔法学科からストレートでここに編入してきました。筆記の方はギリギリ合格なので皆さん彼女から質問されたら快く教えてあげてくださいね。ソルフェリノ嬢も分からない事があれば私やクラスメイトに遠慮なく質問してください」

「は、はい! 皆さん、よろしくお願いします……!!」


 エクリュー先生の言葉に慌てて立ち上がり、後ろを振り返って頭を下げると教室内がシン、と静まり返る。


 リビアングラス卿とリチャード卿はこっちをみて小さく会釈したけれど、ネイ嬢も他の誰もこっちを見てくれない。そう言えばさっきもリチャード卿に声をかけられて振り返った時、皆一斉にそっぽ向かれた。


(何でだろう……? やっぱり噂の事が広まっててあまり良いように思われていないのかな?)


 ザッと見て30人いるかいないか、という男子達の中にはさっき騒いでいたらしき三人組もいるはずなのだけど、皆俯いたりそっぽ向いたりしてて誰が話していたのか全然分からない。


(ヒソヒソ話はするけど私と仲良くする気はない、か……)


 ちょっと寂しいけれど悪意さえぶつけられなければいいか――と思って席に座り直す。


「ソルフェリノ嬢、気にしなくていいですよ。皆この2年間ですっかり女生徒らしい女生徒への耐性を無くしてしまってるだけなので。そのうち慣れて馴れ馴れしくなってくると思いますが、セクハラされたり変な事言われたら遠慮なく言ってください。その生徒の成績を5点マイナスさせて頂きます」


 先生の問題発言に教室中がザワつく。


「セクハラは分かるけど、変な事ってなんだ!?」

「あの子が嫌だと感じた発言全てだろ?」

「え、それじゃ俺あの子と喋れねぇじゃん…!! 中等部時代いいなって思った子に挨拶したら『ああ嫌だ、私、あんな方に挨拶されてしまいましたわ』と陰口叩かれた俺はあの子に挨拶すらできない……!」

「落ち着け、あれはお前の仲良くなりたい欲望が顔にいやらしく出てたからだ! 陰口で済んで良かったと思え!」

「そもそも話しかける前に髪と髭を整えろ! 私達はまだ家名を背負う貴族だぞ! 見た目で減点されるぞ!」

「分かってるよ、だから目ぇ逸らしたんだよ! 見た目くらい整えてから覚えてもらいたいじゃん……! 可愛い編入生が来るなら前もって夢で告げてくれよ神様ァ……!!」


 どよめきの中で後ろの方から聞こえる三人組の会話に笑いを抑えつつ、授業に入った。


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