第15話 見た事のない眼差し


 フローラ様の友人達――学年は違うかも知れないけど中等部の生徒達が高等部の最高学年の、しかも眼光鋭い公爵令息直々に厳しい声で注意されたら怯えもするだろう。


「リ、リビアングラス卿……申し訳ありません! 友人をイジメた方という事もあり少々言葉がキツくなってしまいました……!」


 腰の位置まで頭を下げる令嬢達の姿を見て溜飲が下がっていく中、リビアングラス卿はなおも言葉を続ける。


「申し訳なく思うなら、私にではなく本人に直接謝ってください。そもそもソルフェリノ嬢がマリアライト嬢を陰湿にイジメたという証拠は? マリアライト嬢は実際彼女にどんな言葉を言われたのですか?」


 リビアングラス卿の視線はフローラ様の方に向かうと、フローラ様は反射的に、だろうか? 即座に目をそらした。リビアングラス卿はそんなフローラ様の態度に構わず言葉を続ける。


「マリアライト嬢、答えてください。婚約破棄については男女間の事ですから触れるつもりはありませんが、この学校の生徒達をまとめあげる生徒会の人間として虐めの噂は看過できない。貴方の行動によって一人の生徒が名誉を傷つけられ、学科を変更する程の窮地に追い込まれたのは事実です。貴方がそうするに至る程の行動を本当にソルフェリノ嬢が取ったのかどうか……私はそれを知りたい」

「そ、それは……」


 フローラ様の口元が震えている。リビアングラス卿に真顔で真っ直ぐ見つめられると怖いよね、とほんのちょっと――ほんのちょっとだけフローラ様に同情してしまう。


(でも、これでフローラ様がこれ以上噂を広めるのを止めてくれたら……)


 だけど怯えた様子のフローラ様からは謝罪の言葉も証言も出てくる気配がしない。そしてこの流れが何処に行き着くのか確認しないと私もこの場から離れられそうにない。



「フローラ、そんな所でどう……」



 成り行きを見守ろうと様子を窺っていると、今一番この場に来てほしくない人の声が聞こえた。そちらの方に目を向けると心配そうに駆け寄ってくるフレデリック様の姿が見えた。


「マリー……!?」


 フレデリック様に驚いた顔で名前を呼ばれた瞬間、心が大きく弾んだ。だけど――


「お兄様……!」


 フローラ様がフレデリック様に気づいた途端彼に駆け寄り、縋るように彼の腕にしがみつくと、彼はハッとしたように私を睨んだ。


「……ソルフェリノ嬢、これはどういう事だ? お互いに関わらないようにしようと言ったはずだが……?」


 冷たい目に反射的に体が竦む。ああ、嫌だ。やっぱり、この目で、睨まれたくない。


「す、すみま」

「マリアライト卿、先にソルフェリノ嬢に絡んできたのは貴方の妹君と友人達です。彼女の些細なやりとりに陰口を叩く姿を私はこの目と耳でしっかり確認しました」


 私の謝罪に被せるようにリビアングラス卿が大きな声を出すと、フレデリック様が眉を潜めてフローラ様を振り返る。


「フローラ……本当か?」

「陰湿に虐められたか弱い人間がわざわざ自分を虐めてきた人間に絡むとは考えづらい……兄妹仲が宜しいのは結構ですが、イジメの噂は本当に事実なのかきちんと妹君とソルフェリノ嬢の両方に確認して二人の証言を照らし合わせた方が良いのではないですか?」


 私が心のど真ん中で思っていた言葉をズバズバ言うリビアングラス卿に対して、フローラ様は再び目を潤ませて肩を震わせ出した。


「ご、ごめんなさいお兄様……私、ソルフェリノ嬢にずっとこうなってしまった事を謝りたくて……私が考えなしに友人に辛さを打ち明けていたばかりに二人もヒートアップしてしまって……! でも二人は悪くないんです、二人は私に心から寄り添ってくれただけ……全部、私が悪いの……!」

「「フローラ様……!」」


 紫水晶のように綺麗な瞳を潤ませてフレデリック様を見つめるフローラ様に令嬢達が感動の声を上げる。


 だけどあの敵意の視線を浴びた私から見たら、どれだけ綺麗な言葉で飾り立てようと『二人がヒートアップして困ってる私』を主張しているようにしか見えない。


「フローラ……お前は優しすぎる。その優しい所が良い所でもあるけれど、打ち明ける相手はちゃんと選ばないといけないよ?」


 フレデリック様がフローラ様を取り巻く令嬢達に視線を向ける。


「君達……良かれと思ってやっているのかも知れないが、これ以上フローラの話を面白おかしく周囲に吹聴するのはやめてくれ。婚約破棄の件は僕もフローラも大事にはしたくないんだ。これ以上その事について話すのはマリアライトの名誉を貶めているも同然だと思って欲しい」

「「申し訳ありません……」」


 先程まで喧々囂々言っていた令嬢達が借りた猫のように大人しくなった。

 6大公爵家と8侯爵家の令息にそれぞれ注意されたら同じ爵位を持つ家の人間でも無い限り大人しくならざるをえないだろう。


 フレデリック様には分からないのだ。フローラ様はちゃんと打ち明ける相手を選んでいる。打ち明けている事を。


 冷めた目でフレデリック様を見据えていると、彼は改めてこちらに振り向いた。


「……ソルフェリノ嬢、迷惑をかけてすまない。今後は君に一切接触しないように気をつけよう」


 少し哀愁を含んだ目で私を見つめた後、フレデリック様が頭を下げる。今まで見た事のない寂しい目が、心を抉る。


 ――フレデリック様はやっぱり私の言葉を何一つ聞こうとはしてくれないんですね――


 ――何で、リビアングラス卿の言葉には耳を傾けて、私の言葉には耳を傾けてくれなかったの――


 ――残念です。私達の4年間って貴方にとってその程度の物だったんですね――


 ――婚約破棄を大事にしたくないと言うなら何故、あのタイミングで婚約破棄したの――


 そんな風に、言いたい言葉はいっぱいあったのに。そんな目を見てしまったらもう何も言えなくなるじゃない。


「さあ、寮に行くよフローラ。明日の試験に備えて早く体を休めなければ」


 私に寂しそうな目を向ける癖に、フローラ様の手を取るフレデリック様の声は優しい。


 ずるい、酷い、嫌だ――辛い。


 私は貴方を吹っ切ろうと前を向いているのに、私に対して今更中途半端な情を見せないで欲しい。


 妹に優しく接するのなら、私に謝ったりなんかしないで欲しい。

 妹を選んだのならもう私に良い顔しないで欲しい。期待を持たせないで欲しい。



「ソルフェリノ嬢……すみません、彼女達のあまりの物言いに失礼ながら口出しさせて頂きました」


 リビアングラス卿の声に我に返る。


「あ、あ……い、いえ! 元はと言えば、わ、私がお、お菓子なんて作らなければ良かったんです……! このせいでリチャード卿、いえコッパー卿に変な噂が立ったらごめんなさい……!」


 頭を下げて謝ると、リチャード卿は少し声を上ずらせながらチョコの包みを持った手を横にふる。


「ああ、そんな事全然気にしないでください! 僕、存在感薄いので噂なんて流れてもすぐに消えますから! そんな噂でマリー嬢に距離を置かれてしまう事の方が嫌です! それに、こうしてお礼されるのは嬉しいですし……! 工具をくれた人もきっと喜ぶと思いますよ。ですよね、レオナルド様!?」

「な、何故私に聞くんだ!? わ、私は何も関わっていない!」


 驚いたように大声を出してリビアングラス卿は背を向ける。二人が気を使ってくれるのが嬉しい反面、すごく申し訳ない気持ちになる。


「……リビアングラス卿」

「は、はい!?」

「……これ、どうぞ。自分用に取っておいたので雑な包装ですみませんけど……お菓子の助言と私の事庇ってくれて、ありがとうございます」


 そう言って自分用のチョコを銀紙で包んだ物をポケットから取り出して手渡そうとすると、


「あ、いえ、お気持ちは嬉しいのですが、それはご自身でお食べになられた方が……」


 丁重に断られて改めて包みを見ると、銀紙の間からちょっとチョコが見え隠れしている。確かにこれは受け取りたくないかも知れない。


 ああ、何だかフローラ様に対してからやること成すこと駄目駄目だ。

 早く寮に帰って自分のベッドで泣きたい。


「そ、それでは、失礼します。迷惑かけて、本当にすみません……!」


 最後に短く謝罪を言った後、寮に向けて駆け出す。


 リビアングラス卿とフレデリック様がフローラ様の前で、フローラ様の友人達に直々に注意したのだからきっと噂話も下火になっていくだろう。


 それ自体は願ってもない事のはずなのに。


(……ずるい。ずるい、ずるい、ずるい、酷い)


 何で今更――あんな寂しそうな目で私を見たんだろう?


 あんな目で見られる位なら、冷たい目で見られた方が良かった。

 イヤリングを手放さなきゃ良かった。髪だって切らなきゃ良かった。


「……嬢!」

 

 もしかしたら――って思わせないでほしかった。

 私あのまま魔法学科にいたら良かったんじゃ、なんて思わせないでほしかった。


(そんな目をするなら、もっと……もっと早く助けてくれれば良かったじゃない……!)


 寮に付く前に涙が溢れそうになる。駄目だ、駄目。泣くならベッドの中だ。


 だって私は決めたんだから。ちゃんと、自分の道を歩くって――


「……ソルフェリノ嬢!」


 誰かに手を掴まれて、振り払おうと振り返った瞬間に涙が溢れる。


「私は、けして迷惑だなんて思ってな……っ……」


 その驚いた顔、見開かれた黄金の瞳――思いっきり泣き顔見られたと思うと同時に手が離れたので、そのまま全力でその場から逃げ出した。



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