第14話 最悪のタイミング
編入試験は筆記で勉強した所が何箇所も出てきた事や、実技で作成した音石がかなり出来の良い物を提出できた事もあって、何とか最高学年のまま編入する事が出来た。
「頑張ったな。お前なら魔導工学科でも十分やっていけるさ」
「ボルドー先生……色々ありがとうございました!」
心の内にある感謝を目一杯込めた声を出し、深くお辞儀をして差し出された合格証書を受け取る。
試験終了後、参考書で出てきた部分を振り返ってギリギリいけるか、いけないかという所だったのでロクに寝つく事が出来ず、初めて完徹の状態で今この時を迎えている。
「ソルフェリノ嬢……君が容姿や魔力に恵まれてるのは間違いないが、君のその実力は努力から来るものだ。これから魔導工学科で習うだろう魔道具の解析や修理、魔法そのものの解除は魔導工学に精通した者の特権。その能力を必要とする貴族も多いはずだ。いつか必ずお前の力になってくれるさ」
優しいボルドー先生の言葉に涙が込み上がりそうになる。
今まで私はフレデリック様の事と勉強ばかりで周りを全然見てなかった。
だけど、これまでの私を――私の苦労を見ていてくれた人がいた。
「まあ音石の出来栄えが良いから加点がついたみたいで筆記の成績は本当ギリギリだったみたいだからな。今後も頑張れよ? 学科は違えど俺は君を応援してるからな」
「はい!」
こうして応援してくれる人がいるというだけで救われた気分になる。ボルドー先生に心配かけないように、私は目一杯元気に返事した。
軽い足取りで魔法学科の教員室を出て寮に戻ると、寮の前でテュッテが立っていた。
「ど、どうだった~……?」
心配そうにこちらを見つめるテュッテに満面の笑顔で受かった事を告げるとテュッテの顔がほころんだ。
「おめでとう、マリー……!!」
「テュッテ……ありがとう! 貴方とリチャード卿のお陰よ……!」
「ふふ……マリーが順調に新しい道を歩き出してるみたいで良かったわ~。その調子で元気だしてね~! 彼、結婚相手として悪くないと思うわよ~?」
「もう! リチャード卿とはそういうのじゃないから!」
でも、確かに、色々助けてくれるリチャード卿の話は休み中にテュッテと遭遇する際にしているから、そんな風に誤解されても仕方ないかも知れない。
図書室にいる時と同じ様に接していたら周囲からも誤解されてしまうかも知れない。お世話になった分、彼には殊更迷惑かけないようにしないと。
(お礼をした後はなるべく頼らないように自分の部屋で勉強しなきゃね……その分お礼は気合い入れて作ろっと!)
部屋に戻って私服に着替えた後、街に出てお菓子の材料を買い、誰もいない自炊室で一口サイズのお菓子作りに取り掛かる頃にはお昼をとうに過ぎていた。
自炊室は生徒用に開放された小さな厨房だ。食堂の厨房で朝夕のご飯は提供されるのだけど『自分達もたまに料理やお菓子を作りたいから自分達の厨房が欲しい!』という生徒達の希望があって作られたと聞いている。
クズが出るようなお菓子はちょっと……とリビアングラス卿に言われて考えた結果、一口サイズのチョコレートを作る事にした。
ただ単に味を調整しただけのチョコレートというのも味気ないので大きめのナッツをチョコでコーディングして丸く形を整えた、外見はシンプルなチョコレートだ。これなら浮かせて食べた際にクズが出る心配はない。
味もバッチリ美味しく出来ている。薬もこんな感じで作れたら良いのに何故か得体のしれない物に仕上がってしまうのだから薬学の世界は訳が分からない。
少し自分用に銀紙に包んでポケットに入れた後、テュッテ用とリチャード卿、工具をくれた人用の3つ分を丁寧にラッピングする。
(テュッテは部屋に行って渡せばいいけど、リチャード卿には何処で渡そうかな……?)
女子寮と男子寮は食堂や玄関を挟むようにして別れている。異性の寮に入る事は禁じられているので共有部分である食堂や玄関で待っていれば渡せるのだけど――
チョコを作り終えて自炊室を出ると、地方に帰省していた生徒達の姿がポツポツと見える。夕方から夜にかけてどんどん帰ってくる事が予測される中、人目が付く場所で渡すと変な噂になってしまいそうだ。
(……この時間ならまだ図書室にいるかな?)
図書室なら寮の中よりは人目につかずに渡せそうではある。ササッと調理器具を洗って片付けた後、ラッピングした袋を2つ抱えて校舎の方へと向かった。
だけどリチャード卿は図書室にはいなかった。ここまで来たのだから工学室にも、と思い足を運ぶと、工学室の窓から見える訓練場でリビアングラス卿と訓練しているリチャード卿の姿が目に入った。
(寮住まいのリチャード卿は分かるけど……何でリビアングラス卿も毎日ここにいるんだろう…?)
リビアングラス家は皇都に要塞のような豪邸を構えている。テュッテのように皇都の中に家があっても寮に住まう生徒も僅かにいるけど、リビアングラス卿を寮の中で見かけた事はない。
(あの豪邸から休みの日までここに通っているのは何故だろう? まあ、聞けないけど……)
そんな事を思いながら彼らに近づこうと訓練場の方に出ると、すぐ近くの駐車場の方から歩いてくるフローラ様達と出くわしてしまう。
フレデリック様はいない。駐車場でクラスメイトや友人と再会して自分達だけ先に寮に向かうようにでも促されたのだろうか?
「ソルフェリノ嬢……まだ学院にいらしたのですね……」
肩を縮めて少し驚いたように呟くフローラ様の陰りのある表情からは悪意は受け取れない。
(どうしよう……話しかけられてるのに逃げる訳にはいかないし……)
この間は距離もあったしフレデリック様と二人きりだったから逃げられたけど、友人に囲まれたフローラ様に話しかけられた状態で逃げるのはかなり難しい。
(そうだ、ここでもう二人には一切関わらないってアピールしておくのも悪くないかも……)
もしあの敵意の眼差しが私が再びフレデリック様に関わるかもしれない、という恐れから来るものだとしたらそれで安心してくれるかも知れない。
これから先、直接話す機会など無い。そう思うと堂々と向かい合う勇気が湧いてくる。
「……あの、フローラ様。私はもうフレデリック様にも貴方にも関わるつもりはありません。お二方のお目汚しする事もないように学科も変更しました。ですからどうかこれ以上私の噂を広めるのは止めて頂けないでしょうか?」
なるべく穏便に言いたかったけれど、内にある怒りから最後の言い方が少し上ずってしまった。
「まあ! まるでフローラ様がわざと広めているみたいな言い方して……!」
「自分で散々フローラ様を虐めておきながら被害者ヅラするなんて本当酷い女……!」
フローラ様の友人達は眉を潜めて表情を歪めて不快感を顕にするけれど、フローラ様は意外にも本当に申し訳無さそうに顔を俯かせた。
「噂……私が話した事がどんどん誇張されて広まっていってしまってる件の事ですね……」
あの時――完全な敵意の視線を見ていなければ、その悲しそうな顔に(あ…もしかしてこの噂が広まったのはフローラ様の本意じゃなかったのかも……)なんて騙されていたかもしれない。
「本当にごめんなさい……私が打たれ弱いせいでお兄様にもソルフェリノ嬢にも迷惑をかけてしまって……」
フローラ様の華奢な体がカタカタと震えている。その姿を見た2人の令嬢があたふたと彼女を励まそうと声をかける。
「フローラ様…! こんな人に謝る必要なんてありませんわ!」
「そうです! 私先程聞きましたの、ソルフェリノ嬢が図書室でコッパー侯爵家の令息と仲良く話をしていたって!」
「まあ……! ほらフローラ様、私の言ったとおりでしょう? ソルフェリノ嬢はピンク髪ですからフレデリック様と別れてもすぐに素敵な殿方を見つけて仲良くなれるから大丈夫だと思いますって……!」
重ねられていく令嬢達の言葉が寒々しく耳を通り過ぎていく。
大方、『私がお兄様に相談してしまった事でソルフェリノ嬢が婚約破棄されて彼女の名に傷をつけてしまった……!』とでも言ったのだろうか?
本来であれば自分と
『ピンク髪が皆ふしだらだと思わないで!』と言ったら私がコンカシェル様をふしだら扱いした事になってしまう。それはそれで民の為に色々尽くしてくれるコンカシェル様に悪い。
フローラ様を励ます令嬢達の口から出る暴言の数々が頭にくる前に胸焼けしてしまっている現状をどう逃げればいいか悩んでいると、
「マリー嬢……どうしたんですか?」
呼びかけられて振り返る。騒いでいる事に気づかれたのかリチャード卿とリビアングラス卿がすぐ近くに立っている。
心配して声をかけてきたのはその表情からも察せられるけど、今このタイミングで話しかけてこられると非常に困る。
「あ、あの、リチャード卿、編入試験無事合格しました。これもリチャード卿と工具をくれた人のおかげです。これ感謝の気持ちです。それでは」
今はとにかくこの場を立ち去りたい。ぎこちなく礼を言ってチョコが入った袋を二つ、リチャード卿に半ば強引に手渡してその場を去ろうと離れると、後ろから嫌味が聞こえてきた。
「侯爵令息相手に手作りお菓子だなんて……」
「しかも婚約者でもないのに名前で呼び合ってる……本当、ピンク髪はあざといわね……」
(しまった、チョコなんてまた機会を見て渡せばよかったのに、ああ、また、新学期早々変な噂が――)
半ばパニックになりながら自分の判断を後悔していると、
「君達…‥感謝の気持ちを手作りの物で表現するのは何もおかしい事じゃない。それなのにそんな蔑んだ言い方はソルフェリノ嬢に対してあまりに失礼だ」
後ろから聞こえる冷たく厳しい声に、足が止まった。
振り返ると困った顔をしているリチャード卿の横でリビアングラス卿が怯える令嬢達を真顔で威圧していた。
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