第13話 真っ直ぐな人


「な……何でしょう?」


 リビアングラス卿は一瞬驚いたような声を上げた後、厳しい顔でこちらを振り向く。その姿は何処と無く不機嫌そうに見える。


「あ、えっと……すみません……この紙、誰が置いていったか知りませんか?」


 話しかけた事を後悔しつつも、このまま『何でもないです』というのは流石に失礼だし、せっかく話しかけたのだから聞くだけ聞いてみよう。


 そう思ってリビアングラス卿に駆け寄って紙切れを差し出すと、リビアングラス卿は数秒それを見た後、視線をそらした。


「さ、さあ……私はずっと自分の課題の作成に取り組んでいましたので……」

「そうですか……それじゃ、あの……もう一つ良いですか? リチャード卿の好きなお菓子って何か……知ってますか?」


 この人とリチャード卿は魔導工学科、つまり同じ教室で勉強している訳だし、何か知っているかも――位の気持ちで聞いた問いかけだったのだけど、


「え?」


 彼の眉間の皺がよる程の怪訝な顔で、聞く相手を間違えたと悟る。


「あ、すみません! 男子同士だとあんまりお菓子の話ってしない、ですよね! 本当ごめんなさい、同じクラスの人なら知ってるかなと思って、変な事を聞いてしまっ……」


 慌てて訂正するも、リビアングラス卿はその怪訝な表情のまま口元に手をあてて考え込む。


「そうですね……彼の好きなお菓子、は知りませんが……私達は暇さえあれば制作したり勉強したり訓練したりしているので……訓練中や製作中は手が汚れますから食べ物には触れませんし、魔道具や本の間に食べ物のカスが入るのも避けたいですから……」


 ああ、そうだった。この人フレデリック様にも中等部の魔導工学の授業で同じような事を言ってた。確か水が付いた手で魔道具に触るなと注意していた。


 フレデリック様は人よりちょっと多く手汗をかいてしまう体質を気にしていたから、あの時は酷く機嫌悪くして――お陰でこっちは相当胃が痛い思いをした。


 (この流れ、『だからお菓子なんて送るのは迷惑です』なんて言われちゃいそう……本当に聞く相手を間違え――)


「だから……どんな時でも浮かせて一口で食べられるような、小さくてシンプルなお菓子であれば喜ばれると思います」

「え……?」


 意外な言葉の着地点に、一瞬頭が追いつかない。


 もう一度言われた言葉を思い返す。


 言い方はどうであれ、この人は今、わざわざリチャード卿に喜ばれる物を自分なりに考えて教えてくれたんだ。酷い態度を取ってしまってる私の為に。


(知らないなら、知らない、で終わらせて全然良かったのに……)


 フレデリック様がこの人を嫌うようにこの人だってフレデリック様を――そして彼の婚約者だった私を嫌っていておかしくないのに。


(……うん、もう、そういうの、やめよう)


 もう私は私の世界を歩き始めたんだ。フレデリック様を言い訳するのはやめよう。


 それでもこの人と接したら絶対に噂になりそうだから、関わらない方がいいのは間違いない。だから関わらないのは変わらないけど――ちゃんと謝ろう。


「あの……リビアングラス卿、この間は酷い言い方してすみませんでした。お菓子のアドバイス、ありがとうございます」


 深く頭を下げた後、真っ直ぐ彼を見つめる。

 リビアングラス卿も少し驚いた顔で私を見つめている。その目がやっぱりちょっと怖いな、と思ったのと同時に向こうもハッとしたように視線をそらした。


「いえ、私の事は気になさらず……私の助言が少しでも参考になれば幸いです。失礼します」


 リビアングラス卿はこちらに柔らかい笑顔を浮かべた後一礼して足早に去っていった。


(……あんな顔もできるんだ)


 いつも真顔で、真っ直ぐに相手を見る目が怖かったけれど。優しく微笑めばその眉目秀麗な容姿も相まってとても温かい印象を受けた。

 また私の世界が広がった気がした。そして謝った事で罪悪感も薄れて心も軽くなる。



 書かれた通り集音マイクの接続を厚めにして集音範囲を狭め、集音精度を少し上げて再生してみると、あれほど煩かったノイズがすっかり消えて声が綺麗に再生された。


「すごーい……!」


 先程の音との雲泥の差に思わず感嘆の声をあげる。試しに集音精度を元に戻すと一気に声がくぐもった感じになる。聞き取れなくはないけれどこの聞き取り辛さは商品としては扱えない。


(一体誰がこの紙切れを置いてくれたんだろう……?)


 工学室には工具が置いてない。中等部の生徒が使う貸し出しの工具箱は隣の施錠された工学準備室に保管されている。


 だからあの場所にいたのは自分の工具セットを持っている魔導工学科の生徒以外にいない。そして最高学年の生徒はもう卒業していないから、同じ2年生か1年生という所まで推測できる。


 見回りに来た教師の可能性もあるけど、教師だったらこんな回りくどいことをせずに直接私に教えてくれるはずだ。


 髪色だけでも分かれば、後で特定できたかも知れないのに。せめてお手洗いに行く前にちょっと周りを見回しておけば良かった。


 集中すると周りが見えなくなる自分の悪癖に一つ重い溜息をつきながら改めて音石の出来栄えを確認する。


 録音再生は上手くいっているけど送受信の機能を試すには同じく音石を持っている人がいないと――と思った時、工学室にリチャード卿が入ってきた。


「まだ室内にいるみたいだったので、何か困ってる事があるのかなと思いまして……」

「録音と再生は上手くいったんです。残りは音石の送受信の確認なんですけど、音石持ってる人に心当たりがなくて……」

「ああ、音石なら今僕持ってますから、確認するなら付き合いますよ」


 リチャード卿に協力してもらって送受信もちゃんと機能している事を確認できた。これで後は教科書を読み込んで、中も再確認すれば課題作成はバッチリだ。




 ――そして再び図書室に通う日々が過ぎ、試験直前に親から授業料が入った箱と封筒が届いた。



<マリー。貴方の想い、しかと受けとめました。大丈夫、母は貴方の無実を信じています。学科を変えるという行為には思う所もあるのですが『押しても駄目なら引いてみろ』という先の賢人の言葉もあります。貴方が傍から離れる事でフレデリック卿の心を再び引き寄せる事が出来るかもしれません。


 正直、私は私の娘より自分の妹を優先にするような男なんて願い下げです。ですがいつも傍にいる人の大切さを失ってから気づいて反省する……というのは古今東西どこにでもある話。もしフレデリック卿が妹を叱り、貴方に謝りに来た時は寛大な心で許しておあげなさい。


 でも待つだけで貴重な学院生活を浪費して何も得られないのは愚の骨頂。母は次の将を狙う貴方の意思も最大限尊重します。なので魔導工学科への転籍は構いませんが留年なんてしたら許しませんからね?


 大丈夫、貴方ならできるわ。だって私の娘ですもの。ところで魔導工学科の金持ちの男は誰かしら? 手応えを掴んだら名前を教えてね? 色々調べないといけませんから。


 追伸・この手紙に同封した銀貨2枚は母からの、貴方の熱意に対してのせめてもの援助です。それでその金持ちの男が好みそうなアクセサリーでも買いなさい>


 封筒の中にはその手紙とサインされた編入届、そしてお小遣いの銅貨5枚と銀貨2枚が入っていた。


(ありがとう、お母様……!)


 銅貨と銀貨を握り締めながら(やっぱりお金の相談しなくて良かった……!)と心の中で高らかに勝利の拳を掲げた。


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