第10話 自分にできる事


 翌日、図書室に入ると既にコッパー卿がいつものテーブルで自習していた。リビアングラス卿も個別学習のスペースにいる。後は図書室の中には受付にいる司書以外人の姿は見えない。


 今がチャンス……! と恐る恐るコッパー卿に近づくと、私に気づいたコッパー卿は笑顔で挨拶してくれた。


「お、おはようございます……あの、コッパー卿……もしあったら、でいいんですけど……いらなくなった工具とか、持ってないですか……?」

「工具、ですか……?」


 私の突拍子もない言葉に少し驚いた様子のコッパー卿に両手を合わせて懇願する。


「工具って、セットで買うと高くって……! 学科編入で親にあまり負担かけたくないし、もし余ってる工具とかあったら譲ってもらえたらすごく助かるんです……!」


 親から送られてくる来年度分の授業料で工具セットを買う前に何とか少しでもかかる費用を軽くしたい。工具セットに入っている工具は全部で10個。工具1本でもお下がりが貰えたらその分の銀貨が浮く。


 私のその真剣な想いが届いたのかコッパー卿は戸惑いつつも小さく頷いた。


「……分かりました。僕は自分の物しか持っていないんですが、使ってない工具を持ってる人に心当たりがあるので聞いてみますね」

「ありがとうございます、コッパー卿……!!」


 お礼を言うとコッパー卿が恥ずかしそうに頭をかく。


「あの……その代わり、と言うのも変なんですが……僕の事は家名じゃなくて名前で呼んで頂けませんか? 実は僕、家名で呼ばれるのが苦手で……その、コッパー家は兄が継ぐので、自分がコッパー卿と呼ばれる事に抵抗があるというか…‥」


 途切れ途切れに、私に気を使いながらもそうお願いしてくるコッパー卿が家名呼びに強い抵抗感を示しているのは目に見えて分かった。


 中等部から高等部に進学する貴族は大きく2種類に別れる。

 自分の得意分野を更に伸ばしたい嫡子と、家を出て独立する時の為に手に職をつけたい非嫡子だ。


 これまであまり気になった事はないけど、独立の際に新たな家名を望む人間もいるという話は聞いた事がある。

 家を継がず、養子や婿嫁に行くつもりもない人間にとって、家名で呼ばれる事は私が思っている以上に負担なのかも知れない。


「えっと、じゃあ……リチャード卿、私の事も名前で呼んでください」

「えっ! あ、そ、それはちょっと……! あ、あの……ぼ、僕はクラスの皆からも名前で呼ばれてるので、そこは気を使わなくて大丈夫です……!」


 予想外の返答だったのだろうか? リチャード卿が酷く慌てている。


「でも……自分を名字で呼ぶ相手を名前で呼ぶなんて、空気読めないふしだらな女に思われそうな気がして……」

「ふ、ふしだら……!?」


 何を言っているのか、と言わんばかりの顔をされてしまったけど、桃色の髪と目を持つ人間にとってそこは非常に切実な問題である。


 『これだから桃色は……』なんて思われたら、再来年以降入学予定の弟と妹が私より酷い風評被害を受けてしまう。

 それは極力避けたい――真剣な目でリチャード卿を見つめて十数秒、リチャード卿が諦めたように息をついた。


「……分かりました。考えすぎだと思いますが、それを言ったら僕も似たようなものですしね。では、これからは……ま、マリー嬢と呼ばせて頂きますね」


 一度も会話した事もない私の名前まで覚えていてくれたんだ。


「ありがとうございます。リチャード卿」


 嬉しくて笑顔になると、リチャード卿も笑顔で返してくれた。

 だけど、彼の眉がいわゆる通常でも困っているように見える困り眉だからだろうか? ちょっと困っているようにも見えたけど、笑顔である事には変わりないから気にしない事にした。



(後は、授業料や材料費に当てるお金……良いバイトがあると良いんだけど……)



 校舎の玄関の掲示板に張り出されている学院内バイトや依頼の募集を確認する。


 薬学科で使う薬草の採取や下級魔物の特に弱いとされる物や獣の討伐が張り出されている。

 これらの張り紙を持って玄関傍の受付で手続きをすればいいのだけど、仕送りやお小遣いでは物足りない生徒達がこなせる程度の依頼、という事もあってか貰える報酬は控えめだ。


 まあそう都合良くお得な依頼やバイトが張り出されている訳ないよね――と思いながら掲示板を眺めていると、隅っこに気になる張り紙を見つけた。


<カツラを作る為の髪の毛を集めています。詳細は受付まで(※この紙はこのまま貼っておいてください)>


 髪の毛……中等部に入った頃は肩位までだった綺麗なストロベリーブロンドの髪はそろそろ腰まで届きそうだ。


『マリーの髪は綺麗だね。もっと伸ばした方が良いよ』


 そう言ってくれたフレディ様の笑顔はとても素敵だった。その日から髪のお手入れはより念入りにするようになった。それは習慣になって今でも続いている。


(でももう、彼が私の髪を綺麗だって言ってくれる日は来ないのよね……)


 見てほしかった人はもう見てくれない。念入りに手入れする理由はおろか伸ばしている理由もなくなった。


 フレディ様――もう、愛称で呼ぶなと言われてもなお、私の心は彼を愛称で呼び続けている。


 言葉に出す時だって『フレデリック様』という言い方をしているけれど本当は『マリアライト卿』って言った方が良い事だって、分かっている。


(……ちょうど、いいか)


 髪を切ればその分手入れも楽になるし、その分勉強する時間に当てられる。

 このタイミングでこの依頼書を見たのも神様が『切れ』って言っているのかも知れない。

 



 受付に早速尋ねると隣の部屋に通されてあっという間に手早く綺麗に切って整えてくれた。


 さよなら、フレディ様……だなんて浸る隙もなく、首のあたりまで躊躇なく切られた髪は違和感があるけれど凄く軽い。身も、心も。


「長くて綺麗で、質の良い髪の毛ね。この位の長さがあれば、そうね……」


 銅貨5枚渡される。初めて自分で稼いだお金はどんな銅貨よりズッシリと重く、大きく感じた。


 それでも銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚と考えると、後95枚。工具セットには程遠い。

 だけど授業料や単品の工具、材料費の事を考えると、今は銅貨1枚だって貴重だ。


 

(後は……)


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