第8話 2つの問題


 後期休みに入り、寮の中が一気に静まり返る。


 『桃の節の<前期休み>と明緑の節の<後期休み>の間は殆どの貴族が地方に帰るから寮は一気に寂しくなるのよ~』と以前テュッテが言っていた。


 私はこれまでずっと長期休みの時はアルマディン領に帰ったりマリアライト領に遊びに行ったりしていたから、今回初めてこの寂しい寮を体験する。


 テュッテも1週間だけ自分の家に帰るらしく、その挨拶で部屋に来てくれた時に学科変更を考えている事を伝えたら、驚いた顔をした後『頑張ってね~応援するわ~』といつものように少し間延びした声で言ってくれた。ただ、その顔は少し寂しそうだった。


 後期休みに入ってからもコッパー卿は宣言通り図書室で決まったテーブル席で自習していた。他の生徒からも声をかけられて教えている姿を見て本当に話しかけているのは私だけじゃないんだと安心する。


 リビアングラス卿もコッパー卿に何度か話しかけているのを見た。彼も毎日午前中だけ私から離れた個別学習用の机に座って自習している。


 何でそれを知っているのかと言うと、私含めて皆、決まった席に座るので何だか自然と目に着くようになってしまったから……というのと、消えてくれない罪悪感のせい。


 高位貴族相手に失礼な物言いをしてしまった事より、自分の意志で人を突き放してしまった事の方に心が傷んだ。


 それでも私達以外にも何人もの生徒がいる図書室――謝る為に話しかける所を見られて何か噂されるかと思うと怖く、挨拶なんてできるはずもなく。


 失礼だとは分かっているけれどリビアングラス卿の存在をスルーして自習を始め、どうしても分からない部分をまとめてこそっとコッパー卿に聞きに行って教えてもらい、その後図書室から出て部屋で復習する。


 そんな感じで魔導工学の勉強を始めて一週間――魔法学と被っている科目を先に履修しているお陰もあってか理解しやすい部分が多く、


(この調子なら何とかいけるかも……?)


 と目処が立ってきた所で編入試験の手続きの為に魔法学科の教員室を訪れると、丁度ボルドー先生が椅子に腰掛けていた。


 聞くなら勧めてくれたボルドー先生に! と思って先生に近寄り、魔導工学科への編入試験を受けたい事を伝えると目を細めて嬉しそうに笑った、後とんでもない事を言われてしまった。


「そうか、魔導工学科に行く事に決めたか。最近図書室で勉強してるみたいだが魔導工学科の試験には実技も有るからそっちの方の対策も必要だぞ。工学室も休み中開放してるらしいから行ってみると良い」

「実技……!? 先生、それ早く言ってください……!!」


 予想外の言葉に思わず声を上げるとボルドー先生がビクりと身を震わせる。


「すまん、この間はお前がどの学科に行くか分からなかったからな。確か今回の魔導工学科の実技は音石おんせきの作成だ」


 音石――録音と通信機能がある、手のひらに軽く収まる小型の魔道具だ。校舎内で先生達が使っているのをよく見かける。


 魔力に音を込める録音機能と魔力に込めた音を取り出す再生機能の組み込み、また通信の際は魔力を飛ばす送信機能と受け止める受信機能が必要になる。


 機能の切り替えは機能に応じたボタンを押す事、そのボタンと機能を繋げる回路を――という所までは分かるけど、実際どの様に回路が組まれているのか、今読んでいる本の図面だけではよく分からない。


 音石の作り方も教科書に書いてあったけど試験では教科書は見れない。教科書が見れる内に実際に中の回路を確認しながら試作してみないと到底実技で合格点が取れる気がしない。


 そんな事を考えているとボルドー先生の口から新たな問題発言が飛び出した。


「小さな物だが工具は自分の物を使う事になるし、課題を試作するなら自分で材料も用意する必要もある。まあ今なら親御さんに手紙出してお金を送ってもらうのに十分間に合うだろう。ああ、編入試験希望の届けには親のサインも必要だからな。今持ってきてやる」

「え……工具って、買わなきゃいけないんですか!?」

「購買に金貨1枚で売ってるからその分も含めて親御さんにお金を送ってもらえばいいだろう?」

 きょとんとした顔で言われる。


 ボルドー先生からしたら金貨1枚なんて大した事ない金額なのかも知れないけど、私の月のお小遣いである銅貨5枚の20ヶ月分、と思うと気軽に親に頼める額じゃない。そして――何だか凄く嫌な予感がする。


「ボルドー先生、あの……魔導工学科の授業料とか分かる資料ってありますか? 魔法学科と比較できる物があれば……」

「ソルフェリノ嬢……もしかして君の家は……貧乏なのか?」


 どストレートに『貧乏』という言葉を使われて言葉に詰まる。


「あの、いえ、そういう訳ではないのですが……弟が再来年こちらの中等部に入学する予定なので…その次の年には妹が……」


 ソルフェリノ家はけして貧乏ではない。だけど私の後に年が近い2人の弟妹を抱えている為、私だけにお金をかけていられる状況ではないというのが現状だ。

 お金にシビアなお母様の事だから尚更、余計な出費は渋られそうだ。


「そうか……侯爵令息の婚約者になれるのだから君の家は裕福なんだろうと思い込んでいた。すまない……!!」


 ボルドー先生に深く頭を下げられた後、授業料一覧の資料と編入届を受け取り教員室を後にした。


 魔導工学科は魔道具を作る為の学科。その為、中等部の魔導工学の授業では貸し出しだった工具も魔導工学科に入ると自前で用意しなくてはいけない――というのは本当に盲点だった。


 只でさえここは金がある貴族の為の学院――貴族がお金を使い、そのお金で平民達が生活する、そういう方針なので制服や授業に使う小物一式、訓練着、ツナギも購入を余儀なくされる。


 そんな中で工具だけは貸し出しだったから魔導工学科の生徒の工具は自前の物を使っている事なんて全く気づかなかった。その工具がセットで金貨1枚という高額なお値段だという事も。


 魔導学院の購買でこの値段なのだから他の店で買う場合はもっとするんだろう。


 そして授業料。恐らく授業に使われる魔道具の材料費の分だろう。魔法学科より魔導工学科の方が金貨2枚分高い。


 それに授業で使う分は授業料に含まれていても自習で自主制作するとなると魔道具を作る際に要になる魔力を込める為の石――魔晶石も、土台となる金属も自分で購入しなくてはいけない。

 それがまた、工具程ではないけどけしてホイホイと買える値段でもない。


(自習しなければいい話なんだけど……)


 実技で自習もせずに良い成績が取れるような頭ではない事は自分が一番よく分かっている。


(授業料、工具代、材料費――ここに来てお金の問題にぶつかっちゃうなんて……!)


 勉強ではどうにもできない問題に、しばらく立ち尽くすしか無かった。



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