第7話 覚えてない同級生


 魔導工学科への編入試験を受ける事を決めた翌日――今学年最後の授業と終業式を終えて、学院全体がバタバタと騒がしくなる。


 校舎の2階から窓の向こうを見下ろすと、馬車を停める駐車場いっぱいに並ぶ馬車とそこに収まり切らない馬車がいくつも門の前で列をなしているのが見えた。


 あの馬車達は寮を使っている地方の貴族達が帰省する為の物だ。終業式の後から明日明後日にかけて生徒達が実家に帰る為の馬車がひっきりなしに学院を訪れる。


 駐車場のスペースには馬車だけでなく飛竜も何匹かいる。荒れた地や魔物が多い土地の貴族は安全に帰省する為に馬車ではなく飛竜を使う事も多い。

 私も一回だけ、道中で魔物が大量発生しているからと飛竜で帰省した事がある。飛竜は馬車より重量制限が厳しくて持っていける荷物は少なくて困ったけど、空の旅は楽しかった。


 そんな事を思い返しながら駐車場の中に鮮やかな紫色の馬車が見えると、つい注目してしまう。



 『良かったら僕の領に遊びに来てほしい』ってフレディ様に言われて2人であの馬車に乗ったのは中等部の最高学年の今頃。

 そこでマリアライト女侯爵に挨拶して、その後フレディ様がマリアライト領の素敵な場所をいっぱい紹介してくれて――すごく楽しかった。


『来年も一緒に来たい。もっと色んな場所を見せたい』

『はい、喜んで……! アルマディン領にも是非お越しください! 見せたい場所がいっぱいあるんです!』


 笑顔でかわされた約束は確かに果たされた。ただ、2人きりではなかった。それでも楽しかった。良い想い出だった。


 それなのに――と思った瞬間、その傍にいる近くに荷物を浮かばせた2人の紫色の髪の男女が視界に入ったので慌てて目をそらしてその場から離れた。



 そのまま重い足取りで図書室へと向かう。


 中等部と高等部、両方の生徒が共用する図書室はかなり広い。

 ズラりと本棚が並ぶスペースと自習用の机と椅子が置かれたスペースに大きく分けられており、自習スペースは更に個別に机が仕切られていて勉強に集中できる個別学習用の箇所と、大きいテーブルで複数人で自習できる箇所に分けられている。


 『フレディ様と同じクラスになる為に!』と毎日個別学習用の机で一生懸命自習していたあの頃も、交際を始めて一緒に椅子を並べてテーブルで勉強していた頃も、懐かしい。


(……フレディ様が教えてくれた所がよく分からなくて、部屋で学び直した事も何回もあったっけ)


 フローラ様も一緒に勉強する事が多くなってしまってからはあまり質問もできなくなってしまった。


 そして今はフレディ様とは違う学科に入る為に再び個別学習用の机で頑張らなければならない――そう思うとまた心が締め付けられる。

 

 こんな事じゃいけない、と首を横に振って借りていた魔法学の本を受付に返した後、魔導工学の参考書を――と思って天井にぶら下がった案内板を頼りに魔導工学関係の本が並ぶ棚の方に着くと、嫌な人と目が合ってしまった。



 婚約破棄された当日にぶつかってしまった、リビアングラス卿だ。



「……ソルフェリノ嬢? 何かお探しですか?」


 やはり灰色のツナギ服姿の彼は少し驚いた顔をして、厚めの本を一冊手に抱えた状態で驚いたようにこちらに歩いてくる。


「ここの本は大体把握しているのでどんな本をお探しか教えて頂ければ……」

「結構です!」


 続け様に言われた提案を反射的に断ると少し眉をひそめられる。真っ直ぐに私を射抜く鋭い眼差しが怖い。流石に気を悪くされてしまったようだ。


「……ソルフェリノ嬢、私は貴方に何かしてしまいましたか? 私は貴方にそこまで嫌われてしまうような事をした覚えがないのですが……」


 確かに私自身がリビアングラス卿に何かされた事はない。会話したのだってこの間が初めてだ。

 怪我がつきものの武術大会で『フレディ様に怪我をさせた貴方が苦手です』だなんて言う方がおかしい事も分かってる。


 それに――リビアングラス卿は<公爵令息>。このレオンベルガー皇国貴族の頂点に君臨し、この世界の平穏を守ると言われる<色神しきがみ>の加護を受ける6大公爵家の1つ、リビアングラス家の跡継ぎだ。


 本来なら私みたいな地方の子爵家の娘がこんな口の聞き方をしていい相手ではないのも分かってる。でも――


 フレディ様はよくこの人の事を『魔力の才が無い、公爵家の人間としてふさわしくない人間だ』と言っていた。その言葉の通りこの人の魔力は私の魔力の3分の1もない。


『人の上に立つ者の資質として一般貴族と同等の魔力しかないのは致命的だ。だからマリーは良い侯爵夫人になれるよ。誰も君を馬鹿にしたりなんかしないし、させないから』


 そんな風に、この人を貶した後に私が褒められた事が何度もあったからか、どうしてもこの人に対しては負けたくないと言うか、頭を下げたくない気持ちがある。


 私がこの人に頭を下げたら、フレディ様を否定してしまうような気がして。


(……だけど単純に爵位の高さだけで言えばリビアングラス卿はフレディ様より位が高い。それに……)


 ツナギ服を着ている目の前の人は自分が魔導工学科に在籍している事を体で示している。


(この人と関わりたくないけれど、この人に嫌われるのも避けたい)


 侯爵家どころか公爵家にまで敵を作ってしまったらそれこそ私の学園生活――下手したら人生まで終わってしまう。

 

「すみません……嫌っている訳ではないのですが、リビアングラス卿と話してる所をフレディ……フレデリック様に知られたくないんです。フレデリック様にこれ以上、嫌われたくないんです」


 頭を下げずに言葉で謝罪を述べた後、嘘ではない言葉を率直に言うとリビアングラス卿は少し目を見開いた後、俯いた。


「そうでしたか……分かりました。配慮が足りず申し訳ありません」

 リビアングラス卿が苦笑いして立ち去る際の悲しげな金色の瞳に少し心が傷んだ。



(もっと上手な言い方もできたかも知れないけど……でも、あの人と関わったらそれこそ周りから何言われるか分かったもんじゃないし……)



 魔力の色は相性に強い影響を与える。薄桃色の魔力を持つ私が暗い緑色の魔力を持つ人に会うとまるで害虫に遭遇してしまったかような嫌悪感を抱くように、紫と黄色の相性もかなり悪い。


 『この人の魔力が目障りなので追い出してください』なんて理屈は貴族社会では通用しない。まだ同じ領地なら自分に似た色、あるいは不快な色でない人間が多いから気にしないでいられるけど、皇都や別の領地に踏み入った際はそうもいかない。


 そういう本能的な嫌悪感に慣れて表に出さない為にこの学院では魔力の色でクラスを分けたりはしない。生徒達も表面上は出さない。だけどそれは、あくまでもだ。


 私が黄色の要素が強い人と仲良くしているのをフレディ様に見られたら良い気は絶対にしないし、フローラ様は新たな噂を流すだろう。


(そうだ、これは、リビアングラス卿の為でもあるんだ)


 厄介事に巻き込ませてはいけない。失礼な女だ、と思って距離をおいてくれればそれでいいのだ。


 罪悪感から目をそらし、気を取り直して本棚に向かい合う。


 並ぶ本は分厚かったり薄かったり少し擦り切れていたり――どの本が分かりやすいのかよく分からないけどまずは復習も兼ねて<魔導工学の基礎>というタイトルの本に手をのばす。


 だけど一番上の棚という事もあり手が届きそうで届かない。それでももう少し――という所で空を切る指の横で、サッと目的の本が別の手に取られた。


 その手の袖がツナギ服である事に気づいて嫌な予感がしたけど実際に本を手に取ったのは想像した人とは違う、明るい茶色の短髪と優しげな黄土色の目を持つ男子だった。


「この本で良いですか?」

「あ、ありがとうございます……!」


 私より少し背が高い男子は人の良い笑顔を浮かべて、私が取りたかった本を手渡してくれた。


「ソルフェリノ嬢は魔導工学に興味があるんですか?」

「え……どうして私の事を?」


 純粋に疑問に思って尋ねた言葉に男子は一瞬驚いた顔をした後、困ったように苦笑いを返される。


「あ……僕の事覚えていませんか? 中等部で2年間同じクラスだったリチャード・フォン・フィア・コッパーです」

「ご、ごめんなさい……! 私、すっかり忘れてて……!」


 忘れてて、というよりは元々記憶に残ってない。でも流石にそう言うのは失礼だ。


 授業に追い付くのに一生懸命でフレディ様とテュッテ以外の生徒は普段あまり意識していなかった。

 教室では大抵フレディ様と一緒だったし、そうじゃない時はテュッテがいてくれたからそれで困った事がなかった。学院に入った頃はもうちょっと友達がいた気がするけれど。


 中等部は一般教養の他、魔法学、魔導工学、薬学、武術の基本を学ぶ。その中で適正や将来を見出した人が高等部に進学する。

 逆を言えばそれらに未来を見いだせない人やそれらの道を歩めない者は高等部に進学する事無く、魔導関係ではない別の学校に転向したり領地や家に戻ったりして家業を学んだりする。


 だから――いつか別れるから、関係なくなるからと覚えなかった面もある。我ながらフレディ様と教科書ばかり見ている酷い人間だったなと反省する。


「気にしないでください。僕、存在感が無いってよく言われるんです」


 確かに――まるで記憶に残ってないのだから影の薄い人なんだろうけど、覚えてないのは私がフレデリック様と勉強にいっぱいいっぱいだったせいだった部分が大きいと思う。


 じゃなければコッパー侯爵家……フレディ様と同じ<侯爵令息>の顔も名前もを覚えていないはずがない。


「ソルフェリノ嬢……ひょっとして、学科変更をお考えですか?」


 返答に困っている内にコッパー卿から言葉が続けられる。

 魔導工学の基礎、と書いてある本を手に取ろうとしていただけに魔導工学を学ぼうとしているのは簡単に見抜かれてしまったみたいだ。


「……ちょっと、色々事情があって」


 ここで否定した後に学科変更したのが知られたら流石に印象が悪い。深くは聞かないでほしいな、という念を込めて呟く。


「そうですか……僕、見ての通り魔導工学科なので魔導工学の事で分からない事があったら何でも聞いてください」

「え、いえ、でも……!」


 予想外のありがたい申し出に躊躇する。コッパー卿の魔力の色は黄土色…やはり、黄色に近い色の人と関わった事がフレディ様に知られたら良い気はしないんじゃないだろうか?

 でもフレディ様は薄茶色の魔力のテュッテには優しかったし――私の気にし過ぎだろうか?


「実は僕、今年度の成績がちょっと良くなくて……今回の休みはここに残って図書室で勉強するつもりなんです。後期休み中は17時頃まで、あのテーブル席で勉強しようと思ってます。復習にもなりますから遠慮せず、気軽に声かけてくださいね」


 そう言ってコッパー卿は私から離れ、先程自分が差したテーブル席についてノートと本を広げ始めた。


 私も個別学習スペースで本を広げて勉強を開始する。幸い本には魔導工学と工学、両方の内容が記載されていた。そして<基礎>と書いてあるだけあってしばらくは中等部で習った内容と重なり、大体理解できる。


 それでも読んでいる内に何箇所か分からない所が出てきて、16時位にコッパー卿にまとめて聞きに行くと、コッパー卿は嫌な顔ひとつせず丁寧に教えてくれた。



 最初はどうなる事かと思ったけど、運良く分からない事を質問できる人と出会えた事で私の魔導工学科への学科変更は順調に滑り出したかのように思えた。



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