第2話 好きな人の天敵


 フレディ――フレデリック・フォン・ドライ・マリアライト様との出会いは5年前。


 ヴァイゼ魔導学院中等部の入学式でお見かけして、とても綺麗な人だなと思うと同時に何としてもお近づきになりたい、と思った。

 この学院は半年に1度クラス替えがあり、休み明けの一斉テストの成績順でクラスが決まる。そこに家の爵位は一切関係ない。


 (お近づきになるにはまずあの方と同じクラスにならないと!)と思って放課後も休息日も一生懸命勉強して、2年生に進級する際にフレディ様がいる上クラスに入れた。


 その後はクラスに居続けられるよう成績を維持する事を心がけ、また少しでも綺麗な姿を見てもらいたくてお肌のお手入れと起床時就寝時のストレッチを日常生活に取り入れるようになった。


 そんな地道な努力の甲斐もあってか、同じクラスになってから数節後、フレディ様から声をかけられ、告白され、婚約まで驚く位トントン拍子に進んだ。


 私のこの少し癖のあるストロベリーブロンドの髪と薄桃色の瞳をフレデリック様がとても綺麗だと褒めてくれた日から髪のお手入れも欠かさなくなった。


 生まれ持った魔力と容姿だけじゃ絶対報われなかったと思う。努力したから――頑張って勉強したから、自身を磨いたから報われたんだ! と私はより一層勉学と美容に励んでフレディ様にふさわしい女性になれるように努力した。


 フレディ様は頭が良かった。そして私にもそれを求めた。だけど悲しい事に私の頭はそんなに良くはない。持てる時間の殆どを予習と復習に費やしてようやく上クラスに入れる、フレディ様の話を理解できる程度の、至極平凡な頭だった。


 でもそれでも自分の恋が報われた事に感謝した。中等部でフレディ様と過ごした2年間は大変だったし苦労もしたけど、夢のような幸せを掴む事が出来た。


 ただ、今思い返せば本当に幸せな時間は中等部までだったかもしれない。


 ヴァイゼ魔導学院における貴族の一般教養は中等部の3年間で終わる。

 自分達が住む皇国の首都がどういう場所か、自分達が仕える事になる公侯爵家の令息令嬢がどのような人間なのか、どんな貴族達とこの国の未来を紡いでいくのか、どの貴族と共に家を築いていくのか――そういった目的は12歳から15歳までの中等部で果たされるのだ。


 高等部はそういった貴族のマナーや地理についての科目は省かれ、一気に魔導の専門性が高まる。魔法に関わる事について学ぶ魔法学科、魔道具の仕組みや製造について学ぶ魔導工学科、魔力を宿す自然物や魔物から薬を作り出す方法を学ぶ薬学科、魔導を実戦に応用した武術や戦略について学ぶ武術科の4つに分かれる。


 私やフレディ様が所属している魔法学科は中等部時代よりずっと高度の専門知識が必要とされる上にこの学科だけ生徒数が多く3クラスに分かれており、当然フレディ様は上クラス――私もフレディ様と一緒にいられる時間を削り予習復習の時間を増やして何とかギリギリ上クラスにしがみついていた。


 自分で言うのも何だけど、私は凄く頑張った。本来なら高等部なんて厳しいだろう頭で、フレデリック様が私と一緒に学びたいと望んでくれたから物凄く頑張ったのだ。


 だけど私達が高等部に上がったのと同じタイミングでフローラ様が中等部に入ってきてから、何をするにも高い確率でフローラ様が付いてくるようになって。フレディ様と2人きりになれる時間が急激に減った。

 フレディ様がフローラ様を誘うパターンもあるけれど、フローラ様が付いてくるパターンの方が圧倒的に多かった。


 フローラ様がフレディ様を見つめる目に不安や疑問を抱いた事もある。だけどフレディ様のフローラ様への接し方が間違いなく兄妹のそれである事からライバルが出てくるより妹の方が良いじゃない……と自分を励ました事もあるけれど。


(こんな事ならライバルの方が良かった……!)


 長い付き合いのはずなのに、言い分すら聞いてもらえないなんて。

 失恋のショックと、虐めをするような女だと思われた事がショックでまだまだ涙が溢れてくる。


 至らない点を言われれば直す努力も出来るけど、今更フローラ様と仲良くしようとしても無理だ。こちらが頑張ってもあちらが受け付けてくれないと思う。



 しばらく突っ伏している内にチャイムが響く。

 顔を上げると窓から差し込む光が既に消え、窓の向こうは赤から黒になりかかっている。

 そろそろ寮に戻らないと夕食の時間になってしまう。


(……2人と顔を合わせたくないし、しばらくは時間ギリギリに入ろうかな……)

 これまで寮で3人で食事をしていた時間はきっちり19時30分。これからは19時に入って19時20分までに食べ終える生活に切り替えよう。


 今日はもう時間的に難しいからギリギリに入ろう――と黒に染まっていく空を見つめていた所でガチャリとドアが開く。


「ソルフェリノ嬢? こんな所で何をしている?」


 運悪く魔法学科の主任教師のボルドー先生に見られる。赤みを帯びた濃い茶髪をまとめて後ろで縛った先生はどんな生徒にも分け隔てなく接してくれる人で、優しく頼もしいと評判だ。私も授業で分からなかった箇所を何度か聞いた事がある。


「どうした? 顔が赤いが……何かあったのか?」

「い、いえ、何もありません! 失礼します!」


 体格の大きいボルドー先生に詰め寄られるように顔を覗き込まれて慌てて立ち上がり、教室を飛び出す。


 誰が来るとも知れない場所でシクシク泣いていた自分が悪いのだけど、泣き顔を見られるのはとても恥ずかしい。

 すぐに寮の部屋に帰りたくて顔を覆いながら走っていると、突然ドンッと衝撃が走る。


 人にぶつかってしまった、と分かった瞬間――倒れ込みそうになった所を背中から力強い手に支えられた。


「大丈夫ですか!?」


 その低い声にぶつかった相手が男性である事を知り、恐る恐る目を開けると、さらりとした金髪に真っ直ぐな黄金の瞳を持った眉目秀麗な青年が私を見据えている。

 灰色のツナギ服に身を包んだ、この人の顔――見覚えがある。


 中等部の時フレデリック様の天敵だった、リビアングラス卿だ。


「あ、ありがとうございます、すみません……」


 支えられている状態から足をしっかり地につけてお礼と謝罪を述べると、真っ直ぐに見つめられる。頭一つ分位の身長差がある、体格の良い男性から見下されると威圧感半端ない。


「そうですね、廊下は走ってはいけません。その様子では前も見てなかったようですし、とても危険です」


 凛とした声でハッキリと言われる。


(そうだ、この人……中等部の時に事あるごとにフレディ様にこんな風に真っ直ぐ物申して、衝突して……)


 ――中等部最高学年の時の武術大会で、フレディ様に怪我させた人。


「しかし、貴方がそんなに慌てて走るなんて……しかも、泣いていたのですか? 失礼ですが、誰に泣かされたんです? 何か諍いがあったのであれば生徒会の者として見過ごす訳には」

「い、いえ! 大丈夫です! 諸事情で泣いてただけですから……!! あの、ぶつかってしまって本当にすみませんでした……!! 今後走らないように気をつけます。それでは、失礼します……!」


 早く立ち去りたいあまりに早口早足で、リビアングラス卿の横を横切ろうとすると手を掴まれた。


「待ってください。確かソルフェリノ嬢は寮住まいでしたよね? もう日も暮れてますし寮に着くまでに何かあってはいけません、私が寮の前までお送りします」


 突然の提案に身の毛がよだつ。ここから寮まで15分はかかる。

 フレディ様に婚約破棄された直後にフレディ様の天敵に送られただなんて、フレディ様に知られたらもう取り返しがつかない。


「いえ! リビアングラス卿のような方に送られる程の者じゃないので…!!」


 咄嗟に振り返って掴まれている手を全力で払った後両手と首を大げさに横に降って遠慮の意を示す。


「お気になさらず。不埒な輩から女性を護るのに女性の身分も私の身分も関係ありません」

「本当に結構です!! 私の事は放っておいてください!」


 早くこの人の傍から離れたい一心で、半ギレした後早足で歩き去る。流石にリビアングラス卿は追っては来なかった。



(はぁー……)


 寮に戻り、ギリギリの時間を見計らって人がまばらな食堂に入って夕ご飯を食べる。

 この日初めて予習も復習もお肌の手入れも忘れ――ストレッチだけはしておかないと落ち着かないので軽くストレッチだけしてベッドに横になった。


 だけどスムーズに寝付けるはずもなく、考えたくないのにフレディ様から言われた言葉や冷たい言葉、フローラ様の見下したような笑みを思い返してしまい涙がこみ上げてくる。


 フレディ様は私にいつも優しかった。他の生徒達より大人びていて、侯爵令息という立場からリーダーシップもあって、頭も良くて、難しい魔法もいっぱい使えて……私を見つめてくれるその自信に満ちた紫の目が大好きだった。


 中等部の時に真っ直ぐな目で、頬を真っ赤にして、紫の花を差し出して『ぼ、僕と付き合ってほしい』と若干噛み気味に告白してくれた、あの時だけの、恥ずかしそうなあの目も。


『よっ、喜んでっ!』と私も噛み気味で返した時の嬉しそうな目も。



 好きだった――好きだったのに。



(私が、欲を出さなければ……2人きりの時間が欲しいなんて思わなければ……)


 今思ってももう遅い。もう、どう謝っても元の関係には戻れないのだ。

 きっと謝り倒して戻れたとしてもまたあの冷たい目で見られる事に怯えてしまう。


 でもそれでも、だなんて思ってしまう自分を何とか説得しなければ。もう終わってしまったのだと理解させなければ。これ以上フレデリック様に嫌われたくない――迷惑になりたくない。


 次の日が休息日だったのはありがたかった。フレディ様との想い出を思い返して、部屋の中で一日中泣いて過ごした。


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