婚約破棄された桃色の子爵令嬢~相手の妹に消えてほしいと思われてるみたいです~

紺名 音子

第1話 婚約破棄


「マリー・フォン・フュンフ・ソルフェリノ……君との婚約を破棄したい」


 私達以外誰もいない教室で、フレディ様の言葉が冷たく響く。


 窓から差し込む、少し赤みを帯びた陽の光がフレディ様のうなじの辺りで括られた綺麗な紫色の長髪と、制服ブレザーを纏うスラッとした細身の体を照らし、紫水晶のような色の目も相まって中性的な美しさを際立たせている――って、駄目、流石にこんな状況でまでフレディ様に見惚れてる場合じゃない。


「そんな…フレディ様、どうしてですか?」


 突然の婚約破棄と今まで私に向けられた事のない嫌悪の表情に戸惑いつつ、何とか長身の彼を見上げて言葉を紡ぎだすとフレディ様は小さく首を横に振ってため息を付いた。


「もう愛称で呼ぶのもやめてほしい……僕を愛称で呼んで良いのは僕が愛する人達だけだ」


 視線がそらされる。もう、フレディ様が愛する人達の中に私はいない――その事実が悲しみを突き抜けて感情を止まらせる。


 突然婚約破棄を突きつけられてしまった事もショックだけれど、フレディ様は今とても怒っているみたいだ。もう4年の付き合いにもなると声の具合でフレディ様の不機嫌具合が分かってしまう。


「フレ……デリック様、理由をお聞かせください。私の何処が至りませんでしたか? 言ってくだされば私、頑張って改善します……!」

「ソルフェリノ嬢……君が努力家なのは知ってるよ。でもどんなに君が頑張っても歪んだ性格はそう簡単に直せるものじゃない。一度は好きになった君の傷付いた顔をこれ以上見続けるのも辛い……どうかこのまま何も言わずに僕の願いを聞き入れて欲しい」


 マリー、ではなくソルフェリノ嬢――フレディ様の言葉の一つ一つが私の心を鋭く斬りつける。その痛みに耐えるように降ろしていた両手にギュッと力を込めた。


 性格――というからには私の容姿や能力には問題はなく、何か気に入らない事をしでかしてしまったのだろう。だけど全く心当たりがない。それでも何か見落としている点があるのではないかと自分の行いを振り返ってみる。


 第一に思いついたのはフレデリック様と同じクラスにいられるようにフレデリック様と一緒の時以外は寮の自室に篭もり、苦手な項目の予習と復習をしている事。


 でもそれらは4年前にフレデリック様から告白されてからもずっと続けている。今更そのインドアな面を責められるとは思えない。


 次に考えられるのはこの学院内でフレデリック様を慕う女生徒は高等部、中等部問わず多い事。授業に追い付く事に必死で交友を広げられなかった点は否めない。だから嫌な噂でも流されてしまったのだろうか? それでも人に嫌な思いをさせないように気をつけてきたつもりなのだけれど――


「……用件はそれだけだ。これからはお互い関わらないようにしよう。君の家には私から後日、正式に婚約破棄の手紙を送る」


 原因を考えている内にフレディ様は足早に教室を出ていこうとする。それを目で追うとフレディ様が開けた教室のドアの向こうに複数の人影が見えた。その中央にはよく見知った人の姿があった。


「フレディ兄様……」


 フレディ様の制服をか弱く掴む、私と同じグレーの女子制服ワンピースを纏う女子生徒――フレディ様と同じ紫色の長髪と目を持つとても美しい少女の儚い声に嫌な予感がしてしまう。


「フローラ……来なくていいと言ったのに……」

「ごめんなさい……お兄様も何か酷い事を言われてないか心配で……」

「大丈夫、何も言われなかったよ。心の中でどう思っているかは分からないがね」


 フレディ様の嫌悪感を帯びたその言葉とともにチラ、と冷たい視線が向けられる。

 この場に彼女の姿がある事――そして今の言われようや態度から何故私が突然婚約破棄を突きつけられてしまったのか、ようやく理解できた。


 フローラ・フォン・ドライ・マリアライト――フレディ様の妹。


 フレディ様と3歳違いでこのヴァイゼ魔導学院の中等部の2年生である彼女が兄であるフレディ様をとても慕っているのは、常日頃から感じ取れた。


 食事の時や寮に戻る際に一緒な事位はまだ全然良かったのだけど休日のデートまで偶然を装ったり装わなかったりして介入してくる状況に耐えかねて、2節程前に言ってしまったのだ。


『フローラ様、たまにはフレデリック様と2人きりのお時間を頂けると嬉しいです』と。


 勿論、相手がショックを受けないように努めて明るく笑顔で軽い感じに気を使ったつもり。

 実際、その時フローラ様からは『すみません、私ったらつい……!』って申し訳無さそうな微笑みが返ってきたはずなのに。


 それがまさか、こんな事になるなんて。


「ソルフェリノ嬢……やはり君のフローラを見る目は冷たい」


 私の負の感情がにじみ出てしまっていたのだろう。私の表情を見てフレデリック様の目がより一層険しくなる。


「先節の……フローラがいない日のデートはとても喜んでいたね。邪魔者がいないかのように……僕はすごくショックだった」


 それは、約2年ぶりの2人きりのデートだったから――それにフローラ様に『今後一切邪魔をするな』なんて言い方をした訳じゃない。たまにこうして2人でいられれば……! と幸せを噛み締めていただけなのだけど。


「……ソルフェリノ嬢、僕は結婚するなら妹とも仲良くしてくれる子じゃないと嫌なんだ。これを言ってしまうと君はフローラに媚びを売るかより陰湿にいじめるようになるだろう? どちらも嫌だから言いたくなかったんだ。君が自分で気づいて反省してくれたならまだ望みはあったのだけど……もう妹を見るなりそんな目を向ける時点で無理だね」


「フレディ様、誤解です! 私はフローラ様をイジメてなんていません……!!」


 2節前に苦言を呈してしまった事や今この状況の原因に気づいてフローラ様に厳しい視線を向けてしまったことは事実だけど、断じてイジメてなんかいない。

 誤解を解こうとつい愛称で叫んでしまった私を、フレディ様が厳しい眼差しで睨んでくる。


 怒りと敵意がにじみ出るその眼差しは、私から容易く言葉を奪う。

 そうだ、フレディ様は嫌いな人にはとことん冷たい眼差しを向ける人だった。


 私が押し黙るとフレディ様はフローラ様に優しく微笑む。それは少し前まで私にも向けられていたものだったのに。


「……さあフローラ、寮に戻ろう」

「フレディ兄様、ごめんなさい……」

「いいんだ、フローラ……お前は何も謝らなくていいんだよ」


 言葉を失って俯く私にはもう、2人がどんな表情でやり取りしているかなんて見えない。そのまま2人はフローラ様の友人と思われる女生徒達と去っていった。


(フレディ様……最近元気がないなと思っていたけれど…こういう事だったのね……)


 ここ2節、ずっと私がフローラ様に冷たく当たっていないか疑っていたのだ。そして2人きりのデートで確信されたのだ。


 あの時、せっかくのデートなのに具合が悪いのか悩みがあるのかフレディ様は暗い顔をしていたから心配になって『大丈夫ですか?』と聞いても『大丈夫だよ』と微笑んでいた。あの微笑みはどういう気持ちで私に向けていたんだろう?


(どれだけ私が誤解を解こうとしても、きっとフローラ様には敵わないんだろうな……)


 現に今、ショックを受けている私を置いてフローラ様を守るように去っていったのだから。


 2人が去って一人ポツンと教室の中。立っているのも辛くなってきて、近くの席に腰掛けて机に突っ伏すと、待ってましたと言わんばかりに涙がこみ上げてくる。


「うう……」


 正直、フローラ様の事をこれっぽっちも邪魔だと思ってなかったといえば嘘になる。だけどフレディ様がフローラ様をとても大切にしている事を知っていたし、私の事も大切にしてくれている事も知っていた。


 私は、少しだけでいいからフレディ様が私だけの為に使ってくれる時間が欲しかっただけ。断じてイジメなんてしていない。

 そもそも子爵家の人間が侯爵家の人間をイジメるだなんて絶対あってはならない事。まして、婚約者の家族をイジメるだなんて。


(でも、フレディ様は私をそんな人間だと思ったって事よね……)


 こぼれ落ちた涙が、1滴、2滴と机を濡らしていく。それをハンカチで拭き取る余力すら、今の私にはなかった。


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