第16話 信じられない話
とある宿屋の一階。食堂近くの広間に俺たちは集まっていた。
丁度よくソファとテーブルが置いてあって、常連であれば時には店員さんにお茶までサービスしてもらえる。そんなお得感から、最近ではここが作戦会議の場所になっている。
明るい雰囲気で始まることが常の会議だったが、今回ばかりは凍りついたような空気感になってしまう。お題は先程配られた魔王来襲の新聞のことだ。既に隣国であるレグザの騎士団、他の冒険者が必死になって討伐に向かっているとのことだが、ことごとく返り討ちにあっているらしい。
最初に口を開いたのはロブロイだった。
「嘘だろ? いくら奴が悪ぶった真似をするにしたって、さすがにあり得ねえ。同名の別人じゃねえのか」
俺は路上で貰ったあの紙をテーブルに出す。疑うのも無理はないだろう。しかし……。
「命からがら、ライトリム城の襲撃から生きて帰った人がいたんだ。そいつは魔王ノアの身体的特徴だけじゃなくて、喋り方、声の感じまで詳細を語っているようだ。ここにある特徴を読んでみてくれ」
ロブロイとモニカは、食い入るように紙を読み始めた。二人は時間が経つほどに表情に険しさを増していき、その後は脱力してため息を漏らした。
「あたしは数回くらいしか顔を見たことがないんだけど、この感じだと本人じゃない?」
「くそ。やっぱり俺には信じられねえよ。あの程度の奴が、魔物達を従える御大層な王になれたっていうのか」
ルーは黙っていたが、以前のようにおどおどしていたわけではなく、深く考え込んでいる様子だ。俺もまたため息を漏らして、天井に顔を上げる。
「そこがおかしいんだよな。ロブロイの言うとおり、何があったとしてもあいつにはそんな格なんてありはしないと思う。でも、引っかかっていたことがあった。かなり前からなんだが」
「あ……。そういえばリック。言ってたよね。やっぱりそうだったのか、って」
夕方の俺の言葉が気になっていたのか、ルーが不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
「ああ。俺は勇者の加護を得てから、魔物や魔族といった連中が持つ邪な気配。要するに邪気のようなものに敏感になったんだ」
「邪気って、殺気とかそういうもんか?」ロブロイの質問に、俺は首を横に振った。
「近いけど、厳密には違うかな。というか、悪意に近いのかもしれない。とにかく俺は、その力のおかげで魔物や魔族が接近していればいち早く察知することができる。しかし、あの魔術師と組んでいた約一年の間、どうもおかしいことが続いていた」
珍しく、普段はお喋りなモニカも、やたらと騒ぎたがるロブロイも、神妙な顔つきのままでこちらの話に耳を傾けている。
「ダンジョンに潜っていて、探知のミスというか、明らかに魔族と思わしき邪悪な気配がしたのに、実は誰もいなかったということがよく続いた。それはダンジョンだけではない。町にいる時もそうだ。どこからか魔物の襲撃があるかもしれないと焦った時もあったが、単なる思い過ごしで終わったり。しかし、考えてみればそんな間違いを俺がした時は、決まってあの男——ノアが側にいたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよリック」
慌てたようにロブロイが右手を挙げた。まあ、普通は戸惑う話だろう。
「たまたまお前の加護が調子が悪かったとか、逆に神経過敏になっていたってこともあるだろ。あの頃は俺達散々だったしよ」
「その可能性については俺も考えたよ。でも違うんだ。勘違いとは思えないくらい、あいつは黒々とした何かを持っていた。そしてある時、はっきりと膨れ上がっていた時があったんだ」
その時については、ここで明言するわけにはいかなかった。ルーを無理やり宿に連れ込もうとしていた時だなんて、彼女を前にして話すわけにはいかない。俺が戸惑っていたのは、ノアの挙動不審な態度にではなく、奴から発せられるあまりにも異質な気だった。
「ただ、やはりみんなと同じで信じられなかった。後々ノアが愚劣なことをしていたと知っても、追放を心に決めた時でも、俺は自分がどこかおかしくなっていたんじゃないかと、奇妙な気配については考えないようにしていた。でも時が流れて、冷静に当時のことを考えるにつれて……あれは魔族や魔物が有する類のもので、ノアは単なるろくでなしレベルの存在じゃないと思うようになった」
俺は強い後悔を覚えた。いや、これは罪悪感だ。あの時、明確に罪を犯していない奴を裁くことは誰にもできなかったとは思う。しかし、こうなってしまった以上、追放した俺にも責任がある。
とんでもないことをしてしまったと、気がつけば両手を組んでテーブルの前にうなだれてしまう。すると、隣から小鳥を思わせるルーの声がした。
「リック。もしかして、あの人のこと……自分のせいだなんて思ってるの?」
すぐに答えられない。ややあって、俺は小さく首を縦に振るのがやっとだった。その仕草がなにかおかしかったのか、正面に座っていたモニカが小さく笑ったようだ。
「どうしてアンタのせいになるのさ。悪いのはあの勘違い野郎じゃん」
「そうだぜリック! お前が自分を責める必要なんて何もねえだろ。むしろ、ここまでお前は、マジで良くやったと思うぜ。崩壊しかけたパーティをよ、なんだかんだで大陸トップクラスまで成長させたんだからよ!」
ロブロイが俺の右肩をバンバン叩いてきて、かなり痛い。しかし、気持ちは不思議と軽くなってきた。
「リック。私、あの時彼のことを相談して良かったと思ってるの。あなたのおかげで、その。今は夢みたいっていうか」
「もー。ルーは歯切れが悪いんだから。もうズバッと言っちゃいなよ。ここで」
「え? え? 言うって、ちょっとモニカ!」
なぜか顔を真っ赤にして慌てるルーだったが、そういえば奴を追放して一番変わったのは彼女だった。間違ってはいない、か。
俺は今だって、こうやってみんなに支えてもらっている。それがありがたいと思った。
そしてありがたいついでに、一つ頼みたいことができた。
だが、これは以前したルーとの約束に反してしまうことになる。しなくてはならない義務感と、ためらいが心に同居している。
「みんな、いつもありがとう。俺がここまでやってこれたのは、みんなのおかげだ」
凍りついていた先程までの雰囲気は既に溶けきり、陽光のような暖かさすら感じる。
「そんなみんなに、一つ聞いてほしい頼みがある。あいつはこれ以上野放しにしちゃいけない。レグザ国の騎士に任せるのもいい。他にも討伐することができる冒険者はいる。でも」
みんなに視線を向ける。三人は……分かってるって、と言わんばかりの微笑を浮かべていた。
「魔王ノアの討伐に向かおう。今回報酬はない。しかし、倒すのは俺達がしなくちゃいけないと思うんだ」
ロブロイは首を鳴らした後、ゴツゴツしたデカイ拳を握り締めた。
「決まりだな。あいつはいつもぶっ飛ばしてえと思ってたんだよ。今度こそ堂々とやれるぜ」
意気込む戦士を見て、盗賊はクックと喉を鳴らして笑う。
「アンタが意気込むとロクなことにならないけどね。モヒカンが半分以上焼けちゃった時みたいにさ」
「嫌なこと思い出させんじゃねーよ。元の髪に戻るまで地獄だったぜ」
俺は意外なエピソードを聞いて思わず笑ってしまった。そのせいで気がつくのが遅れたが、今や賢者となった少女が真っ直ぐに、まるでどこかの絵画にでもありそうな微笑みを向けていた。
「私も頑張る! 今ならきっと、私も戦えるから」
仲間の決意に、勇者である俺もまた笑顔で答える。黒き魔術師がいた時のような、暗黒を背負うような雰囲気はもうない。
じゃあ早速今後の流れを、と言ったところでモニカが立ち上がった。
「リック! じっつはさー。あたしいい話貰ってたんだよ。魔王の討伐! ちゃんとした依頼者がいたんだ」
依頼者? 一体誰なのだろう。彼女の話では、その人はすぐに会ってくれるのだと言う。俺達はモニカに連れられ、その人の元に向かうことになった。
だが、依頼主はこの港町にいるわけではないらしい。話を聞けば、どうやら俺達の原点である、ノアを追放したあの町で待っているようだ。
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