第三章 魔術師は魔王へ

第7話 魔術師は誘われるままに

 僕には理解できない。どうして人はこうも他人に残酷になれるのだろう。


 リックやロブロイのことが忘れられない自分がいた。必死になって勇者パーティをサポートし続けていた僕を、どうしてあっさりと追放できるのか。彼らを思う度に辛い記憶が頭を過ぎる。


 それに比べて、アンジェリカとレナはとても親切だ。まあ、お姉さんのほうはどうやら僕に異性としての強い感情を持っているようで、あれから三日間も……いろいろとあったわけで。


 日々はあっという間に過ぎていく。気がつけば館に来て四日目の朝を迎え、目を覚ますと隣には美しい金髪の美女が微笑んでいる。


「おはようございます。今日は朝からとても素晴らしい発見がありましたわ。なんだと思います?」

「え……なんだろう。分からないな」

「ノア様の寝顔は、いつ見ても格別ということです」

「ふっ、何を言ってるんだ」


 まったく、いきなりここまで惚気られてしまうとは。僕がベッドから出て着替えを始めると、アンジェリカはまたすぐ横にやってくる。


「今日はどんなご予定ですの?」

「そうだな。少し仕事がある」


 嘘だった。今の僕には何をする義務もない。ただ、正直なことを言って幻滅されるのは辛い。


 でも、金欠になる前に早く新たな仕事を探す必要はある。冒険者としてのリスタート、または全く違う仕事。もうどちらでもいい気がするが。


「あの、もし宜しければですが。私達とご一緒してほしいところがあるのですけれど」

「一体、どこに連れ出そうっていうんだい」

「ふふふ。貴族街ヒソップですわ。実はベルクト伯爵からお呼び出しを受けておりますの。少々遠出で、馬車で二日ほどはかかりましょうか。でもとても優雅で素晴らしい所です。よろしければ、私達といかがです?」


 ベルクト伯爵……? 誰だったろう。

 しばらく考えているうちに、ぼーっとしていた頭はすっかり覚醒してくる。まさかあの男か!?


 僕は耳を疑ってしまった。ベルクト伯爵といえば、大陸でも類を見ない貴族であり、その名声や発言力もずば抜けている。アンジェリカやレナが知り合いだったとは。


 しかし、僕はこの辺りの地理に疎いせいか、貴族街ヒソップなど行ったことがなかった。町は無数にあるわけで、その中の一つに名前を連ねていた気がするが、覚えていない。


「あのベルクト伯爵と知り合いなのか! 国王からも信頼のある方じゃないか」

「お父様がもともと伯爵と友人でしたの。もしノア様のことを知れば、きっと良い役職に迎え入れてくれるかもしれませんよ」

「本当かい? まあ……今日の仕事は他の連中に任せても大丈夫ではあるのだが」

「でしたら行きましょうよ。それに」


 すっと正面に立つアンジェリカは、夜にいつも見せてくる妖艶な、男を骨抜きにする上目遣いで囁いてくる。


「私はもう、あなたから決して離れたくありませんの」

「……やれやれ。困ったものだ」


 照れているところを察してしまえば、クスクスと笑われてしまうだろう。彼女は会った時よりも美しさが増しているようだった。


 しかし、この微妙な空気を壊すかのように、レナが無邪気にドアを開けて駆けてきた。


「あー! ずるーい。お姉ちゃんばっかりノアお兄ちゃんとベタベタして。あたしも、あたしもー」


 思いきり抱きつかれてしまい、僕はただ苦笑するばかりだ。


「レナったら。ノア様が困ってしまうわよ」

「あはは、大丈夫大丈夫。いいんだよ」


 追放されて良かったのかもしれないな。しかし、ルーはあの連中と一緒で大丈夫なのだろうか。彼女のことだけは今でも気がかりだった。


 ◇


 見知らぬ森の中を、僕とアンジェリカ、レナを乗せた馬車が静かに進んでいる。従者の男は初めてみる顔だったが、非常に愛想が良く馬の扱いも上手だった。


「霧、すごーく濃いね! 全然見えなーい」


 レナが幌の外を眺めては、濃い霧に目をパチパチさせている。アンジェリカは静かに僕に寄り添っていた。


 結局のところアンジェリカ達の押しに争うことができず、貴族街へと同行することにしたのだ。ただ、今日に限ってこれほど深い霧に包まれてしまうとは運がない。


 しかし腕のいい従者は道のりを頭に叩き込んでいるらしく、特に迷うことなく馬を走らせている。ようやく霧が晴れてくると、森を抜けて整備された道に出た。


 淀んだ曇り空をただぼんやりと眺めていると、ふと奇妙な建物が見えた。


「なあアンジェリカ。あの建物は一体なんだろう」

「え。あら……以前来た時は、あのような所には何もありませんでしたわ。何かしら」


 明らかにポツリと佇むその建物は、近づくほどに独特な風貌であることに気づく。どうやらサーカスのテントのようなものらしい。


「面白そうー! ねえねえ、きっと大道芸人がいるよ! 行ってみよーよ」


 目をキラキラさせてレナが僕におねだりをする。しかし、アンジェリカが苦笑しながら遮った。


「ダメよ。寄り道なんてして、伯爵をお待たせしたらどうするの」

「だってー。絶対楽しいもん。ねえおねがーい」

「いいんじゃないかな。少しくらいは」と僕が笑うと「ノア様ったら」と少々呆れられてしまったが、何も大した遅れにはなるまい。


 僕は従者に頼み、一度馬車を止めてもらうと、三人で大きなテントへと歩みを進める。もしかしたら、ヒソップまで向かう人達を相手に商売をしているのかもしれない。


 中に入ってみると、どうにも薄暗く想像より狭い。中でも特に目立っていたのは、所狭しと並べられている檻だった。


「これは……いろんな動物が檻に入れられているようだが」

「ホントだー! サーカスの動物さん?」


 アンジェリカは先程までの穏やかな雰囲気から打って変わり、汚いものを見るような顔になっていた。


「いいえ。これは恐らく、奴隷市場でしょう」


 奴隷市場という言葉を聞いて僕はハッとした。そういえばここにいるのは、よく見れば人間ではなく、人と獣の混血……つまり獣人達だった。


 だがおかしい。奴隷を持つという風習は百年以上前に国王により禁止とされ、もし見つかれば死刑すら免れないはずだ。


 戸惑いながらも周囲を見回していた時、薄暗い部屋の向こうから足音が聞こえてくる。赤紫の巻頭衣とシルクハットという、奇妙な服装の中年男である。でっぷりと腹は膨らみ、髭の下には分厚い二重顎。醜悪な笑顔をぶらせげながらこちらに歩いてくる。


「こんにちはー。いやはや、随分とご立派なお客人ですな。お気に入りの奴隷はおりましたか?」


 僕は苛立ちを抑えられず、次の瞬間には男の胸ぐらを掴んでいた。


「ふざけるな! 貴様、奴隷の売買なんて許されるとでも思っているのか!」

「う、うぐぐ。いきなり何をする」


 あってはならない行為に怒りが湧き上がる。頭に血が上ってしまった僕を、アンジェリカとレナが必死に男から引き離そうとする。


「おやめ下さいノア様!」

「お兄ちゃんやめて! 乱暴はダメ!」


 二人の制止でなんとか落ち着きを取り戻し、静かに腕を引くと、売人は咳をしながら尻餅をついた。


「ひ、酷いじゃないか。いきなり野蛮な真似を。バレなければ問題なんかあるものか。買わないのならば、さっさと出ていけ」

「酷いのはどっちだ! 勝手に攫って、勝手に物みたいに売って! ……は!? あ、あれは」


 少し遠くにある檻に痩せ細った少女の姿が見える。その姿は人のようだった。

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