第3話 新しい居場所
ベッドで苦しむ茶髪の少女は、まだ顔に幼さを残していて、それがいっそう痛々しさを増していた。
しかも随分と痩せこけていて、このままでは命が危ないことは明白。早く手を打つ必要がある。
「妹は……レナはもう三日も食事が喉を通らない状態なんです。熱と吐き気、咳が酷いので風邪と思っていたのですけれど」
「ちょっと見てみるよ」
近くにあった椅子に腰掛け、彼女の様子を事細かに観察する。僕が教わった攻撃魔法、つまり黒魔法の分野にも病気への対処や治療術が存在する。回復を専門とするプリーストの独壇場ではない。
しかしながら、この症状については明確に分からなかった。貪るように読み漁った魔術書の中に類似のものはあったが、どれも微かに事例と違う。ここは他の冒険者も呼んで、助けてもらったほうが良さそうだ。
「うーん。どうやら黒魔法の分野でも、これはちょっと分からない。ちょっと詳しそうな人を呼んで——」
「ノア様!」
アンジェリカが縋るように手を握ってくる。僕は驚きで少しばかり固まってしまう。
「この時間では、どなたもお会いしてはくれないでしょう。どうか、どうかこの子の側にいるだけでもお願いできませんか? 今日だけでも結構なのです。妹は私以外に身寄りがなく、いつだって寂しい思いをさせてきました。ノア様のような素晴らしい方が寄り添ってくれるだけで、心強いに違いありませんわ」
「いや、しかし……」
金髪の美女は涙を流して懇願している。彼女の言うことも確かではある。こうなってしまっては仕方がない、もう少しだけお邪魔するとしようか。
「分かったよアンジェリカ。しばらくは彼女の側にいるし、できる限りのことを検討してみようと思う」
「ありがとうございます! やはりノア様は素晴らしい方ですわ」
そう言われると悪い気はしないが、まさかいるだけでも喜ばれるとは思わなかった。それからしばらくの間、僕はただレナの近くに座っていたが、半刻ほど過ぎたところで変化が訪れる。
「はあ、はあ。え……お兄ちゃん、誰?」
ずっと眠っていたようだったレナが、その小さな目を開けていた。
「ん? 目を覚ましたのか!」
「うん。何だかとっても楽になってきて……」
「良かった! 僕はノア。君のお姉さんに言われて、看病をしていたんだよ」
気のせいか、幾分顔色も良くなってきているようだ。もしかして……と一つの推測が頭を過ぎる。いや、そんなはずはないと考えを巡らしていると、パンと水をお盆に乗せてアンジェリカがやってきた。
「まあ! レナ! あなた、体のほうは大丈夫なの!?」
「あ、お姉ちゃん。うん! なんか元気になってきたの」
レナは上半身を起こして、ようやく子供らしい笑顔を浮かべる。
「きっとノア様のお力に違いありませんわ。なんてお礼を申し上げるべきか、私」
目を潤ませてくるアンジェリカに、僕は慌てて手を振って否定する。
「いやいや。僕なんか何もしていなんだよ。ただ」
「ただ? なーにお兄ちゃん」
目をキラキラさせてくるレナに、僕はたった一つありえそうな要素を説明することにした。
「僕は冒険者でね。まあ、基本的にそういう仕事をできる人間っていうのは、加護というものを女神様に与えられるんだ。授けられる時期やタイミングは人それぞれだけどね。それが特別な存在であることの証であり、人それぞれ与えられる効果が違うんだ」
「あら、気になる話ですわね」
「かごー? それって凄いの?」
この先はどう説明しようか迷ったが、とにかく詳しく話すことに決めた。
「そうなんだ。例えば聖なる加護っていうのは、周囲の人間に強い生命力を与え、自然と力だったり素早さだったり、あらゆるものを強化してくれる。とても便利なものなんだよ。加護には属性という要素もあってね、相性が良いメンバーなら、尚のこと効果がある」
「まあ、知りませんでしたわぁ」
「それでそれで? お兄ちゃんはどんなかごを持ってるの」
答えるべきか、わずかにためらう自分がいた。恐らくレナの回復は自然的なもので、加護は関係ない……そう思いたい。僕の加護はあまり人に言えたようなものではないし、気分を害する恐れもある。考えた末に、少しだけ事実とは違う内容で伝えることにした。
「僕はね……みんなの体力を回復させる加護を持っているんだよ。パーティにいると、なかなか実感してもらえないけどね」
なるほど、とばかりにアンジェリカはうなずいていた。
「だから、レナは回復したのですね」
「ま、まあそうなるかな」
「うわーい! ありがとうお兄ちゃん! レナ、とっても嬉しいっ」
さっきまでは虫の息みたいだったのに、レナはすっかり元気になり僕に抱きついてきた。どうやらおてんばな子供のようだ。
「まあ! レナったらお行儀が悪いわ」
「あはは! ねえお兄ちゃん遊ぼー」
「ダメよ。今日はもう寝なさい」
元気いっぱいになりつつある彼女の体を、優しくアンジェリカが制してベッドに寝かせる。その後レナは少しばかりむくれていたようだが、すぐに可愛い寝息を立てていた。
「これでもう大丈夫みたいだね。じゃあ、僕はここで」
「あの! 既にこのような真夜中ですし、宜しければお泊まりになられてはいかがでしょう」
「え、いや……でも」
「ご遠慮なさらずに。空いている部屋がございますの。妹を助けていただいたせめてものお礼をさせて下さい」
このような立派な屋敷に泊めてもらえるなんて、正直申し訳ない気持ちになる。しかしアンジェリカは決して折れないので、抵抗しつつも結局はお泊まりすることになった。
「彼女達には、なんとお礼をいったらいいか」
案内された部屋のベッドに寝転がりながら、この幸せを痛感する。冒険者は野原や洞窟の地面でも寝なくちゃいけない時がある。依頼された仕事が一日で終わらず、町に戻れないことなどザラにあるから。
だからこそ普通のベッドで寝れることに幸せを感じる。しかも安宿にありがちな男一人が寝返りすらうてないほど狭いものとは違い、なんとキングサイズのベッドである。幸福を感じない冒険者はいないと断言できる。
しかし、僕はここ最近の若干不規則な生活のせいか、いまいち寝つけずにいた。そんな時、廊下の奥から誰かの足音が聞こえてくる。
もしかしてアンジェリカだろうか? それともレナか? そういえばこの屋敷はとても広いのに、召使いや他の家族を一人も見ていない。
扉の前で足音が止まったような気がした。そしてノックをする音。誰がこんな時間に? 不安になりつつ、僕はベッドから上半身を起こした。
「すみませんノア様。私です、アンジェリカです。今宜しいでしょうか」
「あ、ああ。どうぞ」
赤い扉はゆっくりと開かれ、先程まで妹の回復に涙を流して喜んでいた美女がいた。だが、妹と一緒だった時とはどうも空気感が違う。
彼女はベッドの側までくると、静かに僕の隣に腰を下ろした。薔薇のような匂いが鼻にまとわりつき、妙な気持ちにさせられてしまう。しかも、彼女は薄布一枚を纏っているだけである。
「私、考えましたの。このまま一晩お泊めしただけで、この多大なるご恩を返したことになるのかしら。とてもじゃなくですけれど、釣り合いが取れていない気がしているのです。そう思いませんか」
「僕はそんなに大したことをしちゃいないよ」
魔物との戦いとは違う緊張感が漂う。気がつけば白く細い手が、僕の左手を優しく包み込んでいた。演劇女優でもそうはいない整った顔が、すぐ近くまで迫ってくる。
「いいえ。このままでは私の気持ちが収まりません。それに」
「それに?」
「酒場でお会いした時から、こうしたかったのですよ」
気づいた時には唇と唇が触れ合っていた。マグマのような熱い感情がほとばしる。自らの人生が大きく変わっていくことを、この日ほど実感したことはなかった。
リックに追放された頃とは比べものにならないほど、素晴らしい日々が始まる。そんな予感が僕の胸を焦がしていたんだ。
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