第2話 酒場で知り合った美女
リックから追放されて三日後。僕は何をする気にもなれず、宿で夜まで眠りこけていた。
簡単に言えば不貞寝を続けていたわけだが、この日はストレスが最高潮になり、どうにかして憂さを晴らさなくてはと町に出た。
冒険者の仕事は探せばあるのだが、ギルドに行っても相手にしてもらえないのは目に見えている。彼らの中で僕はすぐに噂になっただろうし、そうなるとしばらくはパーティを組んでくれる者はいない。
どうしてリックは分かってくれなかったのだろう。なぜロブロイはああも突っかかるのか。ルーは僕がいなくなってからちゃんとやっていけるのだろうか。
まあ、考えていても仕方のないことだ。僕はいきつけの酒場へ向かい、バーカウンターで髭の店長に酒を頼む。今日は潰れるまで飲んでやる。
「店長、いつもの白ワインをくれ」
「ようノア。今日はツケはなしだぞ」
「ツケなんてするわけないだろ」
店長の冗談にも呆れたものだ。僕はすぐに出されたワインを口に運び物思いにふける。すると、いつの間にか一つ席を開けたところに、一人の女性が座っていることに気がついた。仕事柄少しの違和感に敏感なので、自然と横目で彼女を確認してしまう。
長い金髪に白い肌、切長の瞳は他を寄せつけない雰囲気がある。纏っている黒いノースリーブのドレスは、彼女の為に作られたのではないかと勘繰ってしまうほどだ。年齢は恐らく二十代後半ほどで、ふっくらとした胸元に思わず目がいってしまい、僕は少々慌てて視線を正面に向けた。
その時、女性はちらりとこちらに目をやり、口元を緩ませたようだった。
「そのワイン、私もよく飲むんですよ」
「え?」
意外な反応に戸惑いつつ、僕は返事をする。
「ああ、これは格別だよね。いつも店長にサービスしてもらっていてね。本当は高いんだけど、少し安くしてもらっているんだ」
「あら、どうして? ご贔屓になさっているってことは、名のあるお方なのかしら」
「いや、なんていうか。僕が勇者パーティの一員だったから、かな」
「まあ! 凄いわ。私、世界平和の為に活躍されている人が憧れなの」
世界平和か。育ちの良い人達から見ると、どうやら冒険者っていうのはそういう行いをしているイメージらしい。
だが実際のところは、お宝を求めて依頼をこなしたり、ちょっとしたいざこざを解決させたり、未開拓のダンジョンを潜って情報を集めてきたりと、平和とは関係ない仕事も多い。
きっと彼女は、育ちの良いお嬢様なのだろうと思った。
「ねえ、あなたが普段している冒険のこと、私に教えてくださらない?」
「え、ああ……いいけど」
ふと気がつけば彼女は隣に腰を下ろし、肩が触れるか触れないかという距離になっている。僕は今までの冒険の日々について語ることにした。
陰ながらパーティをサポートしていたとはいえ、僕自身でも魔物を倒したことはよくあった。依頼の経緯や成功、失敗談も含めたかけがえのない日々。事細かに説明しながら、あの毎日が自分にとっていかに大事だったのかと気がつく。
ひとしきり話し終えると、彼女は目を爛々と輝かせ興奮していた。
「素晴らしいわ。きっとあなたのような人が、後の伝説として語り継がれるのでしょうね」
「いや、僕なんてそれほどでもないよ」
「うふふ。謙虚な人ね。もしあなたのような人が側にいてくれたら、きっと困らなくて済むのに……」
金髪の美女は急に声を落とし、鏡のように顔が映るテーブルに目を落としていた。
「何か悩みでもあるのか? 僕で良かったら相談に乗るが」
「え……。ええ、と」
彼女は伝えることを迷っているようだ。先程までの明るいお嬢様オーラは静まり、まるで怯える子犬を見ているようだ。放っておけなくなった。
「話してくれないか。それと良かったら名前を教えてほしい。僕は魔術師ノア」
「ノア、素敵なお名前ね。私はアンジェリカと申します」
名前を告げてすぐ、彼女は肩を寄せてきた。そして耳元で小さく呟く。
「良かったら場所を変えませんか? ここでは話し難いことなの」
少し驚いてしまったが、特に断る理由はない。僕らはすぐに店を出て、夜の闇へと向かっていく。この前追放された夜とは違い、何か良い予感が胸に到来していた。
整備された石作りの道を歩きながら、アンジェリカの話に耳を傾ける。
彼女はどうやら一般的な家庭ではないらしく、町から少しだけ離れた屋敷に住んでいるとのこと。しかし両親は既に他界し、妹と二人で暮らしているらしい。貴族なのかと思ったが違うようで、恐らくは商人の家系だったようだ。
「普段は私、こんなドレスを着てはいませんわ。役所で働いているのだけれど、生活が潤沢とはいかなくって。それで……あなたにお願いしたいことなのですが」
「何だ。何でも言ってくれ」
困っている女性を放っておくわけにはいかない。とうとう本題に入ろうかというところで、目前に貴族邸かと思うほど豪華な建物が見えた。
「あそこが私と妹の屋敷です。私が相談したかったのは、妹のレナのことです。あの子はとても体が弱くて、今もベッドから動けない日々が続いています。その病気はプリーストや神父様でも治せないとおっしゃられて……余命も僅かだと申告されてしまったのです!」
途端に彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。そうか、最愛の妹までもが命を落としかけていることが、今の彼女をここまで追い詰めてるようだ。
「僕に任せてくれ。プリーストが治せない病気でも、魔術師が治せる場合だってある。とにかく行こう」
「う……うぅう! ありがとうございます」
アンジェリカが思いきり抱きついてきて、少しだけ僕は後ろによろけてしまう。身長的にはほとんど差がなく、ふくよかなところが僕の胸付近に甘美な圧力を加えていた。香水の甘い香りが鼻をくすぐる。
辿り着いた屋敷は、所々黒ずんでヒビまで入っているほど古い建物だ。いくつも窓が見えるが、灯りがついた部屋はない。アンジェリカの案内により玄関に入り、階段を登って三階へ向かう。
それにしても、この屋敷には陰鬱な雰囲気がある。アンジェリカが屋敷全体に灯りをつけても、奇妙なほど暗さが残っている。
「……ここですわ」
僕は小さく深呼吸をする。アンジェリカを威勢よく励ましたものの、病に苦しむ人を助けた経験などなかったから緊張していた。赤茶けた扉の向こうで咳き込む音がする。
彼女の白い手が扉を開くと、一人の少女がベッドの上で苦しそうに呻いていた。
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