第7話:帆波の提案
高二の秋。海が急に、学校に来なくなった。恋人にフラれたらしい。理由は教えてくれなかったし、引きこもって会ってもくれなかった。それでも私達三人は、彼女の家に何度も通った。しかしある日、彼女の母親から「もう来ないで」と言われてしまった。
帰ろうとすると、彼女のお兄さんが私達を引き留めた。そして教えてくれた。海はもうこの家には居ないと。
「じゃあ、何処にいるんですか?」
「……言えない。彼女は今、誰にも会いたくないって言ってるから。ごめんね。……心配してくれてありがとう。けど……どうか、今はそっとしておいてあげてほしい。心配してるって、俺から伝えておくから」
「……お願いします」
「……」
不服そうな美夜を連れて、私達は海のお兄さんにお礼を言ってその場を後にした。
「月子と帆波は、海が心配じゃないの?」
「心配だよ。けど……無事だったことは知れたから、とりあえずはホッとしてる。お兄さんの言う通り、そっとしておこう。ね。帆波」
「……そうね。私も海のことは心配。けど、月子の言う通りだと思う。傷心中の今がチャンスなのは分かるけど、焦ると逆効果よ。美夜ちゃん」
「な……私はそんなつもりじゃ……」
「ふふ。ごめん。冗談。けど本当に、あんまりしつこいと嫌われちゃうよ。お兄さんもああ言ってたし、ちょっとそっとしておきましょう。ね?」
「……分かった」
美夜を説得して別れたあと、帆波は私を家に呼び出した。
部屋に入ると、彼女は私に甘えるように抱きついてきた。
「昨日ね、お姉ちゃんの結婚式だったんだ」
「えっ。そ、そうなの? おめでとう」
「……なんで」
「えっ?」
「なんで、そんなに素直に祝えるの? 私は無理だった。おめでとうって、口では言えても、心から言えなかった」
彼女は泣きながら、姉の結婚式で感じたことを全て吐露してくれた。心から祝福出来なかったこと、姉や親戚から『次は帆波の版だね』と言われてしんどかったこと、幸せ姉に対する妬みがどんどん膨らんでいき、もう耐えられないと泣きながら語る彼女を、私はただ抱きしめてやることしか出来なかった。
「月子、私のこと好き?」
「好きだよ」
「愛してる?」
「うん。愛してるよ」
「私がこの世界から出るって言ったら、着いてきてくれる?」
「ついて行くよ。君が私を求めるならどこまでも」
「行き先があの世でも?」
「え……」
時が止まった。彼女が私を見る。真剣な顔をしていた。冗談でしょと言わせない空気だった。
「ねぇ月子。良い夫婦の日をさ、ふうふになれない私達の命日に塗り替えてやろうよ」
死のうと思っているとは思えないほど無邪気に笑って、帆波は私にそう言った。言葉を失う私に、彼女は続けた。「冗談じゃないよ」と。大好きな彼女の笑顔が、初めて恐ろしく思えた。
「一緒に死んでって……こと……だよね……」
「うん」
「そんなの……だ、駄目だよ……!」
「……人はどうせいつかは死ぬよ」
「そう……だけど……」
「どうせいつか死ぬんだから、私は最期まで、月子と一緒が良い。この世で結ばれることが許されないなら、二人で一緒に二人だけの世界に行きたい。ついてきてよ。月子。お願い。君がついてきてくれないなら私は——」
その先は聞きたくなくて、彼女の唇を奪う。
「嫌だ……置いていかないで……」
「……じゃあ、一緒に逝こう?」
「っ……」
首を振る。すると彼女は、私を床に押し倒した。
「……ねぇ、えっちしよ」
「えっ、な、なんで!? 今そんな流れだった!?」
「ううん。けど……したいの。月子を愛したい。抱きたい。私以外見えなくしてやりたい」
彼女の手が頬を撫でる。いつものように、優しく。そのまま、流れで唇を重ねて、舌を絡めた。
「っ……んっ……」
服を脱がされ、彼女の手が、唇が、舌が私の身体を滑る。身体が震える。気持ち良い。だけど、抵抗しなきゃと思った。一緒に生きようと彼女を説得しなきゃと。だけど——
「月子……」
泣きながら私を求める彼女を突き放すことなんて、私には出来なかった。
「大好きよ。月子。大好き」
王子様と呼ばれた私だけど、セックスをする時はいつも受け身だった。自分からしようとするとどうして良いかわからなくなって、パニックになって、上手くできない。本当の私はカッコよくなんてない。王子様なんかじゃない。そんな私を、彼女は可愛いという。私の嫌いな私を、彼女は愛してくれる。女の私を、彼女は愛してくれる。男性の代わりじゃない。それがたまらなく嬉しい。
可愛い。可愛い。彼女の愛おしそうな声が脳を溶かしていく。彼女の計画を止めなきゃ。そんな想いさえも、ドロドロに溶けてなくなっていく。
私を愛してくれる人と、私を愛してくれない世界。どっちを取るの? と、もう一人の自分が囁く。一瞬の迷いは、彼女の深く、重く、狂気にも似たマグマよりも熱い愛が跡形もなく溶かしてしまった。
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