第33話
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033_賢者ダグルドール
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状況報告会の翌日、ロドニーは賢者ダグルドールの屋敷へと向かった。エミリアはすぐにでもラビリンスへ向かいたいと駄々をこねたが、賢者のほうを優先しなければならないと分かってくれた。
賢者ダグルドールの屋敷は、それほど大きくはなかった。ただし、それは他の貴族の屋敷に較べたらという条件がつく。
ダグルドールは子爵家の四男だったため、家は継いでいない。彼は自分の才能と努力、そして運によって伯爵にまでなった人物である。
屋敷の門は開け放たれていたが、警備をする兵士はいなかった。
玄関ドアのノッカーを2度叩くと、老女が出て来た。
「私はロドニー=エリアス=フォルバスと申します。賢者ダグルドール様にお目通りいたしたく、お取次ぎ願えませんでしょうか」
「はいはい。聞いてますよ。こちらにどうぞ」
執事が出てくると思ったら、柔和な表情の老女が出て来た。包容力のある品の良いその老女は、ロドニーだけではなくユーリンと3人の領兵も屋敷へ上げてくれた。
この老女が賢者ダグルドールの妻だと、ロドニーにはすぐに分かった。
「皆さんはこちらでお待ちになってくださいね」
普通は従士はともかく領兵や使用人は屋敷の庭で待つものだが、3人の領兵たちもユーリンと同じ控室に通された。
メイドにお茶を出すように申しつけ、老女はロドニーを案内した。
ある部屋の前で止まった老女は、扉をノックした。部屋の中から「入れ」と短く返事があったので老女は扉を開けてロドニーを促した。
「失礼いたします」
その部屋はまるで書物のための部屋だった。壁のほぼ全面に棚があって、びっしりと書物が収められている。さらに、床やテーブル、デスクの上も書物で溢れかえっていた。
「こんなに散らかっていて、ごめんなさいね」
老女が面目ないと謝るが、部屋の主は何も気にしていない。
「お客様なのだから、本を読むのをお止めになってくださいな」
老女は賢者ダグルドールが読んでいた書物を取り上げた。おもちゃを取り上げられたような目で老女に視線を向けた賢者ダグルドールは、なんとも情けない表情だ。
このやりとりだけしか見ていないが、賢者ダグルドールは妻に頭が上がらないのが分かった。
テーブルの上の書物を老女が片づけ、賢者ダグルドールとロドニーが向かい合って座った。
「これは妻のメリッサだ」
「メリッサよ、よろしくお願いするわね」
「よろしくお願い申しあげます。奥様」
「そんな堅苦しい話し方は不要よ。祖母にでも話すように接してね」
「ありがとうございます」
挨拶をすると、メリッサは下がった。
「さて、これからはわしのことを師匠と呼べ。良いな」
「私のような者を本当に弟子にしていただけるのですか?」
「わしがそう言ったのだ。ロドニーはわしの弟子だ」
そう言うと、賢者ダグルドールは目を細めた。
「ロドニーはあの本を開いたのだな?」
「はい。あれはいったいなんなのでしょうか? それに、お師匠様はなぜあの本のことを知っておられるのですか?」
「質問を質問で返すでない」
「あ、すみません……。私はあの本を開きました」
あの本のことを正直に語る。隠しても賢者ダグルドールは知っているのだろうと思ったからだ。それに、賢者ダグルドールを敵にはしたくない。
「あの本を開いてから、なんとも不思議なことばかり起こります。あの本のことを私にご教示いただけないでしょうか」
鷹揚に頷いた賢者ダグルドールは、テーブルの上に肘をついて両手で口元を隠す。
ロドニーはどんな秘密があるのかと、息を飲んで回答を待つ。
「あれはな……」
「あれは……?」
かなりの溜があった。まるで戦場のような緊張感を感じ、背筋が寒くなる。
「さっぱり分からん」
「え?」
ロドニーは呆けて固まった。
「あれが何か、わしにも分からん。わしが知る限り、あれを使ったのはロドニーで3人目だ」
呆けているロドニーに構わず、賢者ダグルドールは話を進めた。
「お主も分かっていると思うが、あれは凄いものだ。特に根源力を得たいと思う者にとっては、喉から手が出るほどのものだ」
気を取り直したロドニーは、質問をしてもいいかと聞いた。賢者ダグルドールはなんでも聞けと言う。
「私で3人目だとお師匠様は仰いました。1人目がお師匠様だとして、2人目はどなたなのでしょうか?」
1人目が賢者ダグルドールだということは、簡単に想像がついた。だが、2人目はまったく分からない。賢者ダグルドールのような活躍をした者は、他に居ないのだ。
「ハハハ。分からぬか?」
「はい。まったく分かりません」
「分からぬことを分からぬままにしないことは、探究者として大事な素質だ」
(俺はいつから探究者になったのだろうか?)
「それはすぐに分かる。どんなことにでも、目と耳と勘を向けることだ」
勿体ぶっているわけではないようだが、気になった。ただ、賢者ダグルドールの口ぶりで、なんとなくだが2人目の予想がついた。
「わしも若い頃にあれを使った。意識して使ったわけではなく、開いたら気を失い、そして別の世界のことを思い出していた。根源力も生命光石1個で会得できる。お主も経口摂取でな?」
「はい。経口摂取です」
賢者ダグルドールもロドニーと同じ経験をしていた。ロドニーは戦友に出会ったような、妙な高揚感を感じた。
その賢者ダグルドールに、あの本をどこから手に入れたのかと聞いた。
「あれは、その素質がある者のところに自然と現れる。ラビリンスやセルバヌイから得られるものではないし、欲しいと思って探しても見つかるものではない。わしはそう考えている」
その言葉はスーッと、ロドニーの腑に落ちた。
(そうだ、あれは誰かのものではなく、資格を持った者の前に自然と現れるものなんだ。今まで、そのことを知っていたのに、そう思わなかった。ただ、その資格がなんなのか、それが分からない。そして、誰があれを俺たちにくれたのか……?)
「あの本について分かっていることは、本当に少ないのだ。通常、生命光石を100個以上使って、やっと根源力を得る。それが1個だ、1個で根源力を得られる。圧倒的な優越だ」
そのおかげでロドニーは24種類もの根源力を得られた。
「あれはこの世界と別の世界を繋ぐ架け橋となるものだ。ロドニーが望めばわし以上の栄達を望むことができる。それほどの知識をお主に与えてくれるものだ」
「お師匠様もあの世界の記憶があるのですか?」
「ある。だが、お主とわしの記憶にある世界が、同じとは限らぬぞ」
「っ!?」
「世界は1つではない。2つでも3つでもない。無限に世界は存在すると、わしは考えている」
それは真理だと感じた。高揚感が全身を駆け巡り、背筋を震わせる。
「わしらが住むこの世界とほんのわずかに違う世界、その世界とほんのわずかに違う世界、そのように少しずつ違う世界が、
前世の記憶から、
「ロドニーよ、お主の世界はどんなところであったのだ?」
ロドニーは自分の記憶にある違う世界の話をした。根源力のような特殊な力はなく、ラビリンスもセルバヌイもない機械文明が発達した世界だ。
天を突くほど高いビルが建ち並び、馬もないのに走る自動車や電車、空を飛ぶ飛行機などが普通に存在している世界。
「お主の世界は、わしのものとはかなり違うようだ。わしのは―――」
賢者ダグルドールの世界に根源力はなかったが、魔法という特別な力が世界を支配をしていた。セルバヌイではないが、魔物と言われる存在が人間の脅威となっていた。
魔法を使うには、魔力が必要だった。その魔力の多い少ないで、魔法使いの格が決められる世界だったようだ。
「とても興味深い話です」
「わしは機械というものに、興味を惹かれたぞ。魔法がないのに高層ビルを建てるなど、尋常ではない」
賢者ダグルドールの話はとても面白かった。自分が持つ記憶とは違う世界まであって、多様な世界があるのだと理解できた。
「それに、お主はわしよりもはるかに早く、食らうことを知った。偶然のたまものであるかもしれないが、それには意味があると思わぬか?」
「意味……ですか? お師匠様はあれに意味があると?」
「そうだ。わしが食らうことを知ったのは、あの力を得て10年近く経ってからだ」
「10年も……その間、お師匠様は根源力を得ることができなかったのですか?」
「そうだ。おかげで体は鍛えたぞ。鍛えて鍛えて鍛えぬいた。幸い、わしには剣の才能があったから、活躍はできずとも生き残ることはできた」
(今では賢者と言われるお師匠様でも、そんな下積みの時代があったんだ。それに比べれて俺は幸せだったかもしれないな。すぐに経口摂取に気づけたのだから)
ロドニーは根源力のことについて質問を繰り返した。
その中で自分とは明らかに違う話があった。
「待ってください。お師匠様は生命光石を摂取しても、その生命光石本来の根源力しか入手できないのですか?」
「何を言っておるのだ? 生命光石から得られる根源力は、普通の者たちと変わらぬぞ。……まさか、ロドニーは違うのか!?」
賢者ダグルドールは椅子を倒す勢いで立ち上がり、身を乗り出した。そこにメリッサがお茶を持って入ってきた。
「まあまあ、何事ですか、あなた。ロドニーさんが驚いているではありませんか」
「メリッサ、それどころではないぞ! ロドニーは生命光石を食らって得られる根源力がわしらとは違うのだ!」
「あら、まあ。そうなのですね」
メリッサはまるで動揺せずに、お茶を淹れて2人の前に置いた。
「ありがとうございます。奥様」
「もう、堅苦しい喋り方はなしですよ。ロドニーさん」
「は、はぁ……。その、なんとも勝手が分かりませんので、すみません」
興奮している賢者ダグルドールを落ちつかせたメリッサは、その横の椅子に腰を下ろした。どうやら、ここからはメリッサも話に加わるようだ。
「間違っていたらすみません。奥様も私と同じように本を開いたのでしょうか?」
「うふふふ。そうですよ。まさか私たちの他に、あの本に関わる方が出てくるとは思ってもいませんでした」
メリッサが2人目なのは、予想できた。もし、他の誰かであれば、賢者ダグルドールはその人物を弟子にしていたことだろう。もし弟子にできなかった場合でも、その人物はそれなりの功績を残している可能性が高い。それなのに、まったくそういった人物は居なかった。
もちろん、この世界の全てを知っているわけではないので、ロドニーが知らないだけということも考えた。だが、メリッサが2人目だと考えれば、2人目の功績が目立たなかったのも納得できた。
メリッサは賢者ダグルドールと共に行動していたのだから、その働きも賢者ダグルドールのものとみなされたのだろう。
それはロドニーに従ってラビリンスに入っているユーリンやエミリアも同じだ。2人が何か発見したり討伐しても、それはロドニーの功績にカウントされるのだから。
メリッサの世界は魔法も根源力もない、ロドニーからするとまるで産業革命が起こる前のヨーロッパのような世界観だった。科学がほとんど発達していない世界だ。
しかし、メリッサは賢者ダグルドールよりも先に経口摂取を発見した。メリッサの場合は、空腹だったことで口にできるものなら何でも良かったらしい。生命光石が食べ物に見えるほど、彼女は空腹だった。それほど酷い生活をしていたということだ。
「さて、ロドニーよ」
「はい」
「わしは魔法が使える」
「え!?」
「何も不思議なことではないだろ。前世では魔法を使っていたのだ。この世界でも魔法が使えないと思うほうがおかしい」
「しかし、先ほどのお師匠様の話では、魔法には魔力というものが必要だったはずです。この世界にも魔力があるのですか?」
「魔力に類する力はある。ロドニーの世界にも類似の力があったかもしれぬな」
「そんな力が……」
「わしが魔法を使えるように、ロドニーは機械を再現してみるのも面白いかの」
「機械を作るには、多くの知識が必要です。私の持つ知識で再現できないもののほうが多いでしょう」
ガリ版印刷などの印刷技術や蒸気機関程度であれば、作れるだろう。蒸気機関は中学生の時に玩具を作った記憶がある。だが、ダイオードや集積チップのようなものを作るのは難しい。それに代わる何かがあればいいだろうが、この世界にはそんなものはないだろう。
「やってもいないのに、諦めるのか? わしは諦めずに魔法を再現したぞ。何も1人でやれとは言っていない。お主はアイディアを出すだけでもいいんだぞ。作るのは職人に任せればいい」
たしかに機械は便利だが、魔法も便利なものだ。だが、賢者ダグルドールがこれほど機械文明の発展に拘るのか、ロドニーには理解ができなかった。
「わしがしつこいのが、気になるか?」
「いえ……そのようなことは」
「ははは。隠さんでもいい。わしは乗ってみたいんだよ、その自動車というやつに。面白そうじゃないか、馬もなく、魔法も使わないのに動く自動車。メリッサも乗ってみたくないか?」
「はい、乗ってみたいです。ロドニーさん、もし自動車を作った時は乗せてくださいね」
この世界の馬車など比べ物にならないほど、自動車は乗り心地がいい。それは記憶にある。だが、この世界で自動車を再現などできるのか。
(やらないうちに諦めるな……か。そうだな、何をするにしても、最初から諦めていたら何も成せない)
「弟子よ。心は決まったか?」
「やってみますが、お師匠様が生きているうちに実現するとは限りませんよ」
「ははは。言うではないか。だが、安心しろ。わしは長生きだ。それに、仮に死んでも化けて出てやる」
「それは勘弁してください」
3人は笑い合った。そして自動車を再現するために必要なことを話し合った。
ロドニーは10日ほど賢者ダグルドールの屋敷に通った。エミリアがかなり不満そうだったが、ロドメルなどは積極的に勧めた。もちろん、相手が賢者ダグルドールでなければ、ロドメルも勧めはしなかっただろう。
賢者ダグルドールは豊富な根源力の知識がある。自分がやりたいこと、やらなければいけないことを整理し、必要な根源力のアドバイスをしてくれた。
さすがは根源力の第一人者なだけあって、賢者ダグルドールの知識は素晴らしいものだった。
エミリアと行く約束をしたラビリンスも、別のラビリンスを勧められた。そのラビリンスでは『水呼吸』ではなく、『水中適応』という珍しい根源力が得られるらしい。
『水中適応』はロドニーが持っている『水中生活』とほぼ同じ効果の根源力であり、『水呼吸』よりもはるかに役に立つ。
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