第5話 現在

 会場にはすでに多くの同窓生が集まっていた。白布で覆われた丸いテーブルが間隔を空けて並んでおり、それぞれのテーブルを取り囲んで皆おしゃべりをしていた。

 どこのテーブルへ行こうかと迷っていると、一人の女性がグラスを片手にテーブルを離れ、「さくちゃん! 久しぶり!」と声を掛けてきた。

 色黒の肌に、チャームポイントだった唇のホクロ。さっきまで彼女のことを思い出していたというのもあるだろうけれど、五十年経っても彼女の名前は自然と口をついて出た。。

「佐藤さん、久しぶり」

 遠足で一緒に山菜取りをした佐藤さん。人懐っこい笑みを浮かべるところは相変わらずだ。

「ほんと久しぶりだよね。ひょっとして五十年ぶり? 元気にしてた?」

 佐藤さんは目を細めて、他の同窓生に目をやった。

「何だか小学校の頃のメンバーと一緒にいると、あの頃に戻ったみたいで不思議な感じになるよね。五十年なんて月日、あの頃は全く想像できなかったけど、こうしてみんなと会うと、ああ、そんなに経ったんだなって実感しちゃう。お互いもうおばちゃん、いや、おばあちゃんかな」と佐藤さんはしわのある頬をツンツンとつついた。

 会場のはしに設けられたパイプ椅子に腰掛ける。所々がびており、年季を感じさせた。

「この五十年、何してた?」

 私はこの五十年間を思い出す。私立の中高一貫を卒業後、母の反対を押し切って上京し、手に職をつけようとがむしゃらに働いて、職場で出会った男と結婚して、離婚して、その一年後には仕事もクビになって、そうしてズタボロになってどうしようもなくなって地元に帰ってきた私を、母は文句の一つも言わずに迎えてくれた。五十歳を過ぎた頃に母が亡くなり、その日から今日まであの家に一人で暮らし続けている。

 何をしていたのかと訊かれて答えられるような過去を、私は持ち合わせていなかった。

「私はね、臨床心理士として働いていたよ」

 赤ワインの入ったグラスを見つめ、一口飲んで、佐藤さんは話を続けた。

「六年生のときの遠足のことは覚えてる?」

 私はゆっくりと頷いた。

「そうだよね。忘れられるはずなんてない」

 佐藤さんは再びグラスに口をつける。照明に反射して白く光った液面が、彼女の唇に吸い込まれていった。

「そうだ、飲み物まだだったよね。取ってくる?」

 私は席を立って、近くのテーブルに置いてあったコップを手に取り、オレンジジュースを注いだ。

「お酒、弱いの?」

 戻った私の手元を見て、佐藤さんは言った。

 私は「まあね」と言って肩をすくめた。もともと今夜お酒を飲むつもりはなかったとは言わなかった。

「遠足の日、あの子が亡くなって、その現場をさくちゃんが目撃しちゃって、それで、元気のなくなったさくちゃんに私、何も言えなくて……」

 私は首を横に振った。

「気にすることはないよ。私も佐藤さんの立場だったら、そうなっていたと思う」

 佐藤さんは激しく首を横に振る。

「それでも、何かできたんじゃないかって。私、あのとき何もできなかった自分が恥ずかしくて、それで誰かの心の支えになれる存在になりたいって思ったの。胸を張って臨床心理士の仕事をやり遂げたなんて言うつもりはないけど、それでも少なからず救えた心が、命があったんじゃないかって思う。そう思わないとやってられなかったっていうのもあるけどね」

 佐藤さんはお茶目にウインクして、ぐいとワインをった。

「だけど、一番ショックだったのは古條さんだよね。ペアだったわけだし。途中ではぐれて、あんなことになっちゃうなんて」

 佐藤さんは知らないのだ。本当はあの場に古條さんもいたことを。

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