第4話
翌日、俺は眠い眼をこすりながら起きて支度をし、バイクに乗って職場に向かった。スタッフ専用の駐輪置き場にバイクを止め、マモについていきロッカールームへ行く。
「おはよう、清水」
「おはようございます」
顔を直接見て、誰かすぐに思い出せた。チーフだった。他にも数人いたが、恐らく別の部門の人だろう。ピンとくる人がいない。俺は自分のロッカーを開け、水色シャツと黒ズボン、緑色のエプロンに着替える。
着替え終わったタイミングでパートの人が二人来た。挨拶を交わす。名前がすぐに思い出せなかったが、マモがそれぞれの名前を教えてくれた。
スタッフ証を持って専用の機械にカードを通し、出勤記録を残す。その後はバックヤードで朝礼が始まった。
店長やチーフからの連絡事項を聞き、身だしなみチェックを行なう。それが済むと、いらっしゃいませを初めとした挨拶を全員で唱和する。
開店すると、最初は目の前のやることに必死だったが、次第に思い出してきて段取りがわかってきた。客に青果以外の品物の場所を聞かれたときは焦ったが、マモがいたので何とか潜り抜けられた。自分の仕事に戻ると、マモが言った。
「今回だけですよ」
帰りに、どこに何があるか見ておかないとな……。
昼の休憩時間の後には、見覚えのある姿を見つけた。
「あれ? 純?」
思わず言葉を漏らすと、買い物かごを持った目の前の男は振り返った。やっぱり純だった。
「弘樹……?」
純は目を見開いて呟いた。俺の服装をじっと見る。
「どうして……ここで働いているのか?」
「あぁ、そうだよ! こんなところで会えるなんてな!」
俺は予想外の再会に胸が躍り、大きな声が出てしまった。慌てて口を押えると、純が顔をほころばせた。
「そうだね。最後に会ったのは高校を卒業したすぐ後だったし、久しぶりだ」
「買い物しているってことは、今この辺に住んでいるのか?」
純は頷いた。
「最近、引っ越してきたばかりだよ」
「そうか。今、仕事中だから、今度ゆっくり話そう! 連絡するよ」
「あ、うん……。そうだね」
じゃあ、またと言って、純と別れた。最後に会ったのが高校卒業以来というのは意外だったが、こうして再会できたのは縁だな。
「また会えましたね」
純の後ろ姿を見ながらマモが言った。
「うん。驚いたな」
「連絡、取るんですか?」
「そりゃ取るよ、もちろん。せっかく会えたんだし、あいつには高校時代に世話になったもんな。今、どうしているのかも聞きたいし」
「そうですか。また楽しくお話できるといいですね」
「清水」
名前を呼ばれて振り向くと、いつの間にかチーフがいた。
「何してんだ、こっち手伝え」
「あ、はい」
ひとまず俺は仕事に戻り、怒涛の一日を過ごした。
仕事を終えると、アパートに帰ってバイクを止める。部屋に戻って、俺はベッドに倒れ込んだ。
「疲れた……」
「ご苦労様です」
俺は横になったまま、早速純にラインを送った。起きて飯の支度をし、食べようとしたところで返事が来た。
「よし!」
「嬉しそうですね」
マモはあくびをしながらソファに寝そべる。
「おい、寝るなよ」
「寝ませんよ。……田所純からですか?」
「あぁ。明後日に会えるみたいだ」
「良かったですね」
俺は寝るまで純とラインのやり取りを続けた。気付けば、マモはソファで寝てしまっていた。
二日後の夜、俺は職場から最寄りの駅近くの居酒屋にいた。先に飲み物と食べ物を二品注文して待っていると、純がやってきた。
「ごめん、待たせた」
「大丈夫。俺もさっき来たばかり」
純もメニューを開いていくつか選び、店員に注文する。
「この間見た通り、俺はスーパーで働いてるんだけど、純は大学に行ってるんだろ?」
「いや……俺は中退したんだ」
「えっ! そうなのか!?」
純は第一志望の大学を受験して受かり、そこへ行くことになったはずだ。そこを中退したなんて衝撃だった。
「うん。金銭的にちょっと厳しくなってさ。今はカフェで接客しているよ」
「そうか……。どこのカフェ?」
「それが……」
俺は驚いた。純の職場は有名なチェーン店だった。何より……
「俺、そこの桃のケーキが好きなんだよ!」
俺がよく行っているカフェだった。店舗は違ったが。
「そうなんだ。おいしいよね」
話している途中で、店員がビールを持ってきた。
「じゃあ久々の再会にかんぱ~い!」
「乾杯!」
カチャンという音を立てて互いのジョッキを当てると、グビグビと飲む。
「……うまい!」
「これを飲むと仕事終わったって感じするね」
それから頼んだ料理が運ばれてきた。寿司にだし巻き玉子、唐揚げ、餃子などがテーブルに並ぶ。
「職場は家から近いのか?」
「うん。通勤には不自由してないよ」
「俺もバイクだからあんまり困らないな」
俺がそう言うと、ジョッキを掴もうとした純の手が止まった。
「バイク?」
「そう。満員電車より楽。今日は純と飲むってわかってたから、電車で来たけどな」
「……事故らないように気をつけろよ」
「もちろん、わかってるよ。仕事の方はどんな感じ? 職場の人とは飲みに行ったりしているのか?」
「……いや、まだそんなに。お酒を飲めない人もいるし。弘樹は行っているの?」
「俺は……時々かな」
適当なことを言った。その辺りの記憶は思い出せていない。
「昨日も行く約束したし」
これは本当だ。ちょうど昨日、チーフやパートの人と行く約束をしたところだ。
「ふうん。仲良いんだね」
「うーん、良いっていうか……付き合いだし。別に悪いってわけじゃないけどな」
「人付き合い苦手だったのに……弘樹、変わったね」
「そう?」
個人的には、そんな実感はなかった。
「うん。人見知り、よくしていたでしょう」
「あぁ、そうだな。今でもまだ得意ではないけど、でも社会に出たらさすがにね」
言いながら、唐揚げに箸を伸ばす。もぐもぐと食べた後で、純に尋ねた。
「純は誘わないのか?」
「え? いや俺は……まだ日が浅いから」
「あ、そうなの? 異動?」
純はかぶりを振った。
「仕事、決まったばかりなんだ」
「お、そうか! 決まって良かったな! でもそれなら、一度職場の人と飲みに行ってコミュニケーション図るのもいいよな。まぁ、日が浅いと言い出しづらいけど、そのうち上司と行けるといいな」
純は頷き、最後に残っただし巻き玉子を口に頬張る。
「純ってそういうの好きだろ?」
「……昔はね」
「今は違うの?」
「何ていうか……学生の時とは違って、色んな年代の人がいるしさ。難しいよ」
俺はじっと純を見た。高校時代とは違い、今の純は少し暗い印象だった。
「そうか。大変なんだな。何かあったら話聞くよ。そうだ! 今度、俺ん家で飲もう」
「弘樹の?」
「うん。家飲みの方が話しやすいだろ」
「……そうだね」
それから俺達はビールが進み、料理を追加注文して食べた。その間は主に昔の懐かしい話をしていた。
マモがテーブルの上の寿司を物欲しそうに見ていたが、俺はその前でマグロを取って食べる。何かを訴えてくるかのようにこっちを見てきたが、構わず食べ続けた。
十一時をまわった頃に、俺達は店を出た。
「結構食ったな」
「そうだね。ここのだし巻き、おいしかったな」
「休みの日、またわかったら連絡してよ」
「うん。わかった。その時は弘樹の家だね」
俺達は駅で別れた。まだ人通りのあるなか、夜道を歩いていく純の後ろ姿を見送り、俺は電車に乗るため改札を通った。
その日、俺は自然と目が覚めた。窓から太陽の光が差し込んでいるのが見えた。
「おはようございます」
いつものように、マモが俺を覗き込んできた。俺はあくびをする。
「おはよう……」
身体を起こして時計を見た。
「……!? やばい、遅刻じゃん!」
時計の針は十時二十分を指していた。
「急がないと! いや、その前に電話して……」
「ちょっとお待ち下さい」
ストップとでもばかりに、マモが俺の前に手をかざしてきた。
「何だよ」
「落ち着いて下さい。今日、何日ですか?」
「は? 何日って……」
マモはカレンダーを指す。それにつられて俺も目を向ける。
「あれ?」
カレンダーは昨日の日付から一ヵ月後になっていた。
「今日はあなたが田所純と久しぶりに食事に行った日から、ひと月後です」
「えっ、何で? どういうこと?」
「この一ヵ月間は、あなたが過去を振り返る際に必要なことが特に起こらないので省略です」
「そんなことあんの?」
「あります。ただ無駄に一日を過ごして時間を潰すようなことはしません。今、この時間を生きているのではなく、過去を振り返っているのですから。必要な日だけを巡ります」
「今日が必要なのか? 何かあるんだな?」
マモは頷く。俺はひとまずシフト表を確認する。
「今日は休みか。……とりあえず良かった」
チーフに怒られずに済んだな。
「今日って、何かあったか?」
スマホで今月の予定を確認する。
「ん? 今日、純と会うのか」
「そのようですね」
ラインを見ると、今日は純が仕事を終えた後に俺の家に来る話になっていた。
「一ヵ月経ったから、また会おうってことか。まぁ、家飲みしようって言ったしな」
俺はスマホから顔を上げ、マモに訊いた。
「純と会う日が必要な日?」
「私からはこれ以上、言えません」
どうやら、俺が過去を振り返るうえでのキーパーソンは純のようだ。高校時代だって、純も関係していたし。
もしかしたら、今度は俺が純を助ける番か?
「まずは、純に会ってみないとな」
俺は職場から近い駅の入り口で、純を待った。明日は純が休みらしく、ここに来る前に缶ビールを買っておいてキンキンに冷やしている。純のことは気にかかるが、同時に家飲みを楽しみにしていた。
「弘樹」
声が聞こえて振り返ると、純だった。一ヵ月会わない間に、少し痩せたようだった。
「ごめん、待った?」
「いや、ちょうど来たところだよ。じゃあ、俺ん家まで乗せてく」
近くの駐輪場に移動し、着の右ポケットからバイクの鍵を取り出してエンジンを掛ける。
「へぇ、これが弘樹のバイクか」
「そう。二人乗りできるやつを選んだんだ。後ろ、乗って」
ヘルメットをわたして純が乗ったのを確認すると、俺は家までバイクを走らせた。
アパートに着くと先に純を降ろし、バイクを駐輪スペースに止めて、バイクの鍵を右ポケットにしまう。
「ここが弘樹の家か。最寄りの駅から遠いの?」
「うん、少し。今日は、駅まで送っていく」
「ありがとう」
階段を上がって、二〇四号室へ向かう。
「俺はここ。狭いけどな」
そう言って、鍵を開けて純を中へ招き入れた。荷物を下ろし、上着をハンガーに掛ける。純をソファに座らせて冷蔵庫から缶ビールを二つと枝豆を取り出す。俺のだけはノンアルコールだ。
「仕事お疲れ! かんぱーい!」
「乾杯!」
俺は冷えたビールを飲む。……やっぱり、うまい! これだけでも過去を振り返っている甲斐があるな。
「今日は朝からか?」
純はため息をついて頷いた。
「そう……。疲れたよ」
「明日は休みだろ?」
「うん。連勤が続いていたんだ。人が足りなくて」
「やっぱ、どこもそういうもんかな。俺のところは、ベーカリーの部門が人足りないって聞いたよ」
ビールを飲み干して、新しいものを持ってくる。純はまだ、ほとんど口をつけていなかった。終始うつむいているし、表情もやはり暗い。俺は空元気でニコニコ笑って見せる。純も笑い返してくれるかと思って。
「最近の仕事の方はどう? もう慣れたか?」
「うん、まぁ……ぼちぼちかな」
純は手にしている缶ビールをじっと見ながら呟いた。
「弘樹は?」
俺は、一ヵ月前の勤務状況を遡った。
「んー、しんどいな。たまに客からのクレームが来ることもあるし、チーフがいないときは俺が対応しなきゃなんないし」
「社員だもんね」
「それに新人が一人入ったんだけど、覚えるのが苦手みたいでさ。前に一度教えた事を何度も聞くんだよなぁ。覚える気ないんですかねって、学生のバイトの子も言ってて。そういう感じではないみたいなんだけど、ちょっと手こずってる。俺が教育係だからさ」
俺がそう言うと、純は視線をそらした。
「へぇ、そうなんだ……」
「純もそのうち新人を教えることになるだろ」
「え?」
「ほら、他の従業員が教えることもあるけど、まずは社員がいろいろ説明して指示出すだろ」
「あ、いや……俺、社員じゃないから」
「えっ、そうなのか?」
純は俺と視線を合わせずに頷いた。
「パートだよ」
「なんだ、そうか。それなら、クレーム対応もそんなにすることないからいいな」
「……そうかな」
「そうだよ」
俺はまたビールをグビッと飲み進めて枝豆をつまんでいると、トイレに行きたくなってきた。純に一言告げて済ませ、リビングに戻ろうとすると扉の向こうから純の声が聞こえてきた。
「うん、うん……。今日、早めに帰るから」
どうやら、誰かと電話しているようだった。俺はその話し相手が純の彼女かもと思い、耳を澄ませた。
「大丈夫? 疲れているんだよ。無理すると、父さんが倒れちゃうよ。明日は俺がいるから休んで」
電話の相手は純のお父さんだと気付き、俺は脱力した。扉を開けて、部屋に入る。
「じゃあ、また」
純は電話を切った。
「電話?」
「うん。父さんから」
純の顔は少し赤らんでいる。俺は枝豆に手を伸ばす。
「また大学行きたいって考えたりはしないのか? お金貯めてさ」
「……行きたかったよ。でも、母さんが体調を崩して仕事辞めたんだ。俺の家は共働きだったから、母さんの分の収入が減ったんだ」
純は大学を卒業できなかったという未練があるのか? 俺が背中を押して、そこを助けてやればいいのだろうか。
「……そうか。残念だったな。とりあえず、今のところで頑張って、学費を稼いだらいいんじゃないか?」
「いや、もういいんだ。むしろ、実家に仕送りしないと」
「大変だな」
純はビールを飲んで、俺を見た。
「そうだな、大変だよ。社会人になってもたいした仕送りも出来ないし、仕事だって……。そういえば、弘樹は行ったの? 先月、職場の人と飲み会に」
「あぁ、行ったよ」
ほとんど覚えてないけど。
「ふ~ん……。いいね、楽しそうで」
「まぁ、付き合いみたいなもんだけどな」
「俺のところにはないよ、そういうの」
あぁ、純はもともとそういう事が好きなんだよな。みんなで楽しくやるのが。
純は缶ビールをテーブルに置くと、ソファから立ち上がった。
「俺、帰るよ」
「え? もう?」
「うん。眠いし」
「それなら泊まって……」
俺が言い終わらないうちに、純は遮った。
「いいよ。明日、仕事だろう? 俺は今日、実家に帰らないといけないから」
「そうなの?」
「父さんが疲労で体調不良みたいだから」
俺は、仕方なくビールを飲み干して、純を駅まで送った。耳まで赤くなっている様子の純が心配になったが、頑なに遠慮する純に俺はそれしか出来なかった。
「また飲みに行こうな。どうせなら、もっと美味いところに行こう」
「そうだね」
純は駅の人ごみの中へ向かっていった。俺は今にも雨が降りだしそうな厚い曇り空の下、バイクを飛ばした。
-続-
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます