第2話
「母さん、塾に行ってくるよ」
「気を付けてね」
リュックを背負って玄関へ向かい、マモが俺のだというスニーカーを履いて家を出る。
「こちらですよ」
マモに言われてついて行くけど……。
「座敷童が家を出ていいのか?」
「私は問題ありません」
「正確には違うもんな。小人だろ?」
「分かっているじゃないですか」
なんとなくバカにされたような気がしてムッとすると、マモはぽつりと言った。
「こうして、見ていますから」
「え?」
「今まで見届けてきた魂にも、私はそばにいました。その都度、それぞれの魂が様々な選択をしています。その結果、天国に行った者、地獄に行った者、そして生まれ変わった者も……。今回も、同じようにするだけですよ」
「それなら俺は、何で保留になったんだ? 人生を振り返って、どうしろっていうんだ?」
「それはあなたが自分で考え、すべて終えた時にわかります」
肝心なことは答えをくれそうにないな。
「ただ、今後のあなたの選択によっては、天国行きも地獄行きも、転生もありえることです」
具体的にどうしたらいいのかよくわからないが、とにかく俺は、地獄行きだけは避けたい。
「転生の場合、その時期は魂によって異なりますけどね」
「どういうこと?」
「裁判で生まれ変わることが決まっても、残してきた遺族が心配で忘れられないといったような魂は、しばらく見守れるよう時間を置くのですよ」
「へぇ……」
だったら、俺の先祖の中にもそんな人がいるんだろうか。そんなことを考えながら、俺はマモの案内で塾に到着した。そこは、よくコマーシャルで見る個別指導塾だった。
中へ入るとマモの指示通りに、壁に掛かっている自分の名前のカードを探してそのバーコードを専用の機械で読み込む。それを手にしたまま受付へ行くと、そこにいたスーツの女性が俺のカードの名前を確かめる。
「清水弘樹くんですね。こちらです」
その女性の後ろについて行き、通された部屋の席に座ってリュックから教材を取り出す。
「……マモ」
「はい?」
「俺って、いくつで死んだんだっけ?」
周りに聞こえないように声を潜めて訊く。
「二十歳ですよ」
それを聞いた瞬間、俺は絶望した。
「二十歳でまた高校の数学をやり直すのか……!」
俺は教材を開いて内容を確かめる。
「全然憶えてない……。何でよりにもよって、高校なんだよ。小学生だったらまだ……」
「ここまで来て、今さら何を言っているのですか」
呆れた顔をして、マモはため息をついた。
「二十歳なんて、まだいいほうですよ。それこそあなたが七十歳で高校の数学をやるなら、絶望的ではありますが。今、あなたは当時高校生だった自分に戻っているのですから、勉強すればすぐにやり方を思い出せるでしょう。ここは塾なのですから、わからなければ聞けばいいのです」
簡単に言ってくれるが、俺は成績表で数学は二だった。勉強は嫌いだし、またそれをやらなければいけないなんて、苦痛でしかない。
「お待たせ、弘樹」
俺がうなだれていると、担当の武田先生が入ってきた。
「どうした? 具合でも悪いのか」
「いえ、大丈夫です。よろしくお願いします」
俺は脳をフル回転させながら、数学に取り組んだ。その間、マモは先生を挟んだ反対側の空いた席に座って勉強している俺の様子を見ていた。……と思ったら、どこから持ってきたのか本を読んでいたり、居眠りをしていた。人が必死こいて勉強しているっていうのに……!
終わった時には、俺は疲れ果てていた。
「じゃあな、弘樹。宿題忘れるなよ」
先生に見送られながら、塾を出る。
「ご苦労様でした。なんだかんだ言いながら、ずいぶん頑張っていたようですね」
「見ていたように言っているけど、途中、寝てただろ」
「弘樹!」
俺がマモに不満を漏らしていると、後ろから誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「純!?」
純は俺に駆け寄ってきた。俺はその姿に懐かしさを覚え、偶然会えたことに嬉しくなった。
「久しぶり。最近、授業の時間が被らないから、一緒に帰れなかったな」
「授業って?」
「塾のことだよ」
あぁ、そうか。純も同じ塾に通っていたんだっけ。
「今度、また遊ぼうよ」
「そうだな。もうすぐ夏休みだし」
「軽音部は夏休みの活動が少ないから、特に問題ないし」
「軽音部?」
「うん。……あれ、俺が軽音部なの知ってるよね?」
「えっ……うん、もちろん。ヴォーカルだっけ?」
突然、純は噴き出した。
「俺がヴォーカル? 違うよ、ギターだよ。俺がヴォーカルなんて想像できない」
そうか、ギターやっていたのか。
「夏期講習なら、きっとまた被るよ」
夏期講習と聞いて、俺は気分が一気に落ち込んだ。
「弘樹?」
「あ、いや、何でもない」
そのまま俺と純は話しながら家路についた。
「おはようございます。そろそろ起きて支度しないと遅れますよ」
時計の鳴る音と共に声がした。目を開けるとマモが俺を覗き込んでいる。身体を起こして時計を止める。
「今日は学校か」
眠い眼を擦って、気が重くなりつつ部屋を出る。階段を下りてリビングに入ると、食卓にはパンと卵焼きが用意されていた。
「じゃあ、言ってくるよ」
父さんが鞄を持って玄関へ向かう。そのすれ違いざまに俺の肩をポンと叩いた。
「学校、気をつけて行けよ」
「うん」
父さんは母さんに見送られて会社に出掛けていった。
「さあ、早く食べて行くよ」
「……うん」
俺は座って卵焼きを頬張る。支度を終えるまで、父さんの言葉が頭にちらついていた。
曇り空の下、家を出て電車に乗り、学校に到着するとそこでの生活を鮮明に思い出してきて、だんだん落ち着かなくなる。
「大丈夫です。前にも一度、この日を過ごしたことがあるのですから」
マモが囁いた。……そうだ、俺はこの日を一度、乗り切っている。今になって緊張してどうする。
自分に言い聞かせながら、汗ばんだ手の平を制服のズボンで拭く。校庭ではどこかのクラスが体育をやっているようだった。ちょうど休み時間と被らなかったことに安堵し、母さんと一緒に校舎に入る。中も見覚えがあった。
「職員室は左ですよ」
靴を脱いで上履きに履き替え、マモに言われるがまま左に曲がる。廊下を歩いていると、左手に職員室があった。扉を開けて、すぐ近くにいた教師に声を掛ける。
「失礼します。北川先生はいらっしゃいますか?」
「……あぁ、北川先生のクラスの人ね。こんにちは。こちらでお待ち下さい」
その教師は俺の後ろにいる母さんに向けて挨拶し、応接間を案内してくれた。俺と母さんはそこで座って担任の北川を待つ。
数分後に、北川は姿を現した。
「こんにちは。ここまでご足労ありがとうございます。担任の北川です」
「弘樹の母です。こちらこそ、お時間とっていただいてすみません」
「いえ、とんでもない。……清水、元気か?」
「……はい」
北川は三十代の男だ。他クラスの教師と比べても一番、若い。だからか、一部の生徒からは侮られている。実際、俺をいじめている奴らを注意しない教師だから、当然だ。
「そうか、良かった。まず、先に今学期の成績ですが……」
俺の悲惨な成績表がわたされた。見たくもないし、見せたくもないが、この状況でそんなわけにはいかない。俺が確認する前に、母さんが受け取っていた。
それから、夏休みの宿題が出された。定番の読書感想文や自由研究、数学の計算プリント、英語の問題集……あぁ、こんなにいらない。
その後は、夏休み明けをどうするか訊かれた。俺は特になにも考えていない。ただ、いじめてくる奴らに会いたくないだけだ。
「新学期になれば、登校できるようになると思います」
俺がなにも答えないので、母さんが代わりに言った。正直、クラス替えでもしてくれなければそれは無理だと思った。ここへ来るのだって落ち着かないのに、あいつらのいる教室になんて行きたくない。
そんな俺の考えを知らずに、北川は母さんの言葉に頷く。
「わかりました。保健室登校もありますから、すぐには難しいようだったらご連絡下さい。そちらを活用して、徐々に教室へ来られるようにしましょう」
みんな待っているからなと、北川は俺に向けて話したが、そんなお決まりの言葉を掛けられても無意味だ。
話を終えると、北川は玄関まで俺と母さんを見送った。周囲を見わたしながら校舎を出る。携帯で時間を確認すると、もうすぐ授業が終わる頃だと気付いた。
「母さん、早く帰ろう」
こんな時に知っている奴に出くわしたくない。俺は母さんを急かして早々に学校を出た。
電車に揺られながら座っていると、マモが呟いた。
「若かったですねぇ」
向かい側の座席でおばさん達が喋っているなか、隣で寝ている母さんや周囲に聞こえないように、俺は限りなく小声で訊いた。
「北川のことか? まだ三十代らしいからな」
「年齢もそうですが、精神的な部分もです。教師としても、まだあまり長くはなさそうですね」
そのとき俺はふっと思い出した。
「……たしか、まだ二年目でクラスを受け持つのは今回が初めてだって言っていたな」
「なるほど。経験不足な分、戸惑うことも多いのでしょうね」
「それはそうだけどさ……」
「えっ? 何か言った?」
さっきまで寝ていた母が起きていた。俺は慌ててかぶりを振る。
「何でもない」
マモに目を移すと、肩を震わせながら笑いをこらえていた。
コイツ、気付いててやっていたな……!
性格悪いぞという思いを込めて睨んだが、マモは気に留める様子もなく、いつの間にか持っていた本を読み始めた。
地元の駅に着いて改札を抜けると、純に遭遇した。
「純、学校は?」
「俺のところ、創立記念日で今日は休みなんだ。弘樹こそ、こんな時間にどうしたんだ? 早退?」
「まぁ……そんなとこかな」
「具合悪いのか?」
「そうじゃないけど」
「弘樹! 母さん、買い物してから帰るから」
俺が頷くと、母さんはスーパーの方へ向かっていった。
「お母さんと一緒だったの?」
「ん、まあね」
「……弘樹、昼飯食べた?」
「まだだけど」
「じゃあ、俺もまだだから今から行かない?」
俺は頷いた。ふたりで近くのハンバーガーショップに入って、席を陣取る。それぞれカウンターで好きな物を注文して席に座り、俺は「昼飯なし」と母さんにメールを送る。その間、羨ましそうにマモが俺のハンバーガーを見ていたが、気付かなかったことにする。
ハンバーガーを頬張りながら、純が言った。
「今日、何でお母さんと一緒だったんだ? 学校だったんだろ?」
俺はもぐもぐと口動かしながら言うべきか逡巡した。こんな状態になっているのが情けなくて話すのは気が引けたが、この状態をどうにか打開すべきだとも思った。俺はコーラを一口飲んでから、おもむろに口を開いた。
「俺さ、ここ最近学校行ってない。不登校ってやつだよ」
「……なんかあったのか?」
俺は純から視線を逸らす。
「二年になってからクラスにいる悪い奴らに目をつけられてさ、どうしようもなくなった。一年の時に友達だった奴は別のクラスにいるし、今のクラスに仲良い奴もいなくて、担任も頼りにならないから、もう行ってない」
「そうだったのか……。今日、制服着ているのは?」
「今日は面談で母さんと行ったんだ。担任と話して、成績表と夏休みの宿題を受け取っただけ」
「休み明けたらどうするつもりなんだ?」
「わかんね」
「なにも考えてないの?」
「……母さんは、秋には登校できるって担任に言っていた。保健室登校もあるから徐々にって、担任の奴も話していたよ」
「弘樹はそれならいいの?」
俺は何とも言えず、食べ終わったハンバーガーの包みをぐしゃぐしゃに丸める。
「担任の先生が頼りにならないのは、その悪い奴らを注意しないから?」
「うん。若いし、教師経験もまだ浅いみたいでなめられているんだよ。あいつらも先生の前で何かするわけじゃないし」
「……弘樹はどうしたいの?」
純は身を乗り出して俺に訊いてきた。
「俺はただ、あいつらに会いたくないだけ」
「つまり、学校にはもう行きたくないってこと?」
俺は頷いた。
「それなら、どうにかしなきゃな。今のままでいられないだろ?」
「わかってるけど……」
そう、わかっている。でも、言い出しづらいんだ。
「親か? 言ってもいいと思うけどな。別の学校に行きたいって」
俺はコーラを飲む。話しながら飲んでいたら、もう半分以上減っていた。
「話さないことには進まないよ。面談も行ってくれているんだし、話せばわかってくれると思うよ」
「やっぱりそうか」
俺は自然とため息がこぼれた。でも、本当にため息をこぼしたいのは親の方だろう。
「このままズルズルいくよりいいよ。もう夏休み入るんだしさ、休みの間に転校先の学校を探してみなよ。新しい場所でまたやり直せばいいじゃん」
「……そうだな。言ってみる」
「頑張れよ」
その時、俺はふっと記憶が蘇った。目の前にいる純と記憶の中の光景が合致していた。
-続-
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