黄泉の客
望月 栞
第1話
いったい何度繰り返すんだろう……と、俺は心の中でため息をついた。
見上げるとエンマ様。その前に立つ俺。
「ふむ。清水弘樹、だな」
俺は小さく頷いた。エンマ様は俺の過去が書かれた書類に目を通し始める。
エンマ様なんてものが本当にいるなんて考えたこともなかった。初めて見たときは名前を呼ばれても返事が出来ずに凝視し、動けなかったくらいだ。
裁判に出るのはこれで五回目になる。一回ごとに殺生罪やら窃盗罪など様々な罪を裁かれる。周囲から聞いた話だと、だいたい七回で裁判が終わり、あの世にいけるらしい……。しかし、多いと十回も二十回も繰り返されるようだ。さすがに平凡に生きた俺にそれはないと思う。
そもそも、俺は何で死んだんだ? 全く覚えていないし、気がついたらこの世界にいた。最初の裁判でエンマ様に訊いても、二十歳で死んだこと以外に答えは得られなかった……いや、もう考えるのも疲れたな。とりあえず裁判が早々に終わって、少しでも良い世界で死後を送れるならそれでいい。
しかし、目の前の顔の怖い裁判官にそんなことを言える勇気もなく、俺はただ判決を待った。エンマ様は書類を裏返して、野太いガラガラ声で告げた。
「汝の判決は保留とする」
俺は驚きのあまり目をいつもの二倍は大きくしていた。
保留だって?
エンマ様は俺のことなんか気にせずに、目力の強いお付きの役人に命じる。
「彼を例の場所へ案内せよ」
「待ってください! 保留って、保留ってなんですか!?」
俺は思わず、叫んでいた。
今までそんな判決が出たことはなかった。俺はなにか、おかしなことをしたのだろうか。
「保留とは、決定や実行を先延ばしにすることである」
「いや、そういうことではなくて……」
言葉の意味を訊いているんじゃない。まごついていると、エンマ様の従者は咳払いをする。
「次の御魂が待っておる。汝は私についてきなさい」
有無を言わせぬ迫力で、俺はなにも言えずに従った。従者について裁判室から出ると、雲のような白いもくもくとした道を歩かされる。落ちやしないかと、不安で震えた。
「さあ、この扉を開けて、中に入りなさい。ここから先は、別のものが汝を導くであろう」
従者は朱色の扉を指し示した。
「別のものって、誰ですか?」
「入ればわかる」
また、こんな従者みたいな誰かがいるんだろうか。
俺は不思議に思いながらも、恐る恐る扉を開けて中に入った。
そこは、図書館だった。
たくさんの本棚にはびっしりと本が並んでおり、テーブルと椅子もある。窓からは光が差し込み、館内を明るく照らしている。
何でこんなところに?
「あの世に図書館があるなんて、ね? 驚きでしょう?」
俺は急に背後から声が聞こえて反射的に振り返った。そこにいたのは子供……というか、小人のようだった。
「……誰?」
よく見ると、その小人は茶色のマントに緑色のトンガリ帽子を被っていた。童話に出てくるかのような姿に驚く俺に、小人は一礼した。
「これは突然、失礼しました。初めまして。私、魂の見届け人のマモでございます。ここは図書館というより、あなたの書庫と言った方が正しいですね」
「俺の?」
「はい。あなた、清水弘樹さんの人生がここにある書物にすべて記載されています。生まれた時から死ぬ時まで、あなたが歩んできた道やあなたに関わった人物、そのまま載っていますよ」
「何でそんなもの……」
「あなたは裁判で保留とされましたね」
「そうだけど」
「保留と下されたすべての魂は、自分の人生を振り返っていただくため、それぞれ自分の書庫へ通されるのです」
「俺以外は、ここじゃない書庫に?」
「はい。ここはあなた専用です。どのように生きたのか、それは人それぞれですから同じであるはずがありません。まず、生きた年数から違いますからね。その分、書庫の規模が変わり、本の量にも違いはありますが、あなたは少ないほうですよ」
確かに、俺は二十歳で死んだから少ないんだろう。三途の川を渡ってから、自分がどういう風に生きてきたのか、具体的なことは思い出せない。
「この世界へ来れば、徐々に記憶が薄れてきます。判決でもう一度人生を学び直せと出れば、生まれ変わるために完全に生きた記憶を忘れてしまうのです。あなたには保留と出ましたから、これから人生を振り返りながら思い出していただきますよ」
「何で振り返る必要があるんだ?」
「あなたが振り返ることで、それが判決に影響を及ぼすからです」
どういうことなのかよくわからず訊こうとした俺をマモは遮る。
「後々、わかります。まずは、書物を開くことです」
「開くってどれを……」
そう言いながらキョロキョロと本棚を見てまわると、突然バサッと一冊の本が落ちてきた。
「最初はその本のようですね」
「これ?」
落ちたのは、なにも書いていない青い表紙のハードカバータイプの本だった。それを拾ってテーブル席に座る。
「読んで何か変わるのか……?」
そう言いながら本を開いた途端、目の前が真っ白になった。
「あ……?」
俺は気付けばベッドの上にいた。間抜けな声を出して、部屋を見わたす。見覚えがあった。
「俺の部屋?」
突然、記憶が蘇ってくる。そうだ、俺は家の二階の西側にある部屋を使っていたんだ。
俺は自分の身体を見下ろし、手を動かしてみる。
「動く! 俺の身体だ! ……今までのは夢だったのか?」
ベッドから降りる。部屋には他に、勉強机やタンス、クローゼット、小さい本棚がある。
「あ、これ、俺が好きだったマンガじゃん!」
そう言ってペラペラめくっていると、頭に衝撃が走った。
「いってぇ!」
「何をしているんですか。マンガを読ませるために、ここへ来ているのではないですよ」
振り返ると、マモがいた。夢じゃなかったのか。
「ていうか、叩くなよ。……何で着物? そもそも、何で俺の部屋にいるの?」
マモは帽子にマントではなく、着物を着ていた。
「座敷童ですから」
「は?」
「ただ今から、私はこの家の座敷童となったのです。あなたが高校時代の自分を振り返る必要がなくなるまで、ね」
ふとクローゼットの引手を見れば、制服がハンガーに掛かっている。
「俺は今、高校生ってこと?」
マモは頷いた。
「ただ本を読むのではなく、実際に生きた高校時代をもう一度追体験するのです」
「へぇ、なるほどね。……質問」
俺は手を上げた。
「何でしょう?」
「どうして座敷童なの?」
「いけませんか?」
「いや、いけなくないけどさ、さっきのままでもよかったじゃん」
「あれは、あの世にいる時の姿です。見届け人として、人間界に降りてくる時はこの姿と決めているのです」
「何でもいいのか?」
「はい。私以外にも見届け人はいますが、各々、好きな容姿で取り組んでおります」
ずいぶん自由だなと思っていると、扉がコンコンとノックした。ビクッとして扉に目を向けると、声が聞こえた。
「弘樹? 朝よ。ご飯、用意してあるから降りていらっしゃい」
この声は知っている。母さんだ。
「わかった」
扉の向こうから足音が遠ざかっていくのが聞こえる。自分の格好を見ると、スウェット姿。ベッドのそばにあった時計の針は九時を指していた。
「ちょっと待て……俺、何年生だ?」
「今のあなたは高校二年生。現在は七月です」
マモは壁にあるカレンダーを見て言った。
「高二って、たしか……」
俺の中で嫌な記憶が少しずつ蘇る。
「そうです。あなたが不登校になった時期です。人間関係に挫折して」
マモの言葉で昔の記憶をはっきり思い出した。
高校二年生になった俺は、一年の時に仲が良かった友達とは別のクラスになってしまった。一年生だったらまだ、みんながそれぞれ仲良くなろうと考えて自然と友達をつくることができた。しかし、クラス替えをして友達と離れてしまっては、そのクラスに馴染むのに時間がかかる。特に、俺のような人見知りするやつは……。
他の奴らは誰かしら友達がいて、仲良くしている。その中に入っていけないうえに、俺は素行の悪い奴らに目をつけられてしまった。
「おい、パン買ってこいよ」
金をたかられることはなかったが、パシリ扱いだった。俺は嫌だったけど、ケンカが強いわけじゃない。逆らえないまま、言いなりになっていることがほとんどだった。しばらくは休み時間を利用して別のクラスになった友達に会いに行っていたが、ある日突然避けられるようになった。たぶん、俺がパシリ扱いされているのを知ったんだろう。すごくショックだったけど、その相手が相手だから、俺もなにも言えない。たぶん、逆の立場だったら俺も同じ事をしていたと思うから、責められない。
高校で唯一の友達に見放された結果、俺は完全に独りになった。クラスの他の奴らは傍観しているだけ。担任の教師は気付いているんだろうが、なにもしない。パシリ扱いする奴らも教師の前で積極的にすることもないから、注意する場を与えない。俺から言えば、もっとひどいことになるという予想はついたし、自分で出来たことといえば、学校に行かないであいつらに会わないようにすること。それだけだった。
だから今、俺はこうして九時になっても家にいる。不登校になってまだ一ヶ月も経っていない。
嫌な思い出を振り払うようにかぶりを振った。思い出すだけで気分が悪い。眉間に皺が寄ってしまう。
「さて、ひとまず朝食を摂りに行かないとお母様が心配されますよ」
気が重いなと感じつつ、俺は部屋を出て一階のリビングへ下りていく。
「おはよう」
俺も母さんにおはようと返してから、ご飯とみそ汁が用意してあるテーブルに座る。
母さんの様子は普通だ。食事中、何か言われるかと思ったが、特になにも言われない。いや、たしか、あの時はいつも通りに変わらない態度でいようと思ったんだって、大学生の時に母さんから聞いたっけ。
「今日、どこか出掛ける?」
「ん~、なにも考えてない」
「そう。じゃあ、今日は塾だけね。お父さんは、飲み会で遅くなるみたいだから」
「……塾って?」
「今日、あるんでしょ? 昨日、言ってなかった?」
俺って塾に通っていたんだっけ?
「あぁ、うん。そうだった」
「明日の準備はしておきなさいよ」
「明日は……何かあったっけ?」
「先生と面談でしょ。母さんも行くんだから、忘れないでよ」
そうだった。夏休みに入る前に俺は先生と面談して、成績のことと秋から来られるように休んでっていうような話をした気がする。
「それでは、塾の時間までフリーなわけですね」
テレビの前のソファに座って、ニュースを見ながらマモが言う。俺は朝食を平らげると、すぐに自分の部屋に戻った。ひとまず部屋の中を調べて、出来る限り様々なことを思い出す必要があった。
真っ先に行なったのは、塾関連の教材や資料の捜索だったが、すぐに見つかった。それは、学校鞄のそばに置いてあるリュックの中に入っていた。個別指導塾の名前入りファイルの中には、今月の予定表が入っている。
「今日は……六時から数学。武田先生か」
予定表の名前を見ても、武田先生がどんな人だったのか思い出せない……。
「ていうか、場所どこだ?」
今さら塾はどこだっけなんて、訊けない。
「それはご心配なく。私がご案内します。こういう時のために私がいるのです」
気付けば、俺の部屋の扉の前にマモが立っていた。
「塾の場所だけじゃなくて、他のことも教えてよ」
「それはダメです。必要な時に私が手助けしますが、基本的にはあなたが自分で思い出して気付いていくのです」
塾の場所くらいなら問題ありませんよと、マモは俺のベッドにドカッと座って言った。
俺は仕方なく、自分に関する情報は他にないかと手当たり次第、探した。一年の時の成績表を見ると、数学と英語がダントツに悪い。リュックの中には数学と英語の教材が入っていたが、塾ではこの二教科だけ受講しているんだろう。
探索を続けていると本棚にアルバム、ハンガーに掛かったジャケットのポケットに携帯を見つけた。アルバムをめくると、俺の幼少期の頃から中学までの写真が載っている。
「あれ、こいつは……」
アルバムをめくる中で記憶に引っかかった男がいた。その男は俺に肩を組んできて、笑顔で写っている。誰だったか思い出せずに携帯を開いてアドレス帳を見ると、記憶の中で写真の男と合致した名前があった。
「そうだ! 純だ……!」
こいつは田所純。俺の中学時代の親友だ。
「元気にしてんのかな」
「少しずつ思い出せているようですね」
「あぁ。中学の時の友達との写真があったからさ。……なんだか懐かしいな」
「それは良かった」
近いうちに連絡を取って会うのもいいかもしれない。そうすれば、もっとたくさん思い出せるだろう。
-続-
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