番外編 単独任務(3)

 戦闘員事務所の屋上。いつも薄暗い冥界の重苦しい空の下。


 屋上の中央にはユノの繭が置かれていた。ユノ隊の管轄従者・グレートチョイナーがここに運んできたのである。


 グレートチョイナーは、茶色い肌に、サイのように鋭く尖った鼻、大きく突き出た顎を持つ亜人系の男だ。小柄だが、身の丈程もある巨大な金槌を担いでいる。


 屋上にはもう一人の男がいる。面長の顔に、更に長い神官風の帽子を被り、鎖帷子の上に法衣を纏い、メイスと盾で武装したヒューマンタイプの男。


 ダオルの隊の管轄従者・ジャベリガンである。


 ユノ隊の指揮権がダオルに移ったことで、ダオルの意を汲んだジャベリガンがグレートチョイナーに、ユノの繭を屋上に移すよう命じたのである。


「本当にヴィクト隊の奴がユノ殿の繭を狙ってくるのか?」


 グレートチョイナーが怪訝な顔をして極太の繋がり眉毛をしかめ、ジャベリガンに視線を流した。


「さあな」


「さあな!? 憶測でこんなことさせたのか」


 グレートチョイナーが更に訝し気な顔をして聞き返してきた。


「何? 憶測で動いちゃ悪いわけ? もしもの事態に備えちゃ駄目なのか? 何事もなければそれでいいだろう」


 ジャベリガンが鼻で笑った。


「まあそうだが」


 そう言いつつも、不満気な表情を隠さないグレートチョイナー。


「ユノ殿の繭が狙われる可能性がある以上、責任取って守るのはお前んとこの役目だ。ちゃんと備えはできてるんだろうな?」


 ジャベリガンが言うと、グレートチョイナーは腕を組んだ。


「……問題ない。兄貴達が守りについてる。それより、お前こんだけ大口叩いて、何事もなかったらどうしてくれんの?」


「別に」


「はあ?」


 グレートチョイナーの額に血管が浮き出た。


「何で万一に備えただけで責任取らなきゃいけないの? 無事に済めばそれは『良い無駄』じゃないの? 我々の隊はいつも場当たり的な対応しかできないユノ隊とは違って事前のリスクに備えるのが常識なんで。今、この隊の指揮権は我らにあることをお忘れなく」


「……フン」


 グレートチョイナーは自分で自分を納得させる努力をしているようだが、その顔はいつまでも不満気であった。







「冗談じゃないわ! どうしてあなた達の隊長がやるべき任務をウチのヴィクト殿がやらないといけないわけ?」


 戦闘員事務所の入口で、女性の怒る声。


 そこにいるのは、ヴィクト隊の管轄従者・レドゥーニャだ。


 上半身は人間の女性、下半身はメタリックな質感の、黒光りする外皮を持つ巨大な蜘蛛のアラクネ系の種族。巨大な蜘蛛の頭部がそのまま美女の上半身に置きかわっている巨体のシルエット。


 金髪の前髪をオールバックにし、後頭部から何本もの女王然としたゴージャスな縦ロールをぶら下げている。


 頭には黄金と宝石を散りばめたティアラを着けている。上半身にはほとんど胸の先端部分しか覆っていないような(流石に乳輪回りはギリギリ隠れているが)、これまた数多の宝石が眩い、面積の極端に小さいビキニアーマー風の衣装を着けているだけだ。しかもそれは肩にかけたり背中に回す紐が一切存在しない、魔力で胸にぴったりと吸着するタイプのもので、とにかく肌の露出が多い。


 その衣装の他にも体中の至る所に豪華なアクセサリーを着けており、服より宝石を着ていると言った方が相応しいだろう。


 そして、蜘蛛の下半身は、左右に大きく広がる八本の脚のみ蜘蛛のそれではなく、異様に長いヒューマン系の脚であった。八本の足全てに、鋭いヒールのサンダルを履いており、計四十本の足の指には、色とりどりのペディキュアやネイルアートが施されている。


 彼女の目的は、仮眠室にあるユノの繭を破壊し、ユノを叩き起こして彼本人をキャプテン・ダマシェ鎮圧に向かせることにある。


「うるさい! ここを通るものは誰一人として通せん!」


 ユノ隊の非正規雇用、人材派遣ギルドから出向している派遣従者・アックンガーがドアの前で通せんぼしている。


 真っ赤な肌に、サイのように鋭く尖った鼻、大きく突き出た顎を持つ、太い繋がり眉毛の亜人系の男だ。


「あなた、誰に向かって言ってるのか分かってるわけ?」


 レドゥーニャが左右に思いっきり広がる、異様なまでの長さを誇る八本の足をわさわさと蠢かせ、アックンガーに詰め寄る。


 巨大な蜘蛛女の影が、小柄なアックンガーの全身に黒の幕を落とした。


「それはこっちのセリフだ。アックンガー四兄弟が長男、この『火のアックンガー』様が貴様を焼き尽くしてくれるわ! ウワッハハハハ!」


 アックンガーはその場に鎮座し、木の板を取り出して眼前に置き、更に取り出した木の棒を板の上に置いた。そして、棒を両手で回してこすり始めた。


「フハハハハ! どうだーっ! 人材派遣ギルドに登録する前、キャンプ場の管理人としてチビッコ達に火の起こし方を直伝して二十年! この俺様の脅威のアウトドアスキルを思い知るがいい! ハーッハッハッハァッ! あと五分もあれば火がつくぞおおおおっ!」


 レドゥーニャは構わず火を起こそうとするアックンガーをヒールで踏みつけた。


「ぐげぇっ!」


 その場に倒れるアックンガー。構わずドアの前に進むレドゥーニャ。


「ば、馬鹿めッ……! お前のそのデカい蜘蛛のケツでは、この狭い事務所の玄関は入れぬわ! そう、これこそが俺様の真の狙いよ! フハハハハ!」


 アックンガーが土にまみれた顔を上げ、レドゥーニャに負け惜しみを言う。


 負け惜しみではあるが、確かに彼の言う通りであった。


 レドゥーニャは上半身こそ一般的な冥界人の女性と変わらないサイズだが、下半身は巨大な蜘蛛である。それだけで玄関は後体腹部がつかえるし、それ以前に長い八本の足が左右に広がっており、玄関の幅を完全にオーバーしている。


 体を縦にしようが横にしようが入れるものではない。


「おのれ、こんなドアが何だっていうのよ!」


 構わずレドゥーニャは八本の脚を蠢かせ、狭い入口に上半身を突っ込む。そして、壁に引っかかっているにも関わらず自分の体を前に押し出し、無理矢理玄関を破壊して事務所の中に入り込んだ。


「ゲ、ゲェーッ! 壊しやがった!」


 驚愕するアックンガー。


「何よこんなボロ屋! こんぐらい、いくらでも弁償してやるんだから!」


 高名な上級貴族の生まれであるレドゥーニャは、傲慢な態度で言い放った。


 そして、構わず玄関回りや廊下に置いてある物をバキバキと破壊しながら階段を上がっていった。


 廊下や階段で方向転換する度に、後ろに大きく飛び出した蜘蛛の下半身がぶんぶんと振られ、強力な遠心力で花瓶や本棚、窓や壁を破壊していく。


 階段の手すりを破壊しながら仮眠室のある二階に向かうレドゥーニャ。その勢いに、通りがかりの平従者達はあまりの迫力に慌てて逃げる。


 仮眠室には、ユノの繭はなかった。代わりにいたのは、入口であったアックンガーと瓜二つの亜人系の男。ただし、肌が真っ赤だったアックンガーに対して、今度は真っ青な肌をしている。


「ククク……。レドゥーニャ殿、どうやら兄を倒したようですね。私はユノ隊平従者にしてアックンガー四兄弟の次男・『水のバッフンバー』! 兄アックンガーは我ら四兄弟の中でも最弱! そして兄は所詮非正規! 毎月の給料の四割を人材派遣ギルドに中抜きされているような我ら四兄弟の面汚し! 山奥のキャンプ場でたまに現れるゴブリンやスライムなどの下級モンスターを自衛して倒していた程度で戦闘員として十分やっていけると思っちゃった勘違い野郎!」


「繭はどこ?」


「レドゥーニャ殿が知る必要はありませんなぁ……」


「教えなさい。平従者のあなたが、管轄従者であるこの私の命令が聞けないって言うの?」


 それを聞いてバッフンバーはレドゥーニャのことを鼻で笑った。


「フッ、愚かな。何も知らないのですね……。今や我らの隊はダオル副社長の指揮下で動いています。副社長からユノ殿の繭を襲おうとする不届き者がいるとの事。あなたのことですよ。そして我らアックンガー四兄弟には繭の護衛の任務が与えられた。直属の上司でもないレドゥーニャ殿がこの私に命令することなど、できないのですよ」


「うるさいわね。そんなの知ったことじゃないわ。繭をどこにやったのか言いなさい」


 レドゥーニャは仮眠室にせせこましく並ぶベッドを八本の足で押しのけながらバッフンバーに詰め寄る。


「ククク……、いいでしょう、今からワルキュリア・カンパニー正規戦闘員の実力、お見せしましょうぞ! ハアアアァァァァッ!」


 バッフンバーは凄むレドゥーニャを前にして動じず、その場で両足を広げ、深く腰を落とし構え始めた。


「うるさいわね!」


 レドゥーニャはそんなバッフンバーなどお構いなしに、八本の脚を上に伸ばし、広がった股下の空間から後体腹部を潜らせ前方に突き出した。


 そして、その先端に有する器官・出糸突起をバッフンバーに向け、大量の糸を噴きかけた。


「ギャアアア!」


 糸でぐるぐる巻きになったバッフンバーはその場に倒れ込んでもがく。


 レドゥーニャの糸はどんどん締まり、最後には巻かれた者の全身の骨を粉々に砕いて無残に殺す。レドゥーニャが念じると、魔力を帯びた糸がバッフンバーへの締め付けを少しずつ強くしていった。


「あ、あ、あがあああ、や、やめろぉぉ!」


「繭はどこ?」


「お、屋上! 屋上!」


「あっそ」


 レドゥーニャが手の指を鳴らすと、バッフンバーを拘束する糸は光に包まれ魔力の微粒子となって分解され霧散。空気と同化しながら消滅していった。


 レドゥーニャはそのまま仮眠室を後にしようとしたら、バッフンバーが立ち上がり「待てええい!」と声を張り上げた。


「はあぁぁ!?!?」


 レドゥーニャは目を鋭くして、上半身だけをひねりバッフンバーに振り返る。ゴージャス極まりない女王のようなブロンドの縦ロールを揺らしながら。心の中から湧き上がる苛立ちを隠さない。


「まだまだまだまだああああっ! たかだかこんな糸ごときでやられるバッフンバー様ではないわ! かくなる上はこの筋肉増強剤を飲んでもう一回勝負だあああああっ! 見るがいい! この『水のバッフンバー』の真の実力をなぁ!」


 バッフンバーは腰に下げる革袋から、ドクロマークのラベルが貼られた怪しげな瓶を取り出し、口に突っ込んで中の錠剤をガバ飲みした。


「それヤバい薬って聞いたことあるけど、そんな飲んで大丈夫なわけ?」


 こんな状況でバッフンバーの体を気遣うレドゥーニャの圧倒的余裕。


 以前レドゥーニャは、隊長のヴィクトが、この薬のことを副作用が大きいから乱用すべきではないと部下達に注意を促していたのを聞いたことがあった。


 ユノ隊ではこういったドーピングの類を使わせ放題なのであろうか。それともこの男が勝手に使っているだけなのであろうか。


「ほああああああっ!」


 奇声を張り上げるバッフンバー。


 一瞬にして彼の全身の筋肉が肥大化し、彼の装備する安物の鎧が膨張する筋肉に圧迫され木端微塵に吹き飛ぶ。


 その下に着こむ肌着類もビリビリに破れて、一糸纏わぬ全裸となった。真っ青な肌は各所に太い血管が浮き出て紫色に変貌する。


「来た来た来た来たああああっ! 上半身から下半身まで力がみなぎるぞ! もう一回勝負だあああああっ! 見るがいい! この『水のバッフンバー』の真の実力をなぁ!」


 興奮状態のバッフンバーは先程と同じ内容の発言を繰り返した。


「さっきからうるせえぞテメー! 夜勤任務明けで仮眠取ってたっていうのに!」


 そのとき、仮眠室の隅のベッドで眠っていた平従者・パイポーが寝ぼけ眼をこすりながらバッフンバーに文句を言いに来た。


「うるせえええ! 口から乳首発射すっぞボケが!」


 バッフンバーは振り返りざまにパイポーの顔面を、大木のように筋肉の肥大化した腕で殴りつけた。


「ナスカ!」


 一瞬にして後頭部から地面に倒れ込むパイポー。顔面がバッフンバーの拳の形に陥没し、耳と鼻から血を噴出させ小刻みに痙攣している。


「何やってんだよさっきから、眠れねーじゃねーか! 外でやってくれ!」


 仮眠室の一角のベットで眠っていた平従者・グーリンダイが不機嫌な様子でバッフンバーに詰め寄る。


「うるせえええ! 屋根より高いコイノボリには言われたくねーわ! お池にハマッてさあ大変!」


 バッフンバーは振り返りざまにグーリンダイの顔面を、大木のように筋肉の肥大化した腕で殴りつけた。


「イースター!」


 一瞬にして後頭部から地面に倒れ込むグーリンダイ。顔面がバッフンバーの拳の形に陥没し、耳と鼻から血を噴出させ小刻みに痙攣している。


「うるせえな、仮眠室では静かにしろよ! せっかく眠って体力と魔力を回復させてたのに」


 仮眠室の奥の方のベットで眠っていた平従者・ポンポコピーが寝癖だらけのボサボサの髪に手櫛を入れながらバッフンバーに歩んでいく。


「うるせえええ! ウィーナ様に逆らう奴はこの俺の手でウィーナ様のアナルに脳天突っ込ませてやる!」


 バッフンバーは振り返りざまにポンポコピーの顔面を、大木のように筋肉の肥大化した腕で殴りつけた。


「ガラパゴス!」


 一瞬にして後頭部から地面に倒れ込むポンポコピー。顔面がバッフンバーの拳の形に陥没し、耳と鼻から血を噴出させ小刻みに痙攣している。


「うるさいのはあなたよ!」


 レドゥーニャは再び、八本の脚を上に伸ばし、広がった股下の空間から後体腹部を潜らせ前方に突き出した。


 そして、その先端に有する器官・出糸突起をバッフンバーに向け、大量の糸を噴きかけた。


「ギャアアア!」


 糸でぐるぐる巻きになったバッフンバーはその場に倒れ込んでもがく。


 レドゥーニャが念じると、魔力を帯びた糸がバッフンバーへの締め付けを少しずつ強くしていった。


「あ、あ、あがあああ、や、やめろぉぉ!」


 レドゥーニャは有無を言わさず糸に思念を送り、バッフンバーへの締め付けを一気に強くした。


「ギャアアアーッ!」


 仮眠室どころか、事務所の二階フロア全体にバッフンバーの悲鳴が轟いた。全身の骨が粉々に砕ける。


 全身複雑骨折のバッフンバーが白目をむいて気絶したところで、レドゥーニャは仮眠室の出口へ向かって八本の長い脚を動かしていく。


 入口付近のベッドでは、ヴィクト隊の平従者・ヤブラコウジが布団から上半身を起こし、呆然とした様相で事の成り行きを眺めていた。


 レドゥーニャはそんなヤブラコウジの肩を叩き、「後始末、お願いね」と声をかけた。


「あ、はい」


 ヤブラコウジは散乱したベッドや、床に倒れるバッフンバー、パイポー、グーリンダイ、ポンポコピーをなおも呆然と眺めながら、気の抜けた声色で頷いた。


 レドゥーニャは体の幅に合わぬ手すりをバキバキと壊しながら階段を登り、三階へと歩みを進めた。

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