カフラマーン王国は大陸から南西方向に点在すぐ群島のひとつだ。

 わにの形に似た島が本島と、その周辺にある五つの島がまとまって国家を樹立している。

 この国は大陸とは異なる文化を有しており、カフラマーン国教会が国教だ。

 主要な産業は漁業と農業だが、周辺の大小様々な島の中には海賊のすみかとなっている島もある。これらの外敵から島を守るための海軍の要塞が国内のあちらこちらに点在している。

 そんなカフラマーン王国において、国教会の教義では『人間』がこの世のあらゆる生き物の中で一番神の期待に応えられていない、醜く、愚かで、恥ずべき存在とされている。『人間』は尊い神に自分たちの卑しい姿をできるだけ見せないことが義務として課せられていた。そのため、できるだけ全身を布で覆い、人間の身体の輪郭を隠すため肌を人目にさらさないようにする必要があった。

 また、人の形をした造形物は神の怒りに触れるという理由で禁忌とされ、人間としての姿を絵に描くことも許されていない。

 しかし、それでも人はなんらかの形で自分の存在を残したいと考えるものだ。

 それゆえ、カフラマーン王国では抽象美術が発達した。

 カフラマーン美術では抽象的な肖像画という独特な絵画があり、これは対象の人物を色彩でのみ表現する手法だ。特に具体的な形状を描かない表現方法が優れているとされ、線を用いず色だけを組み合わせて かすみもやのようなもので人物の雰囲気や気配を描く画法が昨今では特に好まれている。

 天才画家ディララ・シファーアは、この色彩だけで人物を描く技術が卓越していると評判だ。

 本人に言わせれば「まったく見たままの姿を描けていない」となるが、カフラマーン国教会の教義で人間の理想とする姿が彼女の絵には存在している。はっきりとした輪郭を持たない、霧のような目の前に見えてはいても手で掴むことはできないような状態を画布の上で表現できる者は、カフラマーン王国の芸術家の中でも一握りの者しかいない。

 その技法をディララは十代ですでに使いこなしていることから、天才画家と呼ばれている。


(わたしは別に、こんな風に描きたいって思って描いているわけじゃなくて、本当は具象画を描きたいって思って筆を動かしているのに、できあがってみたらぼやっとした抽象画というかよくわからない状態に色が塗りたくられた画面になっているのよね)


 ディララは「わたしが思い描いていた作品には仕上がらなかった」とぼやくたび、フィクレトとナムークは「さすが天才画家は目指している場所が違う。この素晴らしい作品を前にしてもまだ満足しないとは!」と感心しているが、彼女にしてみれば普通に線で輪郭を描こうとしてぼやっとしたものしか描けなかった結果がなぜか『王国史にその名を残す大傑作』と呼ばれているだけなのだ。

 ディララの絵をこぞって買ってくれるのは王国内の王侯貴族や富裕層だが、フィクレトが顧客を騙して価値がない絵をさも素晴らしい絵のように偽って売っているのではないかとディララは心配している。

 絵の価値は、目利きを自称する画商たちがどのような値段をつけるかによって変わってくる。

 フィクレトはディララの絵を大傑作として自分の画廊で紹介し、販売しているが、彼がディララの絵につけた値段に納得してくれる買い手が現れなければ絵は無価値だ。それどころか、画材を無駄遣いして画廊の空間を無駄に占拠しているごみにしかならない。そうなると、下町の壁に描かれた白墨による落書きの方がまだましなくらいだ。


(人の顔の形を描こうとして雲みたいなふわふわした形になり、人の身体を描こうとして綿毛が舞っているようなものを描いてしまっているのはなぜなのかしら。いつも思った通りに筆が動かないのだけど、これはいま使っている筆に問題があるのか、わたしの手が脳と意思疎通ができていなくて勝手に筆を動かしているのか……)


 誰もが絵を描くときは頭で考える手の動きと筆の動きが異なる状態なのかと思いきや、ナムークが絵を描いている様子をみているとそうではないようだ。思ったように描けないことはよくあるようだが、思ったものとまったく違う描写をしていることはまずないらしい。弟はよく「どうしても目で見たままの状態を描いてしまう。姉さんみたいに描けない」とぼやいているが、人は目で見た物や心の中に浮かんだ光景をそのまま絵として描き写すものだ。ディララのように、描こうと思っているものとはまったく違う形状のものが描けてしまうことはほとんど聞かない。


(色だって、作ろうと思った色と同じものがなかなかできないし)


 明るい茜色を作ろうと乳鉢に顔料を入れて混ぜればまるでどぶ色のような濁った色ができあがったり、空色を作ろうと絵の具を調色板の上で混ぜれば白と青を混ぜたはずなのに不気味な薄墨色ができあがっていたりする。

 虹のような美しい色を画布の上に塗りたいと思っても、できないのだ。

 最初の頃は、自分がなにか間違えて違う色も加えて混ぜてしまったのかと思ったものだが、同じ顔料を使ってナムークが混ぜると想定どおりの色ができあがるのに、ディララが作業をするとまったく異なる色ができあがるのだ。

 ディララは自分の手が呪われているように思えてならない。

 じいっとディララが自らの手のひらを凝視していると、それに気づいたフィクレトが「手が痛い!? もしかして、突き指したとか!?」と不安そうに顔を歪めて彼女に尋ねてきた。シファーア商会の一番の稼ぎ頭である天才画家の商売道具は筆を持つ手だから、心配するのも当然だろう。


「……大丈夫。手を見てただけ」


 素っ気なくディララが答えると、フィクレトは胸を撫で下ろした。彼女の反応が薄いのはいまに始まったことではないので、いつもどおりだと気にしていない様子だ。


「すこし片付けた方がいいな」


 所狭しと乱雑に画材が置かれている作業部屋を見渡したフィクレトは、ナムークに目配せをする。

 部屋の片付けをするのは弟子ということになっているナムークの仕事だ。

 フィクレトは画家であるディララに自分で片付けをするようにとは言わない。


「師匠は、カミエが見えたそうですよ」


 ぼそっとナムークがフィクレトに告げた。

 神絵を見た後のディララはしばらくその世界に浸って戻ってこないことが多いため、しばらく絵の作業は中断するだろうという意味で弟子は画廊の主人に報告している。


「カミエか。ララでさえ描けない素晴らしい絵というのはどんなものなんだろうな」


 本心から羨むような表情を浮かべてフィクレトが呟く。


(わたしが神絵と呼ぶ絵をフィクレトやナムークが見たら卒倒すると思うのだけど)


 薄紫色のゆるく波打つ髪をした美少女が長い手足の肌をさらしている姿や、虹色のふわふわした綿菓子のような髪をした青年がほとんど裸に近い格好で意味深な笑顔を浮かべている絵は、この国では禁じられたものだ。人間の輪郭を絵にするだけでも許されないのに、まして男女が肌を見せているなど禁忌だ。


(神絵はどれも異端よ。だからこそ、あれがにはないものだと頭では理解しているのだけど、自分の目で直接見られないものだとわかっているからこそ、求めずにはいられないのだわ)


 ディララが『神絵』と呼ぶ絵は、カフラマーン王国では存在することすら認められない絵だ。

 神絵が描かれている異世界でも肌の露出具合や、ほとんど裸体に近い状態の絵は公序良俗に反する猥褻物として規制の対象になることがあるらしいが、カフラマーン王国では人間の肘や膝があらわになっているだけで神に反旗を翻す行為だとされている。

 神の教えでは『公衆の場において肘や膝を見せてはいけない』とは定められていないが、そのような姿をさらしている人間がこの王国内にいれば、神はますます人間を醜く汚らわしい存在として見放すに違いないと聖職者たちは説いている。人間は神の意に沿わない行動を繰り返しているため、他の生き物たちのように神の恩寵を得られていないのだ、というのが聖職者たちの教えだ。そのため、常に人間は悩み苦しみながら生きなければならないのだ、と。


(神絵が素晴らしい絵だと思うわたしは異端なのかもしれないけれど、わたしが描く悪霊の怨嗟が視覚化されたみたいな絵を絶賛するフィクレトやナムークの美的感覚もどうかと思うわ)


 総じてカフラマーン王国の人々が美しいと賞賛するものを、ディララは美しいとは思えない。

 彼女が美しいと心から思えるものは、時折瞼の裏に浮かんでくる様々な魔法に溢れた異世界の中だけだ。


「あぁ……神絵が描ける画力が欲しい……」


 自分の手を恨めしげに睨みながらディララは打ちひしがれた。

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