青春編 夏越にて
「夏越」とは、本来、お祓いを行う神事である。日付は決まっており、六月三十日。
女子大生インフルエンサーの夏越福と、ミュージシャンの夏越レルは、自分たちの親戚が管理する夏越神社について、配信で話題にあげていた。
雑誌が出てからも、全く気にせず
「変な雑誌のせいで、地元の夏祭りが遅くなっちゃって、困ったよ! 商工会の皆さんには迷惑をかけた」
「そうそう。おかげで、俺たちが兄妹なこともバレるし。第一、大家族で一緒に住んでいるだけなんだが?」
「あれでしょ、誘拐関係。あれ、夏祭りでやる、寸劇の案そっくりじゃない」
「確かに。つまりなんだ、没にしたプロモーション案が外部に漏れやがったってことか?」
「炎上商法が過ぎる? 本当にね。だから、没にしたんだってば!」
セキュリティを心配する声から、ファンの安堵の声、そして大量の、やりすぎとの批判が彼らの配信画面を埋め尽くしている。
嘘だと指摘する声は、ほぼなかった。
陰謀論を否定できないなら、より大きな醜聞に包めばいいと、彼らは言った。
「醜聞というのはどこからでも出てくるし、完全に消えることはないよ」
「否定しようと、人は信じたいものを信じるもん。なら、もっと刺激的な話にしよう」
「やり返さないと、延々やられる羽目になる。下手にやり返すと、どんどんいじられることになる。やり返すなら一撃、盛大にだ」
彼らは事前に言っていた通り、盛大に周囲を煽る。
「それにしても、夏越の夏祭りのプロモーションとしては大成功なのかな」
「それに踊らされた、雑誌さんには申し訳ないけどな」
「戸籍とか、普通にガードされているし、してるから、あれに関してはマジで嘘だよ。雑誌さんも気づけ~~~~?」
プロモーション案への意見ばかりの配信画面の裏で、志和が笑顔を浮かべている。
「人は信じたいものを信じるものだぜ」
兄のレルの言葉は、今回も正しかった。満足げな志和の手を京介が取った。
「これで、どうするんだ」
「夏越の夏祭りの集客が増えたよね。人の目が集まった」
不安げな京介の目を見て、彼女はくふくふ笑った。
「あとは、本当に寸劇をするだけだね」
※
出囃子が鳴っている。笛が吹き鳴らされる。神社の境内は花で満ちている。ドローンにぎょっとしたように身を引く彼を見て、何人もの人間がスマホを取り出していた。
「ええ、あの、ニュースになっていた教授が夏越神社の境内にいます。本殿に向かっている様子です」
本殿に向かって、短くない境内を、荒谷は進んでいた。白衣は汚れ、顔はどこでつけてきたかわからない青あざだらけだった。捕まったら最後、二度と研究職につけず、愛しい彼女に会えないとはわかっていた。
それでも、夏越神社に来たのは、学会での志和の言葉のためだった。彼女は言った。
「お前の望みを叶えましょう」
人知を超えた目をした彼女は、一人分にも満たない魂を持つ彼女がそう言うならば、賭ける価値があると、荒谷は思っていた。
「もう、大学での研究は、限界だったからね」
開放された本殿に、舞台が設置されていた。荒谷は躊躇し、立ち止まった。
何人もの面をつけた男たちが、鼓笛の音に合わせて舞っている。
「カコシダ様は予言なさった。神社に邪悪が訪れると」
地元商工会で構成された夏越神社の氏子衆は、鬼気迫る演技を見せていた。
レルと福の宣伝によって集められた観衆たちが、撮影音を鳴らす。
「何を今さら立ち止まっているの?」
たおやかな女性の声と共に、彼は思い切り突き飛ばされた。たたらを踏んだ彼の眼前には舞台があり、氏子衆があたかも彼が演舞の一員であるかのように、平伏した。
「荒谷教授だ」「誰?」「あの、やばい大学教授」
ロック調の神楽に切り替わる。観衆は彼らが、過激なパフォーマンスを続行していることに気づき、一斉にブーイングをした。
「祓いたまえ、清めたまえ」
声と共に、神輿のようなベッドが舞台に上がった。そこには、「荒谷の愛しい人」が、夏越神社のご神体である多面鏡の前で眠っていた。
しゃらんと鈴の音が鳴る。荒谷は願いが叶う予感に、狂喜の涙を流し始めた。巫女の恰好をした夏越綿が、神楽にまぎれて教授に囁いた。
「夏越家のなり方は、絶望と儀式よ。目的が叶わないと絶望した人間が、この神社の境内にいることが条件」
そのまま進んだ彼女の白魚のような手が、彼女の額に触れた。
痛いほどの静寂が周囲を包む。
「良かった」
荒谷はつぶやく。
「良かった。これで、彼女は救われるのか」
彼はへたり込んでいた。彼女が目を開けるのか、それとも他の体で話し出すのか、見届けるために、目だけは離さなかった。
結果を言えば、何も、起こらなかった。
「へ?」
目の前の彼の愛しい人は、ぴくりとも動かない。夏越家の誰も、荒谷教授に駆け寄らない。
綿はそっと、彼女の額に当てていた手を離した。
「この子は、絶望なんてしていない。だから、夏越家にはならない」
「嘘だ、嘘だ」彼が縋り付く。「こんな、動かない体、嫌だろう。なあ!」
彼女は応えない。綿が代わりに言う。
「入れ替わりが起きない以上、彼女はそう思っていない」
教授は髪をかきむしり、今度は綿に縋りつく。
「そうだ、強引に入れ替わってくれ。夏越なら簡単にできるだろ」
「夏越家は神じゃない。そんなこと、できない」
神楽の音にも負けない音量の罵詈雑言が、周囲の空間を包んでいる。遠くから駆けつける青い制服は、はじめに先導されて、近づいてきている。愛しい彼女は目を覚まさない。
荒谷教授の望みは、何一つ叶わなかった。空を裂く叫び声をあげて、彼は絶望した。
にっこりと綿は笑った。
「でも、あなたは絶望したわ」
彼女の手が額に触れる。
荒谷要が、彼であるうちに最後に聞いたのは、夏越志和が脳裏に囁きかける言葉だった。
「わたしを生んでくれて、ありがとう」
つまるところ、夏越家が彼を見たのは、志和個人の私情でしかなかった。それは氏子たちには決して見せられない、人間らしい行いだった。
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