志和編 学会 2

 一見、自暴自棄に見える彼の行動には、一貫性があると、志和は断言した。

「荒谷教授のあれら、彼の望みに関係している」

(望み?)

(雑誌に俺ら夏越の醜聞をまき散らしたと思えば、こうして、学会で自分の評判を落とすことが?)

 志和は頷いた。

「力を誇示して、威圧する。その後、自傷行為をして媚びて見せる。言うことを聞かせようと暴力を振るうのと同じ思考プロセスだよ」

(世間様を巻き込んで、規模が大きすぎだろ)

(病んでるな)

(凄惨な実験だ。人間がするには無理がある)


(じゃあ、あいつが俺たち夏越に叶えさせたい望みはなんだ?)


 志和は、隣に座るイレを見た。

「研究テーマを決めるとき、イレ兄さんはどうやって決める?」

「自分の望みで決める。そこから、研究室を決めたり、スポンサーを募ったりだ」

「そう。研究テーマは彼の望みに、密接につながっている。じゃあ、あの荒谷の研究テーマは?」

(生命理工、人体や万能細胞、あと魂なんていうオカルトに、興味を持つに至る状況か)

「彼はさっき、魂の特異データの検知がこの付近だと言った。わたしのことだとして、心当たりは六年前の事件だよね、レル兄さん」

(ああ、京介とのあれか)

 校内に不審者が侵入し、志和に自我がはっきりと発現したあの日を、夏越の兄弟姉妹たちはしっかりと記憶している。

「あれは、今回みたいな強引な研究だった」

(犯人は、教授に研究テーマについて追いつめられて、自暴自棄になった学生だったな)

(六年前、ちょうどその事件のとき、何かがある)

 数分後、最も調査を得意とする、夏越はじめが声を上げた。

(見つけた。同時期に、医療事故の被害者があった。名前は『荒谷さな』。脳の損傷、移植不可能の植物状態)

(偶然と片付けるには、少し珍しい名字だね)

 壇上のうえでは、今も荒谷教授が熱弁を振るっている。

「魂が入れ替われる家族がいるとする! 誰でも家族になれるとする! ある種の人にとって、どれだけ救いになるか、彼らだけが知らない!」

「その望み、叶えてやるとしたら、何をしてくれる?」

 周囲の学者は、若い女の声に目を剥いた。続いて、彼女の隣に立つイレに対して、非難の目を向ける。

 彼らはもう、荒谷教授の研究結果を聞くのではなく、いかにこの場を収めて彼を病院に担ぎ込むかしか考えていない。彼を刺激するようなことを話す彼女は、火種でしかなかった。

 夏越家の脳内で、察しの悪いカコシダが声を上げる。

(彼の望みに対して、俺らに何ができる? 志和、出来ないことは彼を絶望させるだけだ)

「うん、それが大事だよ」

 にやりと、志和は笑う。

「ええ、思いっきり絶望させてやろう。私たちのホームで」


 ※


 短く言葉を交わした後、荒谷教授は去って行った。

「志和、準備がある。さっさと行くぞ」

「うん。イレ兄さんはどうする。その体、明後日にはアメリカにいなきゃいけないんじゃないの」

「そうだな、仕事が」

 言葉を切って、背後を見つめる兄に、志和は首を傾げた。彼女は振り返り、学生が憤怒の表情で近づいてきているのに気がつく。

 彼は大学生にしては若く見えた。当たり前だ、彼は男子高校生なのだから。志和は息をのんだ。

「やっと見つけたぞ、志和」

 湯本京介が、志和の胸倉を掴んでいた。

「お前、本当にふざけんなよ。あの教授の前で、同調するようなことを言って」

「どうしたら良かった?」

「やり過ごすか、逃げるんだ」

「どうしてそんなに怒るの?」

 京介は乱暴に掴んでいたはずなのに、もはや今は、縋りついているかのようだった。

「なんでって志和、お前、危ないだろ」

 志和は気が抜けたように笑う。会ったときに話そうと考えていた言葉は、二人とも全部忘れていた。

「うん。最近、ようやくわかってきた気がする。どうして京介が、入れ替わった人物のように振舞うと怒るのか、夏越らしくすると悲しそうなのか」

 薄茶色の目で志和が、真剣な表情を浮かべて、京介を見つめ返した。

「京介。名無しの船もテセウスの船を名乗っていいよね。乗組員がいくら違っても、船の名前は変わらない。ただ、黒髭船長の船は、黒髭の海賊船だよね」

「志和、つまり、どういう意味だ?」

「私は、どの体にいようと、どんな魂だろうと、湯本京介の友人の『夏越志和』だってこと。大丈夫だよ、夏越志和はそばにいる」

 京介は、聞いてられずに、志和を思い切り抱きしめた。志和は彼の腕の中で硬直する。薄茶色の瞳が困惑したように泳ぐ。

「わかってない。お前は何にもわかっていない」

(あらあ)(やるね)(お前、俺の妹に!)

 頭の中で声がしているのを、遠く感じながら、志和は頭上にある京介の顔を見ようとした。

 科学者の兄はにやつきながらも、足早に去った。

「俺の前にいてくれなきゃ嫌だ。俺はずっとそう言っている」

「あなたが言っているのは、テセウスの船のこと? 乗組員のこと?」

「今さらそれを聞くのか? 全部だ。全部、身も心も」

 彼はなんて身勝手だと、志和は思う。船の意思に関係なく、船が名付けられた。名もなき船として、自由に航海することはもうできない。同じ気持ちで良かったと、安堵する声が、胸の中でした。

「ありがとう」

 志和は京介を抱きしめ返した。

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