幕間 老舗なら では
「逮捕者が出ましたよ! この記事、PVも、警察内部での反響もすごいですね」
興奮したように話す記者に、荒谷教授は冷たい目を向けた。
補助金担当の公務員の友人として紹介された彼は、荒谷たちの期待通り、下世話な趣味を持っており、荒谷教授の「夏越家という怪しい団体に娘が囚われているかもしれない」の一言だけで、夏越一家全員を調べ上げたのだった。
「夏越家には海外で活躍するミュージシャンや現代芸術家、研究者までいて、共同生活を送っている。奇妙な生活です。トキワ荘じゃないんだから。どうして全員これだけ精力的な活動を続けられるのか。読者の興味を引く記事をもう2、3本は書けそうです」
不快感を隠そうとしない荒谷を気遣う様子なく、周囲をきょろきょろと記者は見渡した。
薄汚い喫茶店には客一人おらず、カウンターの奥で店長がグラスを洗っているだけだった。その様子に嘲笑を漏らした記者は、荒谷に囁いた。
「それで、その、誘拐されたっていう夏越志和。彼女があなたの娘だっていう証拠はなんですか?」
「そんなものはない。養子に出されて戸籍も追えない。魂でしかわからない」
記者はきょとんとしたあと、爆笑した。
「魂! 言うに事欠いて! 確かに養子の子はいるみたいでしたけど、地域での顔役ですし、そんなこともあるんじゃないかなと思いましたけどね。その子、幸せそうでしたし」
ぎろりとにらみつけられて、おっとと言いながら口をふさぐ記者は、懲りもせず軽口を叩いた。
「まあ、僕はどっちでも良いですけど。あなたの妄想でも美味しい記事になりますし」
「例えば、魂を入れ替えれる存在がいるとしよう」
記者はうわっという顔を隠さない。淡々と荒谷は続ける。
「入れ替わっていたとしても、魂と言動、本人たちにしかその判別はできない。この恐ろしさがわかるか? お前の愛する人が急に別人になっていたとしても、判別できないんだぜ」
「俺は好きな人が、好きな人の言動のままなら、別に魂とやらが別物でもかまいませんがね。だって俺からはわからないのでしょう」
「下種が」
記者はむっとした。
「人は外見が九割なんて本もあるくらいですよ。しゃべる言葉すらそのときどきで変わるものなのに、目に見えず、あるかないかわからない魂にまで気に掛けるなんて無理です。そんなことしなきゃいけないなら、誰も愛する人を作れませんよ!」
雷に打たれたかのように、荒谷教授は固まった。
「おーい。荒谷先生?」
恐る恐るの記者の声を教授は聞いていない。
「そうか、だから、夏越の彼らは恋ができない。自分たちを固有のものとして判別する術が、自分たちにしかないと思っているからか。いや、むしろ、彼ら自身にさえ自我は分離出来ておらず、曖昧なのかもしれない。けれど、そうなると、あの、唯一親交ある少年はなぜ、志和一人を判別できている?」
「ご注文の追加は」
「いえいえ、けっこうです。もう出ますから」
店長が声をかけるも、記者は愛想笑いをする。
教授を見て怪訝そうな店長の顔に、記者の顔が赤くなった。
そんな様子も鑑みず、荒谷は自説を立てていく。紙ナプキンを何枚も取り出すと、ボールペンの先を何度もひっかけながら走らせていく。
「夏越家が集まるのはなぜだ。あれほど強烈な個性を持った人物ばかりなのは。不可分のはずの肉体と魂を切り離せるのは」
「先生、先生ってば。俺恥ずかしいですよ、やめてください」
荒谷のペンが止まる。
「逆か、強烈な個性を持った人物しか、残らなかったのか?」
冷汗を書き始める彼の腕を、記者は強引に引っ張り上げた。紙ナプキンが床に落ち、グラスが氷をまき散らす。
ぼうぜんとした荒谷教授を引っ立てて、記者は去っていった。後に残されたのは汚されたテーブルと床。
「誰が片付けると思っているんだ、まったく」
店長はぼやくと、紙ナプキンを丁寧に集め、ポケットにしまい込んだ。そして、解ける氷を気にせず、電話をかけた。
電話はワンコールでつながった。彼女との電話はいつもそうだった。その代わり、メールやチャットは数日たたないと返ってこない。
「綿さん、弟さんと妹さんたちの悪い噂を流したやつ、俺の店で密談していきましたよ。気味が悪い連中でしたね。教授を名乗る片割れのメモも残っています。ええ。ああ、弟さんが取りに行くと。承知しました。待っています。いえいえ、十年通ってくれた常連さんの頼みですから。はい、また落ち着いたらごひいきに」
なんで悪い奴は俺の店を密談スペースに選ぶかな。店長は苦笑した。激戦地域の古びた店だ、地域の古参としてそれなりのつながりやしがらみもあるとわかってほしいもんだがね。
店長は自分用に、とっておきのコーヒー豆を挽くことに決め、準備にとりかかった。
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