探偵の体編 インターン 4 結論

 依頼人たちを追って、到着したその場所は、国立記念公園にある、大きな植物園の温室だった。入口には、東京生物理工大学の管轄であることを示されている。

 葉っぱをかき分けて、京介たちは視界不良の植物の隙間を行く。

 京介は周囲の植物の写真を撮っては、グループチャットに写真を送信していく。返信はすぐに返ってきた。

「イレさんから返信。これら全て、違法薬物の元になるやつだとよ」

「思いっきり、社会人サークルは汚染されているね」

 じめっと暑い温室の中央には、机が置いてあり、葉っぱが山盛りにされている。元となると聞いた後で見れば、ここからどう加工するか、一目瞭然だった。

 彼らは、温室から接続されていた、プラスチック製の通路を通る。道中に人は不自然なほどいなかった。夕焼けが、無言で歩く二人の影を濃く、地面に焼きつけている。

 草を燻す煙が立ち込めるビニルハウス内で、女性は安っぽいビーチベッドに寝ていた。

 京介は軽蔑の顔を向け、志和ははじめの顔を引き締めた。

 陶然とした表情で、彼女は京介たちを見た。

「娘は見つかり、ましたか」

 呂律も怪しく問いかける彼女に、志和は首を振る。

「いえ、その必要はありません」

 周囲の草むらから、マスクをした人間が何人も現れ、志和たちの周囲を取り囲んだ。彼らは動揺一つ見せない。罠であることは、予想していた流れだった。

 京介は腕を叩く。

「おい、探偵らしく、関係者も集まったことだし、さてと言えよ」

「確かに、こんな機会、滅多にないものね」

 志和はにやりと笑った。

「では、さて。依頼人のお姉さん。あなたの娘さんがどこにいるか、謎を解きましょう」

 まず初めに、あなたに娘さんはいません。そう、志和は言った。

 信じられない、というように、ビーチベッドの上で、女は首を振った。

「何を根拠にそんなことを言うのですか。私は、あの子を抱いた瞬間を今でも夢に見るのですよ」

「では、なぜ、実家暮らしの娘さんと、メッセージアプリで、あんなやり取りをしようとしているのですか」

 女性が依頼をしに来たとき、娘との連絡が途切れた証拠として、メッセージアプリを示した。そこに並べられたメッセージを、探偵の体も記憶していた。

「一緒に暮らす、仲良し母娘にしては不可解ですよね。あの返答は」

『このbotはサービスを終了いたしました』

 ちらりと見えたその言葉は、親子の会話ではなく、機械応答であることを示していた。

「それにしては、虫の幻覚も、保身の気持ちも、真に迫っていたぜ。全部、この女の虚言か?」

 志和はただ、煙を指さし、女性を指さし、京介に目くばせをした。

 彼は、ああ、と言う。

「自分が実際に経験した話と、幻覚が混じっていたのか」

 周囲の人間たちはじりじりと、包囲を狭めていく。

 京介たちは、死んだように横たわる女を見つめている。

「じゃあ、なんだ、あの探偵のリストと報告書は」

「探偵のリストは本来、ブラックリストだったんだと思うよ。報告書は、ブラックリストのなかでも、勘の鋭い敵をあぶりだすためじゃないかな。明らかな妄言から怪しいものを見出すか、気づくやつがいるのか」

「まさか、即日で暴かれることは想定外だったか」

 女のかさついた唇が、はくと息を吐いた。

「違う。最初はそうしろと言われていたけど。いつからか、私は本当に、娘を探していた。私は社会人二年目、同い年の娘なんていないはずなのに!」

 京介は憐れむように、彼女を見下ろした。

「そうか」

「本当は、いないんじゃないかって、知っていた」

「ああ。苦しんでいる娘がいなくて良かったな」

「ああ、そうか。そうね。そうだった」

 嬉しそうに、そして悲しそうに泣き出す彼女を、志和は不思議そうに見つめている。

 日はもう、ほとんど暮れていた。暗くなる直前、庭師の恰好をした男性はスコップを構えて、京介に突進する。

 想定外である探偵の侵入を、ここまで許したのは、細身の若い男二人をどうとでもできると考えていたからだった。

 だから、これも、想定外の出来事だった。

 京介は慣れたように身を翻し、男の顔面を蹴り飛ばした。一回転して着地した彼は、飛び上がると、背後にいた二人に肘打ちを食らわせた。

「志和と一緒だとこんなことばっかだな」

 京介の軽口に、志和は反応できなかった。志和は、殴り掛かる男をほうほうのていで避ける。薄茶色の瞳が、焦ったように瞬いた。

 彼女は慌てて、兄の体を戦いの中心から離そうとして、失敗する。

 周囲を取り囲んだ男たちが、せせら笑った。

「そんなへっぴり腰で何ができる。意気込んできた割にはだな、探偵さんよ」

 男の挑発に、はじめは動揺しない。何度かジャンプし、体の調子をかめる。

「空腹だし、集中しすぎたせいで頭痛がする。そもそもこの状況。帰ったらお説教だね」

 そう、はじめだった。公安に協力する探偵であり、夏越家のなかでも武闘派な三男が青筋を立てていた。

 京介は、黄土色が周囲をにらみつけるところまで見届けてから、ビニルハウスの出口まで走る。彼を追いかけようとする人間は、もれなく宙を舞った。

 赤いパトランプが夜の闇にまぶしい。周囲の警察は、京介が脱出するのと入れ違いに、中に突入した。

 警察官と共に、志和は自分の体で、ばつの悪い表情を浮かべていた。

「わたしたちの連絡時点で、はじめ兄さんはこうする手はずを整えていたんだって」

「本当に、お前たちは、僕の連絡を待つべきだった」

 はじめがわざわざ、志和の口で言う。

「志和には家に帰ってからも説教するけどな、おかしいだろ。こんなあからさまな罠か、何も気にしない無敵の人対応。どちらにせよ、お前ら二人で対処したら、無傷で済まないだろ」

「でも、はじめ兄さん、わたしたちのおかげで手っ取り早く解決できたじゃん」

「結果論だ」

「インターンで、任せるって言ったのはそっちでしょ」

 はじめは一瞬志和と入れ替わると、顔を思い切りつねった。志和は大げさな悲鳴をあげた。

「指示もしたよな、今日は依頼人の話を聞くだけだって」

「はじめ兄さんの『夏越になった目的』も解決できたんだし、そろそろ許してよ」

「『目的』?」

 聞き覚えのない言葉に、京介は首を傾げた。

「京介にまだ話していなかったのか?」

 志和は首を振り、はじめは続ける。

「僕たちは、だいたい、目的を達成できないと悟って人生に絶望した瞬間に、夏越家になったんだ」

「はあ」

「僕は、自分の力不足を悟って、地域を自分の手で守れないと知った瞬間、家族たちの声が聞こえるようになった。はは、初めは自分の頭がおかしくなったのかと思ったよ」

「でも、はじめ兄さんはもともと『夏越』の名字だったんでしょ」

「そうそう。何代か前の先祖が、『夏越家』だったらしくてな」

 京介は志和を気遣った表情を見せた。

「その話題大丈夫か?」

 志和は京介を笑い飛ばす。

「前も言ったけど、わたしは自分が養子なことを何とも思ってないよ。ほら、血よりも、もっとつながっているでしょ、わたしたち」

「微笑ましいこと言っても、帰ったら説教なのは変わらないからな。あと、京介くんも。よくも無謀な挑戦を止めなかったな。社会人の説教を食らわせてやるよ」

「理不尽だ」

「やっと気づいたのか」


 ※


 彼らの背中を、七瀬は窓越しにじっと見つめていた。

 ビニルハウスが見える位置に、学生用のカフェスペースがある。警察官がそこに気がつくには、もう少し時間が必要だった。

 そこにも、乾燥させた違法薬物の植物粉は積まれている。

 彼女は、粉を少し舐め、顔をしかめた。

「おかしい。私は確かに薬の原料の栽培を頼みました。でも、こんなに強い薬物はいらない。依存性が高い植物を、なりふり構わない資金集めのためだけに栽培するなんて。捕まえてくれと言わんばかりじゃないですか」

 目の前では、男が一人、床に座ってうなだれていた。彼は汗だくで、疲れ果てていた。瞼は今にも閉じそうで七瀬の顔を見てもいない。

 七瀬は彼の横の壁を、思い切り蹴った。

「誰の指示ですか」

「荒谷教授の指示だよ」

 ぽかんとした顔の七瀬に、彼は言う。

「もう疲れた。俺はただの大学院生だ。それも文系の。この世のものではない、あの光景を見るために、ここまで違法なことをやらされるとは思わなかった。探偵も来てくれたことだし、ここで終わりにするぜ」

「あれを見たのですか」

「見た。人生観変わった。だから、協力しようと思った。でも、これ以上の協力は無理だ。最近の教授はおかしなことばかり言う」

 七瀬は、どきりとした表情を見せた。彼の言葉は、最近彼女の頭のなかで響く言葉と同じだった。

「違う」

「七瀬、お前もわかっているんだろう」

「違う!」

 彼女は男を蹴りつけた。男は彼女をせせら笑う。

「やらかしたな。俺もお前も。信じてはいけないものを信じた」

「違う、違う違う」

 一人の笑い声と一人の泣き声は、しばらく聞こえていたが、警察が踏み込む頃には一人分になっていた。

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