探偵の体編 インターン 2
翌朝、マンションの一階エントランスで、男子高校生の驚いた声があがる。
「俺もインターンしろって? 志和だけじゃなくて?」
心底嫌そうな顔をした京介とは違い、はじめの体に入った志和は満面の笑みを浮かべている。
どういう家族会議が行われたのか、進路を決めるため、彼女は各人に一週間ずつ代わって働き、手伝いが転職か見極めることにしたらしい。
初週は公安の協力者である、はじめと代わる週だと、彼らは京介に言った。
インターンと称されたそれに誘われたのは、ルールを説明し終わった次の瞬間だった。進路を考える幼なじみの姿に成長を感じ、しんみりしていた京介が驚きの声をあげるのも、無理がなかった。
はじめは志和の体で、あざとい表情を浮かべて、京介をなだめにかかる。
「それぞれの初日だけでいいから。こんな機会、滅多にないぜ。お前も特にやりたいことないんだろ?」
「いやいや、公安の協力者が、仕事で高校生連れていたら、おかしいだろう」
「俺はあくまで、協力者。本業は探偵。もっと言えば、推理っぽいことをするコンサルタントだから。おかしいのはもともと。大丈夫大丈夫」
大丈夫じゃない、と声高らかに主張する京介をあしらって、はじめは腕時計を見た。登校するには、もう既に、遅刻寸前となる時刻だった。
「昨日の夜、今日の業務を覚えておいたから。体から思い出して使ってね」
次に渋い顔をするのは、志和だった。
「はじめ兄さん、わたし、体から情報を取得するの苦手なんだけど」
「慣れろ。これも経験」
浮かれた様子で、はじめはスカートを揺らしている。志和のときよりも、数センチ短かった。
「どうせ入れ替わったんだ。再びの高校生生活を楽しむさ」
「はじめさん、あまり志和と入れ替わらないものな。女子高生になっちゃった気分はどうだ?」
「癖になるかも」
「わたしの体でやめてよ」
どこか軽いところがあるはじめは笑った。身内の前ではこのようなやり取りをするけれど、探偵業界では真面目で通していると、彼は言う。
「だからモテないんじゃない? この前、職場の人に会ったとき、どこか秘密を隠しているって、陰口を言われてたよ」
志和の体で、はじめが相手の肩をどついた。
「うるさい。緊張したら口が悪くなる癖、改めろってお兄ちゃんは言ったよな。何度も入れ替わっているのに、今さら緊張するなよ」
そう言うと、はじめは志和の背中を力強く叩いた。
知らない人が見れば、志和が家庭内暴力をふるう女子高生に見えていることに、志和自身は気づいているのか。京介にはそれが気がかりだった。
「ほら、志和。仕事なんだし、しっかりいってらっしゃい」
「しばらく大変そうだな」
京介の言葉に、志和は頷いた。
「そうだね。でも、今回はわたしがやりたいことだから。なんか、違うよ」
志和の言う通り、その目はいつもと違い、ちかちかと輝きを放っていた。
※
妹をひとしきりからかったあと、ゆっくりとはじめは登校していった。あのぶんでは朝のホームルームは間に合わないだろう。
志和は兄の背中を見送ったあと、エントランスのドアを開けた。街路樹も生き生きと緑深いなかを歩く。
道中、欠席の連絡を入れていた京介は、駅に着いたとき、ようやく口を開いた。
「行先はわかっているのか?」
「うーん」
そう言うと、志和は頭に手を当てた。しばらくすると指をぱちんと鳴らす。
「思い出せた! 急いで、渋谷駅のはじめ兄さんの探偵事務所に向かわなきゃだね。そこで依頼人が待ってる」
そう言うと、彼女は速足で、普段使わない駅のホームへと向かう。足取りに迷いはなかった。彼女が操る成人男性の脚力に、京介は小走りで追いつく。
「体から情報を入手って、そういう感じなんだ」
「そう。ひたすら考えて、思い出す感じ。記憶は脳みそに入っているから、入れ替わった後、思い出そうと思えば思い出せるものなんだよ」
京介が首を傾げる。
「でもお前、はじめさんが知らないことも知ってるよな。中間テストのときの醜態とか」
「言わないでよ。脳に記憶している以外のことを、入れ替わった後、なんで思い出せるのかってことでしょ。家の皆も不思議がっている」
特別快速の人ごみのなか、ドア横の隙間に、二人は上手く滑り込んだ。朝のラッシュで満員の車内で、ひそひそと話す彼らに注意を向ける人はいない。
「綿姉さん曰く、わたしたちの魂にも記憶は宿っているんだろうって」
「はあ? あのとんちき教授に影響されたか」
とんちき教授とは言うまでもなく荒谷教授のことだ。魂の論説は彼を彷彿とさせた。不審者の件もあって、彼を毛嫌いする京介は、威嚇する猫のような反応を見せる。
含み笑いしながら、志和は否定する。
「ずっと前から、それこそ京介とわたしが知り合う前からの綿姉さんの持論だから、そこは大丈夫」
国分寺から乗ってきた人ごみはひどく、すしづめの車内で、二人は人に押しつぶされる。新宿まであと一駅、そこで乗り換えてもう数駅だ。
「わたしたちの入れ替わりは魂単位で行われていて、魂には心と記憶、あと精神も含有しているのだろうって。だから荒谷教授の話、わたし、割と真面目に聞いていたの」
「信じられないな」
「夏越に関わって何年なの。慣れなよ」
「慣れない。新事実が急に明かされることも多いからな。体から記憶を思い出す話、俺、初めて聞いたぜ」
「わたしが思い出せる範囲は狭いし、曖昧だからほとんど使えないから、言ってなかった。まあ今日はそれで過ごすしかないんだけど」
「普段の入れ替わりはどうしてたんだ」
「引継ぎノートを皆、事前に作って、体のそばに置いておくの」
「そりゃ、間違えようがないな」
「そうでしょ。今日からやばいけどね」
渋谷の自分の事務所で、何人かの依頼人と会うことしか思い出せないと、志和は笑った。
「いや、笑いごとじゃなくない?」
「やっているうちに思い出すんじゃない?」
肩を小突こうとする京介に、志和はうめいた
「本当だって! 記憶は体覚えているから、理論上はいつか思い出せる。何度もそういうことあった。それに、依頼人の話を聞く以外に指定された行動はないから。報告書をまとめるだけで終わりよ、きっと!」
不安いっぱいになる京介とは対照的に、志和は楽観的にだった。
彼女には、目の前の景色が見覚えがあるように、だんだん思えてきていた。そう、毎朝出勤する、ホームの景色を思い出していた。
片方は人ごみに押されて、片方は慣れたように力を受け流して、彼らは乗り換えのために新宿駅を歩く。
志和に案内されてたどり着いたのは、立ち食い蕎麦屋の券売機の前だった。
「はじめ兄さんは、いつもここで腹ごしらえしていることを思い出したんだけど、食べる?」
「急いでいるんじゃなかったのかよ」
「これを食べる時間、十五分をねん出するために急いでいたのよ。朝食少なめにしとけって、はじめ兄さんが言っていたのはこういうことね」
おにぎりセットを迷いなく購入する姿の志和に、京介の頭が痛くなる。なぜ彼女はいつもこう、楽観的なのか、京介には理解できない。
「奢るよ、はじめ兄さんの財布だし。一番高い鴨そば天ぷらセット、いっとく?」
「ああ、もう。しょうがないな。十五分で食えないから良い。ざるそばにするわ」
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