探偵の体編 インターン 1
志和は悩んでいた。
友人関係にも、家族関係にも悩み、自分は苦しみだけで構成されているのではないかと思うほどだった。
一番大きな悩みは彼女の脳みそのほとんどを圧迫して、頭痛すらさせていた。
このままでは、夏越の家族が入れ替わりすらできないほど、彼女の悩みは肥大化して、このままでは身動きが取れなくなるのではないか。そう、危惧するほどだった。
夏越神社で長兄に怒られた翌日、オープンキャンパスがあった二日後の昼休み、志和と京介はいつも通り、教室で弁当を広げている。
志和は弁当の蓋も開けず、昨日、大学でもらったパンフレットを広げていた。内情を知れば、どれも、悪意を持った文章に見えると、彼女は頭を抱えていた。
彼女の幼なじみ、京介は問いかける。
「高三の進路でそんなに悩むのか? まだ夏だし、いっそ大学入学後に考えちゃいけねえのか」
志和は首を振る。
「わたしの家族は、この時点でだいたい進路を決めていた。それに、何か、今考えなきゃいけない気がしているの」
ふうん、と言って京介は昼食にコーラを飲んだ。白米にコーラの食べ合わせの悪さを、何度、志和が指摘しても彼はやめない。
「東生大はオープンキャンパス一校目だろ。まだ別のとこも行ってみようぜ」
近くの塾からもらってきた大学情報のパンプレットがいくつも、彼らの弁当の下敷きになっている。
志和は再び、首を振った。
「もっと根本の、目的を決めなきゃ。カコシダ兄さんに言われたからじゃないけど、わたしも夏越家の一員だし、己の欲ってのが強いはずなんだ。なのに一つも思いつかない」
「その、夏越家の一員だから、ってのがおかしいと思うけどな」
京介はやれやれと箸を口に運んだ。
志和の『願望を見つけたい願望』は、今に始まったことではない。
家族たちの用事には必ず付き合うのも、夏越家のルールに小さく違反してお仕置きされるのも、存在するはずの自分の願望を探すための、無謀な挑戦だということを、京介は最近、薄々と気づき始めていた。
「でも、やりたいこと、全然見つかんない。なんでだろう」
「見つからないのは、当たり前だと思うぜ」
志和は体を硬直させた。男は、彼女の悩みの答えを知っていた。
続きを促された京介は、ハンバーグを箸で細かい賽の目切りにする。
「だってお前、受け身だから。家族の用事も、お仕置きも、結局、お前のやりたいことを考えた結果か? そうじゃないだろ」
志和は、黙って俯いた。京介の言う通りだった。強いて言うならば、先週のカンニングだけは志和の考えた行動だったが、やりたいことをやった結果だとは言えなかった。
「じゃあ、どうすれば」
「それを考えるのが、今だろ。そう簡単に結論出ないとは思うが」
季節は夏になろうとしていた。空調の風と、窓の外からの風が混ざり合い、二人の髪をかき混ぜた。
京介は弁当を食べ終わり、志和は空腹も気にせず、考え込む。薄茶色が水の底に沈むように、じっと中空を見つめている。京介は、弁当を食べるよう促すのをやめた。
志和はたっぷり考えてから、口を開いた。
「わたし、兄さんや姉さんたちの手伝いをしているときは、楽しいな」
「じゃあ、試してみろよ。本当に、手伝いを職業にしてもいいほど、楽しいと思っているのか」
「どうやって?」
「職業見学とか。『夏越』のやり方があるじゃねえか。お前の手を借りたい兄も姉もいるだろう」
「確かに」
次男の夏越和は、世界的な外資系投資銀行の一員だ。彼を休ませるために、志和が代わって出勤したことも何度かあった。
三男の夏越はじめは、軽薄そうなノリに似合わず、警視庁公安と協力関係にある探偵だ。機密があらゆる物理的、電子的な対策で守られている職場に出入りしている。
しかし、そこはまだ入れ替わりの対策を施されていないせいで、志和が代わって探偵として働くことすらあった。
他の兄弟たちも、多々、志和に手伝われ、どの仕事でも志和は十全に振る舞えた。レルの体で世界的ミュージシャンとなり、イレの体で天才科学者を装えた。
「第一、進路に迷ったら、家族に相談。基本だろ」
こんなキャラの濃い家族のことをなぜ忘れたようにふるまえるのか、京介にはさっぱりわからなかった。
志和はぼんやりと空中を見つめているが、話を聞いていないということではない。
京介は、彼女の目の色が万華鏡のように変わる様を、じっと見つめた。
極彩色が落ち着いて、志和の目が黄土色一色に染まった。
三男のはじめが、志和の体の口を開く。
「僕は賛成だ。人手はいくらあってもいい」
紺色の目となり、和は首を振る。
「反対だ。劣化俺たちになってどうする」
「けど、それが志和のやりたいことなら、応援するのがお兄ちゃんだろ。実際、何度助けられているよ」
「しかし、本当にやりたいことだと言えるのか? 今、思いついた仮説だろう」
和の疑問に、薄茶色の目が返事をした。
「それを確かめたい。うん。わたし、やってみたい」
京介は、夏越家の皆は意外と末っ子に甘いことと、志和の本気の駄々はしつこいことを知っていた。
「長くなりそうだな」
彼は勝手に、志和の弁当の蓋を開け、二つしかない肉団子のうち、一つを横取りした。
目に虹を走らせる志和は、昼休みが終わってしばらくしても、気づかなかった。
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