高校生編 昼の夏越神社 夏祭り準備

 快晴だった。この街では快晴が続いている。日差しは気持ちよく京介と志和の体に降り注ぎ、京介は汗をぬぐった。

 小さな神社の境内には、いつもはない簡易テントが何個も張られていた。ちょうど一か月後のささやかな夏祭りに向けて、支柱を深く打ち込んだ。

 勢いの良い男の声と、切符の良い女性の声が混じって、夏祭り会場は祭り当日に負けず劣らずな賑わいを見せていた。

「あと何個テント建てれば良いんだ」

「無限に。兄さんらが止めるまで、ひたすら打ち込むんだ」

「毎年人使い荒いなあ」

 毎年のことながら、手伝いに駆り出されていた京介たちはぼやきあった。

 夏越神社では、地元住民が何十人も集まって、せわしなく働いていた。

 主な構成員は地域で商売を行っている商工会のメンバーだが、京介のように夏越の知り合いも少なからず混じっている。

 試運転としてドローンが頭上に花吹雪を散らしている。

 見上げた先にちょうどあった舞台で男が手を振っていた。太鼓の設置を行っていた二十代の彼が飛び降りる。

「いつも悪いな!」

 普段しないであろう快活な笑顔で、夏越和は笑った。神経質そうにしかめられた顔は緩み切っており、夏越はじめと同じ、軽薄な系統の表情を浮かべていた。

 色白の肌は赤みがかって、作務衣の上に羽織られた法被は汗でびっしょりだった。明らかに働きなれていない体を、慣れたように彼は動かして、夏祭り設営の指示を出している。

 京介の隣で、志和が真っ赤な顔をぬぐっている。

 京介は志和にタオルを手渡し、目を細めて和の顔をまじまじと見た。

 目の色は、祭りの夜の灯篭と同じ、橙色だ。

「和さんの体に、カコシダさんですか」

「正解だ。いつもながら見事だな」

 豪快に笑う彼は、和の絶対にしない表情を浮かべていた。

 彼は夏越家の長男であり、三十台の性格に似あう巨体を持った男だ。京介の上階にあたるマンションには住んでおらず、ここ、夏越神社に住み込み、宮司の仕事をこなしている。

「今夜は地域の集まりがあるからな。俺の体は和に代わって、休んでもらっている」

「よくワーカホリックの和兄さんが休みましたね」

「うむ。実を言うと、綿に手伝ってもらって強引な手を使った。機嫌を取るのが大変だ」

 話しながらも彼は指図する手を休めない。そのおかげで順調に会場設営は進んでいるようだった。

 彼は二人を休憩に誘ってくる。京介たちは賛成して、彼の後をついていった。

 石畳の上を、カコシダの体が履いた下駄がからころと鳴る。見渡せるほどの大きさの境内は無数のテントのせいで入り組んでいた。

 しかし三人は勝手知ったる様子で、社務所に最短距離で歩いていく。

 宮司をしているカコシダはともかく、京介も同じく迷う様子はない。彼が志和の友人となった六年前から今まで、『夏越の夏祭り』の手伝いをしてきた経験は、彼の身に沁みついていた。

 石畳の上を、夏越イレが設置した清掃マシンが滑っていく。段差の多い境内に最適化したそれは虫に似ていて、忌避感を覚えさせた。

 青空に花が舞う空に対して、無数の飾られる前のむき出しのテントに、虫のようなロボットが這う地面を歩く夏越家の二人は、京介の目にも不思議と似合っていた。京介がいなくとも、何もおかしくはない。

 京介は思わず、カコシダに声をかけた。

「今回は準備が早いですね」

「商工所の都合さ。なんかあったらしい」

「カコシダ兄さん、もしかして、今夜の相談ってのも、それと関係あったりする?」

「相変わらず、世俗に関しての勘だけは良いな」

 カコシダは鼻白んだ。

「志和、手伝ってもらって悪いがな、俺には志和に言いたいことがあんだよ」

 社務所の入り口でカコシダは立ち止まり、志和はぎくりと肩を震わせた。

 京介は思わず、身を乗り出した。

「ここじゃなんですし、中入りませんか?」

 今日の最高気温は、真夏並みの予報が出ていた。取り繕った京介の提案に、カコシダはぎろりとにらみつけた。

「京介くん、友人だからこそ、ここは黙ってほしい」

 そう言いながらも一理あると思ったのか、彼は社務所に上がり込んだ。

 二人は暗い顔で一歩足を踏み入れて、息を吐いた。

「あのことかな。今までの志望校にしてきた東生大進学を、やめにすること」

「きっとそれだ」

「でも、オープンキャンパスは昨日だよ。なんでもうバレたかな」

 裸足で内扉を開けた先頭の志和が固まった。

「どうした」

 京介は肩越しに中を覗き込んで、驚いた。

 さらさらとした髪に、ピンク色のチーク。彼女の桜貝のような唇は、社務所に入れ替わり立ち代わり訪れる人間の冗談に合わせて、笑っている。

「七瀬、なんでいるんだ?」

 京介の驚きの声に、七瀬紗耶香はゆっくり時間をかけて振り返った。

 カコシダは京介たちの分のおにぎりを確保すると、七瀬のそばに立った。

「今回、大学のゼミも出店を出したいっていうから、準備から手伝ってもらっているのさ」

「カコシダさん、七瀬は俺たちと同級生だぜ」

「知っているさ。でも、もう進路を決めて、ゼミの聴講生として認められているそうじゃないか。俺は立派だと思うね」

 彼はおにぎりを投げ渡して、どっかりと座った。そばにそっと七瀬が侍り、志和の口元がひくりとひきつった。

 京介が控えめに進言する。

「あの、七瀬は部外者ですし、聞こえないところでやりませんか」

「いや、夏越家の人間なら、この程度、気にも留めちゃならん」

 夏越家の人間は家族に対し、異様に厳しい。幼少期を除いて、志和に対する態度は、厳格さを増すばかりで、それはカコシダや綿といった、年長者ほど顕著な傾向だった。

「進路決まったのか、志和」

 厳格にカコシダは切り出した。

「学力から言って、ちょうど良い大学を志望校から外すのは良いが、代わりに何をやる?」

 志和は答えられず俯いた。京介ははらはらと見守っている。

 カコシダの手元でくしゃりとおにぎりが形を崩した。

「そこのお嬢さんから聞いたぜ、高名な教授の誘いを一顧だにせず断ったというじゃないか」

 七瀬は何も感じさせない、透明な微笑みを浮かべていた。

 反論しようとする京介を、志和はアイコンタクトで止める。薄茶色の瞳はゆらゆらと揺れていた。

「俺たち家族は、二通りに分けられる。自分の興味を優先する者と、社会に奉仕したいと考える者だ。お前も決めなきゃいけない時期に来た」

 高圧的に言うカコシダの目を、志和は見ることもできていない。

「京介からも言ってやってくれよ。俺たちは特別な人間じゃないってな。身の丈に合った食い扶持を探さにゃならんとな」

 京介はいたたまれない気持ちで、握らされたおにぎりを見つめた。空腹を覚えていたはずの腹はもはやなにも感じない。

 結局、志和が返事をすることはなかった。

 カコシダがため息をついて立ち上がる。

「まあ、こんな場所で言う話でもないか」

 でも、これだけは言っておくと彼は睥睨した。

「俺たちは夏越家だ、わかるだろう。生まれたからには責任を果たせ」

 そこまで言うと、彼は扉をぴしゃりと閉めて出て行った。

 志和は兄を見送って、静かに頭を抱えた。

 京介は隣で静かに、おにぎりのアルミホイルを外した。友人としていえることはないと、彼は悟っていた。

 二人の関係を、七瀬は不思議そうに眺めていた。

 京介たち三人を遠巻きに、聞き耳を立てながらも、社務所の中の人々は自分の仕事に没頭したふりをしていた。

 沈黙を破ったのは、最もなじみ薄い彼女だった。

「夏越さんは、将来、何をしたいのです?」

 七瀬の言葉に、京介が返事をした。

「なんで、七瀬がそんなこと気にするんだよ」

「要さんが気にしているからです」

 七瀬は心底嫌そうに教えた。彼の関心を買う志和が心から不可解で、不愉快だと顔からにじみ出ている。

 京介は眉をあげる。

「荒谷教授が?」

「夏越さん、求められることをするのも、人生に大事だとは思いませんか?」

 七瀬は蛇のようにささやきかける。

「私はあなたに才能は感じないけれど、一角の教授が求めているの。不愉快があっても、飲み込むのも将来のためには必要なことなんじゃないの」

 ねえ、と彼女は囁く。

「どうせあなた、やりたいこともないのでしょう? なら、人に使われるのも良いじゃない」

 京介が口を開こうとするのと、志和が立ち上がるのは、同時だった。

 しおれたような志和は、それに反して勢いよく、扉をたたきつけるように開けた。

 京介はその背中を追う途中で、七瀬にすれ違いざまに言う。

「余計なお世話なんだと、お前の飼い主に言っとけ」

 七瀬の逆上の声を聞きながら、京介は志和を追う。

 行きと違い、参道に花はなかった。休憩に入ったのか、静かな参道に、二人分の玉砂利を踏む音が響く。

 京介は志和の背中に言う。

「俺は、志和が自分に優しく生きても良いと思っているよ」

 志和は振り返らない。京介はなおも言う。

「やばそうな場所から逃げて、目的なく平和に生きることの何が悪い。一般的にはそっちの人のが多いんだぜ」

 志和は背中を向けて、目の色をかたくなに見せようとしなかった。

 だから、志和の脳内で、何人の兄や姉が意見を述べているか、京介にはわからなかった。

 志和は思う。自分でも、このままではいけないとわかっている。ただ、今だけは、全員黙ってほしかった。七瀬の蔑んだ目が、京介の同情する目が、彼女の脳裏から離れない。

 蝉しぐれがうるさいと、彼女は心から思っていた。

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