小学生編 夏越家にて 4

 ついに、秘密を打ち明けた志和に対し、京介の反応はあっさりしたものだった。

「お前、志和と夏越家のみんなは入れ替われる。何を入れ替われるの?」

「魂。体以外の全部。記憶も、意思も持って、それぞれの家族の体に入れる。自分たちの思う通りに」

 彼女は言い終わると顔を赤らめて、綿の背後に隠れた。綿は慈母のような笑みを浮かべている。

 志和の告白は、彼女にとって重大な決心だったらしいと、京介は察した。そのうえで、彼は志和の告白が何を意味するのか、さっぱりわからなかった。

「それで何なんだ」

「え」

 彼らの様子を見かねた、優しいはじめが立ち上がる。

「俺たち、夏越家はお互いの体を自由に使うことができる。ただし、相手の合意が必要だし、一つの体にいれるのは一人だけ。それを俺たちは体の共有とか、入れ替わりとか呼んでる」

 困惑の色を深くした様子の京介を見て、はじめは言う。

「実演しようか」

 そう言うと、はじめはリビングから出て行った。

 綿はトランプを取り出して一枚、京介に見せた。

「今、見えているカードは?」

 トランプのハートの1だった。リビングにいる夏越家と、志和の目がカードをじっと見た。その目は黄土色に、京介に見えていた。

 ドアの向こうから大声が聞こえたのと、志和の目が薄茶色に戻るのは同時だった。

「ハートの1!」

「じゃあどんどん行くよ」

 カードがめくられ、目が黄土色に輝き、大声が聞こえることが数度繰り返された。

 どの答えもあっていて、何らかの手段で情報を伝える術があることは、誰の目にも明らかだった。

 何度目かのあと、京介は口を開いた。

「でもそれ、今ならスマホでできますよね?」

「その通りだぜ!」

 レルが大きな口を開けて笑った。

 寒そうにリビングに戻ってきたはじめは付け加える。

「体を入れ替われて良いことは、俺たちなりには色々あるんだけど。今は、技術でほとんどできるんだよな」

「便利になったよ本当」

「前は厳密に役割やそれぞれ就職する仕事を決めてたけど、もう自由に選んでいるしな」

「大家族で楽しいぜ。研究に困らない」

「出た、研究バカ」「うるせえ音楽バカ」

 楽しそうな彼らを見る京介は、夏越志和が変なのではなく、夏越家がおかしいのだと評価を改めていた。

 その様子を前にして、次男の和がイラついたように、京介に問いかけた。

「中途半端にしか証明できないことを話したのはなぜだと思う、湯本京介。これは俺たちにとって、重い秘密だ」

 小学生の京介には思いつきもしない。

 気がつけば、夏越家は全員、京介と和に注目していた。京介は唾を飲んだ。

「わからない」

「本当に? だから子どもは嫌いなんだ」

「おいおい、お前は子どもだけじゃなくて、人間がみんな嫌いだろ」

 和の注意が、変顔で挑発するレルに向いた。

 さっと京介の右耳に口を寄せて、綿がささやきかけた。

「さて、私たちの秘密を教えたから、協力してほしいんだよね」

「一方的だとフェアじゃないからな」

 背後に立ったはじめも、綿の言葉に被せるように言う。その声は、協力という形の命令を示していた。

 全員の視線が京介に注がれる。ほとんどの色は、揺るぎなく輝いているなかで、唯一、薄茶色だけが、不安そうに揺れていた。

 京介は周囲を見渡した後、ゆっくりと言った。

「俺に何をさせたい」

「ああ、私たち夏越家に、協力してくれるの?」

「何をするか次第だ」

 険しい顔で言い切った京介は、志和の顔を見た。彼女の顔色は真っ青で、おろおろと兄姉たちを見ている。

「志和」

 彼女はびくりと体を震わせる。

「お前も、夏越の兄さん姉さんたちみたいに、俺に従ってほしいの」

 ゆっくりと、しかし、大きなしぐさで、志和は首を振った。

 小さな桜色の唇がゆっくりと開く。遅いペースで言葉が続いた。

「わたし、京介くんが頼りになると思ってる」

「うん」

「なぜか、わたし以外がわたしなことに気がついたから、すごい」

「そうか」

「だから、わたしたちを助けてほしいと思う」

 話し言葉は拙く、内容も薄い。それでも現時点での志和の精一杯の言葉で、京介にため息をつかせるには十分だった。

「まあ、どうせご近所さんが変でも、住んでいる以上、付き合っていかなきゃだしな」

 そう言って座る姿を、綿はにこやかに見る。

「ありがとう。あなたが志和の友だちで良かったわ」

「やるかはまだ決めてない。何をさせたいか、早く言ってくれ」

「簡単なことよ、教えてほしいの。なんで志和の、私たちの入れ替わりに気づいたの?」

 心底不思議そうな声で、綿は言った。夏越の兄弟たちが真剣に言う。

「やっぱり、子どもの演技はみんな下手だから?」

「志和は特に自我が薄いからか」

「でも、クラスの他の子は気づいていないよね。初日から入れ替わって、気分が変わりやすい子のように見えるようにしたし」

「志和、京介くんに秘密をバラしたか?」

 兄の問いかけに志和がゆっくりと首を振る。その目は尊敬の念で京介を見ている。

 そこで初めて、京介は夏越家は、生まれて初めて、入れ替わりに気がつかれたのだと知った。

「目でわかるじゃん」

 京介の言葉に、京介以外の全員が首を傾げた。

「人って目の色がそれぞれ決まっているのに、志和だけ違う色になることがあって、その時に限って、いつもと違う性格。だから、目の前にいる志和の中身は、別人だってわかった」

 京介の言葉を、はじめが嚙み締めた。

「目の色って、虹彩の色とは別のものだよね」

「うん。目の黒色の上にうっすら、人によって色がついている」

 京介が首を傾げる番だった。

「みんなも見えてるよね?」

 全員が首を振った。

「自分の感覚を人に共有することはなかなかない。ましてや目の色なんていちいち確認しないから、気づかれなかったんだろうな」

「魂の共感覚か」

「この子は、魂の色が目に見えているんだ。それで異変に気がつきやすかったと」

「どう対策する」

 京介には、彼らの言うことは理解できなかった。ただ、彼らが何かに困っていて、それは京介にバレたことと無関係ではないことは、何となく察せられた。

 様子を伺う京介のTシャツの裾が引っ張られる。

 志和が薄茶色の目を輝かせながら、食卓を指さした。

「みんな、ああなると長いから、先に食べてようよ。たぶんまた後で、いろいろ聞かれるよ」

 食卓の上のごちそうは、どれもまだ、温かそうに湯気を立てていた。秘密をばらされて、協力を迫られても、そんなに長い時間経っていなかった。

 長い時間、話を聞かれていたみたいに感じて、疲れた京介はげんなりとした。

「夏越家はいつもこんな感じなの?」

「こんな感じだったり、こんな感じじゃなかったりする」

 志和は二つの茶碗にご飯をつぐと、京介と自分の前に置いた。

 湯気を立てるごちそうの中にはハンバーグや餃子といった京介も好きなものや、あんかけの柔らかそうなもの、ふかひれといった高級品や、色とりどりの肉厚な刺身も含まれていた。

 サンドイッチやフレンチトースト、ケバブも並べられており、それはパンが大好物な次男の和のためなのだと、志和は京介に教えた。

 いつの間にか、レルは京介の隣でフライドチキンにかじりついている。彼は京介に笑いかけた。

「悪いな。俺たち家族は家族のことになるとああなるんだ」

 志和とは何一つ似ていない、鋭利な歯を見せる彼の目は、今日も真っ赤な色をしていた。

「バレるなんてことありえなかったのに。志和が生まれてから、想定外ばかりだな」

「志和のせい?」

 京介は、ケチャップをたっぷりかけたハンバーグを食べる手を止める。ハンバーグから垂れた肉汁が、白米にシミをつける。

「おう、俺たち夏越家に赤ん坊はいないはずなんだ。いや、結婚できないってわけじゃなくて、結婚して子どもを作っても夏越家の特性が引き継がれないって意味」

「特性って?」

「入れ替われる、体を共有できるってやつ。だいたい十代から能力が発現する。でも、志和だけは、赤ん坊の頃からそれができた」

 海外の仲の悪い分家にまで確認したんだぜ、と彼は言いながら、ビールの缶のプルタブを開けた。昼間から酒を飲む、子どもの教育に悪い男は続ける。

「俺も綿姉さんほど夏越家のことを知っているわけじゃない。だが、実際に赤ん坊の体に入れ替われた時は驚いた。天才児としてふるまうこともできたが、まあ、それは志和が望まなかった」

 必死に考えていた京介は問いかけた。

「志和はもともと、夏越家の人じゃなかったのか」

「おう。孤児施設にいた。正規の手続きで引き取ってるぜ。血がつながっているかって意味なら、この家に本当の家族はいないな」

 ハンバーグを見つめた京介はやけくそのように口に詰め込んで、そのまま聞いた。

「誰も血がつながらない家族だって、それも夏越家の秘密なんじゃないの。話していいの」

 二本目のビールに手をかけたレルは、一瞬止まった。

「ま、ええだろ!」

「良いわけあるか!」

 和がレルからビールを取り上げて怒鳴る。

「こんな子どもに、そんな秘密まで話しやがって。阿呆め。どんな危険があるかわからないんだぞ」

「どんな危険があるかわからんのが問題なんだろ。あるかないかわからんもので、子どもに不誠実になるほうがおかしいだろ」

 くたびれた顔で、はじめが口論に割って入る。

「その喧嘩も、人様の子の前でやることじゃないでしょ」

 彼は色とりどりの刺身盛り全体に醤油を回しかけて、自分のほうに引き寄せた。当分の間、大皿を独り占めするつもりらしい。

「入れ替われる一家の子どもって思った以上に人目を引くらしくてね。志和に興味を持つ団体がいくつかうろついているんだ」

「あの不審者みたいな?」

 京介は不審者の姿とメスを思い出しかけて、まだケチャップの味が残る口にレタスを詰め込んで飲み込んだ。

 ちびちびと刺身をつまみながらビールをあおるはじめは、年齢よりもずっと老けて見えた。

「僕たちも混乱しているんだけどね。今の夏越家には女子高校生の福や、大学生の和、あと、いちおう大学院生の僕にも目もくれないのに、なんで志和にだけ興味を持たれたのかわからない」

 あと、なんで入れ替わりがバレたのかも。そう、はじめが言う言葉には、京介は同意できなかった。演技力を過信するきらいがある彼らに、京介はふと思い立ち、質問をした。

「いつから夏越家はあるんだ。どうやってなる。レルの話で考えると、ある日突然、急に入れ替われるようになるのか?」

 食卓が静まり返った。

 静かになった食卓の視線が、一人の美女に集中する。うっとりと卵焼きを味わっていた彼女はゆっくりと咀嚼してから言う。

「私が夏越の最初の一人。夏越家になる方法は内緒。知る必要はないわ。あと、夏越家は昔からあるわよ」

 夏越綿は、多く見積もっても三十台前半にしか見えなかった。全身身ぎれいに整えられており、たおやかな手にも、微笑みを浮かべる顔にも、一点の曇りはない。

 京介は彼女の拒絶する表情に、こくこくと頷き、食事に戻った。

 食事はどれもおいしく、豪勢に飾り付けられていた。京介の持ってきた梨も、飾り切りで大輪の花や動物に姿を変えている。女子高生だという福が写真を撮っては、SNSの大量の反応があったと、家族全員に報告している。

 京介は、この奇妙な一家の仲の良さを理解した。

 だから、一家の末っ子が狙われるという緊急事態に、一家以外の人物でまだ子どもの知恵を借りようとするくらいに慌てたのだと、京介は思った。

 食卓には笑顔があふれ、どこにでもいる人間のように、全員笑いあっている。

 京介はひどく、胸が熱くなってしまった。

「綿さん」

「なあに?」

「俺は出来る限り、夏越家に協力する。どうしたらいい」

「志和と友達でいてくれるだけでいい」

 きっぱりと、それでいて揃った声で大人たちは言った。

「京介くんの言うように、確かに変な一家だ」

「もめごともある。この家にいる家族は、全員変人だから」

「でも、できれば、友達として、志和を助けてやってほしい」

 京介はごちそうを食べながら、その言葉を聞いた。

 食べ物はどれもおいしく、湯本家と違う味付けだった。でも、それだけだった。ハンバーグはひき肉でできたハンバーグの味がして、付け合わせのポテトサラダはマヨネーズの味がした。

 京介は言いようもない照れ臭さを感じながら言い切った。

「夏越家のこととか、関係ないよ」

 勢いをつけて言う。

「事情もわかった。志和を助けてやるよ。俺たちは友達だからな」

 きっと自分は秘密にされていたことが気に食わなかったんだ。京介は、そう自覚した。照れ隠しに、勝手にお代わりの白米を、自分の茶碗によそう。

 きょとんとした志和の顔を見ないようにしている京介の顔を、レルが覗き込んだ。

「なんだよ、志和」

 レルの赤い目は、志和の薄茶色に染まっていた。レルは志和とは似ても似つかない顔つきに、志和の表情を浮かべた。

「ありがとう京介!」

 どこに顔を背けようと、薄茶色の目は夏越家全員の体を行き来して、京介の顔を見続けていた。

 最後に、この奇妙な追いかけっこに根負けした京介は真っ赤な顔で、志和の顔と笑いあった。

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