小学生編 夏越家にて 2

京介は、どうしてそうなるんだと思っていた。

いつも五階を押すエレベータの六階を押す。掲示物が京介の目線の高さに、何枚も張りつけられている。『ゴミ捨てのルール変更について』『夏越神社後援会よりお知らせ』『周辺の工事スケジュール』一枚も読み終えないうちに、到着を知らせるブザーが鳴った。

六階は、京介の住む五階と大差がない廊下をしていた。ただ、複数あるはずのドアは一枚しかない。夏越家は六階を借り切り、一部屋にリフォームしたのだという。

彼は、志和の家の目の前に立っていた。

インターホンのレンズが、京介をにらみつける。負けじとにらみつける京介は、どうしてもインターホンを鳴らしたくなかった。

なぜ、変なクラスメイトの話をしたら、家に遊びに行かされる羽目になるのか、腑に落ちなかった。

手に持つ母方の祖父母が作った梨のおすそ分けが、目の前のドアから逃げて、公園に行きたい気持ちを引き留めていた。

公園に行けばこの梨が腐ってしまう。基本的に、京介は真面目な性格だ。刺々しい言動をしてしまうのは、志和のことに関してだけ。その意味を、彼だけは知らない。

彼はがしがしと頭をかく。夏なのに曇りで、肌寒い日だった。母親に追い出される格好で外出した京介の手足が冷えていく。

腹を決めた彼は、ようやく、夏越家のインターホンを鳴らした。

ピンポン「はい。」

即座に応答した声は、京介の知らない男の声だった。京介の父親ほどは歳を取っていない若々しい声に、京介は背筋を正す。

「湯本京介です。下の階に住んでます。お母さんに言われて来ました」

「何しに?」

京介は言葉に詰まる。母親に話してこいと言われたのはつい先ほどで、京介はまだ事態を飲み込めていなかった。

「引っ越しの挨拶ならお構いなく」

神経質そうな声が、インターホンを切ろうとする気配に、京介は慌てて言った。

「いえ! その、梨があります」

京介はインターホンのレンズに映るように、彼の背丈ぎりぎりまで、重い紙袋を掲げた。

「おすそ分けです。あと、おれ、夏越の、志和の同級生です。おしゃべりしにきました」

とっさに出てきた言葉は、拙い説明だった。

返事は数分待っても返ってこない。京介はあっけにとられた。京介の周りの大人は、全員彼の言葉を聞こうとしてくれる優しい大人ばかりだったため、このような事態は初めてだった。

遊びに来ていいと言ったのは、夏越家の方ではなかったのか。そう、京介は聞く前に、インターホンが切れる。

拒絶されたことに気づいた京介は、のろのろとドアノブに梨の紙袋をかけようとした。

おじいちゃんたちの梨は腐る前に食べてほしい。そう思う彼の目の前が開く。

ドアを開けたのは、Tシャツの部屋着姿の同級生だった。

「早く入れ。今日は寒い」

真っ黒な瞳で、夏越志和は早口で言った。

薄茶色でない目の色に、普段と違う口調。いつもの志和と異なることを、志和は隠しもしなかった。

京介が気になる同級生は、薄茶色の瞳にうすぼんやりとのんびりとした口調をしている。この志和は、変になっているときのやつだ。

警戒する京介を見て、志和は感心したようだった。

「わかるのか」

「なにが」

「ああ、そこまでの理解か」

納得したように言うと、紙袋をひったくる。迅速な行動は、クラスで見る彼女とは似ても似つかない。

「夏越家に遊びに来たんだろ。上がれ。開けっ放しだと今日は寒い」

無言で立ち尽くす京介に、志和は言う。

「志和がなんで変になるか、お前には教えてやるよ」

まるで他人事かのように、志和は言った。その言葉に一瞬身を震わせた京介は、紙袋を見て、志和を見て、開けられたドアを見た。

そして、ついに彼は、そろそろと夏越家の玄関に足を踏みいれた。

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