小学生編 雨水道 2

「痛いっ」「ぐえ」「わっ」

 痛みと共に着地した後、クラスメイト二人は呆けたようになっていた。目の前に仁王立ちする同級生は尋常じゃない怒気を発している。

 京介は口ごもった。彼女の怒りは、ただ置き去りにされただけでは説明がつかなかった。どうしてそんなに彼女が怒るのか、彼にはわからない。

 彼の目の前で、ずるり、と何かが彼女の中から這い出した気がした。

 彼女の目の色が変わる。黄土色から事情を知った赤色が湿った洞穴に燃え上がる。いや、そこは、洞穴ではなかった。秘密基地にも適さない。

 ぱきりと、志和は夏祭りの屋台で配る、折って光を発するおもちゃを折って、三人の手首に巻きつけた。

「これは緊急退避用の雨水道だ。雨専用の下水道」

「退避、逃げる? 誰が逃げるためなの」

「誰が、ではない。何が、だ」

 背後から大きな音がした。声なんて聞こえない暗がりで、絶叫する京介に聞こえないだろうと思いながら、志和の口を開いた。

「ここは大雨の時、水を川に逃がす上水道だ!」

 背後から濁流が彼らを追ってきていた。

「逃げろ!」

 ごうっとまるで怪物の声のように、濁流が流れる音が反響した。先ほどまで足を引いていた何者かは、ライトで照らせば水位を増した上水道だったのだと、京介は気がついた。

 全員、無我夢中で走る。同級生二人が滑りそうになれば、京介か志和が助け起こし、京介がよろめけば、赤い目の志和が引っ張り戻す。志和は一度も助けを必要としなかった。

 壊れたマンホールは滝のように雨が流れていて使えない。京介たちは志和の道案内で地上につながる通路に向かった。

 這う這うの体で上水道を抜け出したとき、彼らを待っていたのは大勢の警察官と、血の気の引いた親たちだった。

 志和の手にはスマホが握られている。同級生たちを完璧に助けた彼女は、こちらを向いた。きれいな赤い目だった。

 京介のお礼は大雨の音と怒号が遮り、薄茶色の目に戻るまで志和に届くことはなかった。



 毛布にくるまった二人は、同じパトカーに乗せられてうなだれていた。同級生は既にこっぴどく怒られて帰っていった。志和は、自分たちは加害者と被害者であることを正直に話し、まとめて運ぶことに抗議したものの、当の志和が自分が遊びに連れて行くように頼んだのだと証言したことで、ただかばっての言葉だと解釈されてしまった。

 京介の悪意を知っているのは、同級生二人と志和だけ。誰にも叱ってもらえなくなった悪意を持て余して、隣の女子の真意を測りかねて、京介はずっと貧乏ゆすりをしている。同じマンションに住んでいて、放課後一緒に遊びに行っているからって仲良しだと思うなよ。彼はそう思いながら、外を見る。

 記録的な豪雨が膜になってパトカーを包んでいる。窓ガラスを隔てて見る街は悲惨で、そこかしこから水が逆流している。息子の姿を見て抱きしめた京介の両親はこの光景を見て、待っている間何を思っていたのか。元は俺のせいなのにと、京介は自分に対する怒りが止められなかった。

 隣に座る志和の目は、今は薄茶色だ。あの時助けてくれた赤色とは違う。だから、京介は謝りはしても、お礼は言わなかった。

「みんな、無事でよかった」

 ぽつりと、夏越志和は言った。ゆるく口元は開けられていて、それはまるで、微笑のようだった。その瞳は優しく、三日月の形をしていた。

 まるで、笑っているようだった。

「今なんて言った」

 京介の問いに、志和は不思議そうに小首を傾げた。

 その様子が、京介にはなぜか、欠けたマンホールから覗いた秘密基地の美しい苔を思い起こされて、泣きたくなるほど悲しくなった。

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