F先生の返信 6

   太田 俊哉様


 お返事ありがとうございます。

 少し書きにくかったのではないかと想像するのですが、手紙の最後で胸の内を率直に語っていただいたことを深く感謝いたします。

 太田様の抱かれた数々の疑問、その疑問からたどり着かれた「ミユキ様はやはり未来予知をしていたのではないか」という思い、そして、「この方法で可能」だからといって「この方法で行われた」と断言することまではできないという見解。

 本当にそうですね。これは嫌味で書くのではなく、私の考えた方法は、「その方法でも可能」という選択肢の一つであって、「その方法以外では不可能」というものではありません。まさに机上の空論です。なお、机上の空論という言葉にはネガティブな響きがあることは承知していますが、私はこの机上の空論をあれこれといじるのが好きなのです。(職業病かもしれません)

 そこでもう一度、太田様に送っていただいたボイスレコーダーの書き起こしを読み直してみました。一度、二度では飽き足らず、しつこく何度も読み返しました。そして一ヶ所ではありますが、三十五年前の録音という設定を否定できそうなやり取りを見つけたのです。


『昔なくしてしまった、麦わら帽子のことを聞いていただきたいのです』

「なくしてしまった麦わら帽子? もしかして、西條八十の詩に関係があったりしますか」

『さいじょうやそ――それはどなたですか』

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね? ですよ」

『ごめんなさい。ちょっとわからないです』


 太田様は、声の感じや話しぶりから、ミユキ様の年齢を「あえて具体的な数字を言うなら、二十歳前後でしょうか」と推測されています。これを客観的に裏付けする材料はありませんが、ここはひとまず正しい推測だとしておきます。

 ミユキ様(二十歳前後)の音声が録音されたとされるのは三十五年前、つまり一九八五年頃ということになります。さらにその約十年前――正確には一九七七年(ミユキ様は十代前半?)に、角川映画「人間の証明」のプロモーションとして、お二人の会話の中に出てきた西條八十の詩の一部がテレビのCMで盛んに流されています。

 それはもう、すごいものでした。「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?」というフレーズが毎日何十回と流され続けていました。ドリフターズのコントの中で「〇〇さん、僕のあの〇〇、どうしたんでしょうね?」というパロディーが使われるほどでした。

 私は当時十三歳だったので(ということはミユキ様とほぼ同世代か少し上?)、このCMが毎日のようにテレビで流されるのを見聞きしていました。私だけでなく、この当時を生きた人であれば、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?」というフレーズを必ず記憶しているはずなのです。しかし、ミユキ様からは『ごめんなさい。ちょっとわからないです』という反応が返ってきました。よって、ミユキ様はこの当時を生きた人ではなかったと推測できるのです(かなり強引か?)。

 つまり、未来予知の可否とは関係なく、ミユキ様が三十五年前に音声の録音をすることは不可能だった(当時はまだ生まれていなかった?)ということになります。


 以上、根拠となる部分はすべて仮定と推測です。しかも、「いっくん」に対して投げかけられたメッセージに関する疑問については何も答えていません。この件については白旗を掲げ、今回はすごすごと退場することにいたします。


                             F拝


 追伸

 退場すると宣言しておきながらこのようなお願いをするのはどうかと思いますが、もしこの先、ミユキ様絡みで何か動きがありましたらお知らせ下さい。しつこくて申しわけありません。

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