刑事 坂本詩織 只今謹慎中なり

dream6

全話 女性刑事の奮闘記

「ねぇ義則さん、私に何か隠していることない?」

「なんだよ突然、俺が何を隠していると言うんだ」

「あらどうしてそんなに無気になるの、何も無ければ軽く笑っていられるのに」

「…………」

「そう、言えないのならハッキリ言ってあげる。義則さん妻子が居るでしょう、嫌とは言わせないわ。なんなら奥さんに電話をいれて確認しましょうか」

「なっ何を言っている。そんな筈ないだろう」

「まだ言い訳する気、私を一年間も騙し続けたのね。私はただの遊び相手なの? 許せない、信じていたのに」

「五月蠅い! 信じないのなら別れよう」

「そう開き直るの。誤解だよ、信じてくれと嘘でもいいから言ってほしかった」

「それがどうした。俺達そろそろ潮時だな」

「わたし意外とプライドが高いの。こんなに傷ついたのは生まれて初めてよ。もう二度と会わないし顏も見たくない。最後にこれまでのお礼をするわ」

「ふん、たかが女だろう。どうお礼をしてくれると言うのだ。殴られたくなかったら消えろ」

「それ今まで付き合って来たセリフなの。私を甘く見ないで、騙して私が悪いですと土下座するなら勘弁してやってもいいわ」

「ふざけるな! 二度と人前に出られないように顏の形を変えてやろうか」

「あら、どちらの顏が変わるのかしら」

詩織はそう言い終わって、逆切れした義則にいきなり強烈なパンチを浴びせ立ち上がろうした所へ足蹴りを喰らわせた。更に数回蹴り続ける。みるみる内に顏は腫れあがり失神寸前となった。

「いったい君は何者なんだ。確か公務員といったよな」

「公務員だって色々あるの。貴方が私を騙した報いよ。文句あるのなら警察でも何処へでも申し出ればいいわ。それとも私から奥さんに報告しましょうか。もう二度に合わないし顏もみたくない。さようなら」


 一年ほどの付き合いだったが義則は大人であり若い男と違い魅力的だった。だから夢中になり過ぎ彼の本性を見抜けなかった。自分が警察官である事を忘れかけていたのか。恋とは怖いものだ。人の心理を読める事には長けているにも関わらず恋は盲目というのか。そんな自分が情けない。騙された事が悔しくて、ぶちのめしてやった。多分全治一か月くらいかも知れない。その後も会ってもいないし連絡もなし。女が男をぶちのめしのだから普通ではない。それもそのはず警察学校でみっちり鍛えられた実績がある詩織だ。並みの男では歯がたたない。相手の男は被害届こそ出さなかった。いや出せなかった下手に出せば事が公になり家族や会社に言い訳が出来なくなる。一方、詩織は素直に上司を飛び越えて署長に報告した。

「あの~ちょっとお話があるのですが……」

「なんだ? おまえから話とは穏やかではないな」

「実は私的な事で……」

「なんだ? モジモジしてお前らしくないぞ」

「それが人を殴って怪我を負わせてしまって」

「なに、被疑者を取り押さえる時の事か、まして抵抗したとあれば正当防衛で許される範囲じゃないか」

「それが交際相手でしって」

「なに? おまえでも人並みに恋愛するのか」

「まぁ一応年頃の女ですから」

 それからこれまでの経過を話した。

「妻子ある相手だと。おまえ刑事だろう。家庭持ちと見抜けなかったのか。処でお前の職業は話してあるのか。でっ相手は被害届を出したのか」

 署長は矢継ぎ早に質問した。

「いいえ、公務員としか言っておりません。もう数日ほど過ぎましたが出されて居ないようです」

「まぁそうだろう。被害届を出せば妻にも浮気している事がバレるからな」

「申し訳ありません。反省しています。どのような処分が下されようとも甘んじて受けます」

「うむ殊勝であると言いたい処だが交際相手を殴るなんて、お前はいったい何を考えているんだ。警察官である事も忘れおって日頃、目を掛けてやっているのに俺の顏を潰すつもりか……まぁいい少し頭を冷やしてこい。本来は自宅謹慎だがお前みたいな狼は部屋に黙って入れて置いたら何をしでかすか分からない……特別に許可してやる。何処が旅でも出て鋭気を養うか。それともいい機会だ、警部補の昇進試験の勉強でもするか好きにしろ」


 正直に話したのが効を奏したのか予想外の温情処分となった。しかし事情はどうあれ一般人に怪我を負わせた事は問題ある。結局、停職処分一ヶ月を喰らった。警察官になって初めて不祥事である。もし相手が被害届を出していたら最悪懲戒免職処分になりかねなかった。署長にはこっぴどく怒鳴られた。怒鳴られるだけマシだ。署長には特別に可愛がられていた。それで大目に見てくれたのだろう。なぜ大目に見てくれたのか理由がある。

 詩織は刑事になって二年、最初の一年目にして指名手配されている殺人犯見つけ逮捕した。更に二年目でもまたもや指名手配犯を逮捕して一躍注目を置かれる存在となった。詩織の特技は格闘技もさることながら記憶力が抜群で指名手配されている顏は殆ど頭に入っている。この二件は偶然も重なったこともあるが街をパトロールしてピンと来たというから凄い。

 そんな訳で署長が期待しているからだ。署長の気遣いに感謝する。このことは署長以外誰も知らない。そこは署長の裁量でうまく纏めてくれるだろう。警察官になって旅行が出来るなんて夢のような停職処分となった。予定は五日間またはそれ以上。はっきりした日数は決めていない。つまり宛てのない旅である。残った時間は署長の言う通り昇進試験の勉強する時間に充てる予定だ。大卒出の詩織はキャリアではないが年齢的にも出世はしたい。何しろ一カ月は勤務に就くことは出来ない。現在詩織は二十七歳。身長百七十一センチ女性としては少し大きい方だろう。池袋北東警察署捜査一課、階級は巡査部長。警察学校を卒業して交番勤務を経て二年前に刑事課に配属された。もはや小娘でもないしシャイでもない、今回の失恋で一皮むけた。いい機会かも知れない。


 澄み切った青空、まさに五月晴れとも言える日に旅に出られるワクワク感を楽しむように坂本詩織は真っ白なキャリアバックを片手に家を出た。

 千歳空港の外に出るとまだ肌寒さと言うよりも東京に比べると一カ月も前の気温に戻ったような寒さだ。まだ今日泊まる宿は決めていない。この時期、北海道は観光シーズンでもなく比較的空いている。まずレンタカー会社に向かった。手続きは簡単に終わり中型のセダンを借りた。昔ならロードマップを広げる処だがカーナビで道案内は勿論、いろんな情報を取り込める。車に乗ってから一時間少し走り夕張に着いた。夕張と云えば炭鉱、しかし今は炭鉱もなく夕張メロンが有名な土地柄だ。時期的に少し早いが夕張メロンを食べる事が出来た。

 北海道に来た気分に少しなれた気がする。学生時代仲間と来た富良野周辺に行って見ようと考えていた。ただラベンダーの咲く七月には早すぎるがあのパッチワークの丘は富良野一体を見渡せる景色がある。途中食事をしながら走り続ける。そんな車の中で自分は一体何をしているのか同僚の刑事たちは毎日犯人を追って汗を流して働いているのにと申し訳ないような情けないような気がする。でも署長の温情に報える為にも新たな気分で復帰したいと思えばいい。いつまでも過去を引きずっていては警察官失格だ。


 まもなく富良野に入るそう思ったときに前方で何かが起きているようだ。

 幹線道路ではないので滅多に車とすれ違う事もないが車が二台停まって二人が車の外で何か話し合っているようだ。接触事故でも起こしたのかと思い詩織はレンタカーを二台の車の後ろに停車させた。話し合いというより怒鳴り合いのようだ。

「この野郎、なんで急停車するんだ」

「急停車じゃない。目の前を鹿が通り抜けたので慌てて急ブレーキかけたんだ。あんたこそ車間距離を取っていれば問題なかっただろう。それなのにピッタリ後ろに着くのが悪いだろう。あんたこそ煽り運転じゃないか」

「五月蠅いバカヤロー、お前がノロノロ走っているからだ」

 どうやら事故ではなさそうだが、怒鳴っている方は怖そうなお兄さんだ。相手も必死に応戦している。助手席には女性が震えながら状況を見守っているようだ。その女性の連れはやや押され気味だ。停職処分の身だが警察官として知らん顏も出来ない。

「どうなさったのですか? 接触事故でも起こしたのですか」

「なんだおまえ! 関係ない奴はすっこんでろ」

「関係なくても揉めてらっしゃるじゃないですか。ならもう少し穏やかに話したらどうです」

「五月蠅い! すっこんでろと言っただろう」

「そうは行きませんよ。何があったか知りませんが頭を冷やして穏やかに話してください」

 良く見ると腕に入れ墨をしている。身長は百八十センチ前後ありそうだ。見た感じ堅気ではないと感じた詩織はますますほって置けなくなった。

「てめぇ邪魔すんじゃないぞ。うんレンタカー? 女の一人旅か、いい気なもんだぜ。余計なことに首つっこんで後悔したくなかったら消えな」

「野良犬を追い払うようないい方ね。悪いけど私は犬じゃなく人間よ。せっかく仲裁に入ってやったのに八つ当たりは止めなさい」

 二人のやり取りを見ていた男は呆気にとられている。男でも他人の揉め事には知らんふりするのに女の身で、しかも旅行者。よほどの変わり者か度胸がいいのかバカなのか、しかし助かったヤクザのような男に絡まれ下手をしたら殴られ金をゆすられていたかも知れない。そんな表情を浮かべている。怖い男は完全にキレたようだ。追い払おうとしても食い下がってくる、たとえ女でも許せなくなったのだろう。

「てめぇ女だと思って大目に見ていたが許さん。裸にしてひん剥いてやるぞ」

「まぁなんて破廉恥な言い方ね。それってセクハラよ。あんたこそ黙って聞いていれば数々の暴言、いまなら許してやるから誤りなさいよ」

「バカかおまえ、調子に乗るんじゃないぞ」

 そう言ったかと思ったら男は殴りかかって来た。体は大きいが隙だらけだ。警察官は逮捕術を身につけている。逮捕術とは顎、胴、肩、ひじ、膝への攻撃や投げ技など、更に防御術の訓練もしている。少し腕力が強いだけでは通用しない。特に詩織は都の大会でも表彰されるほどの腕前だ。詩織は殴りかかって来た腕を交わし手首を掴み捻った。その動きは目にも止まらぬ早業だ。蛇が絡みつくように関節技を決め動けなくした。関節を決められては大の男でもどうにもならない。コンクリートに頭をこすりつけられた。本来なら公務執行妨害で手錠をかける処だが、現在は謹慎中の身、問題を大きくはしたくなかった。


「女だと思って油断したようね。あなた隙だらけよ。だからこうなるの、分かった」

ねじ伏せられた男は声も出ない。いや信じられないと思っているだろう。この俺が女ごときにやられるとは思いもしないことだろう。さてこの後どうしたものか殴られた訳でもないし口論した相手は怪我もしていない。出来ればこの辺で幕引きをして旅を続けたい詩織だが、ねじ伏せられた男は俺が悪かったという筈もない。かと言ってもう一度仕掛けても勝てるかどうか分からない。この女、空手か柔道の有段者なのだろうか。なにしろ怖さを知らない。相当自信があるからだろうか。男のメンツもあるだろうし力で捻じ伏せては丸く収まらない、どう収めて良い物か。

 本来なら警察手帳を見せれば良いのだが非番の時には掲載は許されない。その代わり個人的に名刺は作っても良い。勿論悪用したら罰せられるが特に刑事は聞き込みの際に名刺を使うことがある。「もし思い出しらこちらに連絡下さい」そんな風に使う。詩織は仕方なく奥の手を使うことにした。

「ねぇお兄さん、この辺で仲直りしない。旅の恥はなんとかって言うでしょう」

「……てめぇ、怖くなってきたのか。俺はてめぇを絶対に許さないからな」

「そう、それならどうしたいの」

「とにかくその手を離せ」

「離したら殴りかかってくるでしょう。その前に離して下さいじゃないの。あなたは頼む側なんだから立場はハッキリさせないとね」

 なんともまた理屈が立ち女であった。男しては頼むから離して下さいではかっこ悪くて言える訳がない。言えば負けを認めるようなものだ。男は何も言えずアスファルトに頭を付けたままだ。

「素直じゃないのね。そんなにヤクザってメンツが大事なの」

「……なんで俺がヤクザなんだ」

「ヤクザじゃないの? じゃ何なの普通のサラリーマンじゃなさそうだけど」

「ふん、これでも俺は経営者だ。舐めんなよ」

「あらぁ凄いわ。しかし経営者なら常識を弁えているでしょ。それに取引先だってあるでしょう。あなたは取引先でもそんな態度で商売出来るの。仕方ないこの名刺をあげるから文句があったら何時でも会社(署)に訪ねてらっしゃい」

 詩織は横に寝かされている顏の前に名刺を見せた。警視庁池袋北東警察署、捜査一課そんな事が書かれている。男は驚いて急に態度を変えた。名刺の威力は絶大であった。

「なっ! あんたは東京の刑事さんなのか……どうりで度胸はあるし強い訳だ」

「それでどうするの? 事を公けにするなら出る所に出てもいいわよ」

「分かった俺が悪かった。だからその手を放してくれ」


 詩織は警戒しながらも解放してやった。だがいつ反撃してくるか分からない一定の距離を保って身構えている。脅かされた男も少しホッとしているように見える。

「刑事さん、もう分かったよ。先に殴りかかったのは悪かった。仲直りって訳じゃないが俺はこう言うものだ」

 男は腕を差しりながら名刺を取り出した。その名刺には富良野土木工業株式会社、代表取締役 吉岡剛太郎と書かれてある。年の頃は五十歳少しといったところか。

「あら本当に社長さんなのね」

「職業柄、気の荒い連中を使っているから、いつの間にか気が荒くなってよ。それにガキの頃はチョイワルで、そいつらを束ねて居るうちに土建業を始めたってわけよ」

 二人のやり取りを聞いていた喧嘩相手の男はどうしたものかとオロオロしている。それに気づいた詩織が男に声を掛けた。

「あっ、そうそうそちらの方、問題が解決したから気を付けて帰ってください」

「あっすみません。有難うございました。それではお言葉に甘えて失礼します」

そう言って運転席に乗り込むと隣に居た女性も頭をさげていた。詩織は軽く手を振った。男はホッした事だろう旅人の度胸ある女に救われた。いや女刑事だったとは驚きだ。まさに正義おまわりさんだった。

 さてこれで一件落着、見事な大岡裁き、そうなる筈だった。ところが……


「あの~刑事さん。仲直りの印と言っちゃなんだが、俺んち此処から近いんだ。急ぐ旅じゃなかったら寄っていってくれよ。あんたの度胸と気風に惚れたよ。おっと勘違いしないでくれ。気風に惚れたと言うことで俺には妻子いるし」

「え~~なにそれ? 妻子持ち、そんなの分かっているわよ。私も妻子持ちはコリゴリよ。あ! こっちの話。しかし気持ちは嬉しいけど……」

「頼むよ、女房は東京の出身だから気が合うと思うよ。引き留める代わり北海道の美味い物ご馳走させてくれ」

 詩織はなんでこうなるのと困惑したが確かにアテのある旅でもないし、だからってこんな形になるとは予想外であり結局は強引に押し切られ吉岡という男の車の後ろに着いていった。

 二十分くらい走った処で富良野市街に入り富良野駅手前で右に曲がり空知川渡って五百四十四号線を進むと北麓郷という看板が見え間もなく車は停車した。

「さぁ着いたよ、凄い田舎だろう。麓郷って聞いた事はないかい」

「ロクゴウ……良く知らないけど観光地なの」

「そうか年代が違うから無理もないか、もうだいぶ前になるが(北の国から)っていうテレビドラマがあったんだ。その主人公家族が東京からリターンして住み着いたのが麓郷でこの少し先に五郎の家というのが有名なんだ」

「あぁ思い出したわ。DVDを借りて見たことがあるわ。なるほど此処がそうなのね」

 吉岡の家の敷地は広く周りには沢山の重機やトラックが置かれていた。外にはかなり大きめのプレハブがあり、資材置き場と事務所のようだ。看板には富良野土木工業株式会社と書かれてある。その奥に結構大きな家があり、そちらが住まいなのだろうか。その敷地に中に車を停めると奥さんだろうか他に二人の女性が駆け寄って来た。その途中なんども頭を下げている。旦那に頭を何度も下げる訳はないし、どうやらその相手は詩織のようだ。


「いらっしゃいませ。すみません主人が強引にお誘いしたそうで、ご迷惑じゃなかったですか」

「いいえ、こちらこそ厚かましく着いて来ました。あっ私、坂本詩織と申します」

「どうもご丁寧に、私は家内の早苗、そして娘の咲子と富貴子です」

どうやら𠮷岡はこちらに向かう途中で電話を入れてあったのだろう。まさか経緯まで話しているのか心配だ。なにしろ、この大男を捻じ伏せアスファルトに顏をこすり付けたのだからバツが悪い。思わぬ形で知り合い招かれたが、歓迎される内容ではないだけに気が引ける。

 だがこの吉岡という男、気風がいい。誘われるままに夕飯までご馳走になった。二人が知り合った切っ掛けは流石に吉岡は言わなかった。おまけ泊まって行けと言われたがそれは断った。だが執拗に誘われ、それなら明日バーベキュー大会をやるから付き合ってくれと言われた。今夜泊まる宿まで紹介してくれた。もはや逃げる訳にも行かない。北海道は知人も居ないし旅の情けに甘える事にした。


 詩織が予定した旅は少し変な方向に向かっているが予定のない旅では想定外の事も多々あるだろう。翌朝、吉岡から電話が入った。バーベキュー大会は夕方だから富良野周辺を案内手してくれると言う。しかし吉岡と言う男、ガラは悪いが人なつこい。人は見かけに因らないというが彼はその典型的な人物であった。ホテルを九時三十分過ぎに出て十時頃到着すると既に家族総出で待っていた。

「さあって、では最初に五郎の家に行って見ようか」

「嗚呼あの石の家と言われている所ですね。昨日ネットで調べました。有名な観光地ね。それからホテルのサービスだと言ってDVDとビデオデッキを貸してくれて北の国からを最終話だけを全部観てしまいました」

「そうかい、そうかい。あれは何度見ても感動するよ」

 三十分もしないうちに五郎の家の前に着いた。柵があるので遠くからしか見られないがビデオでみた画像と違い、かなり傷んでいた。無理もないもう数十年が過ぎているのだから。

 それから途中で食事し富良野と美瑛などパッチワークの丘など周って帰って来た。最初の目的地である美瑛が見られて満足だ。時刻は午後四時過ぎた頃、既に若い衆十五人くらいがバーベキュー大会の準備をしている。吉岡が言う通りあまりガラは宜しくない連中だ。それを束ねる社長だからお人よしでは荒くれ者を引っ張っていけないのも分かる。年齢は下から二十代から上は五十代とマチマチだ。詩織たちが車から降りると連中が寄って来た。詩織を見るなり口笛が鳴る。歓迎しているのか、からかっているのか微妙な感じがする。普通の若い娘ならビビリそうだが凶悪犯やヤクザを相手に仕事している詩織はどうってことはない。そのあとは拍手が起きたから歓迎されているようだ。


 やがて準備が整った。沢山の料理やビールなど飲み物が並べられている。バーベキューなんて大学時代以来で嬉しくなって来た。ただここは知らぬ人ばかり、しかも家族以外は全て男性。その中でひときわ際立っている女性がいた。勿論詩織だ。吉岡が乾杯の音頭をとるようだ。

「まず乾杯をする前に紹介しておこう。昨日知り合ったばかりだが何故か意気投合して今日ここに来てもらった。ええっとサカモト……」

吉岡が下の名前を思い出せないでいると詩織が手を挙げる。

「はいどうも私、東京から来ました。坂本詩織と申します。社長さんとは何故か意気投合致しまして、道産子気質と言うのでしょうか。私も社長さんには惚れこみました」

「よ~よ~社長。奥さんも子供も居るのにいいのかい」

皆はドッと笑った。社長に惚れこんだと言われ上機嫌になった吉岡は余計なことを言った。詩織は刑事である事を口止めしておくべきだった。

「坂本さんはなんと東京の刑事さんなんだぞ。だがお前たちを逮捕しに来たわけじゃないから安心しろ。ただの旅行だそうだ。こんな美人で刑事なんてテレビドラマのようだろう」

するとみんなは一瞬驚いたが、また拍手が起き大声で笑った。だが一人だけ表情が曇った者がいる。詩織は見逃さなかった。刑事と言われ反応したのだろう。詩織の記憶力は伊達ではないピンと来るものがあった。そのあと大いに盛り上がりやがてバーベキュー大会は終った。詩織はそっとスマホを開いた。一つのアプリを開く。(指名手配一覧)二分ほどして似たような顏の人物にヒットした。『五年前、池袋管内で強盗致傷事件、三人に重軽傷を負わせ現金三千万を奪って逃走中。荒岩重信 三十七歳』

五年経過しているから多少体形と顔つきは変わっている、しかも髭まである。カモフラージュだろうだが間違いない。詩織は確信した。


「社長さん今日は色々案内して貰って沢山ご馳走になりました本当に有難うございました」

「なんのなんの俺も楽しかったよ。無理やり引き留めて、こちらこそ申し訳ない」

「いいえ本当にお世話になりました。……処であの髭を蓄えた方はこちらにいつ頃から働いているんですか」

「ああ吉田の事かい。そうだな、かれこれ今年で四年目になるか真面目で仕事は休まないし。うんあの吉田がどうかしたのかな」

「ちょっとお世話になって言いにくいのですが、ある人物に似て居まして」

「刑事さん、よしてくださいよ。うちの連中多少気は荒いがいい奴ばかりですよ」

「気持ちは分かりますが、しかしこれを見てください」

 詩織はアプリを開き指名手配犯の中から荒岩の写真を見せた。

 𠮷岡は絶句した。髭を付けて多少顏は変わっているが確かに吉田(荒岩)であった。年齢は現在四十二歳、履歴書に書かれた年齢とは多少違うが間違いない。吉岡の顏が青ざめて行く。

「私は旅行中の身、だからと言って警察官として見過ごす訳には行きません。社長さんの所で事を改めたくもありません。出来れば彼に出頭するように説得してくれませんか、それが出来なければ近くの警察署に連絡しなければなりません」

「うーんどうしたものか……」

「気持ちは分かります。可愛い従業員を裏切るような気持ちも分かります。しかし彼がこれからも逃亡生活を続け、また罪を犯したら懲役十五年以上になるでしょう。もし出頭し上手く行けば十年以下で済むかも知れません。幸いいま自首すれば指名手配犯としては軽い方です。まだやり直せる年齢で彼の為にそれが一番です」


 𠮷岡は観念し帰りがけた吉田に声を掛けた。プレハブの事務所に連れて行く。詩織は事務所の外で張り付くように二人の会話を聞く。

「荒岩、唐突に聞くが五年前何があった」

 すると吉田(荒岩)は立ち上がろうとした。気配を感じた詩織は事務所に踏み込もうとするが。

「まてよ吉田、いや本名荒岩だろう。もう身元がバレているんだ。もう逃げるのは止めにしょうや。あの刑事さんはいい人だ。お前に自首を進めてくれた。俺だってお前が可愛い、出来ればいつまでも働いてもらいたい。しかし事が発覚した以上それも出来ない。いい弁護士をつけてやる。頼むから逃亡生活は止めて自首してくれ」

「そうですか、バレてしまったんですね。いつかはこう云う日が来ると思っていました」

 荒岩は下を向いたまま考え込んでいる。ここで強引に飛び出し逃げる事も考えた。しかしこれまでの逃亡生活がいかに苦しかったか、そしてこの土木事務所に拾われた。これまでの逃亡生活が嘘のように心が満たされ、社長や同僚もなんの疑いもなく受け入れてくれた。

「お前は良く働いてくれた四年か……そりゃあ俺だって情が湧く。いい奴だという事も分かっている」

「俺も同じです。社長は優しいしつい甘えて長い居してしまいしまた。俺が逃亡すれば社長にも皆にも迷惑がかかるし」

 荒岩は楽しかった日々、自分が罪を犯した事も忘れかけていたが、やはり何時かはこうなる。もはや逃げてどうなるものでもなく逃げおおせる訳もない。

「……とうとうその時が来たんですね。あの刑事は最初から俺を追って来たんですかね」

「いや偶然だ、俺も昨日揉め事があってあの刑事さんと出会ったんだ。間違いなく旅行の途中だった。まぁこれが運命の巡り合わせというのかな。心配するな、優秀な弁護士を付けてやる。あの刑事さんの話だと長くて十年、早ければ七年勤めれば出られるそうだ。もし逃亡すれば最低十五年以上。そうなればお前の人生終わってしまうぞ。なぁに出てきたらまた俺の所に来い。待っていてやる」

「社長……オレ嬉しいです。こんな社長に雇われて逃亡したら社長や奥さん、それにみんなに迷惑かける、自首させてくれるならそれに従います」

「良く言ってくれた。お前は罪を犯したが根はいい奴だ。俺が法廷に立ったらお前の人柄を称えてやるよ」


 なんか下手な刑事より説得力があった。外で聞いていた詩織は胸を撫でおろした。逃亡しかけて自分が犯人を取り押さえたら、吉岡にしても詩織としても気分の良いものではなかった筈だ。吉岡に感謝したいくらいだ。事務所の中から詩織に声が掛かった。中に入って行くと荒岩(吉田)は詩織に頭を下げて手を差し出した。手錠を掛けろという意味だろう。自主する者に手錠は掛けないし、手錠なども持っていない。詩織は荒岩にコクリと分かったという風に頷く。そして吉岡に深く頭を下げた。荒岩と吉岡を詩織の車に乗せて富良野の警察署に向かった。


 時刻は夜の七時、詩織は警察署の受け付けで、小声で告げる。驚いた受付係は内線電話を入れた。慌てて飛んで来たのは署長と数人の署員。詩織はスマホをかざし指名手配犯の荒岩の写真を見せた。すぐさま奥に通された。

「お騒がせしてすみません。彼が自首したいというので連れて来ました。それと隣に居る方は荒岩の雇い主で社長さんの吉岡さん。その吉岡さんが熱心に自首を進めてくれて出頭した次第です。よほど社員の面倒見がよく信頼関係があったからこそ荒岩は社長さんに迷惑を掛けられないと自首するに気になったようです」

「……はぁそれはどうもご苦労さまです。処で貴女とはどんな関係で?」

「私は旅の途中で、偶然吉岡さんと合い意気投合しましてね。と言っても不審人物にしか見えませんよね。私こう言う者です」

 偶然とは言ったが吉岡を叩きつけコンクリートに顏を擦り付けた事は省いた。

 詩織は関係者では通らないと悟り名乗る事にした。名刺を見た署長は名刺と詩織を見比べて語った。

「なんと東京の刑事さんがどうして犯人を追ってわざわざ富良野まで来たのですか」

「とんでもありません。私は休暇を取って旅行に来ただけで偶然このような結果になった次第です」

「偶然ねぇ……ずいぶんと偶然が多いようですなぁ」

 まだ疑っているようだ。確かに疑われても仕方ないが納得してもらうには恥を言わなければならない。

 その後、荒岩は取調室へ社長で雇い主の吉岡は明日改めて事情聴取するということで帰るらしい。既に手配してあったのか吉岡の奥さんが向かいに来ていた。詩織は署に少し失礼して外に出て、真っ先に吉岡の妻に駆け寄り深く頭を下げた。あれだけ歓迎してもらったのに理由はともあれ裏切り行為である。すべて承知している吉岡は家内には後で詳しく説明するから署に戻ってと言われた。それでも辛い思いをさせた吉岡と妻に何度も深く頭を下げた詩織は署に戻る。


 まったく所轄の違う刑事が指名手配犯を連れて来た。縄張り争いの厳しい警察はよそ者が所轄内で我がもの顏で捜査されては面白くない。詩織は偶然と言ってもなかなか信用してくれなかった。仕方なく署長に恥を忍んで本当の事を打ち明けた。本当は言いたくなかったが仕方がない。交際相手を殴り怪我を負わせ謹慎処分を喰らったこと。署長の温情で旅をする事が出来たこと。固い表情の署長も笑いだした。すると署長の耳に囁いた者がいる。署長は詩織を改めて見つめ驚く。この警察署はすぐさま詩織の身元を再確認させたのだろう。間違いなく池袋の刑事であり経歴を調べたのだ。

「坂本さんあんたは過去に二度も指名手配犯を逮捕したんだって、今回で三度目ということか驚いたね」

「いいえ全て偶然です」

「そんな偶然が三度も続くものか。それともあんたは犯人を引き付ける力を持っているのか」

[そりゃあ三度目になりますが、今回は本当に偶然なんですよ。決してこちらのシマを荒らしに来たわけじゃありません。恥を忍んで謹慎処分の事を言ったじゃないですか。信じて下さいよ]

「分かった、分かりましたよ。レンタカーも借りているようだし旅行の途中なのですよね」

「あの~今回の事はうちの署にも報告するんですか」

「当然でしょう。指名手配犯を捕まえたから報告するのは当然だ。それとも困ることでも」

「ハイ困ります。謹慎中の身で署内に知れ渡ったら大変な事に、それにうちの署長の温情が公になれば署長も厳重注意処分になりかねません」

「なんで手柄を立てて怯えているのか。ハッハハ分かった池袋の署長にだけ報告しておくよ。それならいいだろう。しかし手柄はこちらで頂くが」

「もちろんです。ですから穏便にお願いします」

「分かった分かった。面白い刑事もいるものだ。坂本詩織さんね名前は忘れず覚えておくよ。せっかくの休暇だ、いい旅を続けてくれ」


 詩織は胸を撫でおろして署を後にした。もう十時を過ぎてしまった。緊張が解れたら小腹が空いてきた。すると後ろから声が掛かる。

「坂本さんちょっと待ってください」

 署長と一緒にいた署員のようだ。なにか紙袋を下げている。

「あのなんでしょう? まだ問題でも」

「いやそうじゃありません。かなりの時間を引き留めさせ、お腹が空いているんじゃないかと署長からです。仕出し弁当屋に注文していたそうです。どうぞ良かったら召しあがって下さい」

「え~~署長さんがですか。本当に宜しいのですか」

「いいえいいえ署長はご機嫌で機会があったら遊びに来てくれと。もっとも警察署に遊びに来る人なんていませんが」

「お気持ちに感謝します。署長さんに宜しくお伝えください」

 詩織の心を見抜いたように弁当が届けられるとは東京の警察署では考えられない事だ。

 詩織はさっそくホテルに戻リ弁当を広げた。なんと豪華な事かカニにウニまで入っていた。食べ終えて詩織は吉岡の所に電話を入れた。

「もしもし社長さん、夜分遅くすみません。今日は本当に辛い思いをさせました。申し訳なくて、お詫びとお礼を言いたくて」

「なぁにそれが刑事さんの仕事であり役目。俺もあの頃は人も足りなくてよく身元を確かめず雇ったからだ。これからは気をつけないと。それとうちの奴(妻)も分かってくれたよ。偶然とは言え警察官の役目を果たしただけでしょうからと」

「私こそ、奥さまにも社長さんにも辛い思いをさせて。今度お会いする時は……とは言っても何年先になるか分かりませんが、その日を楽しみにしております。ではお元気で」

「ああ、何年でも待っている。もし結婚が決まったら俺を招待してくれるかい」

「ありがとうございます。こんな私でも結婚できるか分かりませんが」

「なぁに刑事さんなら引く手あまたさ。それでは楽しい旅を」


 翌朝スマホの呼び出し音が鳴った。池袋北東警察署、署長からである。いきなり怒鳴り声が聞こえて来た。だが詩織には父親に怒鳴られているようにしか聞こえない。その怒鳴り声がなんとも心地いいのだ。

「おい坂本! おまえ謹慎中にも関わらず北海道くんだりまで行き他所の曙のシマを荒らしたんだってな」

「いいえあの……それはですね」

「ふっふふ良くやった。富良野の署長が褒めていたぞ。出来ればこちらの署に譲ってくれとな。俺は喜んでどうぞどうぞと言ってやったよ」

「そっそんな北海道は観光には良いですが勤務するにはちょっと……」

「そうか俺の所(池袋)に置いて欲しいのか、それなら帰りにカニを買ってこい。いいな」

「しょ署長それは少し高いし白い恋人では駄目でしょうか」

 署長は高笑いをしながら電話を一方的に切った。

 それら四日間、詩織は旅を続けた。その間はもう今回ばかりは事件と遭遇しないよう祈った。詩織は呟く。

「私って根からの警察官なのかしら、謹慎中の旅行でも犯人から勝手に寄って来る」


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