ピアノマン

片田真太

ピアノマンのストーリー


 

ある朝、大井町の駅のはずれにあるとあるぼろアパートにて。

アパートの住人である男は机にうつぶせになって寝ていた。アパートの窓から太陽の光が差し込んできた。男は徐々に目が覚めてきた。

「うーん・・・」

男は目覚めた。あたりを見回すともう朝になっていた。男は少しずつ目が覚めて頭がさえてきたのであたりを見回した。アパートの広さはそこそこだったが、木造づくりでいまどき珍しい古い構造のアパートだった。いわゆる安い賃貸のボロアパートだ。玄関を入るとすぐ目の前にトイレがあって左横には小さなキッチンとリビングがあった。といってもリビングには机が一つ置いてあるだけだが・・・

キッチンと居間の横には寝室があり、ベッドと机があった。机の上には作曲用のMIDIキーボードと呼ばれるものとデスクトップPCが置いてあった。机の横にはもう一台YAMAHAのシンセサイザーが置いてあった。

「あ・・・」

男は何かに気が付いたようにとっさに机の上の目覚まし時計をみた。

「やべ・・・」

男は立ち上がって大急ぎで着替えて家をいちもくさんに出て行った。

電車の中で男は小声で叫んだ。

「やべーまた遅刻だ・・・」

男の名前は松田優。20代後半で売れない作曲家をしている。といっても収入はほとんどないので普段はガソリンスタンドでアルバイトをして生計を立てていた。

松田優は電車を降りて改札を抜けると大急ぎで走ってバイト先へ向かった。

ガソリンスタンドのバイト先の着替え室に慌てて入っていった。松田優がバイトの作業服に着替えていると店長が入ってきた。

「おい、お前また遅刻だぞ!これで何回目だと思ってんだ!」

優は慌てて謝った。

「すみません、本当目覚ましが・・・」

「言い訳はいいんだよ。」

「すみません・・・」

松田優が申し訳なさそうに慌てて着替えてると

「お前もっとしゃきっとしろよ。何だまた徹夜して作業か何かしてたのか?音楽関係の仕事してるんだか何だかしらねーけど、仕事じゃそんなの通用しねーんだよ。」

「わかりました、すみません」

「はー」

店長はため息をついた。

「いいから着替えたらさっさといけ。次やったら今まで遅刻した分減給するぞまじで」

「はい」


「オーライ、オーライ」

松田優は洗車の終わったお客の車を自動車道まで誘導していた。車が道路の中に入っていくと

「ありがとうございました」とお客にお礼を言った。

ガソリンを注入するサービスエリアの方へ向かっていくと同僚が話しかけてきた。

「何だまたお前遅刻したんだって?よくやるなー」

笑いながらそう言った。

「まあ・・・な」

「作曲家目指すってそんな大変なん?徹夜で作業するとかさ・・・」

「いや、たまたま曲が思いついたらその場で録音する習慣があってそれがたまたま深夜とかだとそうなっちゃうんだ・・・」

「そんなのさボイスレコーダーで鼻歌でも録音して次の日にやればよくね?アホだな・・・俺だって俳優やってるけど夜の舞台公演とかあったり、その後打ち上げでたくさん飲んだりするけど、今まで遅刻なんかしたことねーぞ」

相変わらず嫌味な同僚だ・・・売れない俳優をしているらしいが、嫌味をいってくるか合コンしないかとかそんな話しかしてこない。

すると、ものすごい高級そうなロールスロイスっぽい外車がガソリンスタンドに入ってきた。

「いらっしゃいませ」

松田優はお客さんの車の窓を拭いていた。車の中ちらっとのぞくと後部座席に20代前半らしき女性が座っていた。また運転しているのは40代くらいの男性だった。

「ありがとうございました。」

車は去っていった。

同僚が話しかけてきた。

「あれ、今のもしかしたら藤谷美樹じゃね?」

「さあ」

「え、お前顔みたことねーの?超そっくりだったじゃん・・・高級ブランドの服ばっかり着てて一般人っぽくなかったし、おまけに車は超高級車だったし。」

そんなこと言われてもほとんどテレビを見ない優には関心のないことだった。

「ってこんな郊外のガソリンスタンドに有名人が来るわけねーか・・・」




「ねえ勝田、ちゃんとスタジオ入り間に合う?」

ガソリンスタンドを去って行った車の中で女性は勝田と呼ばれる男に話しかけた。

勝田は、

「うん、ぎりぎりだけど美樹ちゃん間に合うよ。」そう返事した。

「ちょっとまた遅刻とかしたら印象悪くするからね、あそこのプロデューサーそういうの嫌いな人なんだから」

「大丈夫だよ、美樹ちゃんの今の人気ならさすがにあの人も何も言えないよ」「ちょっと・・・」

美樹と呼ばれる女はため息をついた。


大手テレビ局のスタジオの中

今日は生放送の音楽番組の収録が行われていた。

美樹と呼ばれる女性の歌う番になった。

「それでは藤谷美樹さんで恋のプリズムです、お願いします!」

司会者がそういうと美樹は可愛い声で歌を歌い始めた。

彼女は藤谷美樹といって国内では知らない人はいないくらい超有名な国民的アイドルであった。歌っている曲は今度放送予定の「そよ風の恋」というドラマの主題歌になってる「恋のプリズム」というタイトルのものでドラマの放送前にプロデューサーからの要望で急きょ出演することになった。

彼女が歌っていると、スタジオの裏の方で彼女をにらんでる一人の女性がいた・・・

「あれで歌手もやってるって言うんだから笑っちゃうよね・・・親の七光りかなんだか知らないけど、顔とコネだけで主題歌歌われちゃ困っちゃうはよ。真面目に演技している私たちにまで迷惑。」

彼女の名前は野々宮妙子といった。美樹と同年代の女優であった。

藤谷美樹は番組の収録が終わって、スタジオの控室にいた。

着替え終わって煙草を一服していると、勝田マネージャーがノックして入ってきた。

「美樹ちゃんお疲れ様!歌よかったよーあれならばっちしだ。プロデューサーもあれなら数字取れるってよ!」

話しかけてきたのはアイドル藤谷美樹のマネージャーで勝田といった。

いつもの視聴率の話に藤谷美樹はうんざりして「あっそ」と興味なさそうに答えた。

「ちょっとーうまくいったんだから喜びなよ」

「そうね、カメラの前で歌いながら笑顔とかカンペが出なければね」

「しょーがないじゃない、美樹ちゃんアイドルなんだから。スマイルは仕事仕事!あははは」勝田は相変わらず大きな声で笑う。

「仕事ね・・・」

アイドルとして売れて何年か経って今はブレイク真っ最中だった。美樹にとっては幸せの絶頂なのかもしれなかったが、アイドルの仕事は少女のころに自分が想像していた仕事とはだいぶ違うものだった。すべてが数字、人気とり、営業、媚を売る、特に男性には好かれるようにカワイ子ぶりっ子を求められる。

「でも、なんだかね・・・無理やり笑って何の意味あんの?」

「あのね、美樹ちゃん。どんな仕事も演技だよ。営業なんだから。売れたくたって売れないアイドルたくさんいるんだから。何わがままいってんの、ははははは。」

また勝田はしゃべりながら豪快に笑った。

「あ、そうそう、これ来週からの予定だから目を通しておいて。」

そういいながら勝田は美樹にスケジュール表を渡した。

「あと、そうそれから・・・初めてだよ美樹ちゃん、おめでとう!ドラマ主演が決定しました!」

「ちょっとなにそれ聞いてないよ私。」

美樹は驚いてそういった。

「何言ってんの前からドラマ出たいって言ってたじゃない。僕が上にせっかくかけあってお願いしたのに・・・ってか僕が言わなくても前から決定してたみたいだけど。」

「そりゃ言ってたけど・・・でも主演はもっと演技の勉強してからって言ったじゃない」

「あははは。まあそうだけど、そんなの何年先になるか分からないでしょ?世間は美樹ちゃんが全国放送で早く女優として演技をするの待ってるんだから。

お父さん大俳優なんだから大丈夫だよ!」

「ちょっと私の親は関係ないじゃん・・・」

「とにかく頼んだよ!ドラマの内容とか脚本とか今決定段階だから詳細決まったらまた連絡します。」

そういいながら勝田は楽屋から出てこうとすると、一枚の資料が手元から落ちた。

『ドラマ「そよ風の恋」のサントラ曲のコンペ決定会議。興味のある関係者の方は出席お願い致します。』そのような内容のチラシのような資料だった。

「何これ?」

「ああ、これは美樹ちゃんには関係ないよ。サントラの方がまだ決まってないからって、一応もらったんだけど僕興味ないし、美樹ちゃんも直接は関係ないでしょ?なんかコンペの決定会議みたいなのを開くみたいだよ。実際に候補に挙がってるBGMをお偉いさんとかプロデューサーの前で聞いて決定するみたいだけど。」

美樹はそのチラシを見て

候補に挙がってる曲のタイトルと作家名を眺めた。その中に松田優という作家の名前があることに気が付いた。

「松田優?」どっかで聞いた名前だ・・・

でも美樹はなかなか思い出せなかった。



松田優はバイトが休みの日だった。

何年かぶりに出身大学である国見音楽大学を散歩しにいった。特に意味はなかったが久しぶりに母校に来てみたくなったのだった。相変わらずキャンパスの様子は変わりないようだった。自分たちが学生のころと変わらず学生たちは趣味の話や単位の話を道端でしていたり、楽器の演奏の音がそこら中から聞こえてきた。しばらくキャンパス内を歩いていると、自分が所属していた作曲科のゼミの担当教授である、高林健教授とばったり会ってしまった。高林は教授であると当時に以前はそこそこ活躍していた作曲家だった。

「久しぶり、松田君!」

「教授」

「何だー久しぶりだなー何年も顔を見せないから君のこと心配してたよ」

二人でしばらくキャンパス内を歩きながら色々としゃべった。

「何かあったのかい?」

「いえ・・・別に・・・何でですか?」

「いや・・・キャンパスに戻ってきたくなるなんて、何かあったのかと思ってね・・・」

高林教授は優の気持ちを悟ったかのようにそう言った。

「俺このままでいいのかなって・・・。音楽も中途半端だし、自分の方向性がいいのかわからないです」

優が思い切ってそういうと、高林教授はにこっと笑って

「方向性が分かってる人間なんていないと思いますよ。少なくとも、松田君の紡ぎだす音楽は僕は好きだけどね。大衆にこびてないし、かといって独りよがりでもない。何かきみにしか創れない感情にうったえるものを感じる。少なくとも僕はそう感じてるけど。」

「でも、なかなかうまくいかないんです。いいものがなかなか作れない。

自分の中でいいものだと思ったものでもなかなか採用してもらえなかったり。

数年前にたった一つのドラマのサントラを担当させてもらっただけで、それから全く仕事がないんです。もう自分は才能ないのかなって思って・・・」

高林教授はそれを聞いて続けて答え始めた。

「そうだね・・・まあ・・・芸術の世界というのは難しいからね。自分でいいと思っても他人はよくないっていうこともあるし。その逆もまたしかり・・・君のお父さんもかつてそんなこと言ってたよ。いいものが作れないって。君のお父さんと僕はまあ、ある意味ライバルだったんだけどね。まあ若いころの話ね・・・。若いころ君のお父さんは必死にいいものを作ろうとふんばってた。彼は自分には才能がないと本気で思ってた。でも僕から言わせれば彼は僕にはないものを持っていた。素晴らしい音楽を奏でてた。でも君のお父さんからすると自分の才能に不満だったんだろう。そんなお父さんもずっと苦悩した末に一つ名曲を生み出した。そんなものさ・・・苦悩して葛藤して時には休んで・・・そんな時代を経てやっといいものが生まれるんじゃないかな・・・今は君はまだ充電期間なんだと思う。来るべき時が来るまで。だからね、そのうちきっと君の作品はもっと評価されるんじゃないかと思う。実は、君の卒業制作の作品、私はすごい気に入ってるからね。だから君には期待してます。頑張って・・・」

そういうと高林教授はにこっと笑い優の肩を叩いてその場を去って行った。



とあるテレビ局でドラマのプロデューサーと会話をする作曲家の和賀直哉。彼は、優の国見音大時代の同級生で同じゼミの卒業生であった。

和賀はドラマのプロデューサーに

「ドラマ「そよ風の恋」のサントラはおれで決まりなんだな?」と念入りに聞いた。

「ああ、ほぼ100%決まっている。でも一応脚本家とか出演者とかさ、コンペの打ち合わせに出てもらって会議してるところ見てもらわないと納得しないでしょ?上の方がそうしろっていうし。まあいわゆるパフォーマンスだよ。」

「なるほど」

和賀はそれを聞いてにやっと笑った。


和賀は自宅につくと、松田優が依然担当したドラマのサントラのCDをかけた。

聞いてるとイライラしてきてCDをコンポから出して床にたたきつけた。

「くそ、松田め・・・」

和賀は松田優よりも成功している作曲家でCMやドラマや映画のサントラなどひっぱりだこの人気作家だった。しかし、松田優がたった一度だけ担当したドラマのサントラの曲の出来が素晴らしくてそれに執拗に嫉妬心を抱いていた。

和賀は松田に電話をした。

「もしもし」

優は電話を取った。

「おー久しぶりだな。お前も知ってると思うけど今度開催されるドラマのサントラのコンペの打ち合わせ会議あるじゃん?音楽関係者は出入り禁止なんだけど、俺は人気作家だから特別ゲストで呼ばれてるんだよね・・・俺の権限があればお前みたいな無名のやつでも招待してやれるけど、どうだ?」

相変わらず嫌味な言い方に少しむっときたが優は

「興味ないが・・・何でそんなのに誘うんだ?」

「お前だって興味あるだろ?ドラマのサントラで最終候補に選ばれるなんてやっと久しぶりにつかんだチャンスじゃないか・・・どうやって最終決定戦が行われるか興味あるだろ?そこでプロデューサーとかに声かけてコネとかたくさん作れよ。そうすれば今後もチャンスが広がるぞ?いいチャンスなんだからさ。」




成田空港。

バイオリニストの有賀泉は、搭乗ゲートを抜けて

空港バスに乗ろうとしていた。

携帯で友達に電話をかけた。

「久しぶりー数年ぶりだよね?元気だった~?」

「うん、久しぶり、今度帰ってきたお祝いしようよ!」

「うん、ありがとう、日本帰ってきたばかりでしばらくバタバタしてるけど時間空いたらまた連絡するね」

そういうと有賀泉は携帯の通話を切って空港バスに乗った。



藤谷美樹はマネージャーに運転させてドラマ「そよ風の恋」のサントラの決定会議の場所へ向かっていた。

「ちょっとー美樹ちゃん関係ないのに何で出席するのよ?僕会社の仕事たまってて忙しいんだけどさ・・・」

「いいでしょ、ドラマには音楽だってすごい重要なのよ?勉強になるじゃない?」

美樹はそう言ったが本音は、松田優という作家が気になっていた。

あれからインターネットで検索して調べたのだが、以前自分が人気が出る前に脇役で出たドラマ「せせらぎの中で」というドラマのサントラを松田優という作家が担当していたことを思い出したのだった。地味だが本当にいい音楽で美樹はいまだに覚えていた。




ドラマ「そよ風の恋」のサントラのコンペの打ち合わせの会場

ドラマの一話目などの実際の撮影されたシーンをスクリーンで流しながら

候補のBGMを流しながら、決定していくといったものだった。

松田優は和賀に招待されたので席についた。和賀はそれを見てにやっと笑った。

美樹はマネージャーと一緒に席についた。

決定会議が行われた。何曲か色々な作家の曲の候補がシーンとともに流れた。

松田優の曲が流れた。美樹はそれを聞いて何とも懐かしい気分になった。

やっぱりどこか懐かしいというか聞いたことあるようなメロディーだと思った。

しかし、最後に和賀直哉の曲が流れ終わると、プロデューサー同士の話し合いが行われ、しばらくすると結果が発表された。ドラマのプロデューサーが「和賀直哉の曲に決定」と言い、会議は終了した。



松田優は席を立ち、スタジオの廊下を歩いていると、和賀が話しかけてきた。

「いやー残念だったなー!お前の曲も結構いい曲だったのにな・・・お前の曲はいい線いってるけど何かが足りないんだよ。ドラマを見たいって思わせる何かが・・・だから落ちるんだよ。まあ、これでいい勉強になっただろ?はははは・・・」

と優の肩を叩いて笑いながら去っていった。

「なんだあいつは?」

相変わらずの和賀の嫌味っぽい意味不明な言動に優はため息をついた。


スタジオの休憩室の自動販売機でジュースを買って松田優は休憩していた。

すると、そこに勝田マネージャーが現れた。

「あの、作曲家の松田さんですか?」

「はい、そうですが・・・」

いきなり見知らぬ男が話しかけてきた優は少し当惑した。

「あの、私勝田と申しまして・・・アイドルのマネージャーをしております。私が担当しているアイドルの藤谷美樹ってものなのですがね、あなたにお話がしたいってことで、少しお邪魔しまして・・・あの・・・ご迷惑じゃなければ連絡先をお渡ししようと思ってですね・・・」

「はあ・・・あのいきなりなんでちょっと意味が・・・」

松田優は当惑していたのでそう答えた。

「まあ、テレビ見てるなら藤谷美樹は当然ご存知ですよね?」

「いえ、すみませんが知りません。」

それを聞いて勝田はあきれ顔になった。

「そうですか・・・変わった方ですね・・・まあ・・・でも彼女がですね・・・

あなたに会いたいって言ってるんですよ?個人的に。ですが、あなたが信用できる人間か分からないので私が窓口になろうと思ってね。彼女の個人情報はトップシークレットで関係者以外公開禁止になりますから。」

「はあ・・・」

「なので・・・私の名刺をお渡ししますのでどうかご連絡いただけないでしょうか?時間はいつでもいいですので・・・携帯でも事務所の番号でもどちらでも構いませんので・・・」

そういって優は勝田の名刺を渡された。

「藤谷美樹?」

どっかで聞いた名前だ。顔は知らないが確か有名なアイドルだったような・・・

「事情はよく分かりませんが、とりあえずお預かりします。でも、どうして僕が松田だと?」

「あ・・・それは・・・・はははは、彼女がさっきのオーディションの最中に関係者に聞いて誰が君か聞いたんですよ。でオーディションが終わったら話しかけようと思ってたんですけど、きみが早々と会場を出て行ってしまったので私が追いかけたんですよ。それで追いかけたらあなたが休憩室に入ってくところを見たんで、ちょうどよかったから笑」

「そうですか・・・」

「じゃあ・・・確かに名刺お渡ししましたから連絡お待ちしてますね、では」

そういうと勝田と呼ばれる男は休憩室を出て行った。

優は事情を聴いて半分くらいは意味が分かった。しかし、自分に用があるなら

なんで本人がこないんだ?優は何て女だ、と思った。



松田優は眠いながらも自宅で起きた。

昨日勝田とかいう男からもらった名刺を眺めてみた。スカラープロダクションの藤谷美樹?どっかで聞いた名前だ・・・有名なアイドルの名前だったような気はするが同姓同名の可能性があった。有名なアイドルが自分に用などあるわけないと思ったからだ。いったい何者だ?

優はバイト先の同僚に藤谷美樹について聞いてみた。

「は?スカラープロダクション、藤谷美樹!!?え、あの藤谷美樹?」

「そんなに有名なの?」

「そんなこともしらねーのかよ」

音楽に没頭してあまりテレビを見ない優は名前をどこかで聞いたくらいだった。

「そういえばこの前うちに似た人来たって言ってたよね?」

「あああれか!・・・あれは誰か似た人でしょう!こんな無名の駅周辺のガソリンスタンドに超有名アイドルが来るわけないじゃん!」

「そうか、まあ・・・そりゃそうだよな・・・」

それを聞いてこの名刺なんかのいたずらじゃないか・・・?と思った。

そんな気がしてきた。そんな売れっ子のスーパアイドルが無名作家の自分に

用などあるわけがない。




藤谷美樹は「アイドル祭2016」に出演する予定だった。

また勝田の運転する車で現地まで移動した。

「ねえ勝田・・・今回この有紀凛って子なんか新人なの?なんでこの子がトリの私の一つ前なのよ?」

「ああ、凛ちゃんね・・・あははは。アニメ界でオタクに超人気で秋葉原からじわじわと人気が出て、今やオタクの間では女神様みたいな人気らしいよ?新人だけどめちゃくちゃ事務所に力があってね。メンフィスプロダクションだからね。だから美樹ちゃんの前なんじゃないかな・・・」

「ふーん」メンフィスは超大手のプロダクションでスカラープロダクションのライバルである。

でもだからって、なんで私の前なのよ?去年までは自分の前はそれなりの

ベテランアイドルでそういう慣例になってたはずなのに・・・

しかも自分は新人のときは前座をやらされてそれなりに苦労したのに・・・

美樹はそれが面白くなかった。有紀凛っていったいどっちが下の名前なのよ?変な名前だ、と美樹は嘲笑いたくなった。事務所のごり押しってこと??

「大丈夫だって。美樹ちゃん人気は今年もゆるぎないよ。ベテランなんだから堂々としてなって!」

ベテラン。そういわれるのもなんだかいやだった。もう若くはないってことなのか・・・



アイドル祭2016は大手テレビ局のスタジオの特設ステージにて行われた。

有紀凛の出番になると声援がめちゃくちゃ高まった。

「凛ちゃーん」

「愛してるよー」

とかオタクの声がハイテンションで響いた。

オタクの声援がすさまじかった。

美樹はステージの裏でそれを眺めていた。

「何よあれ、オタクの女神とか言っちゃってさ。気持ち悪い」

アニメの世界はよく分からないが、ファンの勢いに美樹はなんかぞっとした。

しかも有紀凛はオタクファンたちにウィンクしたり手を振ったりしていた。

「何あれ・・・新人のくせにもういっちょ前のぶりっ子サインかしら」

スタッフの人が勝田マネージャーに何やら話しかけてる。

「美樹ちゃんそろそろ出番だってよ。」

美樹の出番が来たようだった。美樹はステージに上がって行った。

「藤谷美樹でーす。皆様お待たせいたしました。今年もとりをやらせていただきます!」

「美樹ちゃーん!」

有紀凛の声援があまりにすさまじかったのでさすがの美樹もとりをやりづらくなった。それに自分の方が何か声援が少なくない?と思った。

そう思ったら美樹は急に焦りだして歌いだしを間違えてしまった。美樹らしくないミスだった。

「すみません、もう一度お願いします!」

ファンはざわざわしてたが、一人のファンが

「美樹ちゃん、あせらないで!そういう美樹ちゃんも好きだよー!」

と言ってくれたのでその場の雰囲気が和んだ。

そして彼女はもう一度歌いだした。


アイドル祭2016の楽屋

「美樹ちゃんよかったよ。お疲れ様」勝田は相変わらずいつも元気である。

売れっ子アイドルの超多忙なスケジュールをすべて管理していて自分もそれと

同じくらい忙しく動き回ってるのにいつも元気バリバリだった。昔、10年くらい前かつての伝説の超スーパーアイドル 月野令のマネージャーをやってたとか。その実績が買われてか、当時注目されていて売出し中だった藤谷美樹をスーパーアイドルに導くべきマネージャーに抜擢されたそうだ。

初めて会ったときのことは今でも忘れない。

「大丈夫、美樹ちゃん僕がついてるから安心して!あははは」

勝田はそんな感じで話しかけてきた。初対面なのにやたらハイテンションだったのを美樹は覚えていた。

確かに時々遅刻くせはあるものの、仕事は超がつくくらい優秀で非常にできる。もう40代らしいが、普通はマネージャーは若手がやるのだが、彼のようにマネージャーが好きでいつまでもやる人もいるらしい。

「なんなのよあれ?有紀凛って子」

「どうしたのさ美樹ちゃん」

「私のより声援が大きくなかった!?」

「気にしすぎだってストレスは美容によくないぞ。あまり気にしないで美樹ちゃんは美樹ちゃんらしくしてればいいんだよ!じゃあねお疲れ様!」

勝田はいつものハイテンションぶりで部屋を出ていったが美樹は有紀凛のことがまだ気になっていた。イライラしてきたのでタバコに火をつけて楽屋で吸った。けむりが楽屋中を覆った。




松田優はガソリンスタンドのアルバイトを終えて、駅前の屋台のラーメンを食べていた。屋台のおじさんに

「最近どうですか、景気は?」と聞かれた。

普通の会社員だと思われたのだろうか、優はよく分からないので

「さあ、ちょっとわからないです」

と答えた。

「みなさんどこも不景気で大変みたいですねー」

必死にいろいろ話題を振ってきたが

優はよくわらかないのでとにかくうなずいていた。

食べ終わった後に財布を取り出すと、勝田という男の名刺が見え隠れした。

少し気になったが勘定を払って自宅まで歩いていった。

今夜は比較的夜空はきれいだった。

黒い猫が自分の前を横切って行った。

「不吉だ・・・」

道理でコンペにまた落ちたわけだ・・・。




松田優は自分のぼろアパートに帰ると、机の横に置いてあったYAMAHAのシンセサイザーで自作曲を弾いた。ぼろアパートなので隣の部屋に響かない程度の音で・・・

そんな時、優の音大時代の友達の鎌田彩から電話があった。彼女は卒業後作曲活動をしたりバンドでキーボーディストをやっていたが、自宅でピアノや作曲の先生もしながら生計を立てていた。

「ひさしぶりー!」

「おう、久しぶり」

「ねえ、今度さ、ゼミのみんなで飲まない!?教授も呼んでさ・・・なんか高林教授が、論文で賞を取ったらしいのよ?」

この前教授に会ったときはそんなこと言ってなかったが彩はそのことを知っていたらしい。

「ゼミの飲み会なんて何年振りだよ。卒業してから一度もあってないやつとかもいるよ。」

「加藤くんとか?あーそういえば、私も全然会ってないや。何か普通に就職しちゃった人たちとか全然疎遠になっちゃったよね・・・」

彩もゼミの人たちとはたいぶ会ってないらしい。

「まあでも、今私いろんな人に声かけてるから、決まったらまた連絡するね!」

ぶちっと電話が切れた。

「おい!」

「行かねーぞ」優はためいきをつきながらそうつぶやいた。




藤谷美樹はテレビ局のスタジオの食堂で昼ご飯を食べ終えて階段を下りようとしていた。すると、階段の途中で野々宮妙子とすれ違った。

「あら、これは七光りのスーパーアイドルさんじゃない?」

相変わらずの嫌味な言い方だった。

「何よ、何の用?わたしあんたみたいに暇じゃないの、これからラジオ局とか行ったり大忙しだから」

「ふん、どうせもうすぐにでも忙しくなくなるわよ。あと何年もつのかしらアイドルなんて。私たち真面目に演技をしている女優からするとあなたみたいな七光りのアイドルにドラマの曲を歌われるって迷惑なのよね。ドラマが軽く見られちゃうのよ。視聴率は取れても」

「あっそ、よかったはね、あなただけじゃ視聴率なんて取れないだろうからね」

嫌味の言い合いだった。

「ちょっと、あんた!少し売れてるからって生意気よ」

「あ、そう。ならあんたも売れるように努力すれば?あの大根演技じゃね」

止まらなかった。

「ちょっと、なんなのよ!」

取っ組み合いの喧嘩になり始めた。テレビ局の社員が

「おいちょっとやめろよ二人とも」

仲裁しようとして止めに入った。

「あなたは関係ないでしょ?」

喧嘩が始まると野次馬がどんどん集まってきた。




何だかんだで優はゼミの集まりに参加することにしてしまった。バーレストランのようなところだった。予算が3000円くらいでいいってことで参加したのだが、その割になかなか立派なレストランだった。

「優!」鎌田彩が手を振った。

高林教授も来ていた。

「すみません、遅くなって」

優は教授には挨拶した。ほかの人たちも優に手を振った。

ぎりぎりまで行くのはやめようかとか考えていたがドタキャンするのも失礼なので参加することにしたため、家を出るのが少し遅れてしまった。

ゼミのメンバーは25人くらいいるのに教授を含めてたったの8人くらいしか

参加してないようだった。

加藤もいた。

「おー卒業以来じゃん全然変わってねーな相変わらず」

優は加藤の隣に座った。

加藤は何年か作曲活動をしていたが、夢はあきらめて今はレコード会社で企画をやっている。

「お前まだ作曲続けてるの?」

「あーまあね一応ね・・・」

「すごいよな、その根性。俺なんて一曲採用されたらもういいやって。とてもじゃないけど食ってけないって思ってやめちゃったよ。才能に限界感じてさ。」加藤は笑いながら答えた。

鎌田彩は

「でも加藤くんすごいよ、一曲だけでも採用されたんだからさ・・・」

「何いってんの、現役バリバリのお二人がたがさ・・・」そう言って加藤は豪快に笑った。すでに少し酔っているようだった。

他の参加メンバーはもう一つの違うテーブルの席で教授と食べたり飲んだりしながら会話を楽しんでいるようだった。教授は何やら音楽について熱く語っているようだったがあまりよく聞こえなかった。

鎌田彩の隣には鈴木杏子がいた。しばらくヤマハでエレクトーンの先生をしていたが、今は結婚して自宅でピアノ教室をやっているらしい。もうじき子供も生まれるらしい。

「いいなーみんな何か好きなこと仕事にできてて。私なんてとっくに夢なんかあきらめてもう結婚しちゃったし」

「何言ってんのよ。いい人と結婚できたくせに。何か大手広告代理店の人なんだって?」

鈴木杏子はにこっと笑って

「まあね・・・合コンで知り合って私彼のことずっと狙ってて」

優はよく知らなかったが、彩は杏子とは仲が良いらしくて、結婚式にも参加していたらしい。

「結婚式でもさえてたよね、杏子の旦那さん。すっごい素敵だった!そうそう杏子もうじき子供生まれるんだって!?」

そんな感じで女同士のガールズトークが始まった。

優は会話についていかれないので黙って食事を食べていた。

「なんか少ねーよな、参加者」

加藤が話しかけてきた。

「え?」

「あっちの席にいる綾部とかはさ、ラジオ番組のBGM制作とかしてるだろ、専門学校で音楽講師もしてるし。でもさ、他の奴らはみんなもう夢あきらめてるしね。しばらくバンドやってた篠田とかも最近全く音沙汰ねーな。やっぱりみんな参加しずれーんじゃねーの。俺はさもうすっぱり諦めてるからお気楽だけどさ・・・」

「なんだよ、それ」

「そんなもんだって現実は。ゼミの仲間っていってもみんなライバルでもあったわけだしね。音楽なんてつぶしきかないし、みんな今頃苦労してるんじゃねーのかな。その点お前はすげーよな。業界である程度知られてるんだろ?」

「別に、まだ全然無名だよ。才能なんかねーよ」

「何いってるんだよ、ゼミの教授いったぜ、おまえのお父さん松田寮って

すげー作曲家だったんだって?」

「そんなにすごくねーよ。」

確かに晩年売れて今でこそそこそこ知られてるが、若いうちは鳴かず飛ばずで売れない作曲家だったのを優はよく知っていた。

親父は理想が高くて最後まで妥協しなかった。でもそのせいで最後の最後まで理想の曲が作れず死んでいった。自分もいずれそうなるのか、と優は思った。

「まあ、とにかくお前はうちのゼミの期待の星なんだから頑張ってくれよ!」

加藤は相変わらずいいやつだった。

久しぶりだっていうのに昨日までゼミに顔を出してたようなきさくな感じだった。

加藤が立ち上がり

「えーみなさま!本日お忙しい中お集まりいただきありがとうございます!話のお取込み中すみませんが、メインイベントです!本日我がゼミ高林教授が論文で賞を取ったとのことで、どうぞスピーチをお願い致します!」

高林を照れくさそうにしていると、

「さ!どうぞどうぞ教授」

加藤が教授が席を立ちあがるのを手伝った。

「えー、まいったなー何言っていいのか」

高林教授は本当に照れ臭そうだった。

「えー、平成○○年度卒業生の皆様・・・本日はお集まりいただきありがとう。えー・・・」

そんな感じで高林教授は自分が取った論文の賞の内容やどういった経緯の研究をしているのか、とかそんな話を話し始めた。

難しく退屈な話なので優は眠くなってしまった。しかしスピーチの最後の方で

「・・・えーみなさん、みんな音楽を愛してますか?音楽をやっているとなかなか思うようにいかないとか、色々と辛いこともあると思いますけど、それはみなさんの糧となり肥やしとなりやがてそういうのが自分にとって素晴らしいものだって気づくときがきます。今は辛いかもしれないけど、音楽をやっててよかったって思えたら素敵ですね。それに夢をあきらめた人たちもきっと、音楽が人生の支えになってることだと思います。素晴らしい音楽は常にあなたたちの体の中でメロディーを奏でています。素晴らしい音楽はあなたたちの人生とともにあります。では乾杯!」

「乾杯!」そういってみんなワインやらビールやらカクテルを飲んだ。

優は教授の話を話半分に聞いていたが最後の話だけ気になった。半分は感動したが、半分は疑問が残った。

確かに音楽は素晴らしいってそう思えたらいいが・・・




教授のお祝い会がお開きなり、みんなで酔っぱらいながら駅まで帰る途中だった。

教授は女性メンバーと楽しそうに話していた。

加藤は酔っぱらって色々な人と肩を組んだり絡んでいた。

優は彩と一番後方を歩いていて、二人で話していた。

「久しぶりだったけど楽しかったね!」

「ああ・・・」松田はいつもながらローテンションだった。

「教授が言ってたようにさ・・・私たちあきらめないで音楽続けようよ!

今は辛いかもしれないけどさ」

「お前は全然辛そうじゃないけどな」

「松田君なによそれ・・・私だっていろいろ苦労してるんだからね」

「あーごめん。何かいつも楽しそうだからさ・・・」

「別にいいよ。あ、そうだ!」

「有賀泉さんって優の知り合いでしょ?バイオリニストの」

「ああ・・・」

といっても彼女は卒業後に留学しその後は海外のオーケストラを転々としていたので、卒業以来一度もあってなかったが・・・

「でも、なんで知ってるの?」

「何言ってんのよ、キャンパスで一度紹介してくれたじゃない。バイオリン科の人だって。優時々キャンパスで彼女と会話してたじゃない。」

「そうだったっけ?あまり覚えてないや・・・」

「もう、すぐ忘れちゃうんだから。年寄じゃないんだからさ・・・今度日本でオケのコンサートに出るんだって聞いたよ。」

彩は本当に情報通だ。いろいろなところに知り合いがいるのかなんでも知っている・・・

「え、海外にいるんじゃ・・・?」

「何言ってんの、この前帰国したんだってさ、知らないの?」

「え?」

優は戸惑った。

有賀泉が帰ってきてる?

駅前まで来たので他のみんなと別れることにした。

優は教授にもお辞儀をして挨拶をした。

「じゃあね松田君!まっすぐ帰るんだよ?」

「お前もな」

そういって鎌田彩とも改札前で別れた。




自宅に帰ると優はベッドであおむけになって寝ころんだ。

優は泉のことを思い出した。

あれは忘れもしない、大学2年が始まったばかりの春のときか・・・

大学の練習部屋で聞こえてきた、バイオリンの美しい音色。

それに惹かれて優は部屋の前でその演奏に聞きほれていた。

優は演奏のことはよく分からなかったが、大学で弦楽器の技法などを学んでいたのでその演奏が理論的に素晴らしいというのは分かった。

でもそんなこと関係なく彼女の演奏に聞きほれていた。

優が部屋の前で立ち止まって彼女の演奏を聴いていると、

廊下を誰かが走ってきて優の背中にぶつかった。その拍子に練習部屋のドアにあたってしまった。

ゴトン・・・しまった・・・

優は練習部屋の中に入り込んでしまった。

「どなた・・・ですか?」

「あ、いや・・・」

それが有賀泉との初めての出会いだった。

「どうしたんですか?」

「あ、いや」

優は泉に不意に一目ぼれしてしまった。

演奏だけでなく見た目も雰囲気もとても素敵できれいな女性だった。しばらく沈黙が続いてしまった。気まずくなって優は

「あの・・・演奏・・・素晴らしかったです。」

そういって優はなぜか走ってその場を逃げてしまった。

「あ、ちょっと」

その後のことを思い出そうとしたら、急に携帯に電話がかかってきた。

知らない番号だったか思わずとってしまった。

「もしもし・・・」

「ちょっと・・・どうなってるのあなた!」

「え!?」

いきなり知らない女性から電話がかかってきた。

「すみませんが、どなたでしょうか?」

「どなたじゃないはよ・・・名刺渡したでしょ。名刺・・・」

名刺・・・・?

「スカラープロダクションの勝田。マネージャー。藤谷美樹。まさか私のこと知らないわけないよね?」

「え?」

名刺ってあの名刺・・・?財布を取り出して名刺を見てみた。

「あのさ、有名アイドルから連絡くださいって言われたらふつう連絡するよね?いったい何日待たされたか。あなた音楽業界の人なんでしょ?だったら業界人の礼儀として当然でしょ?あなたそんなんじゃ業界でとてもじゃないけどこの先生き残れないわよ?」

ちょっとなんなんだこの女は?礼儀とか言われてもいきなりずかずかと電話を

してくるこの女にも礼儀なんてものがあるのか?

優は少しムッときた。

「とりあえずさ、会えないかな?」

いきなり単刀直入にその女は言ってきた。

「ちょっと待って・・・あなた・・・本当に本人なんですか?」

「当たり前でしょ」

「あなた住んでる場所って大井町方面よね?なら品川とかどう?パインズカフェで来週の日曜の12時に待ってるから。」

「ちょっと何なんですか?いきなり?」

「もうこっちは挨拶してるんだからいいでしょ?そっちが連絡よこさないのが失礼なんだからね?」

は?なんなんだこの女は?

「いいから、日曜日空いてるの空いてないの?」

日曜はバイトが・・・といっても午後3時からだが・・・

「日曜日は仕事が」

「仕事?作曲の仕事?」

「いや・・・別の仕事が・・・アルバイトですが・・・」

「は?アルバイト?作曲の仕事してるんじゃないの?」

デリカシーのない女だ。

「ちょっと待って私当分忙しくてさ、その日しか時間取れないから無理なの。だからその日でお願い」

「ちょっと急に言われましてもね・・・」

「いいからつべこべ言わないで来て。業界の仕事だと思って。」

「ちょっと」

「いいからじゃあね」

そういって電話は切られてしまった。

何なんだこの女は?本当に本人なのか?

腹が立ったが優はいたずらじゃないかどうか確かめるためにとりあえず行くことにした。



今日は休みの日だ。

松田優は、ダフ屋で有賀泉のコンサートチケットをたまたま見つけたので、それで急きょいくことにした。

東京国立劇場は非常に広くて一流のオーケストラが演奏するホールだ。音響システムも素晴らく整っている。国立オーケストラ楽団という日本の超名門のオーケストラの楽団だった。

有賀泉がいた。バイオリンでコンマスをやっているようだった。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲の演奏だった。

壮大でダイナミックでかつ優雅で繊細な素晴らしい演奏だった。

演奏後拍手喝さいが起こった。

こんな壮大な名門オーケストラで演奏している有賀泉が何か別次元の人に見えた。もう自分のことなど彼女は忘れてしまったのだろうか・・・

演奏が終わるとオーケストラの指揮者が挨拶をし始めた。

あまりの演奏の素晴らしさと、彼女の存在の大きさに優は圧倒されてしまい、思わず廊下に出た。劇場の休憩所の自販機でジュースを買って煙草を一服した。

このまま彼女に会った方がいいか、会わない方がいいか・・・

会っても自分のことなんかもう忘れられてしまったのではないかという気がしてきた・・・

でも有賀泉に会いたかった。

そんなことを考えてずいぶんと長く30分くらいそこでボーっとしていた。

休憩室から出て廊下をてくてく歩いていくとドアが少し開いている部屋があった。

出演者の控え室のようだった。

「今日の演奏ホルンがいまいちじゃなかった?」

「えーそう私もそう思いました・・・トーンがなんか下がってる感じがして・・・」

そんな会話が聞こえてきた。

どうやら今日の演奏についての感想や反省会をしているようだった。

しばらくその部屋の会話を聞いていると、後ろから誰かが話しかけてきた。

「松田君!?」

振り返るとそこには有賀泉が立っていた。

「え・・・?」

「あーやっぱり松田君だ!」

「あ・・・うん」

「久しぶりー聞きにきてくれたんだ!」

「まあ・・・ね」

「何か、全然変わってないねー.」

「ああ・・・そうか・・・な」

優は急に泉に話しかけれれてしどろもどろになってしまった。

「何でこのコンサート来てくれたの?松田君別にクラシックファンじゃないのに・・・」

「あー知り合いに聞いてね・・・よさそうだと思って・・・すごい演奏だったね・・・感動したよ・・・」

「そう?嬉しー、卒業以来だよね。。すごい懐かしい。今どうしてるのかなって

気になってたからさ・・・」

「あ・・・まあ・・・でも・・・元気そうだな・・・久しぶりだけど・・・」

松田は久しぶりに会ったので会話の切り出し方が分からなくなってしまった。初恋の人に久しぶりに会ったのでまるで学生時代に戻ったかのように少し緊張してしまった。

「え・・・今はまだ作曲とかやってるの?私さ・・・ずっと海外にいたから日本の音楽業界の事情とか知らなくってさ・・・」

「まあ・・・俺は俺で相変わらずぼちぼちやってるよ・・・」

「へー作曲してるんだ・・・いろいろ活動してるんだね。もしかして有名になってたりして・・・」

「まあーそんな大したことねーよ。」

「へーすごいね。今度曲とか聞かせてよ。どういう曲書いてるの?」

「まあ、ドラマとかのね・・・」

「えーすごい、もう売れっ子なのね?」

「まあ、どうなのかな・・・」

松田はしどろもどろにそう答えた。

「でもすごいよ、松田君は絶対にすごいって私思ってたもん。卒業制作の作品とか聞かせてもらってもう感動しちゃったから・・・」

「あんなの大したことないよ・・・それよりそっちはしばらく日本にはいるの?」

「どうかなー、日本の国立オーケストラ楽団に入れたからしばらくは日本にいるつもりだよ。最低でも半年契約だから来年の夏前まではいるかな・・・」

松田優はそれを聞いて安心したというかとっさに嬉しくなった。

「そっか・・・」

「あ・・・またどっかに行こうよ。学生時代みたいに、クラシックのコンサートとかいろいろなライブとか見にさ・・・」

松田優はクラシックにあまり興味なかったが、泉がクラシックのコンサートに誘ってくれたので学生時代は時々見に行っていた。優はその代わりに泉に自分の好きなドラマや映画のテーマ曲を作る巨匠などの開くコンサートや好きなバンドのライブによく誘った。

「そうだね・・・また久しぶりに行けるね・・・」

「携帯の番号変わってない?」

「ああ、メールアドレスは変わったけど番号は変わってないよ。」

「そっか・・・私も変わってないからさ・・・また電話するね・・・今日松田君に会えて本当によかった!久しぶりに日本に帰ってきたんだけど、でもオケのスケジュールがびっしりで忙しいでしょ?だから、まだ知り合いとかに全然会えてなくて・・・まだ日本に帰ってきたって実感なくて・・・松田君に会えたらなんか勇気わいてきた・・・」

「なんだよ・・・それ・・・」

「あ、でたその口癖・・・久しぶりに聞いた・・・」

そういって泉は少し嬉しそうに笑った。

本人には自覚はないが、優の口癖らしい。最近言ってなかったが久しぶりにそう出てしまった。

「あ、私今からまた演奏後の打ち合わせとか打ち上げの話があるんだ。もう行かないと。。」

「ああ・・・会えて・・・よかったよ・・・」

「うん、じゃあまたね」

そういうと泉は別の部屋へ向かって去っていってしまった。

松田優はそこに取り残され、何だか泉が遠い存在になってしまったようで悲しかった。




次の週の日曜日松田は例の藤谷美樹という女に会いに行った。

というか単なるいたずらかどうか確かめにいったのだったが・・・

時間の5分前だったが、品川駅から少し外れた先のパインズカフェの中を窓ガラス越しにのぞきこんだ。

店の中をそれとなく見渡したがそれらしき女性はいない。

「そもそもどういう格好してるとか教えろよ・・・向こうもこっちがどういう格好してるとかしらねーし・・・」

しばらく店を眺めてると、後ろの方から車のクラクションが聞こえた。

振り返ると、サングラスをしている女性が車から出てきた。

「あなた・・・松田優よね?」

「はい?」

「いいの・・・顔はもう確認して知ってるから・・・」

「あ・・・あなたが・・・藤谷美樹?」

「あーバカ聞こえるじゃない!」

彼女に口を押えられた。

「いいから早く店入るはよバカ」

は?ば・・・バカ?




二人はカフェの中で注文をして席についた。松田優はブラックコーヒーを藤谷美樹はカフェラテを頼んだ。

「はじめまして・・・あなた松田優さんよね?」

「はじめまして・・」

「・・・なんか思ってたのとイメージが違うけど。もっと優しそうな人かと思ったわ・・・」

は?なんだこの女はいきなりごあいさつだな。

「いきなりなんなんですか?っていうか本当にご本人なのか?・・・藤谷・・・」

そう言いかけたところで

「ちょっと!あんたバカ?聞こえちゃうでしょ周りに!」

「は?自意識過剰だな・・・誰も聞いてないって」

「私超有名なのよ?ちょっとでも聞こえたら野次馬とか来ちゃうでしょ。あなたと二人でいるところ、写真なんかでも取られたら大変よ」

「それで・・・サングラスしてるわけ?」

「そうよ」

「でも、それだとあなたが本人なのかこっちは分からないね」

「今日は本当にこれでごめんさない。失礼なのはわかってるんだけど。

でもどうしてもっていうならトイレでふちめがねに変えるからちょっと待ってて。」

「別にそこまでしろとは・・・」

「あーいいからちょっと待ってて・・・」

そういうと藤谷美樹は化粧室の方に行ってしまった。

何なんだあの女?しかも本当に有名人だとしたらそんなやつが俺に何の用なんだ?

しばらくすると戻ってきた。

「お待たせ!」

あられちゃんのような変なメガネをかけてきた。

「おい、それだと逆に目立つんじゃ・・・」

「いいのよ、これくらい変装しないとばれちゃうから・・・」

メガネをかけていたのでアイドルってイメージではないが、確かに美人に見えなくはなかった。

「まあ、この店は駅から遠くてお客さんがいつも少ないから、それでプライベートのときとかたまに利用してるのよ・・・まあ、ここだけじゃあやしまれるから他にもお気にいりのプライベートスポットとかはたくさんあるんだけどさ・・・」

アイドルって想像以上に私生活が大変なのか?確かに店の周りとか見回しても客はほとんど入ってなかった。

「で、そのスーパーアイドルさんが俺に何の用だ?」

「あ、しー聞こえちゃうから。アイドルとかそういう言葉は禁句ね。」

「わかったよ、それで何の用ですか?」

改まって聞いてみた。

「あ、私ね、さっき言ったでしょ。あなたの曲聞いたことあるって。」

「曲?・・・俺の?」

「あなた作家さんでしょ?私がデビューしてまだブレイクする前にね、一度だけ脇役で出たことあるの。『せせらぎの中で』っていうドラマであなたの曲なんて言ったっけ?」

「本当に知ってるのかよそれって・・・」

「知ってるわよ。タイトルなんだったっけ?」

「テーマ曲はPiece of dreamっていうやつだけど」

「あ、それそれ、私事務所にCDあったから何度も聞いたのよだからそれだと思う!」

「思うって・・・」

「反応それだけ?」

「え?」

「国民的アイドルが何度も聞いたのよ?あなたの曲」

「え・・・?」

「だからさーあーもう。嬉しくないのかってことよ」

「え、ちょっとなに?何で?」

「あーもういいは・・・」

藤谷美樹はため息をついた。

優は何なんだこの女は、とまた思った。しかも自分で店の中でアイドルっていうなっていったくせに。

「あーもうそれはいいは。でね、それで何度も何度も聞いたっていうのは本当にいいと思ったのよ。あの曲。あのドラマさ、全然ヒットしなくって全然有名じゃないし、まあ私が主役じゃないからこけてもよかったんだけどさ。」

何だまたこの女は何か難癖つける気か?

しかし美樹はしゃべり続けた。

「あの時、私まだ売出し中で全国回って営業とかしててそれでも売れなくて、心折れそうな時期だったのよ。やっとの思いで脇役もらって。だから撮影後に毎回あのドラマをオンエアーで自宅で見るのが楽しみで。それで、あなたの曲がバックで流れてくるでしょ?感動しちゃって。」

この失礼で厚かましい女がいきなり、自分の曲をほめだしたので心外な気分になってきた。不意を突かれたような感じだ。それで優は唖然としてしまった。

「何よ?」

「え?・・・あ、まあそれはよかったね。」

「何よ、それだけ?」

「あ、まあ、それはどうも・・・光栄です。」

藤谷美樹は少し間を置いた後に急に笑い出した。

「あははははは」

「え・・・なんだよ?」

「あはははは、あ、ごめんなさい。あなたって、なんか話し方面白くって。光栄ですなんていまどき言う?昭和じゃないんだから・・・」

「は?なんだよそれ」

優は苦笑いをした。

「あはははは、そのなんだよそれっていうのも面白い。」

「あんたね、初対面の人に向かってその笑い種の方が失礼かと思うが・・・」

「だって面白いんだもの・・・でも・・・ごめんなさい。」

「別・・・いいけど・・・」

「なんかますますあなたに興味持ったわ・・・あのお知り合いになれないかなって思ってさ・・・」

「知り合いに?・・・俺と・・・?」

「別にいいでしょ?あなた全く芸能界とか知らないわけじゃないし、音楽業界の人だって私たち芸能人とつながり全くないわけじゃないでしょ?お互い知り合いになって損することはないと思うけど・・・。というか超有名な私と知り合いになれるあなたの方がずっとメリットあるじゃない。普通は私がお願いされる立場なんだけど・・・」

何だ、この女は上から目線な上に自意識過剰の塊だな。アイドルってみんなこんなんなのか?世のオタクどもはテレビの中のぶりっ子に騙されてるのか?

「別に嫌だなんていってないですが・・・でもそっちが勝手にそう思うのは勝手だけど、こっちも別にお願いしてないよ・・・」

「あなたね・・・プライド高いはね。さすが芸術家。」

「ちょっとプライド高いってなんだよ?」

優はさすがにその言い方に少しむっと来てそう言い返した。

そうすると美樹は腕時計をちらっと見ると、

「あ、ごめんなさい。私これから人と会う約束あるのまた、今度ね。今日はあえてよかったは・・・また携帯の方に連絡するはね・・・じゃあね。」

そういうとさっさと帰って店の目の前の黒い車に乗って去って行ってしまった。

何なんだあの女。ホント腹が立つ。しかも、本当に本人だったのかあやしいもんだ。何かのいたずらかなんかなんじゃないのか?自分を貶めようとしている音楽業界か芸能界の誰かが・・・何かの策略?

今度、携帯に連絡が来ても絶対に取るもんか・・・




車の中で勝田が美樹に話しかけた。

「どうだった美樹ちゃん?その松田優って人は」

「うーん、イメージと少し違ったけどなかなか面白い人ね。また会ってみたくなった。」

「ちょっとーのめりこむのはほどほどにしてよ。そんな無名の人とコネ作ったって美樹ちゃん何のメリットもないんだからさ・・・」

「わかってるわよ、もう勝田には頼まないから私が個人的に会えばいい?」

「ちょっと~それも心配だな・・・美樹ちゃん何するかわかんないから。」

「じゃあ、どうすればいいのよ」

「うーん困ったな。上と相談していいかな?」

「ちょっと待ってよ、それは勘弁してよ。そんなことして、彼と会うの禁止にされたら困るじゃない」

「そんなに気に入っちゃったんだ彼のこと」

「別に気に入ったわけじゃないわよ・・・ただ面白いと思っただけよ。」

そんな会話をしながら二人は車で次の仕事の現場に向かっていった。




次の日優がガソリンスタンドで働いていると、彩が来た。

「優!」

「なんだ、どうしたいきなり?」

「どうしたって、せっかく会いにきたのに・・・近くに用事があったから優にこれ渡そうと思って」

そういって彩は優にチラシを渡した。ライブイベントのチラシのようだった。

「今度さ、渋谷でライブイベントがあって私キーボードで出演するからさ、見に来ないかと思ってさ・・・。優最近来てくれてないでしょ?」

「あーごめん最近バイトとかで色々忙しかったからさ。」

「これチラシだから、よかったら見に来て。友人として私が、一杯ドリンクサービスするから。バーみたいになってるから優の好きなサワーとかカクテルも飲めるよ」

「うん、了解、今度の土曜日の夜6時からね・・・たぶん行けるは。」

「よかったーありがとう!じゃあね。」

彩が帰りかけようとすると

「あ、あのさ・・・」

「え?何優?」

優は彩に藤谷美樹のことを知ってるか聞こうとしたが、バイト中なのでやっぱりやめることにした。

「いや・・・やっぱりなんでもない・・・」

「あ、そう、・・・うんじゃあね・・・」

そういうと、彩は去っていった。

バイト先の同僚が

「なんだよあの女、彼女か?」

「まさか・・・ただの友達だよ。」

「友達って音大の?なんだ・・・つまんねーの」

そういうと同僚はまた仕事に戻ってしまった。

バイト先の上司が

「おいこら、松田何やってんだ、さぼってんじゃねーよ」

と言ってきた。

「あ、はい、すみません」

優も仕事の方に戻った。




次の土曜日の夕方6時ちょっとすぎにハーフムーンという渋谷にある地下ライブハウスに松田優は入っていった。

優はカウンターでジンビームを注文した。鎌田彩の出番が来るまで知らないロックバンドの演奏を聴きながらジンビームを飲んでいた。

優はロックというジャンルはさほど好きじゃなく、彩に誘われてきただけだったので、周りのロックファンの人たちのノリについていけず一人壁によりかかりぼーっと見ていた。

何組か演奏が終わると、彩のインディーズのロックバンド「ラブアンドジェネシス」が登場した。

「えーみなさん今日は本当にお集まりいただきありがとう!ラブアンドジェネシスのボーカルのKenです。ドラムのNaoyaとベースのKiritoとキーボードのAyaです。ファンのみなさま、今日も熱いロックでフィーバーしちゃってください!ひゃっほう!」

優は彩のバンドのイメージカラー変わってしまったようで、びっくりした。以前まではポップスのバンドにいたので彩の様変わりに驚いた。

曲もなんだかうるさいフィーバーするような曲ばかりで好きになれなかった。

以前Ayaのいたポップスのバンドは好きだったが、このバンドは好きになれそうになかった。Ayaは学生時代からJPOPが大好きで常にオリコンチャートをチェックしているくらいのポップスファンだった。作曲家としてもインディーズやメジャーの歌手にいくつか曲も提供していてそれとは別にインディーズのポップス系のバンドの活動もしていた。優は彼女の作る曲は好きだった。でも、彼女がこんなロックバンドが好きだったなんて知らなかった。

自分の友達の知らない一面をこのロックバンドのメンバーは知ってるのかと思うと悲しかった。


ラブアンドジェネシスの演奏が終わって彼らは退場してしばらくすると彩が優に話しかけてきた。ライブハウスに設置されてるテーブルでカクテルを飲んでいたので彩も好きなモスコミュールを持ってきて向かいの席に座った。

「どうだった?」彩が優に話しかけてきた。

「あーなんていうか、かなり派手な曲ばっかだな・・・」

「何よそれ・・・よかったの、よくなかったの?」

「まあ、俺はあんま好きじゃないかな・・・ロックとか。でもよかったと思うよ。」

「相変わらず音楽に関してははっきり言うよね。普段ははっきりしないくせに。」

「なんだよ、それ・・・」

「でもさ、ロックが好きじゃないのに何で来てくれたの今日?」

「あ、いや、別に・・・特に意味はないよ。久しぶりに彩の演奏聞きたかったし。」

「それだけ?」

「それだけって?」

「あ・・・いや、この前バイト先のガソリンスタンドで優何か言いかけてたから・・・」

「そうだったっけ?」

「何言ってんのよ?私が帰ろうとしたら呼び止めたじゃない」

優は思い出した。

「あ・・・そうだった、はいはい、思い出した。」

「ったく・・・ぼけ老人みたいね。」

藤谷美樹のことを話そうとしたが、何を話しだしたらいいのかわからなかったので、勝田とかいうあの、マネージャーからもらった名刺を取り出して彩に見せた。

「スカラープロダクション 藤谷美樹チーフマネージャー勝田幸則?・・・

何なのこの名刺?」

優は今までの経緯を全部話した。

彩はしばらく興味津々な感じの表情で話を聞いていたが話し出した。

「へー信じられない話じゃない?でもこんなこと本当にあるの?」

「俺が聞きたいよ。だから聞いてるんじゃない」

「そっか・・・そうだよね・・・まあ、でも本人たちに会ったのなら詐欺ってことはないと思うけど・・・」

「思うって頼りないな・・・」

「だって、しょうがないじゃない?私そんな大手プロダクションの知り合いなんていないし。ましてやそんなスーパーアイドルが個人的に私たちみたいな無名の音楽業界人にコンタクトとって来たりするのかなって・・・」

「だよね・・・やっぱりそう思うよね・・・。しかも、なんかその女めちゃくちゃ変なんだ。」

「変って・・・?」

「なんかやたらわがままだし、上から目線だし、自意識過剰だし。しかも『あなたプライド高いはね。さすが芸術家ね』とか言ってくるんだからさ。」

「へーそうなんだ・・・あはははは。何か面白い私もあってみたいその人」

「笑い事じゃないって。話してると頭にくるよ」

「ごめんごめん、うーんでも、なんかそのままにしとくのって気分悪いからこっちから電話かけちゃえば?そのマネージャーなんとかって人に。事務所に直接電話かけちゃってさ本人出せやーって。」

彩はまた少し笑い気味にそういった。

「だから笑うなって。こっちは本気で気味が悪いんだから。」

「じゃあ、どうするの。そのまま放置?」

「それも、気分悪いしな・・・」

「気分悪いし?」

「わかったよ、じゃあ事務所にかけて本人が本当にいるのか確認してみる。」

「わーすごーい。スーパーアイドルに電話でろやーって?」

彩はまた笑った。面白い話題とかあると野次馬みたいに飛び込んできてゲラゲラ笑うくせが昔からある。

「そうだよ、そうするしかないだろ」

優は少しむっとしてそういった。

「何か進展あったら教えてよ!」

「わかったよ」

彩はモスコミュールを飲み干すと

「私バンドメンバーとこれから打ち上げだからじゃあね」と言って去っていった。

「ああ・・・じゃあな」

優はむすっとした感じで振り返りもせずにそう返事した。




次のバイトの休みの日。松田優は自宅のアパートのベッドで彩に言われたことを思い出した。あまり気のりはしなかったが、名刺に書いてあるスカラープロダクションの勝田マネージャーに電話をかけてみようかと思った。

携帯で番号を押して少し緊張した面持ちでかけてみた。有名プロダクションに電話をかけるなんて滅多にないことだったので手が少し震えた。

「もしもし、こちらスカラープロダクションですが・・・」

そう聞こえてきたら不意に電話を切ってしまった。

電話を切るつもりなどなかったが、無意識の行動だった。

「はー」

ため息をついて優は携帯電話をベッドに放り投げた。

そうだ、電話をかけなくても本人かどうかはネットで調べればいいんじゃないか・・・

藤谷美樹で検索すると、実に1千万件以上ヒットしたので、松田優は腰が抜けそうになってしまった。スーパーアイドルと聞いていたが、まさかこんなに有名なの?と思った。

オフィシャルホームページ、ブログ、ツイッターや、ファンクラブ、オスカープロダクションのプロフィールページ、ファンの書き込みやはたまた2chにまで実にたくさんの色々なページがヒットした。

松田優はとりあえず、オフィシャルホームページを見てみることにした。

いきなり本人らしき若い女性の写真がドアップに出てきた。

確かに美人だ。優はその写真を見ると、実際に会った人の顔を思い出しながら比べながらしばらく眺めてみた。

確かに似ているが、でもものすごい変装していたので、本当に本人なのかはそれだけでは分からなかった。オフィシャルホームページに歌っている映像などがYoutubeの画像でリンクされていたのでそれを聞いてみたが、話し声と歌い声が若干違うようだったので声でも本人かどうかも分からなかった。

松田優は困ってしまった。やはり事務所に電話しないとわからないのか・・・


そんなことを考えていると、電話がかかってきた。有賀泉からだった。

学生時代から変わってない番号だったので泉の番号だとすぐに分かった。

「もしもし・・・」

「もしもし・・・」

「よかった・・・つながった・・・松田君?」

「うん・・・そうだよ・・・有賀さん?」

しばらく沈黙が続いた。

「携帯番号変わってないっていってたからさ・・・だからこの前久しぶりに会えたから、また懐かしくなって・・・」

「そっか・・・こっちも電話かけようと思ってた。」

「本当・・・?よかった。あのさ・・・この前はコンサートに来てくれてありがとう。久しぶりに松田君にあえて本当懐かしかった。あのときはバタバタしてて時間がなかったからゆくっり話せなくてさ・・・あの、ごめん。」

「うん、そんなこと別に・・・いいよ。」

本当は泉がいるかどうか気になって楽屋をのぞいただけで後ろから泉が声をかけてくれてなかったら自分は彼女とは再会できてなかったのだ。自分から声をかける勇気などなかった。世界のオーケストラをまたにかけて活躍する国際派バイオリニストになってしまった彼女に声をかける勇気など自分にはなかった。

しばらく彼はそんなことを考えていると

「松田君・・・松田君・・・?」

「・・・あ、ごめん・・・ちゃんと聞いてるよ。」

「あ、よかった電波悪いのかと思った。あのさ、今度の日曜日会えない?久しぶりに再会できたから嬉しくって食事でも一緒にどうかなって・・・」

食事?学生時代はよく友人として授業の合間に学食やキャンパスの近くで食事などを一緒に時々していたが、有名人になってしまった泉に改めて食事に誘われると少し緊張した。

「え、っと今度の日曜日?」

確かバイトが入っていた。しかもその日は一日中だった。

「ダメかな?」

「え?・・・ああ、大丈夫だよ、全然!空いてる」

とっさに嘘をついてしまった。

「本当!?よかった。断られるかと思ってたからよかった。あのさ、表参道においしいイタリアンがあるって雑誌に書いてあったからどうかなって思って。」

さすが、国際派バイオリニスト。優はイタリアンなんてここ何年か行ってない。

普段はコンビニ弁当やら吉牛やら定食屋や居酒屋ばかりだ。

「うん、いいよ。有賀さんが行きたいところならどこでも・・・」

「そう?よかった。じゃあ表参道に12時半くらいはどう?」

「了解、大丈夫だよ」

「うん、じゃあ・・また・・・」

「じゃあ・・・また・・・」

そういって電話を切った。

その日のバイトは体調不良で休むと電話することにした。



「ちょっとこれどういうことですか?」

藤谷美樹は事務所のオスカープロダクションの岡田プロデューサーにどなりつけた。

「どういうことって、そういう記事が出ちゃってことだよ」

見出しを藤谷美樹は大声で読んでみた。

「有紀凛、新星現る。藤谷美樹の時代も藤谷危機の時代へ!?世代交代か!?」

「何よ、これ!私は別にこんな新人相手にしてないの!」

「でもさー美樹ちゃん彼女ものすごい人気だよ!?最近のアイドルファンって昔と違ってオタクが多いんだって。アニメから火がついて、アキバで女神様扱いでしょ彼女?それから徐々に全国区になって。今やアニソンとか彼女が歌うの全部ヒットだし。おまけにルックスも女優顔負けでいいしトークも面白いからバラエティーもひっぱりだこだし。」

「何よそれ、私だって歌じゃ負けてないし。ドラマの主題歌とか歌ってるし。」

「美樹ちゃん・・・確かにそうだけど、今はもうドラマのタイアップとか全く売れないんだよ。CD全然売れないしさ・・・美樹ちゃんが売れてるのって歌でもドラマでもトークでもなんでもこなせるオールラウンドアイドルっていうのが売りだけど、そういうの残念だけどさ、もう時代遅れなんだよ。そういうアイドルって過去にもたくさんいたし。」

「何よ、それ私がありきたりだっていうの?」

「あーそうじゃないよ。。美樹ちゃんがスーパーアイドルなのは変わりないよ。でも時代は美樹ちゃんみたいな正統派じゃなくて、オタク系とか変わったアイドルを求めてるってことだよ。美樹ちゃんがブレイクしたきっかけっていうか、全国区になれたのだってある意味、お父さんが大物俳優の藤谷圭だったっていうのもあるし。マスコミがそれをものすごい宣伝してくれたからで。」

それを聞いて藤谷美樹はショックでブチ切れてしまった。

「ちょっと、それいくら岡田さんでも許せない!」

藤谷美樹は机を手でボーンと叩いて出て行ってしまった。


部屋から出て行って、事務所を通り抜けて廊下に出ると、野々宮妙子が後ろから声をかけてきた。

「あら、これはスーパーアイドルさんじゃありませんか・・・」

「何よ・・・あなた相変わらず暇人ね。何か用?」

「別に・・・ちょっと仕事の打ち合わせでこっちに用があっただけ。今度あんたが主演やるドラマの打ち合わせだっていうからわざわざオスカープロダクション様に出向いてあげましたの。でも当の本人は別の用事があるから欠席だって。主演の自覚と責任もないのかしら?出演者の皆様怒り心頭だったわよ?こんなんで視聴率とれるのかしら?心配で心配で気が気じゃない。」

「そんなこと知らないはよ。私別件の打ち合わせが昨日急にできたから、事前に私の意見書とかマネージャー通して提出してもらってたでしょ?私ものすごい忙しいから打ち合わせには出れないことがあるってあらかじめ全関係者に伝えてもらってるの。」

「それはそれは、さすがスーパーアイドル様は何やっても通用するんですね?恐れ入りますは。」

野々宮妙子の嫌味はスパイスがきいていた。

「あのね・・・あなた言いたいことがあるならはっきりいいなさいよ。」

「言いたいこと?そんならくさるほどあるけど、でもあえて言うなら、そんな態度が通用するのはスーパーアイドルでいられるまでだってことよ?」

「それ・・・どういう意味よ?」

「これ、見た?私今朝この記事見ちゃって笑っちゃった。」

それはさっきまで美樹が岡田プロディーサーにどなりつけてたネタの記事だった。

「有紀凛、新星現る。藤谷美樹の時代も藤谷危機の時代へ!?世代交代か!?」

「あはははは、笑っちゃうはね・・・あなたがスーパーアイドルでいられるも時間の問題ね。」

「そんな記事どうでもいいはよ。そんなアニオタの女神だかそんなの私は相手にしてないから。」

「そんなことあなたが言ったところでアイドルの人気なんて世間が決めることだからね。そんな態度とってられるのもいつまでかしら。あははははは」

そういいながら嫌味な態度で野々宮妙子は去って行った。

藤谷美樹はそれを睨んだ。




次の日曜日松田優はバイトを休んで有賀泉に会った。

表参道のレストランで一緒に食事した・・・

「どう、このレストラン?」

「うん、結構いいよ素敵な眺めだし」

「雑誌で見ていいと思ったけど、松田君にはどうかなーって思って」

「ああ、すごくいいよ、俺もイタリアン好きなんだ。よく来るんだたまに休みの日とか・・・」

「あ、そっか・・・松田君も売れっ子だもんね・・・こういうところ来るもんね・・・」

「え、あーいや・・・まあ」

「普段はどういうところ行くの休みの日とかは?」

「まあ、別に大したことないよ、そこらへん雑誌とかネットに載ってるフレンチとか中華とかか・・・な・・・」

「へーそうなんだ。今度どっかおすすめのあったら教えてよ。」

「あ、うんまあ・・・でも・・・」

「でも・・・?」

「あ、うんまあ・・・でも今度は食事じゃなくてどっか歩いてまわらない?

美術館とか水族館とかさ・・・しばらく日本いなかったから行きたいところたくさんあるだろ?」

「あーそうだよね。あ・・・そういえば学生時代は松田君とはコンサートとかライブたくさん行ったよね?そういうのもまた一緒にいくのいいな・・・でもコンサートとかはチケット取るの大変だし、スケジュールの都合お互い忙しいから合わないよね?なら、そういう気軽にいけるところの方がいいかな?」

「うん、まあそうだね・・・」

優はただ単においしい高級レストランのことなど知らなかったので、とっさに美術館やら水族館などと言ってしまっただけなのだが・・・

学生時代泉はもっと素朴で、学食や近くの定食屋に一緒に行ったのだが、しばらく海外生活をして食生活が変わってしまったのだろうか・・・

そういう話をしようとしたかったができなかった。

「じゃあ・・・今度は松田君がお勧めの美術館に行こうよ。また決まったら連絡してね!」

「あ・・・うん。」

美術館のことなどあまり知らなかったがそういってしまった以上は何か決めなければいけなくなってしまった。

泉はにっこり笑っておいしそうにパスタを食べた。




藤谷美樹は初主演のドラマ「それぞれの明日へ」の一話目の撮影のクランクインに入っていた。一話目の最初のロケ地である田舎の森林の生い茂っているキャンプ場のようなところだ。

「今回、立花沙希役で主演をやらせていただくことになりました、藤谷美樹です!まだまだ女優としては至らないところがたくさんありますが、ご先輩がたのご指導の元恥ずかしくない演技をつとめさせていただきます。どうそ宜しくお願い致します!」

パチパチと関係者各方面から拍手が起きた。

藤谷美樹がテントやバーベキューセットの準備されてる休憩席の方に行こうとしたら、野々宮妙子がすかさず話しかけてきた。

「何が、『ご先輩がたのご指導の元、恥ずかしくない演技をつとめさせていただきます』、よ。さすがはスーパーアイドルね。心にもないことぺらぺらと関係者に好かれることを言うのは大得意ね。あなたの演技が恥ずかしいのはこっちはもう知ってるっての。見ていてこっちが恥ずかしいくらい。」

「あのね、大根女優のあなたにだけは言われたくないんだけど。私に主演取られたからってひがまないの。」

大宮妙子はそれで頭にきてしまって

「何よ、七光りで主演やってるだけのくせに。ふん」

そういって去っていってしまった。

「本当しょうもない女ね」

藤谷美樹はため息をついた。




松田優は休みの日だったのでまたアパートのベッドで寝ころんでいた。休みの日は相変わらずごろごろしているか作曲活動をしていた。あまりアウトドア派じゃないので出かけることはまれだった。

ベッドであおむけになりながら、有賀泉との学生時代の思い出を思い出していた。

初めて有賀泉のことを見かけたのは大学2年の春に練習室で彼女がバイオリンを弾いていたのを偶然見かけたからだったが、その後どうやってであったのかを思い出した。

しばらくたったある日、たまたま学食に向かおうと思ってたらちょうど向こう側から彼女が歩いてきたのだった。

「あ・・・」

「あ・・・」

とお互いの立ち止まり。

「あの・・・この前練習室で会った人ですよね?」

「あ・・・はい・・・」

気まずくなって二人は黙り込んでしまった。

沈黙の間が嫌だったので松田優は思い切って何を先走ったのかとっさに

「あの、よかったら今から学食で一緒に食事しませんか?」

と言ってしまった。

「え?」彼女は戸惑っていたが、

「あの、演奏のこととか聞きたいし・・・」

「あ・・・じゃあ・・・そうですね。私でよかったら・・・ちょうど一緒に食べる友達が携帯で連絡取れなくて困ってたんですよ。ちょうどよかった。」

そういって彼女は笑った。

優は大体いつも一人で食事をしていたが、彼女と食事ができるのが嬉しかった。

といっても何となく一緒に学食で食事をして会話もほとんどなかったのだが・・・

食事を食べてる最中二人はほとんど会話をしなかった。

優はきつねうどんを食べて、泉は高菜そばを食べていた。

二人とも食べ終わると沈黙が走った。

「あの・・・」優が泉に話しかけようとした。

「はい・・・」泉は返事をした。

もう一度優が「あの・・・」と言おうとしたら、泉が突然

「何で逃げていかれたんですか?」

「え・・・?」

「あ・・・あの、なんであのとき逃げていっちゃったのかなって思って・・・」

「あ・・・いや・・・」

しばらく沈黙が続いた。

「あの・・・なんていうかな・・・その・・・演奏がとても素晴らしくて

聞き入ってしまっていて。あなたの邪魔をするつもりじゃなかったんだけど、間違ってドアが開いてしまって・・・・。それで邪魔しちゃ悪いと思って。あの・・・驚かせてすみませんでした。」

優は嘘をついた。本当は一目ぼれして恥ずかしくなって逃げてしまったのだった。

「そうなんですか・・・。別に逃げなくてもよかったのに・・・シャイな人なんですね・・・」

そういうと泉は少し笑った。

彼女が笑ってくれて少しほっとしたので、優も少し笑った。

「あの、ところでお名前は?」

「ああ・・・松田優です。」

「私は有賀泉です。バイオリン科です。よろしくね。あなたはどこの科?」

「あ・・・作曲科です・・・」

それからは会話がはずんでお互いの所属する学科とかの好きな科目の話とか音楽の趣味の話で盛り上がった。


そんなことを考えていたら、松田優の所属する作家事務所のカレージ&ドリームの社長から電話がかかってきた。

「あ・・・松田君今話せない?ちょっと事務所に来てほしんだけどさ・・・」




何だろうと思いながらも優は自分の所属する作家事務所へ行く。

行くのは久しぶり。普段事務所との連絡はもっぱらメールのみで、初めて面接をしたときとか曲が採用されたときとか事務所の交流会とかそういうときくらいしか行くことがなかった。

「松田君、最近君の曲ほとんど採用されてないよね。もう何年も。君が大学卒業してすぐくらいからだからもう5年以上たつよね?それなのにたった一曲しか採用がない。この先もこんな状況が続くようだと困る。近いうちってわけじゃないけど、もしかしたら来年再来年あたりにうちとの契約を解除してもらう可能性もあるからね・・・」

優はその話を聞いてショックを受けた。

中々事務所に受からなかった優に、高林教授が依然自身が所属していたこの事務所を紹介してくれたからこそ入れたのだった。

「高林さんの熱心な推薦があったし、きみが松田寮の息子さんだっていうからうちは何の実績もないただの音大卒の君に期待して採用したわけだから。」

優はすみませんといった。

「もう、いいからさ、帰りなよ。」

そういわれて優は帰ろうとすると

「あ、そうだ一つ言い忘れてた、スカラープロダクションの勝田って人が電話かけてきてね、きみの携帯の番号知りたいって言ったから教えといたよ。だいぶ前だけどね・・・」

あの男か・・・

「ちょっと勝手に人の個人情報教えないでくださいよ。」

「しょうがないでしょ、業界随一の有名プロダクションだし、あっちは色々と取引があるクライアントで仕事をもらってる立場なんで逆らえないんだから。君の許諾得ようと思ったけど君の携帯つながらなかったからさ・・・だから大目に見てよ。それに今の君の立場からしたらそれくらい断れないはずだけどね。」

そういえば事務所から着信履歴があったような・・・大した用事でないと思って忘れてしまったのだった。

「分かりました・・・」

そういうと優は事務所を出て行った。

そういえば藤本美樹が自分の携帯の番号をなぜ知っていたのか、とふと思ったが、それはそういうことだったのか・・・

何て強引なプロダクションなんだ。いくら最大手だからっていくらなんでも横暴だろ。それにうちの事務所は個人情報の考え方とかどうなってるんだよ。いったいどんな事務所だよ。優はそれにあきれた。




松田優は事務所の近くの都心の広い公園のベンチに座り一人落ち込んでいた。

そこで子供たちと遊んでいる女がふと目に入った。

「あ・・・あの女は。」

変装した藤谷美樹?

向こうもこちらに気が付いた。

すると彼女は子供と遊ぶのをやめて逃げていこうとした。

「おいちょっと」

優は走って追いかけて藤谷美樹の肩をつかまえた。

「ちょっと待てよ何で逃げるんだよ」

「ちょっと・・・こんな都心の人がたくさんいる公園で名前叫ばれたら大変なことになるじゃない!」

「また、アイドル気取りか・・・」

「だからアイドルだって言ってるでしょ。」

「どうだか・・・」

「そんなにあやしむなら事務所に電話かければいいじゃないのよ。あなたのこと勝田が知ってるからさ」

相変わらず意味不明な女だ・・・

「ねえところでベンチで何してたの?」

「別にどうでもいいだろ」

「あー何か悩んでた?もしかして・・・スランプに陥ったとか?」

「うるせーな。そっちこそスーパーアイドル様が都心の公園で何やってんだよ。」

「別にいーでしょ。私だってたまの休みにくらい羽根のばしたくなることあるんだからさ。変装してれば誰も私のことなんか見ないし。忙しい日常から解放されたくなることだってあるのよ。毎日毎日人に見られてばっかりでうんざりなのよ」

「相変わらず、自意識過剰だな。アイドルなんて人に見られてちやほやされたくてしょうがないやつらだと思ってたけどな。」

「何その偏見。純粋にアイドルになりたいって子もたくさんいるんだからね。ホントに失礼。撤回してよ。」

「別に。そういう人もいるかもしれないけど、あんたは違うだろ?」

「私の何しってるのよ。あなたこそいつもクールに孤独気取ってていかにも芸術家気取りよね。プライド高そうだし。」

「うるせーな。」

しばらく二人とも沈黙してしまった。

「あーせっかくの休日だってのに気分台無しだは。帰る。」

藤谷美樹は急に不機嫌になってそういった。

「ああ・・・帰れば?」

「そうする」

藤谷美樹はそう言いかけたが、なかなか帰ろうとしなかった。

「そうだ、私が帰る必要ないは。あなたが帰りなさいよ。私はもう少しここらへんぶらぶらしたいんだから。」

「なんだよそれ・・・」

本当めちゃくちゃな論理を振りかざす女だ。

すると、急に藤谷美樹は立ちくらみがしたかのようにしゃがみこんでしまった。

「おいどうした?」

「いや、ちょっと疲れてるだけ。」

「ベンチに座れば?」

「別にあそこまでいくの面倒くさい。あ・・・でも・・・」

「でも・・・?」

藤谷美樹は少しの間考え込んでいるようだった。しかし突然思い出したように話し始めた。

「あ、そうだ、あなた今日暇?まあ暇よね普段バイトしかしてないんだから。」

「あのな・・・」

「今日さ東京湾の夜景が見えるレストラン予約したのよね。でも友達にドタキャンされちゃってさ・・・あなた連れてってあげてもいいはよ?」

「なんだよその上から目線」

「別にいいでしょ。あなた普段ろくなもの食べてないんでしょどうせ?」

「うるせーな」

「公園のはずれに車止めてるからさ、はやくいくはよ」

優はもどもどしてると、

「ほら、はやくしなさいよ」




二人はレストランまで車で移動した。首都高を通って、東京湾のレストランの方へ向かった。

「アイドルが車なんて運転しないと思ってたけどな・・・」

「あなたなんでも偏見あるのね・・・意外と普通に何でもやるはよ。料理だってやるし。」

「え、嘘?」

「そのえって何よ・・・」

「料理とか絶対やらないと思ってたは・・・」

「うるさいはね。」

藤谷美樹は不機嫌そうにそういった。



東京湾が見える例のレストランに着いた。

まだ7時前だが冬前の季節なのですでにあたりは暗くなっていた。

「ここよ」

豪華な高級そうな西洋風レストランだった。

二人は席に着いた。しばらくするとウェイターが注文を取りにきた。

藤谷美樹はジャーマンポテトとクラムチャウダーとシーザーサラダを頼んでいた。松田優はこんな高級レストラン入るのなんて初めてだったので値段を

見てびっくりしてしまった。

「おい、ちょっとこの値段なんだよ?」

「え、高いってこと?あー払えないなら私が払うはよ?カードで」

「おい、ちょっとおごってくれなんて言ってないし。」

でも払えないのは事実だった。財布の中身をみたら3000円しか入ってなかった。

「ちょっとそんなところで男のプライド出さないでよ。別にいいはよ。売れないミュージシャンとか作家さんがみんな貧乏なの知ってるから。」

「いつもこんな飯食ってるのかよ?」

「まさか・・・何かお祝いがあったりそういうときだけよ。いくら私だって毎日こんなとこ来てたら破産しちゃうはよ。」

「で、今日は何かのお祝いだったわけ?」

「別に、ドラマの主演が初めて決まってこの前クランクインしたから、そのお祝いで関係者の知り合いが祝ってくれるはずだったんだけど、その人急に仕事ができちゃってさ。」

「へーそれで俺を?」

「そうよたまたま公園で会って暇そうだったから。」

「あのな・・・」

「そんなことどうでもいいじゃない。早く注文決めてよ。」

「あっと、じゃあ・・・」

一番安そうなハンバーグステーキとライスを頼むことにした。

「それ一番安いのだけどいいの?」

「あ・・ああ・・・」

普通の女が言うようなセリフじゃないと思った。

料理が来て二人で料理を食べながら会話をした。

「ねえ、あなた兄弟は?」

「何でそんなこと聞くわけ?」

「別にいいじゃない。世間話よ。食事なんだから普通何か会話するでしょうが。

もっと会話のキャッチボールちゃんとしてよ。」

「・・・弟が・・・一人・・・」

「へー意外。わがままそうだから一人っ子かと思った。」

優はわがままってどっちがだよ、と思った。

「そっちは?」

「一人っ子よ。だからわがままでしょ?」

何だ、自覚してるのか・・・

「弟さんは何やってる人?」

「・・・普通に東京で公務員をやってるよ。」

「へーあなたと全然逆なのね・・・あなたのお父さんは?」

「・・・作曲家・・・だった」

「へーそうなんだ。え、誰有名な人?」

「松田寮って名前。有名なのは「ガイアの街」って映画のテーマ曲かな。

でも有名なのはそれくらいだよ。若いころは全然売れなくてその曲がやっとヒットした。でも、その曲に親父は満足できなくて、晩年までそれを超える大作を作りたくって親父はもがいてたけど、結局作れなくてそのまま不完全燃焼のままあの世にいっちゃった。」

「あなた自分のこと以外になると結構よくしゃべるのね。へー、そっか。それであなたはお父さんみたいになりたくって作曲家に?お父さんを尊敬してるんだ。」

「別に・・・ただ何となく小さいころから音楽が自然にある家庭で育って、音楽の世界に惹かれてったってだけだね。繊細な世界にっていうか。」

「へーそれも意外。で、あなたの弟さんは何で作曲家にならなかったの?」

「うちの弟も音楽は好きだったけど、地道にこつこつ働いて生きる方がいいと思ったんじゃないのかな・・・。うちの親父音楽以外にも他に仕事してたけど、なかなか売れなかったし貧しかったからね。だからますます真逆の安定した公務員の道を目指したのかもしれない。」

「でも、あなたはそれでも大変な音楽なのね?」

「それは・・・何か親父の無念を晴らしたかったっていうか。何か不完全燃焼のままあの世に行くって悔しいじゃない?」

それを聞いて藤谷美樹はドキッとしてしまった。

真面目で純粋な性格なんだなと思った。意外な一面を見てしまった。

普段は自分のことは話さなくてミステリアスなくせに質問すると意外と色々な一面を見せてくれる。

「・・・何か質問ばっかだな?世間話とはちょっと違うと思うが・・・」

藤谷美樹は松田優をしばらくぼーっと眺めてしまった。

「そんなことより・・・そっちの家庭はどうなんだよ?」

「え・・・・?」

「おい・・・聞いてる?」

「え・・・あ・・・あーごめんごめん。」

「おい、大丈夫かよ?さっきまで質問攻めだったくせに。」

「あー、別に・・・ 別に私のことはいいでしょ。ホームページやらネットで検索すればいくらでも私の話題なんて出てくるはよ。」

「なんだよ、それ・・・」

「あ、そうだ。それ、もう食べ終わってるなら夜景見に行こうよ。ここの夜景きれいなのよ?」

二人は会計をすませてレストランの外に出ることにした。藤谷美樹がカードで全額一括払いしてくれた。




夜景の見えるレストランで二人はしばらく東京湾とその向こうのビルの夜景を見た。

「きれいねー。私ここのレストランたまに来るのよ。だからいつみてもきれい。そう思わない?」

「え?・・・あ・・・ああ・・・」

二人はしばらく夜景を眺めていた。

「この夜景見てると嫌なこととか全部忘れられるは・・・」

「なんだよ、それ・・・」

「別にいいでしょ・・・」

「売れっ子のスーパーアイドル様がいったい何をそんなに悩んでるんだか・・・」

「失礼ねー・・・私だっていろいろ悩みくらいあるはよ。忙しすぎる日常に疲れたって言ってるでしょ?明日だってまた朝から打ち合わせとその後一日中撮影と大忙しなんだから。」

「おーそれはさぞ人気者で大変ですね。」

「何よ、嫌味な言い方。」

しばらく二人は黙っていた。

「そうだ・・・あなた私のメガネ取ったところ見たがってたはよね?

素顔見ないと本人かどうかあやしいって。」

「別に疑ってたわけじゃ・・・」

「疑ってたじゃない。今とってあげるから。」

そういうと彼女はメガネと帽子を取ろうとした。

「おい、周りに人がいるけどいいのか?」

「別にいいはよ。夜だから遠くからじゃ顔見えないし。それに周りはカップルだらけだからいちゃついたり夜景見るのに夢中だから誰も私たちのことなんて見てないし。」

そういって彼女はメガネと帽子を取った。

「おい・・・」

優は彼女の素顔を初めて見た。

アラレちゃんのようなメガネとニット帽をしていたときはわからなかったが、

その顔は紛れもなくネットのホームページで見た彼女本人だった。

近くのライトと夜景に照らされて彼女は美しく見えた。

「どう?だから本人って言ったでしょ?」

松田優はしばらくぼーっと彼女を見つめてしまった。

「ねえ・・・ちょっと聞いてるの?」

「え・・・あ・・・ああ。」

「何よぼーっとして」

「あ、いや・・・本当に本人だと思って・・・びっくりした。」

「そうよ、だから何度もそうだっていったじゃない。私が嘘つくわけないでしょ。」

しばらく二人は夜景を見ながら黙り込んでしまった。

「きれいだね」

そういう彼女の横顔をまた優は見つめてしまった。



次の日、優はどうやって家に帰ったかも忘れてしまった。

そうだ、あの女にうちのボロアパートの前まで連れて帰ってもらってしまったのだった。

自分が情けなくなった。

ついでに彼女の夜景での横顔を思い出してしまった。

「あーくそ、何考えてるんだ俺は・・・あんなわがまま女のこと・・・」

その日はバイトが夕方からだったので、大学の高林教授にまた会いに行った。

ゼミの教室のドアを開けて高林教授が来た。

「何、相談って?」

「あ・・・あの教授。」

優は事務所の契約を切られるかもしれない話をしてみた。

二人でコーヒーを飲みながら話すことにした。

「そっか・・・」

「それは大変だね・・・。何ていったらいいか・・・でもね、音楽と人生の先輩として言わせてもらうとね・・・それは誰にでも起こるものだよ。」

「誰でも起こる?」

「音楽だって所詮弱い生身の人間が作ってるんだよ。どんな素晴らしい名曲だってどんな美しいハーモニーだってそう。だからこそ波がある。人間の体調に波があるのと同じで、音楽だってそう。いいものが作れるときもあるし、ダメなときもある。」

「波がある・・・?」

「そう・・・僕にもかつてスランプがあったさ・・・全然作れないときとかって。でもじたばたしてても何も始まらないからね。いっそのこと作るのやめちゃった。そういう時期があった・・・」

「教授にもそういうことあるんですか?」

「あるさー。人間ですよ?誰だってそうなります。」

「へー」

優は意外だと思った。

「でもね・・・そこでめげちゃだめなんだよ。何度でも何度でも這い上がってそこから湧き上がる生命のようなものがまた新たなメロディーを生み出すのさ。

むしろスランプに陥るからこそ、そっから這い上がろうとするね。その壁を超えたとき君はまた大きく成長している。」

「大きく成長する・・・」

教授はにこっと笑って

「そうだ、今度うちの作曲ゼミの生徒の子たちに教える講師をしてみないか?

バイト代も払うからさ。いいものが作れないのなら立ち止まって教える仕事をしてみるのもいいかもよ?また違った視点が見えてくるかも。それに生徒たちからもいろいろと刺激をもらえるしね。若い創造力のパワーっていうかね。どう?まあ・・・君次第だから無理には勧めないけど。」

松田優はしばらく考えたが

「あ・・・是非やりたいですけど、他にやってるバイトもあるので・・・」

「そんなたくさんじゃなくていいよー。週一回とか一週間おきとかくらいでもいいし。君の都合にも合わせるし。」

「そうですか、じゃあ・・・是非・・・」

「了解、じゃあ今度生徒たちに君のこと話しておくよ。外部から講師を招いた方が彼らにとってもいい刺激になるしさ。」

「はい、ありがとうございます。」

「いえいえ、こちらにとっても嬉しいことですから。じゃあ・・・」

「はい、ではまた・・・」


大学のキャンパスの出口に向かう並木道の途中で和賀直哉が話しかけてきた。

「おい、久しぶりじゃん松田」

「ああ・・・和賀か・・・」

「なんだしけた面して・・・大学に何か用か?」

「ああ・・・ちょっと高林教授に会いに・・・」

「なんだ、まだあのおやじに相談しにいってたのか?あんな老いぼれもうセンス古くて相談しても何の意味もねーだろうが・・・」

その言い方に松田優は少しむっときた。

「おい、教わった教授に向かってそんな口聞くなよ。お前も世話になったんだろ?」

「世話?あんなのからは何も教わってないよ。俺の音楽は全部自己流だからな。そんな他力本願だからおめーはいつまでたっても認められねーんだよ。芸術っていうのは自分の世界観をいかに築きあげるか、だからな。」

「相変わらずその独善的なところ変わってねーな。」

「言ってくれるじゃん。でもお前と違ってちゃんと節度保ってるけどな。お前の音楽は自分の殻にこもりすぎだけど、俺はちゃんと音楽の市場やニーズとかちゃんと見てるぜ?どういうものが流行って世間はどういうものを求めてるのかってことを。だから世間に認められるし、こうやって大学の講師にOBとして呼ばれるわけだ・・・」

「講師?」

「そう、今から授業なの。いろいろと生徒たちに教えてやんなきゃいけないのよ。」

「そうなのか・・・」

「悪いなじゃあな・・・」

相変わらず口の悪い奴だ。学生時代からとにかく自分につっかかってくるがどうも好きになれなかった。ゼミの他の人たちも和賀直哉のことは嫌いだった。

人格者の教授だけは彼を優しく扱っていたが。でも、彼の音楽の才能だけは本当に本物だった。世間にも認められているし、それは文句のいいようのないことだった。自分は教授のお情けで講師のバイトに雇われただけで喜んでいたのに、彼は正規に大学に採用されていたとは。少しだけ優はショックを受けた。




次の休みの日、優は有賀泉と美術館に来ていた。

「へーこれ印象派の絵とかなの?」

「まあ・・・セザンヌとかモネとかだね・・・ポスト印象派って言われてて他にもルノワールとかいるかな・・・セザンヌはプロバンス地方の小さな街で生まれてそこの美術学校出たんだ。人物の絵とか静物画とかよく描いてるよ」

「へー詳しいね松田君。音楽だけじゃなくて美術も詳しんだね。」

「まあ、人並み程度だけどね・・・」

「へーすごいじゃん。わたしなんて何も知らないよ。」

優は嘘をついた。本当は美術のことなど何も知らなかった。泉と美術館に行くことになったので、事前にネットなどである程度調べただけだった。

世界的に活躍するバイオリニストになってしまった泉の前では、ちょっと見栄を張ってすごいところを見せたくなってしまったのだった。

「へーこれは何の絵?」

「えーとこれは・・・モネの『日傘をさす女』だよ。」

「へーすごいね、すごい素敵・・・私ね、オーケストラとかでヨーロッパ中ツアーまわってるのに絵とか全然疎くて・・・もっと勉強しなきゃ・・・現地の人たちの会話についていけなくなるから・・・」

優はその話を聞いてせっかく自分の絵の知識を自慢したかったのに、また彼女と自分の格の差を見せつけられたような感じになった。現地ではさぞ立派な一流の方たちとおつきあいがあるのだろうか?なんだか学生時代の泉とは違って遠い存在になってしまった。一緒に大学の学食で食事をしていた時期が懐かしい。

「松田君どうしたの?ぼーっとして・・・」

「え?・・・あーいや・・・なんでもない」

「え・・・こっちの絵は?」

「あーそれは・・・」


二人は美術館の休憩所の椅子に座った。

「あ、俺何か飲み物買ってくるよ。あっちの方に自販さっきあったから。」

「あ・・・いいよ、絵の説明で松田君疲れたでしょ?私買ってくるから何がいい?」

「あ、じゃあ・・・紅茶みたいなの」

「了解」

そういって泉は自販の方にいった。

優は待っている間に泉が大学時代付き合っていたピアニストの彼のことを

思い出した。


あれは、確か大学三年の夏休みの前あたり・・・

暑い日だった。

授業が終わって学食に行こうと思っていたら、泉が隣に男を連れて歩いていた。

長身でイケメンなやつだった。そのせいで泉に話しかけにくかったので無視して引き返そうとすると、

「あ・・・松田君!」

泉が手を振ってきたので知らないふりができなくなった。

「あ・・・有賀さん」

「今から学食でしょ?」

「あ、うんそうだけど・・・」

「なら一緒に食べようよ。」

「あ、うんでも・・・」

と優がその隣の彼の方を見ると

「あ、彼ピアノ科の4年の永島快斗さん。今彼の卒業試験の演奏の練習とかで私がバイオリンを手伝っていて・・・それで・・・」

一つ上の先輩だった。

「へーそうなんだ・・・あ・・・はじめまして・・・」

「こちらこそ初めまして」

さわやかなイケメンの永島さんはにっこり笑って手を差し出してきたので

優も負けじと手を差し出して握手をしかえした。

「で、彼が松田優君。同級生で。ね、彼作曲科なんだよ?お父さんもこの音大出身で松田寮って作曲家なんだよね?」

「あーまあ・・・」

「へーすごいですね、じゃあ彼ももう作曲家に?」

「うーんまだだけど、でも将来はお父さんみたいな作曲家目指してるんだよね?」

「あ、まあ・・・」

他人に言われると恥ずかしくなった。優が照れていると

「永島さんは国内のコンクールとかで何度も優勝していて、卒業したら

今度はパリ音楽院に留学するんだよ?すごいでしょ?」

「え・・・あーそうなんですか。それはすごいですね。」

「いえいえ、日本じゃ優勝できましたけど、世界は広いですから。勉強のために行くんですよ。上には上がいることを思い知るために。」

何だかすごい人だと思った。泉もこの前国内のコンクールで何か入賞したっていってたから卒業したら彼女も留学とかするんだろうか?

二人とも将来有望だな、と思った。それに比べて自分はまだ何の実績もない。

「松田君学食行くでしょ?」

「あ、うん」

「じゃあ、三人で食べようよせっかくだから・・・」

本当は二人で食べたかっったし、彼がいるときまずかったが断るのもあれなので一緒に行くことにした。

食べてる間中、泉は彼の話ばかりで優は気分が悪かった。

さりげなく聞いてみたが、やはり二人はつきあってるようだった。

優はそれがショックだった・・・

その後しばらく優は泉を学食に誘えなくて、学食でたまに見かけても見つからないように一人で食事をしたこともあった。


そんなことを思い出していたら、泉がコーヒーを持ってきた。

「松田君、ごめん紅茶売ってなかったからコーヒーで我慢して・・・」

「あーいいよ、ありがとう。いくらだった?」

「あー後ででいいよ。ねえ、これから昼ごはん行くでしょ?」

「あ、うん」

「私行ってみたいことろあるんだ、つきあってくれる?美術館めぐりは松田君に任せちゃったからレストランの方は任せて。」

「あ、うんいいよ。ありがとう。」

二人とも飲みながら

「どうしたの、さっきぼーとっしてたけど、何か考え事でもしてた?」

「あ、いや・・・なんでもないよ昔のこと思い出してただけだよ。

昔よく有賀さんと学食いったなーって。あと永島さんって人思い出した。」

「あ、そうだよね。あの学食懐かしー。高菜そばとかまだあったりして。」

「あのさ、永島さんってさ・・・」

「え・・・ああ、彼ね。彼がどうしたの?」

「あ・・・いや、別になんでもないよ・・・」

「変なの松田君・・・」

二人は飲み物を飲み干すと昼食に行くことにした。




お互いの休みの日に優と鎌田彩は目黒方面のバーで飲んでいた。

彩が藤谷美樹のことを聞いてきた。あれから進展あったかなど。

「いや・・・実は本物だった・・・」

鎌田彩はそれを聞いて目玉が飛び出すくらいに驚いた。

「え、嘘でしょ?そんな話あるんだ?信じられない」

彩はすでに酔っているようで次から次へと彼女のことを質問してきて優はいちいち質問に答えるのにうんざりしてきた。

「そんなことよりお前今日何か話があったんじゃないの?」

鎌田彩が話がある、というから目黒までわざわざ来たのだった。

「あ・・・それね・・・」

鎌田彩は自分の所属しているロックバンドの話をしだした。何で路線をロックに変えたかを話し出した。

「中々曲が売れなくて採用もされない日々であせってたのね・・・以前所属していたバンドでメジャーデビューを狙っていたんだけど、曲作るボーカルに作曲センスがなくてさ・・・それで私が曲を書きたいって言ったらさどうなったと思う?彼ら私の作る曲が気に入らなくて音楽の方向性でもめて解散してしまったのよ。そんな中で自分に是非曲を書いてほしいって今のロックバンドからスカウトされたのよ。よくよく考えたら私の作る曲ってロック寄りのもかなりあるのかなって。それで、ボーカルが私の曲ものすごくうまく歌ってくれて本当ぴったりなのよ・・・今回こそは絶対うまくいくって思ってるの」

優は彩がロックバンドに入った意味がやっと分かった。

「でもだからって好きでもないロックをやるのか?」

「好きとか好きじゃないとかじゃないのよ。自分を必要としてくれるからよ。それに売れそうだし。」

「でもそんなの自分の信念とは違うんじゃ・・・」

「そんなの優にはわからないよ。自分の信念だけじゃうまくなんかいかないの。やりたい音楽だけやったってうまくいかないのよ。」

「別に俺だって全然売れてないよ。事務所も解雇されるかもしれないし。この前メールしただろその話。」

「嘘嘘・・・本当は才能あるくせして・・・その藤谷美樹ってスーパーアイドルさんを感動させちゃうくらいのね・・・」

彩は酔っているようだった。彩は酔うとたまに絡んでくる。

「おい、飲みすぎだぞ。酔ってるんじゃ・・・」

「うるさいなー。いっそのことその子に楽曲提供でもして一躍有名にでもなれば?コネがあるんだからさ。利用しろよ」

完全によっている。

その後

「あーもう」

と言いながら彩はバーカウンターにうつぶせになって寝てしまった。

「ったくしょうがねーな」

寝てしまったので、優は自分のアパートまで彩を連れてってベッドで寝かせた。

「うーん、うーん」

彩がもだえながら優のベッドで寝ていた。

「ほんとうしょーがねーな」

優は仕方なくベッドの横の床で寝た。




次の日の朝優は起きるとベッドには彩はもういなかった。

テーブルの上に書置きがあった。

「昨日はごめん・・・なんかからんじゃったみたいで・・・・気にしないで!

夕べぐっすり寝たらすっきりしました!ではお邪魔しました。 彩」

そう書いてあったので優はほっとしてため息をついた後に少し笑った。




優は高林教授の作曲ゼミで講師のアルバイトをしていた。

「今日は我が高林ゼミのみなさんの先輩である、松田優さんを講師にお迎えました。私の元教え子でとっても優秀で音楽にハートのある人ですから、しばらくの間みなさんのご指導の手伝いをしてもらうことにしました。」

優も自己紹介をした。

「宜しくお願い致します。」

優は後輩たちのデモ音源を聞いて一人ひとりアドバイスをしていった。

「ここはもっとベースを聞かせて、ドラムの音はもっと厚くした方が・・・」


ゼミが終わった後、優は高林教授と大学校舎内を歩きながら話した。

「どうですか?うちのゼミの生徒たちは?」

高林教授が優に聞いてきた。

「はい、なんとも言えませんが、高林教授のゼミらしくていい子が多いです。まだ、分かりませんが、見込みのある子が何人かいました。」

「そうですか、きみにそういってもらえるとこっちも嬉しいですよ。本当はね、みんなの夢をかなえさせてあげたいんですけどね・・・でもね、やっぱり芸術の世界は熾烈な競争ですからそういうわけにもいかない。私はそんな世の中が変わればいいと思ってます。でも現実はなかなか変わらない。なかなか曲が採用されない日々だって続きます。だから生徒たちには誰よりも音楽を愛する心と夢をあきらめない心を教えてるんですよ。技術的なことよりもまずね・・・

だから松田君も彼らにその心を伝えてやってください。」

「はい、僕なんかでいいんでしたら・・・」

「松田君、もっと自信もちなよ。少なくとも君は僕のお気に入りですよ?

僕はこれから研究室に戻らないといけない用事があるんで、じゃあ・・・」

「はい、じゃあ・・・」

そう言って高林教授と別れた。




藤谷美樹の初主演ドラマ「それぞれの明日へ」の撮影が終わった。

シーズンドラマではなく単発の二週連続のスペシャルドラマだったので割と早いスケジュールで撮影が終わったのだった。

藤谷美樹が大勢の関係者に向けて挨拶をした。

「ここまでこれたのは本当に皆様のおかげです。本当にお疲れ様でした。」

拍手が起きた。

その数週間後ドラマは放送された。藤谷美樹の初主演とのことで世間では多いなる話題となり、視聴率は非常に高かった。関係者は万々歳だった。

野々宮妙子はそれが面白くなかった。

彼女はドラマを見ながら藤谷美樹の出てくるシーンで彼女を恐ろしい目でぎろっと睨んだ。


野々宮妙子は自分の所属する事務所の社長にどなりつけた。

「ちょっと何で私がまた藤谷美樹主演ドラマの脇役に決定なんですか?」

「この前の二週連続もののドラマの視聴率が好評だったんでね・・・だからまた続編を半年後にやろうってことになって・・・だからお願い!」

「いやですよ、あんな演技のド素人のサポートなんて」

「そんなこと言わずにさ・・・妙子ちゃん」

野々宮妙子は藤谷美樹に対する憎しみがまたましてしまった。




松田優は藤谷美樹とボーリング場に来ていた。

藤谷美樹がボーリングをやりたいと言い出したからだ。

藤谷美樹はスペアを取った。

「やった!」

「何でボーリングなんだよ・・・」

「私、普段マネージャーに禁止されてこういうところ来ちゃだめなのよ。アイドルは指とか怪我したらよくないからって。あなたがいれば言い訳できるでしょ?誘われたって言えばいいから・・・」

「あのな・・・俺をそんなことで利用するなよ。それに、こんな人がたくさんいるところばれちゃうんじゃ・・・」

「別に変装してるから大丈夫よ。」

「そういえば最近曲作ってる?」

「うん?いやーさっぱりだな・・・」

「お、珍しく弱気?」

「俺はいつもこんなんだよ」

「嘘だー」

「ほんとうだって」

そういうと優はボールを投げだした。


そんな会話をしていると、同じボーリング場に和賀直哉が友達と来ていた。

「おい、和賀あれ松田優じゃね?」

「ん、あーまじか。おー、本当だわ。超偶然だな。」

「あの隣にいる女だれ?超でかいメガネしてて逆に超目立ってるよ。」

「あーそうだな。ん?」

和賀はどっかであの変装の女を見かけた気がする。

でも思い出せない・・・

誰だっけ?




優は休みの日にまた、泉と会っていた。

今度は水族館だった。

イルカのショーを見たり、水槽のいろいろな魚を見ていた。

水族館の休憩所で焼きそばやたこ焼きを食べることにした。

「楽しかったね」

「うん・・・」

「こんなところふらふら遊びに来てていいのか?練習とかあるんじゃ・・・」

「ああ・・・別に休みの日だからいいの・・・お互いの休みの日が合うときにたまに会ってるだけでしょ?演奏は普段の日でもうたくさんよ。もう限界ってくらい弾いてるんだから・・・」

相変わらず泉は努力家で練習量もすごいようだった。

「それよりさ・・・松田君最近はどういう曲作ってるの?」

「ああ・・・まあ・・・CMの曲とか、あとアイドルの曲作ってるからこんどレコーディング立ち会うんだ・・・」

優はとっさに嘘をついてしまった。

「へーすごいね。なんか業界人って感じでかっこいい。私クラシックの世界しか知らないから。」

「別に大したことねーよ。そんなやついくらでもいるし。」

「でもわたしたちの母校の国見音大で講師してるんでしょ?すごい。」

「まあね、一応」

講師といっても教授のお情けでちょっとしたバイトをやってるだけなのだが・・・

嘘ばかりついていたらなんだか急に自分が泉と釣り合う男みたいに見えてきてしまって変な気分だった。しかし、本当のことを今更言えなくなってしまった。




和賀直哉は自宅のネットで、藤谷美樹のオタクファンクラブが独自に入手した藤谷美樹のプライベートの変装写真を見た。

やっぱり・・・

和賀直哉は藤谷美樹の熱狂的ファンでその写真を目に焼き付けていたので

ボーリング場で見たときにぴんときたのだった。

藤谷美樹はその写真がネットに流出してることなど知らなかったが、熱狂的なファンが彼女を尾行してつきとめた数少ない証拠写真だった。

しかし、ファンの間で噂されてるだけで週刊誌には出てないので一般的には知られていなかった。

「何であの野郎が俺の美樹ちゃんと・・・?」

和賀直哉は嫉妬に燃え狂った。




松田優が自宅のアパートで会社説明会のパンフレットを眺めていた。

今まで会社勤めなどしたことがなかったしそのための勉強もしてこなかったのでパンフレットを眺めるだけで憂鬱な気分になってきた。なにより自分に会社勤めが合ってるのか疑問だった。しかし、いつまでもガソリンスタンドでアルバイトをしているわけにはいかなかった。

そんな中、突然インターフォンがなった。

「はい」

優がドアを開けるとそこにはサングラスをかけた藤谷美樹が立っていた。

「じゃーん!元気?」

藤谷美樹はサングラスを取っていきなりそういった。

「ちょっと・・・なんだよ急にびっくりするだろ!」

「ハローお邪魔しまーす。」

「おいなんだよいきなり・・・」

優はため息をついた。

「あ、ごめんこの前金曜日はバイト休みっていってたでしょ?」

「そりゃそうだけど何でここの場所分かった?」

「何言ってんのよバカね。だってこの前車でこっちまで送ってあげて来たじゃない?」

「そうだけど・・・」

でもよく場所覚えてたな・・・優はそう思った。

「ろくなもん普段食べてないだろうと思って、食事作りに来てあげた。台所借りるね?」

「は?」

そういって台所に行った。

「きったなーい、ちゃんと掃除してるの?カビとか生えてるじゃないの」

「ほっとけよ」

たまにしか料理など作らないから掃除してなかったようだった。

「ちょっと掃除してあげるから待ってな?」

そういうと藤谷美樹は台所を片付け始めた。その後買い物袋から材料を取り出して料理を作り始めたようだった。

しかし、しばらく料理しててもなかなか進まないようだった。

「おい大丈夫か?」

「うんちょっと・・・ちくわとピーマン切ったんだけどさ・・・」

「ちょっと何作ろうとしてるんだよ?」

「焼きうどん・・・」

「ならキャベツとか人参だろ?買ってないのかよ・・・」

「うん、うどんとちくわともやしとピーマンだけ・・・」

「いいよじゃあ近所のスーパーで俺買ってくるから。」

「あ、なら、ついでにビールもたくさんお願いねー」

「まったく・・・」

優は机から財布を取ってアパートを出て行きスーパーに材料を買いに行った。

「なんでおれがこんなことを・・・」

優が出ていくとアパートは突然静かになった。

美樹は優のアパートの中を見渡した。

「へーPCの前にキーボードがある。これでPCに打ち込んで作曲とかするのか・・・なるほど・・・」

そのあと美樹は、机に置いてある優が両親や弟と映ってる写真立てに入っている写真を見た。

「これがそのお父さんと弟君?」

壁には国見音楽大学の卒業証書が飾ってあった。

「国見音楽大学?あー何か聞いたことあるな。有名な大学じゃない?」

美樹がもう一度机を見ると、「中途採用 会社説明会案内」と書いてあるパンフレットを見つけた?

会社説明会?


優がスーパーから帰ってきてた。

「お前ちゃんと材料とか調べてから買ってこいよ本当に・・・」

「ごめんごめん」

「まったく」

そういいながら優は材料を取り出すと料理をさっさと作ってしまった。

「へー料理得意なんだ・・・」

「そりゃ一人暮らし長いからな・・・まあ、最近はたまにしか作らないけど」

「へー一人暮らしっていつから?」

「もう大学卒業した後あたりかな・・・」

「ふーん」

「ってかそんなことより、料理できないんだったら最初から作るなんていうなよ。何考えてんだよ。」

「別にいいじゃない、昔ちょっとやったことあるから思い出しながらならできるかなって思って。」

「それが安易な発想なんだよ。ずっと作ってなきゃ忘れるよ。料理をなめすぎだって・・・」

「そうかな・・・」

「そうだって・・・」

優はあきれてそういった。

「あーこれしいたけ入ってる。私苦手なのよね。」

作っといてもらってこの女は・・・

「わかったよ、じゃあ俺が食べるから。」

そういって優はしいたけを箸で自分の方に持ってきた。

食べ終わった後に、二人でビールを飲みながら、藤谷美樹がいろいろと笑い話や愚痴話をしだした。

「でね・・・そのプロデューサーって本当スケベであっちこっちの女優志望の女と寝てるっていうのよ。それで私もさ、じろじろ見られたことあって本当気持ち悪っておもってさ。」

少し酔ってるようだった。

優があまり元気なさそうに見えたので藤谷美樹は聞いてみた。

「どうした、何かあった?」

「あ、いや別に・・・」

「公園のベンチで何か悩んでたでしょ?それと関係あんの?」

「別になんでもないって、ちょっと酒飲んだら疲れてうとうとしただけ・・・」

「嘘つきなさいよ、ものすごい沈んだ顔で悩んでたくせに・・・何かもうこの世の終わりみたいな顔してたよ?なによ、うじうじしちゃってさ・・・男らしくない・・・言いたいことあるならはっきり言えばいいのよ。その方がすっきりするでしょ?」

その言葉に少し優はムッときたので

「うるせーな、じゃあお前は女らしいのかよ・・・」

そう言い返してしまった。

「あ、今ちょっと頭きた。何よ、曲が少しスランプに陥ったくらいでショック受けて悲劇のヒーローみたいにさ・・・」

「うるせーな、そっちがうじうじするなとかいうからだろ。こっちだって頭きたんだよ。」

「あっそう。芸術家はいいわよね。私は悲しみの中で生きてる悲劇の主人公ですって悩んでるようなそぶりしてればいいから。そうすれば周りはみんな心配してくれるよね?あのね、誰だって辛いときくらいあんのよ?私だっていろいろ悩みとかさ・・・」

「うるせーな!もういいから帰れよ!隣の部屋に聞こえるだろ・・・」

その言葉にショックを受けて

「あ、そうじゃあ帰るはよ!せっかく忙しい中わざわざ来てあげたのに。本当無神経ねあなた・・・だから曲が売れないのよ。会社説明会のパンフレットなんて見ちゃってさ・・・あなたなんて音楽なんてやめちゃえばいいのよ!」

美樹は出て行ってしまった。

「え・・・?」

会社説明会のパンフレット?机に置いてあったやつ見たのか・・・



優がガソリンスタンドであせくせと働いていた。

有賀泉はサンデーホールでの公演が終わって楽団の知り合い2人と一緒にホールから出てきた。道をしばらく歩いていたら道の向かいのガソリンスタンドで松田優の働いている姿が見えた。

「あれ、松田君?」

泉は不思議に思った。売れっ子の優はバイトなんかしてないのかと思ってたからだ。しかも普段は国見音大で専任講師の仕事をしてるって聞いたのに・・・

しばらく優の働く姿を見ていた。

「ねえ、泉?どうしたの?行くよ。」

知り合いの一人が呼んできた。

「あ、ごめんごめん。今いく」

そういうと泉は二人の知り合いの方に走っていった。




優は鎌田彩と居酒屋で飲んでいた。

「この前はごめんね、いきなり酔ってからんじゃって・・・しかもアパートに泊めてくれたんだよね?ほんとごめん!」

彩は手を合わせて謝ってきた。

「ああ、いいよ別に。そっちも色々あるだろうからさ・・・」

「ホントごめん」

「もういいよ・・・」

二人で飲み食いしながら藤谷美樹の話をした。

「へー家にわざわざ料理しに来たって!?」

彩はびっくりした。

「なんでそんなにびっくりするの?」

「えーだってあれだよ?普通さ・・・好きな男のためにしかそんなことしないよ?しかも国民的アイドルでしょ?優のあのボロアパートに来たの?」

「ボロアパートで悪かったな・・・」

「あははは、いいじゃないだってホントボロアパートだし。私のアパートだってそう大差ないから気にするなって。でもさ・・・本当に優のこと好きだったりして。だってわざわざ優なんかにコンタクトとって来たのも向こうからなんでしょ?」

「まあね・・・優なんかってのは余計だけどな。」

「あーごめん。無名の音楽家にわざわざ連絡するからには何かあるのかってことよ。」

「あー・・・でもそれはあれだろ、昔出演してたドラマのサントラがたまたま俺だったっていう偶然だろ?それで知ったって。」

「本当にそれだけかな?」

「え?」

「いくらそうでも全国的に有名なスーパーアイドルさんがわざわざそれくらいで電話してくるかしら?」

「知らないよ、そんなこと・・・」

「いや、これは同じ女としての直感だけど・・・恋・・・だと思う。うん・・・そう、きっとそうだよ。よかったじゃん、優!あなたみたいな根暗な人にそんな超可愛いスーパーアイドルが恋人だなんて。めったにないチャンスじゃない。」

「ちょっと・・・なんだよ、それ。どうでもいいよ。あんなわがままでがさつな女。それにアイドルって恋愛なんかしねーだろそもそも。」

「え、わがままでがさつなの?」

「超がつくくらいね。本当むかつく女。」

「へーそうなんだ・・・アイドルっていつも作ったもう一人の自分演じてるからストレスだらけなのかもねー。あ、でもそれって彼女が優に心を開いてるってことなんじゃないの?優といる時間は、もう一人の本当の自分をさらけ出せる時間っていうか。」

「しらねーよそんなこと。ただ言いたいことずけずけ言うタイプなんだろ。」

「そうかなー」

「そうだろ」

そう言いながらも優は藤谷美樹のことが少しずつ気になり始めていた。




野々宮妙子は暴力団関係がバックにいる興信所の入ってる雑居ビルに来ていた。

芸能界ややくざ関係の裏事情に詳しい知り合いから場所を聞いたのだった。

「で、あんたはそのスーパーアイドルさんのスクープを取ってスキャンダル事件を起こして貶めたいってわけかい?」

「えー。ちょっと尾行して男関係の写真とか取ってスキャンダルにできないかと・・・あんたたちならそれくらい、できるでしょ?」

「あーできますとも。彼女は有名人ですからね、twitterで今どこにいるとか書き込んでるでしょ?あれで行動パターンとか割り出してね・・・あとはGoogle Earthとかで彼女のネット上での映像や住所がある程度話題になっている未公開のマンションの場所を割り出して車があるかどうかを調べる。それで、休日になって出てくるところを尾行すればいい。車のナンバーもそのとき調べる。彼女がプライベートで車を自分で運転するのは確かなんだな?」

「えーそれは私見たことあるから確実よ。」

「あとはひたすら尾行してスクープ写真を狙えばいい。しかし何もネタが上がってこなくっても責任は持てんぞ?そのときもちゃんとあんたには金は払ってもらう。」

「大丈夫よ、あれだけの大物よ。」

男なんていくらでもいるに決まってる。アイドルはいつも隠れてこそこそ恋愛してるっていうのは業界では常識だからね。野々宮妙子は心の中でそう思った。

「しかし、万が一のためだ。その時はそのアイドルさんに、ストーカーからの脅迫文などを偽造して送り付ければいい。それでおっかけの基地外のファンに囲まれてる写真なんざでも撮って、そのストーカーに仕立てあげてネタにすればいい・・・それでそのアイドルのイメージは急激にダウンや。」

妙子はそこまでは考えてなかったのでやくざの悪知恵が恐ろしくなった。

「わかったわ・・・ところでお金はおいくら払えばいい?」

やくざの親分は指を三本立てて3つだというサインを作った。

「さ、30万?一応謝礼として20万くらいはもってきたけど・・・足りない分は今度で・・・」

「は!?ねーちゃんよ。寝言抜かしてんじゃねーぞ!300万円だ。こっちはあんたのためにあぶない橋わたってやるんだ。それくらいわけねーだろ?」

「さ、300万って・・・高すぎるじゃない!」

ぼったくりだ・・・

一流の女優でない妙子には貯金のかなりの分を取り崩さないとそんな大金とても払えそうにない。

「ちょっと・・・それはいくらなんでも払えないのでお断りするは・・・」

妙子はやくざに頼むのは諦めようと思って部屋を出てこうとしたら、やくざの子分たちが妙子の行く先をふさいだ。

「ちょっと・・・通してよ!」

「ねーちゃん、帰すわけにはいかんがな・・・もうあんたはこの場所と俺らの顔を知ってしまった。悪事の一蓮托生になってもらわんと困るんだよ。」

妙子はしまった・・・と思った。これがやくざか・・・抜け目がなくて狡猾で残酷だ。何て野蛮でずるがしこい連中なんだ、と思った。

「わ・・・分かったわよ。いつまでに300万円振り込めばいいの?」

「5日以内だ。無理ならどうなるか分かってるな?一生を棒に振りたくはないよな?おじょーちゃん」

「わ・・・わかったはよ」

妙子は震えながらそう言った。

「ちなみに調査やら追跡やらに時間がぎょーさんかかったら落とし前として追加料金払うてもらうからな・・・」

暴力団と関わったことを妙子は後悔し始めた。でも、もう後には戻れなかった。




バイトの帰り道にまた行きつけの屋台のラーメン屋に寄った。

何度も来てるのに相変わらずここの屋台のおっちゃんは俺の顔を覚えてないらしくまたいつもの景気の話をしてきた。

「最近景気はどうですかね?」

「いや、どうですかね、あまりよくないんじゃないですか?」

この話題しかないんだろうか・・・

優はラーメンを食べながら彩の言った言葉

「あ、でもそれって彼女が優に心を開いてるってことなんじゃないの?優といる時間は、もう一人の本当の自分をさらけ出せる時間っていうか。」

思い出してみたが

「本当かよ」と思った・・・

でも一応メールしといてやるか、と思った。メールアドレスはこの前藤谷美樹がアパートに来た時に聞いておいたので知っていた。といっても番号もメールアドレスも会社の仕事用のものでプライベートのものは非公開らしいのだが・・・相変わらず彼女のプライベートはベールに包まれていて謎のままだった。

「この前はごめん。」

それだけ送った。長い文章で謝るのも何か癪にさわったのでそれだけしか送らなかった。




藤谷美樹はスカラープロダクションで打ち合わせが終わって、会社ビルの真向いの社員レストランの方へ向かおうとした。すると、後ろから和賀直哉が話しかけてきた。

「藤谷美樹さん・・・ですよね?」

「はい?・・・あなたは?」

「あ、申し遅れまして私、グローブエンターテイメントって大手作家事務所に所属する作曲家の和賀直哉と申します。」

和賀直哉・・・どっかで聞いたことあるような・・・

「ドラマ『そよ風の恋』・・・」

和賀直哉はそういった。

「あ・・・!ああ・・・・あなたがあの作曲担当の和賀直哉さんね・・・」

「思い出していただけましたか・・・」

「まあ、何となくだけど」

二人は沈黙になってしまったので、

「冷たいじゃないですか、ドラマの打ち合わせで何度かお会いしたじゃありませんか・・・たぶん目も合ってますよ?」

「そうでしたっけ?ごめんなさい、私人の顔覚えるの苦手で・・・で・・・その有名作家さんが私に何の御用ですか?」

和賀直哉は鞄から1通の手紙を取り出した。

「あの・・・ファンレターです。私あなたの大ファンです!ファンクラブにも入ってるんです。」

「あ・・・それはどうもありがとうございます。」

「あのこれ受け取ってください・・・」

「直接は受け取らないことにしてるんです。そういうのは一度事務所を通してるんで・・・」

「そんなことおっしゃらずに。何時になるか分からないから、私わざわざあなたのことここでずっと朝から待ってたんですよ。今日は藤本美樹さんはこちらで打ち合わせだって知り合いに聞いたものですから。夜まで待ってるつもりでしたので・・・」

「そうなんですか・・・でもお仕事がおありなんじゃ?」

「作家は自由業ですから暇なときは割と暇なんですよ?そよ風の恋のドラマはひと段落したわけですから・・・」

「そうなんですか・・・でも悪いですけど本当に受け取れないですから・・・」

「そんなことおっしゃらずに僕の気持ちです。」

「と言われましても事務所の方に送っていただくように決まってるんです。」

和賀直哉は強引に無理やりファンレターを藤谷美樹の手に渡そうとした。

「ちょっとやめてください!」

「いいじゃないですか、本当に好きなんです」

「やめてください!」

取っ組みあってる最中に手紙は二人の手の間でびりっとやぶれてしまった。

「あ・・・」

それを見て藤谷美樹はびっくりした。

「ごめんんさい・・・わたしこんなつもりじゃ・・・」

和賀直哉は下を向いて意気消沈しているようだった。

「ごめんなさい。」

和賀直哉は上を見上げてにっこり笑って

「いいですよ・・・気にしてませんから・・・」

そういって歩いて帰っていった。

藤谷美樹は首をかしげてその姿を見た。

その一連の流れをカメラでおさめてるものがいるとも知らずに・・・




藤谷美樹は勝田の車で自宅のマンションまで送ってもらった。

「美樹ちゃん今日もお疲れ様―。今日も雑誌のインタビューばっちしだったね!」

相変わらず勝田はハイテンションだった。

「うん」

美樹は今日現れたストーカーじみたあの作曲家との対応に疲れていた。また来たらどうしよう、と思ったら急に背筋がぞっとした。

「どうしたの?何かあったの?」

「いや、別に・・・」

「あの・・・例の松田優でしたっけ?あの作曲家とはどうですか?くれぐれも表ざたにならないでくださいよ?恋愛に発展したりとか・・・」

「大丈夫よ・・・それにあんなやつもうどうでもいいはよ。」

「え?」

「なんでもない・・・」

「まあ、別に問題ないなら僕としては全然OKなんだけどね・・・」

自宅のマンションの前につくと

「じゃあまた明日ね、7時頃迎えに来るから・・・」

「了解、ありがとう」

「じゃああね・・・美樹ちゃん。最近疲れてそうだから部屋帰ったらシャワー浴びてすぐ寝るんだよ?」

「わかってるはよ」

美樹がそういうと勝田は車を発進させた。


藤谷美樹は、マンションの部屋のソファにどさっと座って携帯を放り投げた。携帯を見たが、今日一日は忙しかったので携帯を見ている暇もなかったことを思いだした。

そこで携帯を開くと何通かメールが入っていた。その中に松田優からメールが入っていることに気が付いた。優からメールが来るのは初めてだった。

メールを開いてみた。

「この前はごめん。」

「は?何この短いメール・・・しかも全然悪びれてない。はー本当あいつプライド高い。自分から謝ったことないでしょ?」

よーしLINEを送ってやろう・・・

「なんなのよ?この短いメール」

自宅にいた優はLINEを見た。

「なんだ?めんどくさいな・・・」といいつつもすぐに返信した。

「別にいいだろ?謝ったんだから」

「謝ったって何あれ、全然感情こもってない・・・」

「そっちこそ謝ってないじゃん」

「だって・・・あれは・・・」

「あれは・・・?」

「わかったわよ・・・私も悪かったわよ。これでいい?」

「そっちも感情こもってないじゃん・・・」

「じゃあそれはお互い様ってことで・・・」

「なんだよ、それ」

「喧嘩両成敗ってことで・・・」

「なんだよ、それ、意味違くね?それって・・・」

「あはは、そうかも・・・」

「笑うところじゃねーし」

「そうかも。あ・・・」

「あ・・・って何?」

「なんか・・・久しぶりに聞いた。」

「何を?」

「なんだよ、それ・・・って」

「それが?」

「あなたの口癖。私それ好きなの。」

「なんだよ、それ?」

「そう、それ。何かクールなんだけどこっけいみたいな。」

「あ、そ!」

「何それ、怒ってるの(笑)?」

「別に・・・」

しばらく沈黙が続いた。

「あ、そうだ・・・まあ、この前さ・・・料理作りにいったのにほとんど作ってもらっちゃったからさ・・・」

「もらっちゃったから?」

「・・・なんかお詫びしようか?」

「はあ?どういう風の吹き回し?」

「別にいいじゃない。何か私プラン考えとくからさ、その日は予定空けといてよ?」

「プラン?」

「何か面白いこと思いついたらまた電話かLINEする。」

「はーとてつもなく嫌な予感がするけど、まあ任せた。」

「了解!」

しばらく二人とも入力しなかったため沈黙になってしまった。

「何か・・・しゃべってよ・・・」

「いや、そっちがだろ・・・」

「私もう全部話しちゃったし・・・」

「俺も・・・もう特に用事ないよ。」

「そ・・・じゃあ私ももうシャワー浴びて寝なきゃ。明日早いし。」

「俺も明日バイトあるから・・・」

「OK・・・じゃあ・・・ね」

「じゃあ・・・」

そういって二人ともLINEを止めた。

藤谷美樹は何かもっと話していたいという感情が自分にあるのを感じた。胸がドキドキしてるのだろうか?

優もなんだか仲直りできてうれしい感情が自分の中にあるのが明らかだった。



それから1週間くらいたった後、

ガソリンスタンドのバイトの休み時間にLINEが入った。

「藤谷です。面白いこと思いついた!明日の夜空いてる?私夜8時から

予定がたまたま空いたから。」

「何思いついたの?」

「あれ、今時間大丈夫なの?」

「まあ、今昼の休憩時間だから」

「私も。まあ、何思いついたかっていうのはそれはとっておきの楽しみ。とりあえずさ、水道橋駅前に8時半に来れる?」

明日はバイトは夕方に終わるので大丈夫だった。

「うん、空いてるよ。」

「よかった!じゃあ、8時半に水道橋駅の改札前でね・・・私例のごとく変装してるからよろしく・・・」

「ああ・・・了解。」

「じゃあ私今から仕事あるからじゃあね・・・」

「ああ・・・じゃあ・・・」

そういってLINEを切った。

バイトの同僚が話しかけてきた。

「なんだよ彼女かよ?」

「いや、違うよ友達だよ。」

「なんだよ、つまんねーな。まあ売れない作家さんじゃ恋人なんて難しいか・・・俺も売れない俳優さんだからな・・・」

「まあ・・・な」

「あーどっかに貧乏でもおれのこと好きになってくれる子いねーかな・・・」

「さあ・・・」

「あー合コンいきてー」

その同僚は金がないのにやたら合コンに行きたがる。




バイトが終わった後に松田優は水道橋駅で藤谷美樹と8時半に待ち合わせした。

改札前で待ってると、後ろから

「わ!」

と話しかけてきた。

「びっくりした?」

「いや・・・何となく気配がしたから」

「何それ、気配って。エスパー?」

松田優はおかしくて少し笑った。

「どこ行くんだよ?」

優は聞くと

「着いてからのお楽しみ」

水道橋の遊園地ドリームランドについた。

「おい、誰もいないじゃん。明かりついてない」

「いいのよ・・・」

「おい・・・」

中に入っていくと、園内の全ライトがついた。

松田優は驚いた。

「全部貸し切ったから。」

「貸し切った?」

「そう、私が・・・」

何て女だ。さすがはスーパーアイドル。やることが違う。

「驚いた?」

「ま・・・まあ・・・あ、いや別に・・・」

「どっちよ?」

藤谷美樹はくすっと笑った。

「さあ、さっさと行くよ?」

「お、おい」

藤谷美樹のペースでジェットコースターやら絶叫マシーンやら遊覧船やらゴーカートやらメリーゴーランドやら散々振り回されていろいろ乗った。

二人で休憩の椅子に座った。

「わたしさ・・・アイドルだから自由にいろんなところ行けないのよね・・・顔が知られちゃってるし。特に男の人とどっか行くなんてことあったら事務所がうるさいし。だから遊園地になんて滅多にこれなくてさ・・・。最後に行ったのブレイクする前に女友達と行ったっきり。もう何年も前」

「・・・学生時代は?」

「実はね・・・全然モテなかった。私、そのときは地味だったから。高校の最後の方は田舎暮らしだったしね。今は国民的アイドルだけど、そんなもんよ。みんな周りはアイドルって昔からモテたでしょ?ってそんな話ばっかり。もううんざり。意外と地味なもんなのよ。」

「へえ・・・田舎ってどこ?」

「岐阜の方」

「へー」

「岐阜の中川市中山町2-1-5 コトリアパート まあ、私生まれも育ちもほとん東京なんだけど、両親の田舎がそっちの方で・・・本当田舎なんだから。田んぼとかたくさんあるし。本当昭和の街かよみたいな。子供は泥んこで遊んでたりもするし。東京じゃ考えられないでしょ?」

「そっか・・・・」

「あ・・・あのさ・・・」

「ん?」

「この前はごめん・・・無神経に音楽やめちゃえ・・・なんて言って。」

「あ・・・あれか・・・別に気にしてないよ。」

「何か会社のパンフレットとか机に置いてあったからそれで・・・やめちゃうのかと思って。ねえ、やめないよね音楽?」

「・・・やめないよ。ただ・・・」

「ただ・・・?」

「一時的に自信なくしちゃって、本当にこのままでいいのかなって。周りはみんなどんどん認められていくのに、自分は取り残されてくみたいな。事務所も・・・契約切られるかもしれないし。そんなこと考えてたら・・・自分の音楽ってなんなんだろう?こんなふらふらしてる場合じゃないって思って。そろそろいい年だし定職ついた方がいいかなって・・・」

「そっか・・・それで、就職するの?」

事務所の契約を切られそうだったんだ・・・それで悩んでいたのか・・・

「まだわからない・・・でも・・・答えを出すにはもう少し時間がかかる。就職したらしたで仕事に追われて音楽ができなくなるかもしれないし、忙しい毎日になると自分の音楽が変わってしまいそうで怖い。」

彼は彼なりに色々と悩んだり考えたりしてるのだな、と藤谷美樹は思った。

何だか、ドキドキしてきた。

「なら・・・就職しない方がいいよ。できなくなってしまうのは何か・・・いやだな・・・。って私が決めることじゃないけど・・・さ。」

「別に就職したからって全く作曲ができなくなるわけじゃないよ。仕事に慣れるまでしばらくは無理だろうけど慣れたら少しずつまたできるようになるかもしれないし。ただ、気持ちの問題なんだ。音楽って自分の感情から作るものだから、あわただしい日々に追われてたらいいものなんて作れなくなるのかなって思って。」

「そっか・・・あなたの音楽が変わってしまうってこと?」

「たぶんね・・・よく分からないけど。」

「それは、いやだな・・・私、あなたの音楽好きなの。変わってほしくない・・・」

それを聞いて優は少しドキッとしてしまった。

「あ・・・でもまだ分からない。それに音大の講師とかを目指す道とかもあるし。将来的には音楽教室を開くとか・・・いろいろ考えてる。」

「そっか・・・私にはよく分からないけど・・・うまくいくといいね・・・」

藤谷美樹が優しくうなずいてくれて、優はますますドキドキしてしまった。

ドキドキを紛らわすために話題を変えようとした。

「でもさ・・・面白いこと思いつくって言ってもさ、遊園地貸切はさすがにないよな・・・?」

「は?・・・あのね・・・これ私が必死に考えたんだから。」

「だってさこういうのって普通恋人同士がやるだろ?」

「え?」

「ただの知り合い同士が、遊園地って発想がユニークだな。」

そういうと藤谷美樹は黙ってしまった。

「なんだよ突然黙って・・・」

優がそういうと藤谷美樹が急に話し出した。

「ならさ・・・なればいいじゃない恋人同士に」

「え・・・?」

しばらく沈黙が続いた後に藤谷美樹は身を乗り出して松田優にキスをした。

しばらく二人はキスをしていた。

松田優は突然何が起きたのか分からなかった。

二人はキスをし終えると、また沈黙してしまった。

「・・・何か言ってよ・・・」

「え・・・あ・・・ああ。」

松田優はびっくりしてしどろもどろになってしまった。

優からの反応がいつまでたってもないので、藤谷美樹はカバンを取って

「ごめん、私帰る。」

と帰ってしまった。

「え?」

優がふと我にかえったときにはもう彼女の姿はなかった。




今日はバイトの給料日だったので、無理して高級な鍋料理の店に有賀泉を連れてった。

「ごめん、今そそぐからちょっと待ってね。」

有賀泉は下を向いて元気がなさそうだった。

松田優はこんな高級な店普段はこないから手つきが慣れていなかった。

「あちっ!」

熱い鍋の湯が手にひっかかって優は思わず叫んだ。

「あ、ごめんごめんちょっとやらかしちゃった。」

優がおしぼりで手を拭いていると

「もう、いいよ・・・」

「え?」

「無理しなくていいよ・・・」

「え・・・何が?」

優は泉がいったい何の話をしてるのか分からなかった。

「私、見ちゃったんだ・・・松田君がガソリンスタンドでバイトしてるところ」

「あ・・・う・・・うん。」

「何で?何で嘘ついたの?」

「え・・・いや、嘘・・・ついたっていうか・・・」

「売れっ子でいろんなドラマやCMの作曲やアイドルのプロデュースしてるって話は?」

「実は・・・今まで1度ドラマのサントラを任されたことがあるだけ・・・」

「国見音大で常勤講師してるって話は?」

「元所属してたゼミの教授に、ゼミでアルバイトしないかって言われてちょっと手伝いで教えてるだけ・・・」

有賀泉は黙ってしまった。

「ご・・・ごめん。嘘つくつもりはなかったけど、話のはずみでつい・・・」

「松田君・・・変わったね・・・」

「え?」

「昔はこんな見栄を張ったり嘘つくような人じゃなかった。」

「・・・」

優は何も言い返せなくなってしまった。

「私が・・・私が松田君に何か悪いことでもしたのかな?」

「そんなことないよ・・・俺が自分で見栄張っただけ。有賀さんの演奏コンサートをホールで聞いたとき、大学のとき初めて練習室で聞いたときと同じような心地いいバイオリンの音がした。でも、大きな拍手喝さいを浴びてる有賀さんを見たら、何だか遠い存在になってしまった気がして・・・もう俺の手には届かない存在になってしまったのかなって・・・自分ももっとビッグにならなきゃって・・・」って・・・何言ってんだ・・・俺

「それで、それで私が無理をさせてしまった・・・ってこと?」

「別にそういうんじゃ・・・これは俺の問題だから・・・俺がいつまでも情けないだけっていうか・・・」

「・・・」

泉は黙ってしまったが、沈黙のあと少しだけ話し始めた。

「私ね・・・実は向こうにフィアンセがいるんだ・・・」

「え?」

それを聞いて優は少しショックを受けた。

「向こうの同じオーケストラで知り合った日本人なんだけど。彼はコントラバスやってて。何か気が合うっていうか、支えてくれるっていうか。彼とならヨーロッパでの生活ずっと続けていけるって思って。でもね、やっぱりずっと向こうで暮らしていくのって大変で。文化も価値観もいろいろと違うし。コミュニケーションだって生活だって大変だし。だからさ・・・ヨーロッパでの生活に少し疲れてたんだ。そんなときにね、ふとあなたのこと思い出した・・・

松田君どうしてるのかなーって。学生時代が懐かしいなーあの学食まだ同じままなのかなー日本戻りたいなーって。そんなときふと日本のオーケストラ楽団

がバイオリンを一人募集してるの知って、それで私その募集に飛びついて運よく受かったから日本に飛んで帰ってきちゃって。彼の反対押し切って。それでね、松田君に連絡取ろうと思ってたんだけど携帯の番号変わってたらどうしようとか、そんなこと全然考えてなかったからさ。わたし本当おっちょこちょいだからさ。でも、あなたの方から会いに来てくれた。コンサートホールで見かけたときは、本当嬉しかった。思わず、うきうきになってあなたのこと色々と誘って連れまわしちゃった。でも、本当いろいろなとこ行けて楽しかった。

それで、学生時代を思い出したんだ・・・私はあの頃松田君が好きだったんだなって・・・」

「え・・・?」

優はそのことに驚いた。

「驚いたかもしれないけどさ。」

「全然分からなかった・・・」

「松田君ってそういうところ・・・鈍いよね」

「だって・・・あのピアニストの彼と付き合ってたんじゃ・・・」

「あ、彼か・・・あの頃は一時的に好きだったかもしれないけど、でも彼もてるし浮気性だったし。卒業後も留学先が近かったからしばらく連絡とってたけど彼が他の女性とつきあい始めたの知ってすぐに別れたよ。」

「実は・・・有賀さん彼のことがずっと好きなんだと思って俺遠慮してた。」

「え・・・遠慮してた?」

「俺も・・・有賀さんのこと好きだった。」

「ちょ・・・ちょっと、だってそんなそぶり全然見せなかったじゃない。それに私が永島さんのこと紹介した後しばらく私のこと学食で避けてたよね?」

「あれは、彼に嫉妬して君に会いづらくなったから。」

「何で・・・あのとき言ってくれればよかったのにさ・・・」

「あ・・・でも今でも俺は有賀さんのこと・・・す・・・」

そう言いかけようとしたが・・・

「ありがとう・・・、でもごめん、それはもう無理だと思う。今の彼とは結婚の約束してるし彼のことは本当に好きだから。それに・・・松田君私の前で無理してるんならなおさらだと思う。」

「そっか・・・」

「うん・・・」




藤谷美樹の自宅のマンションにストーカーからの怪文書が届く。

藤谷美樹の事務所で、和賀直哉に迫られてる写真と、ドリームランドで松田優とキスしている写真や自宅に届いた怪文書が週刊誌に公表され話題になっていた。怪文書の送り主はこの写真のストーカーではないか?みたいなことも書かれている。

事務所は問い合わせの電話やメールやファクスが殺到していて大パニックになっていた。

テレビでも放送されている。

藤谷美樹は勝田に自宅に届いた、ストーカーからの怪文書を見せた。

「お前を愛してる、愛してる、殺したいほどに。世界一のファンより」

「ねえ?これ届いたの今日なの・・・それが何でもう週刊誌で話題になってるの?」

「それは、分からないけど。」

「これ送った本人が私のことつけて写真撮ってついでに怪文書の原本もマスコミに送り付けたってことじゃない?」

勝田は

「よく分からないよ。でもとりあえずほとぼりさめるまでは自宅謹慎しててよ・・・本当今事務所は問い合わせの対応でそれどころじゃないから。そのうちいろんなマスコミもかぎつけてくるよ。美樹ちゃんが事務所にいるといろんな面倒ごとおきそうだから。あーもう頭が痛い。」

本当に頭を抱えながらそう言った。

ドラマの主演の続編も棚上げ、出演番組や雑誌のインタビューの仕事は全部キャンセル。CMのスポンサーも全員降りてしばらくオファーがない。藤谷美樹は絶対絶命のピンチに追いやられた。

藤谷美樹は勝田にもっとこの事件の真相を調べるように抗議したが聞き入れられなかった。

「でも美樹ちゃんあの作曲家といざこざ起こすなってあれだけいったのに破ったんだからね?仕方ないでしょ?ほとぼりさめるまで、しばらく自宅謹慎してて!これ社長からの命令なんだから美樹ちゃんでも逆らえないの!」

藤谷美樹はそれを聞いて頭にきたが、社長命令ならばいうことを聞かざるをえない。勝田は、万が一のため美樹の自宅の賃貸マンションの前にボディーガードか警察を配備することを勧めたが、美樹はプライバシーがなくなるのが嫌なので断った。

「大丈夫よ、いくらなんでもそこまでしなくても・・・」

美樹は会社の指示の通りしばらくの間自宅謹慎することにした。



バイト先の休憩室で松田優はテレビを見ていた。藤谷美樹のスキャンダルが放送されていた。遊園地で美樹とキスしている写真は、テロップがかかってはいたが、自分だとすぐに分かった。いったい誰が写真を撮ったのだろう?周りに気配などしなかったのに・・・

バイトの同僚が

「おい、噂の藤谷美樹がスキャンダルだってよ。大変だなアイドルって。でもさ、あの遊園地の写真の男お前と髪型そっくりじゃね?まじうけるな」

そういうと同僚は笑いながら去っていった。

松田優は心配になって藤谷美樹の携帯にメールやLINEを送ってみた。

「おい、休憩時間終わりだぞ!何やってんだよ?」

店長に怒鳴られた。

「あ、はい、今いきます。」




野々宮妙子は自宅のマンションで藤谷美樹のスキャンダルのテレビ放送を見てにやにや笑っていた。

「これであの女も終わりね・・・あははははは」

野々宮妙子は大笑いした。




和賀直哉は自分の所属する作家事務所で社長に声をかけられる。

「おい、このストーカーの写真なんかテロップかかってるけどお前にそっくりだな。髪型とか服装とか。まさかお前じゃないよな?お前確か藤谷美樹のファンクラブ入ってたよな?」

「いえ、違います。他人のそら似でしょう。俺がそんな大胆なことするわけないじゃありませんか?」

「まあ、そうだよな?いくらなんでもそんなことするわけないな?」

「そうですよ、ひどいですね・・・あはははは」

そういったが、和賀直哉は内心ひやひやしていた。

この写真を撮ったの誰だ?

おれは怪文書なんて送ってねーぞ?いったい誰の仕業だ・・・?




有賀泉は本屋で雑誌を見ていた。トップ記事に藤谷美樹のことが書いてあった。

「藤谷美樹、ストーカー現る?自宅に届いた怪文書?」

「藤谷美樹 謎の男と遊園地デート?貸切コースで愛をはぐくむ?」

なにこれ?

久しぶりに日本に帰ってきたら、すごいことがニュースになっていた。

「何か時々テレビで見かけるアイドルさんね。大変ね・・・」

泉は、藤谷美樹とキスしている男の写真を見た。

「何これ、松田・・・くん?」

テロップがかかっていたが髪型や雰囲気で泉にはそれが松田優にしか見えなかった。

その男が着ている服も優がよく着ているパーカーだったからだ。




バイトが終わって、自宅のボロアパートに帰って松田優は携帯を開いてみた。

藤谷美樹からはメールもLINEの返事もない。携帯に方に電話をかけてみたが、留守番電話になっていた。

「はー」

松田優はため息をついた。

「何やってんだあいつ・・・」




優は居酒屋で彩と飲んでいた。

しばらく他愛のない世間話をしていた。

「あのさ、バンドのボーカルのリーダーがさ、ほんっとおっちょこちょいで、ライブハウス予約した時間間違えたりとかまじ勘弁してほしいのよ。こんなんじゃメジャーデビューできないっつーの」

そんな話をしていたが、優はぼーっとしていた。

「何ぼーっとしてんのよ。」

「いや・・・別に・・・」

「藤谷美樹さんのこと?」

「え?」

「それくらい知ってるわよ。優と写真写ってなかった?」

「ちょっと声大きい言って・・・」

「別に大丈夫よ。みんな聞いちゃいないから。」

彩までその話をしっていたのでびっくりしてしまった。

「なんで知ってるの?」

「え、だって大ニュースになってるじゃん。日本中が知ってるわよ・・・」

「そうじゃなくて、なんで俺だってわかったの?」

「何年あなたとつきあってると思ってるのよ?行動パターンくらいわかるわよ。あなたあまり自分のこと話さないけど、正直だから考えてることは分かりやすいもの。」

友達ながらも女の勘は恐るべし、と優は思った。

「それで、彼女大丈夫なの?」

「さあ・・・どうかな・・・連絡取れないから。」

「優・・・彼女のこと本気なの?」

「え?」

「だってこんな写真撮られるくらいだから・・・」

「別に・・・こんなわがままな女いくら美人でも好きじゃないよ。ただ誘われたから行っただけ。それに俺が好きなのは・・・」

「有賀泉さん?」

「え?」

「だって優学生時代からずっと彼女のこと好きじゃない。」

「まあ・・・でもさ・・・」

「でもさ・・・?」

優は沈黙してしまった。

「彼女は結婚してしまうから?どうにもならない?だからアイドルと遊んでる?」

「いや、違うそんなんじゃない・・・」

「あー優柔不断だな。昔っから優はそういうところ。そういうのって女の子に一番嫌われるからね?結局どっちも振り回すことになるんだから。本当最低だよそれって・・・」

「そうだな・・・」

「嘘よ・・・別にいいんじゃない?心が揺れるときだってあるわよ。私にだって身に覚えあるし。」

「ああ・・・」

「でも今はその藤谷美樹のことが心配なんでしょ?なら自分の気持ちに素直に行動したらいいよ。」

「ああ・・・ありがとう。」




優は次の日藤谷美樹のマネージャー勝田に電話してみた。

「もしもし?オスカープロダクションの勝田ですが・・・」

勝田が電話に出た。

「あの・・・松田優と申します。藤谷美樹さんはいらっしゃいますか?」

それを聞いて勝田は急に怒りだした。

「あんたか。いったい彼女に何してくれたんだよ!?今こっちは大変なんだ!責任とってくれ!」

「すみません、話すと長くなるんで・・・こっちもそれどころじゃなく彼女が心配で・・・今どこにいるんですか?」

「今は事務所にはいないよ、自宅謹慎してるから・・・」

勝田はため息をついた後不機嫌そうにそう答えた。

「もう電話かけてくるな!」

勝田は写真のことで優に怒り心頭だったので電話を切ってしまった。




それから何の音さたもないまま、平凡な日々が続き1週間くらいたった頃の夜に優のアパートに藤谷美樹が突然現れた。

「じゃーん、元気?」

すでにかなり酔っているようだった。

「一緒に飲もうかと思って。」

ビールを大量に買ってきていた。

「あのな!・・・どれだけ心配したか。返事くらいよこせよ。それに自宅謹慎なんじゃないのか?」

「ごめんごめん。一日中家にいたら頭おかしくなりそうになっちゃってさすがに出てきちゃった。それでね・・・どこ行こうかなって思ったら、変装しないでゆっくりできる場所考えたら・・・ここしかなかった。」

藤谷美樹はスキャンダルの話をあえて避けてた。

「いいからもう飲むのやめろよ」

彼女が持っていたビールの缶が大量に入ったビニール袋を取り上げた。

優は水をコップに入れて藤谷美樹に飲ませた。

「あ・・・ありがとう・・・っす」

美樹はかなりできあがっていた。

1,2時間たって美樹の酔いが冷めると、美樹はいつものハイテンションからは考えられないような深刻そうな感じでうつむいて話し始めた。

「私のお父さんね・・・知ってると思うけど・・・藤谷圭って大物俳優なの・・・」

「ああ・・・知ってるよ」

ネットで藤谷美樹のホームページを見たので優もそのことは知っていた。

「私が生まれたときはすでに有名な俳優でね・・・東京の世田谷の高級マンションに住んでて、私はそこで家族三人で何不自由なく暮らした・・・。若い頃は何の不満もなかった。でもね、ある日お父さんがね、自分の経営してた事務所の可愛がってた後輩の借金の保証人になってね・・・その人の実家の事業が倒産して借金が何千万もあるからって。お父さん人が良かったし面倒見がよかったから・・・それくらいの借金ならいつでも立て替えて払ってやるって。

でもその話は嘘でね・・・詐欺だったの・・・その後輩の人は嘘ついてたのよ・・・その人さ・・・やくざみたいな連中の不動産投資の話に騙されてて・・・共同出資者っていうの?何千万か一緒に投資して利益が出れば莫大な金になるからって丸め込まれて、でも万が一のために嘘の話をでっちあげて借金の保証人を立てろっていわれたらしくて・・・。それでそのやくざの連中は何のリスクもなく投資ビジネスができるってわけ・・・うちのお父さん俳優としては大物だったけど本当人がいい人だったからまんまと騙されたのよ・・・」

藤谷美樹は酔っていた時のハイテンションとは打って変って何だか深刻な面持ちで難しい話を急にしだした。いつもの彼女と違うようで優はびっくりしたが、話の続きを聞くことにした。

「それでね・・・最初は借金が5000万円になったから、とかそんな程度で深刻な話ではなかったんだけど・・・お父さん金持ちだったからそれくらいなら何なく払えるからね。でもそのやくざ連中の不動産投資のビジネスが失敗して大赤字を出したらしくて・・・だんだん一億二億って借金が増えてって。気が付いたときには10億を超えてたの・・・」

それは途方もない額だ。貧乏作曲家の松田優には想像し難い莫大な金額だった。

松田優はうつむきながらその話をじっと聞くことにした。

「でね・・・いくらなんでも話がおかしいからってお父さんその後輩の家まで言って話を聞きに行こうとしたの。でもその人もう東京の家売り払ってどこかに雲隠れしちゃってて・・・10億以上の借金だけお父さん抱えることになっちゃったの・・・そんな大金いくら大物俳優だってそう簡単に返せる額じゃない・・・そのうちそのやくざ連中がうちに来るようになってね・・・本当乱暴で最悪な連中だった。お父さん返済期限を延ばしてもらうように必死に頭さげて・・・何年かは頑張って働いてマンションや車も全部売り払って今までの貯金とあわせて5億くらいは何とか返済したんだけどね・・・でもね・・・そのストレスがたたってお父さん癌になっちゃったのよ・・・気づいた時にはもう末期で・・・それでね・・・マンションも売り払っちゃったし病気で仕事もできないしどうせ末期がんだからって田舎の方で落ち着いて死にたいってことで、田舎の岐阜に帰ったの・・・私はもう高校生だったんだけど途中で岐阜の高校に編入して・・・」

「そう・・・なんだ・・・」

優はなんだか遠い異次元の世界の話を聞かされてるような気分になった。

「お父さん最後まで頑張ろうとしたんだけど・・・結局癌でなくなっちゃった・・・世間的にはただ病気でなくなったってことで公表してるから借金のこととかは誰も知らないんだけどね・・・それでね・・・私高校卒業したらスーパーアイドルになって頑張ってもうけまくってやるって思って・・・絶対借金返してやるんだって・・・それでここまで頑張ってきたの・・・残ってた5億以上の借金も半分以上は返したし・・・だからね・・・あともう一息なの・・・こんなところでスキャンダルで終わりたくないのよ!」

松田優はかつてないほど深刻な話を聞かされて藤谷美樹がまるで別人のように感じた・・・

優が深刻そうにその話を聞いていると藤谷美樹は突然明るくなって

「ごめん、今の話全部ウソ!驚いた!?」

とあっけらかんと言い放った。

「は!?・・・う、嘘?」

優は目を丸くして驚いた。

「は、何だよ・・・びっくりしたな。」

優は拍子抜けしてしまった。

「いくらなんでもこんな非現実的な話そうそうあるわけないでしょ?私、今スキャンダルで絶体絶命のピンチでやばいでしょ?だから何かもっと同情されたくなっちゃって」

「なんだよ、それ・・・」

「でた・・・それ久しぶりに聞いた・・・」

「・・・」

「もしかしてほんとだと思った?」

「そりゃね・・・でもそんなことだろうとも思ったよ。」

優がそう言うと美樹は突然何を思ったのか

「じゃあ私ここで寝ていい?自宅にひきこもってるの性に合わないから・・・」

そんなことを言いだした。

「おいちょっと・・・」

「いいでしょ?男は細かいこと気にしない気にしない」

そういって藤谷美樹は優のベッドを陣取ってしまった。

相変わらずめちゃくちゃな女だ。

優も歯磨きをして寝ることにした。

仕方なく、ベッドの横の床で寝ることにした。

小一時間くらいたったときに、藤谷美樹がベッドでしくしくと泣いている声がかすかに聞こえてきた。

優は向こう側を向いていたので泣き声しか聞こえなかったが・・・

優はその悲しそうなすすり泣き声をしばらく聞いていた。



朝起きると藤谷美樹の姿はもうなかった。

アパートのどこを見渡してもいない。外を見てみてもいなかった。

携帯を見てもメールもLineも入ってない。

よく見ると自分の机の上に書置きがあった。

「しばらく旅に出ます。さようなら」

それしか書いてなかった。

「は?旅に出るって」

何かの冗談だろうか?


優は勝田に電話をかけてみた。

藤谷美樹が自分のアパートに来たことや書置きのことを話すと、

「ちょっと、またあなたですか。何してくれるんですか、せっかくほとぼりさめるまで自宅謹慎にしてたのに・・・ただでさえあなたの写真のせいで大ダメージなのに・・・事務所はもう大変なんですよ?もう電話かけるなっていっただろ?」

「そんなことより、彼女の居場所の心当たりないですか?」

「ちょっとそんなことこっちが知りたいですよ。」

「どこでもいいんです何か手がかりは・・・」

「そうですね・・・彼女は業界のトップアイドルでねたまれたり、ライバルも多いから東京に友達なんていないですからね・・・もしかしたら実家の田舎かもしれないですね・・・でも自分の田舎なんて帰っても友達なんてもう住んでないと思うけどね。」

「それだ!」

「ちょっとあなたどうするつもりですか?まさか行く気じゃ?こっちが捜索願いだしますからそっちはおとなしく・・・」

松田優は電話を切ってしまった。




松田優は彼女から一度だけ聞いたことがある実家の住所を思い出そうとした。

「岐阜の中川市中山町何とかのなんとかアパート」

中山町の先がどうしても思い出せなかった。

インターネットの地図で場所を調べてみた。

実際にあるようだった。

「ようし、いってみよう」




優は新幹線に乗って岐阜へ向かった。

新幹線の中で優は藤谷美樹のことを思い出していた。彼女との他愛もない会話がとてつもなく懐かしくなった。普段はあんなにわがままでがさつで生意気なのに、そんな暗い過去と大変なものを一人で背負っていたとは・・・

優は岐阜の田舎の駅につくと、タクシーで中山町まで行った。そこらへんの人に藤谷美樹の実家のことを聞くが場所が公表されてないらしく、知ってる人がいなかった。

優は仕方なくそこらへんのそばやで昼食をとってると、となりの二人のおばちゃんが

「美樹ちゃんも今大変なことになってるねー」と話してた。

その会話に優は飛びついた。

「おばちゃん、いや、おばさん藤谷美樹のこと知ってるの?」

「知ってるっていうか・・・まあ、藤谷さんとは昔からの地元の知り合いだからね。」

「場所、実家のアパートの場所教えてください!」

「場所教えてくださいっていったって、あやしいものには教えられないよ。あなたもしかしてその例のストーカーの関係者かいね?警察呼ぶよ!」

「ちょ・・・ちょっと待ってください。違います。彼女とは友達で・・・彼女スキャンダルのせいで自宅謹慎だったのに疾走してしまったんです。行方不明なんです。」

「え・・・疾走?そりゃ大変だ。わかった・・・2丁目のコトリアパートってところだよ。そこが実家。彼女の母親がそこに一人で住んでるから、教えてやんな。心配してるだろうからさ。ほらいきな・・・」

「ありがとうおばさん」

優はおばさんたちにお礼を言ってそば屋を出た。




優は2丁目周辺を探し回ってコトリアパートをやっと見つけた。

藤谷の表札があるからたぶん合ってるだろう。大俳優の実家にしては地味で貧乏くさいアパートだった。借金だらけなのは本当だったのか・・・

インターフォンを押しても誰もでない。隣のあばさんが出てきた。

「なんだいあんたは?藤谷さんなら買い物かどっかでかけてるんじゃないかい?夕方前は大体そうだから・・・」

「あ・・・ありがとうございます。」

優はしばらくアパートの前にかがんで待つことにした。

一時間くらいすると、50代くらいの女性が話しかけてきた。

「何か御用ですか?」

「あの・・・はじめまして・・・私藤谷美樹さんの知り合いで松田優といいます・・・」


優は藤谷美樹のお母さんの藤谷薫さんに家に上げてもらった。

「なんだてっきりこの場所かぎつけた野次馬かマスコミの方かと思いましたよ。何件かスキャンダルのことでうちに来たので・・・この場所は一切公表してないのにどこでどうやってかぎつけたんだか・・・マスコミの質問はうんざりなんです。」

「はあ・・・」

「あなた・・・作曲家の松田優さんですよね?」

「え?」

優はお母さんが自分のことを知っているのに驚いた。

「美樹からたくさん聞いてますよ。いろんな話をね。どこで出会ったとか、今日はどこどこの公園のベンチで偶然会ったとか、どこに行ったとか、家がぼろいアパートだとか、口癖が面白いだとか・・・楽しそうにね・・・っていってももっぱら携帯のメールに来るだけですけどね・・・」

「そうなんですか・・・」

「あの子・・・さびしかったんじゃないですかね・・・東京に出てからアイドルにはなれたけど、友達もほとんどいないみたいだし、外にも自由に出歩けないみたいだったし。そんな中あなたに出会えたことが嬉しかったんじゃないかしら?」

「いえ、僕は・・・何もしてませんよ・・・」

「よかったら美樹が帰るまで食事でもしてってください・・・」

「え?彼女帰ってきてるんですか?」

「ええ・・・たまに帰ってくるんですよ・・・まあ最近はもっぱら大忙しみたいだからほとんど帰ってこなかったんですけど・・・それが何か?」

優はスキャンダルの後彼女が疾走して行方不明になってることを話した。

「あれま・・・そりゃ大変だ。あの子何もしゃべらないから・・・ほとぼりさめるまでこっちにいるってそういう話しかしないんだから。あの子皆様に迷惑かけてるんじゃ・・・」

「事務所はパニックになってると思います。」

「ほんじゃ今すぐ東京に帰らせないとね・・・どこをほっつき歩いてるんだか・・・」

二人で食事をして、しばらく彼女のことを待っていたがなかなかかえって来ない。

「松田さん、もう遅くなるから今日は泊まってってください」

「いえ、しかし・・・」

「いいからいいから・・・」

藤谷美樹のお父さんが癌になって東京のマンションを引き払って岐阜に帰ってきたときには、美樹は高校生だった。藤谷美樹は、実家に帰るときは高校生のときに使っていた部屋で寝泊まりしているらしい。美樹の部屋は質素で何もなかった。高校時代の教科書とか写真とか思い出とかそういうものは何一つ置いてなかった。よく考えたら、高校のときお父さんが癌で療養しているときに少しだけこっちに住んでいただけなので、彼女にとって高校のころの思い出などは何もなかったのかもしれない。

ふと見ると、机の上にかつて優が担当したドラマ「せせらぎの中で」のサントラがあった。

それを眺めてると

「それ、あの子が好きなやつですよ。松田さんの作曲されたものですよね?

まだアイドルとして売れなかった時期とか何かあって悩んでるとしょっちゅううちに帰ってきてそのサントラ聞いてたんですよ・・・あの子が初めて脇役でちゃんとした役をもらえたドラマのサントラなんです。だから思い入れがものすごい深いんですよ・・・」

「そうなんですか・・・」

その話は美樹から聞いていたが、実家でも聞いていたというのは知らなかった。

「あの・・・藤谷圭さんとお母さんはもともとこちらに住んでいたんですか?」

お母さんはきょとんとしていたがやがて答えた。

「はあ・・・まあ・・・そうですね・・・もともと主人と私はこっちの出のものですから。」

「そうなんですか・・・」

「美樹から聞いてるからは分かりませんけど、もともと私の実家は旅館で主人の実家もお土産物屋で地元では有名な老舗なんです。」

そのことはさすがに聞いてなかった。

「そうなんですか・・・じゃあ元々地元ではお互い有名で知っていたという感じだったのですか?」

俺が聞くとお母さんは自分と夫の過去の話をし始めた。

「そうですね・・・主人が若い頃から家の手伝いでうちに土産物などを納品しに来ていたので、私たち若い頃から顔見知りでね・・・それで主人の両親が、主人が30になっても誰とも結婚しないもんだからあせってお見合いの話をうちの両親の方に持ってきたんです。当時主人は地元の劇団で俳優してましてね・・・たまにテレビなんかも出てたんですけど売れない俳優ですから、うちの両親は絶対だめだ、なんて反対したんですけど・・・でも主人の両親の熱心なお願いがあって、それに主人の実家は老舗で金持ちですから仕方ないってことで、お見合いだけでもってことで私たち会うことにしたんです。顔はお互い知ってたんですけど、ろくに会話はしたことなかったんです。でも、実際に会ってみたらお互い不思議なくらい気が合いましてね・・・すぐに結婚が決まりました。」

「そうなんですか・・・」

優は興味深けにその話を聞いていた。

「まあ、こんな話若い人に興味あるか分かりませんけどね・・・結婚したばかりのころはそれは貧しかったですからここのボロアパートに二人で住んでましてね、私もパートなんかやってましたよ、当時は。貧しかったけどでも全然不幸せじゃなかったですよ。私の父は私に貧乏暮らしなどさせたくないからってお金を援助するって言ってくれたんですけど、でも主人が「俺が将来大物俳優になって彼女を支えます。だからお金はいりません」って父に突っぱねたんです。その時は誰も主人が有名俳優になるなんて思ってなかったですけど、でもたまたま主人が出てた地元の番組を映画の大物プロデューサーさんが見てましてね。「是非東京に来ないか」って話になって。それで主人は東京に一人で行ったんです。そしたら、映画に出ないかってことになって・・・有名俳優さんが出る映画に脇役で抜擢されたんです。その映画が幸運なことに大ヒットしましてね・・・続編なんかもやっもらって・・・。その後主人はとんとん拍子でどんどん仕事が増えてドラマやら映画やらでひっぱりだこになって、主役もたくさんやるようになって・・・気が付いたら大物俳優に本当になってたんです。その頃は藤谷圭のことを知らない人は東京ではいないっていうくらいになったんですよ。」

「そうなんですか・・・」

美樹のお父さんも有名になる前はたいへん苦労したんだな、と話を聞きながら優は思った。

「それで、東京の方へ引っ越されたんですか?」

「えーまあ・・・最初映画に出始めたばかりの頃は、主人は仕事のあるときだけ東京に単身で出て休みの日はこっちに戻ってきてたんですけど、売れっ子になってからはもうほとんど休みがなくなりましたから、東京にマンション買うから「お前もこっちにこい」ってことになって・・・。そうですね・・・その後何年かした後に美樹が生まれたんです。」

「そうなんですね・・・」

「ええ・・・」

松田優はそれとなくお父さんの癌のことを聞いてみることにした。

「それでお父さんが病気になられた後またこちらに戻ったんですね・・・」

「え・・・?あの子から主人の癌の話聞いたんですか?」

お母さんは驚いた様子だった。

「はい・・・まあ・・・」

「あの子その話は誰にも話してないようだったのに・・・」

「え・・・・?あ・・・すみません」

「えー・・・いんですよ・・・たぶんきっとあの子はあなたには心を許してるんでしょうね・・・」

「美樹さんは今でも一人で借金を返してるんですか?」

「松田さん、何でもご存じなのですね。あの子ほんとにあなたには何でも話すのですね。えー・・・そうです。あの子にもずいぶん苦労かけさせました・・・本当はお父さんみたいな俳優になるのが夢で将来は大物女優になるって言ってたんですよ・・・でも女優ではなかなか売れなかったものだから・・・事務所がアイドル路線で行こうってことになってそしたらそっちの方が売れ出したんですよ。」

「そうなんですか・・・」

本当は女優になりたかったのにアイドルになったのか・・・借金のために・・・

何とも泣ける話だった。

普段は明るい彼女にそんな暗い影があったとは・・・

時々見せる悲しい表情はそんな影のせいだったのだろうか?

「ですからね・・・あの子が売れるきっかけになったのは松田優さんあなたの音楽のおかげなんですよ・・・」

「いえ、そんな・・・僕は何もしてませんよ。あのドラマ・・・まったくヒットしませんでしたし。」

「いいえ・・・ヒットしなくてもあの子が初めてちゃんとした役をもらえたドラマですから・・・あの子にとっては思い出の作品です。だからあなたの音楽はあの子にとって心の支えになってたんですよ。」

そんな大げさにほめられると優は照れ臭かった。

「でも、あの子すごいわがままでしょ?小さいときに贅沢させすぎちゃって。一人娘だし主人が可愛がって育てすぎちゃったから・・・でも本当はさびしがり屋でナイーブな性格なんですよ・・・思ってることと逆にこと言っちゃったり強がったり・・・」

「ええ・・・分かりますよ。」

「でも、あの子にはすごい感謝してます。あの子がいなかったら今頃うちは借金地獄で破産してましたから・・・でも、もう一人で抱えきれないんだと思います・・・本当あの子には苦労かけさせました・・・」

「・・・」

「松田さん・・・あの子のことを見守ってね・・・これからも娘を宜しくお願いします。」



次の朝優はお母さんに朝食をご馳走になっていると、

「あの子どこにいったのかしら・・・心配かけさせてまったく・・・」

結局美樹は朝になってもかえって来なかった。

「お母さん、心あたりありませんか?」

優は聞いてみた。

「そうね・・・あの子・・・こっちの方には高校の頃数年間いただけですから、こっちの友達はもともとあまりいないんです。だから、友達の家なんてことはないと思います。もしかしたら・・・滝でも見に行ってるのかも・・・」

「滝?」

「近くの公園に滝があるんです。丸山公園っていって・・・歩いてすぐです。何か悩みがあるとあの子あそこにいって一人でぼーっとする癖があるんです。」

「場所教えてください」


優は朝食をご馳走になった後その丸山公園の滝の方へ行ってみた。しかし誰もいないようだった。公園内にいないかどうか公園中を探し回ってみたが、やはり彼女の姿はどこにも見当たらなかった。最後にもう一度滝の方へ行ってみた。すると、なんと藤谷美樹が一人で滝をぼーっと眺めている姿が見えた。

彼女は滝の方を悲しそうな表情で眺めていた。

一人でただぼーっと。・

その様子からして近づきがたかったが優は話しかけてみた。

「何やってんだ・・・」

「え・・・?」

藤谷美樹は後ろを振り返った。

「青春の悩みですか?」

「ちょ・・・ちょっと!?あなた何でこの場所が?え?」

「・・・お母さんに聞いたこの場所・・・」

藤谷美樹はまだ事情が呑み込めてなかったようだった。

「ちょ・・・ちょっと私の実家いったの?」

「ああ・・・泊めてもらったよ・・・」

「ちょ・・・っと何あなたやってんのよ?私の許可なく・・・」

「許可がいるんだ・・・」

優は少しおかしくなって笑った。

「何がおかしいのよ?」

「いや・・・別に・・・」

「な・・・何で私がここにいるって?」

「・・・勘?」

「勘って・・・何で実家の場所分かったの?」

「前言ってただろ・・・岐阜の中川市中山町って」

「あ・・・そっか・・・でも覚えてたの?」

「まあ、番地までは分からないから駅周辺のそば屋にいたおばちゃんに聞いた。」

「なるほど・・・」

藤谷美樹は黙ってしまった・・・

優は何て話しかけていいか分からなくなってしまったのでしばらく黙りこんだ。

「ところでさ・・・あんた何しにきたの?」

「は?何しにきたはないだろ?せっかく人が心配して駆けつけてきたってのに・・・お前が疾走したから事務所は今大パニックなんだぞ?」

「は!?ちょっと待って?何で事務所が知ってるの?」

「俺が勝田さんにお前が疾走したこと話して、お前が行きそうな場所教えてもらったから。」

美樹は急に怒り出した。

「ちょっと?あんたバカ?私事務所に内緒でこっちに来たのに・・・あなたのこと信用して置手紙書いてったのよ?事務所に知られたら大変なことになるじゃないの?それくらいわかるでしょ?」

「ちょっと待てよ!そっちが心配かけさせたんだろ?旅に出ますなんて言われたら誰だって心配になるのは当たり前だろ?」

「別にあなたに心配してほしいからじゃないわよ?ちょっとほとぼり冷めるまで自宅にいたくないからこっちに逃げてきただけよ」

「はー・・・」

美樹はため息をついた。

「もう・・・やめよう・・・喧嘩になるから・・・」

「本当・・・まったくよ・・・」

二人はまた黙りこくってしまった。

「だって・・・お前・・・悩んでそうだったし・・・」

泣いてただろ・・・とは言えなかったのでそういう言い方になってしまった。

「別に悩んでないよ・・・自宅にいたくなかっただけ・・・」

「だったら何でうちのアパートに来て愚痴ってたんだ?何で誰にも言えないような家庭の事情の話を俺なんかにしたんだ?」

「知らないわよ!・・・ただ・・・」

「ただ・・・?」

「何となくあなたに話したくなっただけ・・・」

「なんだよ・・・それ・・・もういいよ。」

「は?何よそれ・・・」

「実家に・・・逃げてなんかいないでもっといろいろと吐き出せばいいだろ?俺とかに・・・」

「は?何言ってんの、あんた?ばっかじゃないの?」

そういわれると優はまた何も言えなくなってしまった。しかし引き下がらずに

「バカはないだろ・・・でも・・・気持ちなら何となくわかる・・・」

「は?分かるって何よ?大借金背負ったことなんかないでしょ?一体どんな気持ちが分かるっていうのよ?」

「確かにそういうものは背負ったことはない。でも・・・俺も・・・実はお前に話してないことあった・・・誰にも言えない暗い過去がある。実は・・・うちの親父・・・自殺したんだ・・・」

「え・・・?」

美樹はその話を初めて聞いて驚いた。

「お父さんって作曲家のお父さんが・・・?」

「ああ・・・うちの親父売れない作曲家だったっていっただろ?晩年やっといい作品ができてその映画もヒットした。でも、親父はそれに満足できなくて、もっといい作品を作ろうともがいてもがいてもがき苦しんで、でも作れなくって・・・自分の才能のなさを最後までうれいて自殺していった。最後の最後まで・・・この世を呪って死んでいったんだ・・・」

「そんな・・・そんな・・・芸術家の複雑な気持ちなんて私にはわからないわよ。」

「まあ、そりゃそうだな・・・でも俺は本当にそれがショックで・・・立ち直るのに何年もかかった。それ以来母親はうつ病みたいになってしまったし・・・そして弟は作曲家という存在が大嫌いになって真逆の世界の公務員の道を選んだんだ。そして俺は・・・何よりも親父がそうなったことが悔しかった。」

「それで・・・無念を晴らすためにあなたは作曲家に?」

「いや、分からない・・・でも・・・親父の無念を晴らしたいのはお前も同じなんじゃないか?」

「え・・・?」

「そういった意味じゃお前の気持ちが分かるってこと」

藤谷美樹はしばらく黙っていたが

「バッカじゃないの?」

といってきた。

「は!?」

この女はせっかく人が心配していろいろ話したのに・・・

「借金苦と自殺じゃ全然違うじゃない?立場が違うでしょ?」

「そうだな・・・本当の苦しみは分かりあえないかもしれないな・・・でもそれは仕方ないだろ?他人を本当の意味で理解するって難しいことなんだから」

「またなんか哲学的なこと言ってさ・・・」

「別に哲学じゃないだろ・・・一般論だよ」

しばらく藤谷美樹は黙っていたが

「でも・・・ありがとう・・・」

そう小声で言った。


松田優と藤谷美樹はしばらくそんな話をしながら滝を眺めていた。

そんなこんなずっと長いこと二人で滝を眺めていたら時間はまるで一瞬であるかのようにあっという間に時刻は夕方になった。

美樹の母親が心配しそうだったので、その後藤谷家のコトリアパートに二人で行くことにした。


「ただいま」

藤谷美樹がそう言うとお母さんは

「あーよかったー美樹、あんたはまた心配かけさせて。一晩中いったいどこにいたのよ?」

あきれた声でそう言った。

「どこだっていいでしょ?ビジネスホテルで寝泊まりしてその後、公園ぶらぶらしてたら、この人とばったり会ったのよ。」

「ばったりって何よ。松田さんあなたのこと心配して東京からわざわざ来てくれたのよ?ちゃんとお礼いったの?」

「わかってるわよ・・・もううるさいはね。」

そう言って美樹は自分の部屋の方さっさと行ってしまった。

「全くもう・・・ごめんなさいね。あの子いつまでたっても子供なんだから・・・」

「いえ・・・」

家に帰ると遠慮がないのかいつもの強がりの美樹より子供っぽいというか、素直に親に甘えてるように見えた。


三人で夕飯を食べてしばらく談話した後に、美樹はシャワーを浴び終わって優にシャワーを浴びるように部屋に呼びに行った。優はお母さんの勧めでもう一晩泊めてもらうことにした。美樹が高校生のときに使っていた部屋は狭くて二人で泊まるのは無理なので、畳の客間が開いていたのでそこに泊まることにした。

「狭いけどごめんなさいね」

お母さんにそういわれて優はそこの畳の部屋に案内された。

「シャワー浴びたら?」

「ああ・・・ありがと・・・」

「何、してんの?ぼーっとして」

松田優は畳の部屋でしばらくぼーとしていた。

「何かスキャンダルの事件のことを思い出して考えてたんだ・・・心あたりとかないのかって」

「心当たりってなによ?」

「だからさ・・・犯人は誰かなって・・・昔から熱狂的なファンにストーカーされてるとか・・・」

「あのね・・・私を誰だと思ってるのよ?超有名アイドルなんだからそんな人たくさんいすぎてわかるわけないじゃない。」

「はいはい。でもさ・・・今までもこんなことあったのか?」

美樹はそのことを思い出そうとしてしばらく考えていたが、やがて話し始めた。

「手紙をもらうことなんてしょっちゅうよ。狂ったファンはたくさんいるから、もちろん変な手紙をもらうこともよくあるわよ。『今日は美樹ちゃんの晩御飯なんだった?』とか『美樹ちゃん愛してるよと』かそういう内容の手紙はいくらでもある。でも狂気じみた手紙をもらったのは確かに初めてかも・・・」

「初めて?」

優はその言葉に少しひっかかった。

「そう、いくらなんでも『殺したいほど愛してる』なんていうやついなかったね。下手したらストーカー扱いされて警察に捕まるでしょ?そんなこと書いたら」

「なるほど・・・確かに変だな・・・」

「そうでしょ?だから不気味だなって思って。」

優は少し考え込んでいた。しばらく思考を巡らせた後に思いついたように話し始めた。

「でもさ・・・そんな危険を冒してまで脅迫文を書くって・・・ファンじゃない別の誰かが書いたんじゃないのか?」

「そんなこと何のためにするのよ?」

優はそういわれるとよく分からないので黙ってしまった。

「そういわれてみれば・・・」

「ちょっとね・・・あなた探偵じゃないんだからさ・・・適当なこと言わないでよ?もしかしてスキャンダルで私を貶めようとした誰かが書いたってこと?」

優はその言葉にぴんときた。

「そう、それだよ!それしか考えられない」

美樹は少し黙っていたが、何かを思い出したように

「あ!そういえば・・・」

「そういえば・・・何だよ?」

「あのね・・・私その脅迫文の手紙が自宅に届いて見てね、その日に事務所に着いたらもうそのことがテレビでやってたのよ。何か変だなって思って。勝田にもそのこと話したのにどうでもいいって感じで聞いてもらえなかったんだけど・・・。」

「どういうこと?」

「だからさ・・・手紙が届いてから私がまだ警察に届け出だしてもいないのに、なんでマスコミはそのこと知ってたのよ?って思って・・・だって変でしょ?」

「なるほど・・・だとするとますますはめられた可能性が高いな。手紙のことを知ってる誰かか、あるいは手紙を出した本人がマスコミにリークしたってことかもな・・・」

「え・・・じゃあさ・・・やっぱり私をはめようとした誰かがやったってこと?」

「その線の可能性は高いな・・・」

「嘘・・・気味が悪い。」

藤谷美樹は寒気がするというような表情をした。

「誰か心あたりないの?嫌われてる人とか・・・」

「ちょっと人聞き悪いな。嫌いな人なら業界にたくさんいるけど、嫌われてる人なんていちいち気にしてたらこの業界やってけないもの。知らないわよ。」

「あの週刊誌の写真に写ってた熱狂的なファンの人は?」

「え?あの人?あの人は・・・あれよ・・・私のファンだって言ってた確か・・・

作曲家の和賀なんとかって人よ。テロップがかかってるから顔は分からないけど、私目の前で会ったから本人だってわかるは。それに、あの写真事務所の目の前で撮られてるから風景とかどこで撮られたものだとかわかるもの・・・」

「え・・・それって・・・もしかして和賀直哉のこと?」

「え・・・そうよ・・・知ってるの?」

「知ってるも何も大学が同じだったから・・・」

「へーそうなんだ・・・まあ音楽業界って狭いものね・・・みんな知り合い同士みたいなもんか・・・」

しばらく松田優は考え込んだ。

「で、その和賀直哉がどうしたの?」

「あいつがその犯人ってことは?」

「え?その脅迫文の?それは・・・分からないけど・・・でもさ、あんな気の弱そうな純粋な私のファンが脅迫めいたこと書くかしら・・・私の経験上熱狂的なファンはむしろあんな嫌われるような文章なんて書かないのよ、普通は」

「それもそうか・・・」

松田優は何となく納得した。

「それにさ・・・和賀は犯人じゃないと思うけど。」

「何で?」

「だって・・・もし彼が犯人だったら何でわざわざ危険おかして私に直接会いにきてさ・・写真撮られたりするのよ?それって変じゃない?そんなまぬけな犯人いるかしら・・・?ずいぶん前から私のストーカーしててマスコミが彼を追跡してたっていうのなら話はわかるけど、私一度しか和賀には会ってないし。それに私が警察やマスコミに言わない限り週刊誌が彼を追いかけるなんてことあまりしないと思うしね。」

「確かに・・・」

藤谷美樹のするどい推測に優もうなずいた。長いこと芸能界にいるだけあって色々な仕組みをよく知っているようだった。

「なるほど・・・それじゃあストーカーの仕業の線はますますないね・・・ほかに心あたりは?何か恨まれてるとか?」

「ちょっとね・・・本当に人聞きわるいわね・・・だからそんな人いくらでもいるからよく分からないって・・・ライバルなんてたくさんいるし・・・」

「でもさ・・・特に一番嫌いって人は?嫌われてるでもいいし・・・」

「そうね・・・最近では一番私につっかかってくるのは野々宮妙子って女優からしね・・・私が親の七光りでアイドルやってるからっていちいち嫌味を言ってくるしょうもない女なの。自分も演技は下手なくせして・・・人の苦労もしらな・・・」

美樹がそう言いかけたとき

「それだ!そいつが犯人だ!」

「ちょっと何よ急に」

「俺にいい考えがある・・・」

「いい考えってなによ・・・」

「洗いざらいこのことを警察に話すんだ」

美樹は警察という言葉を聞いて目を丸くした。


次の日、優と美樹は実家を出て東京へ帰ることにした。

「松田さんまたいらっしゃってくださいね。こんな田舎のボロアパートでよかったら・・・美樹・・・あなたも元気でね・・・」

「はい、お世話になりました。」

優はそう返事したが、美樹はふてくされたような顔をして返事をしなかった。

二人は家を出た。



 二人で新幹線に乗り東京に帰った。新幹線で弁当を食べながら二人は会話をした。

「お前のお母さんいい人だな」

「そう?」

藤谷美樹は何でもないという感じでそう答えた。

「お前のことものすごく心配してた。それに借金のことも感謝してたし。一緒に・・・住んであげないの?東京に呼べばいいじゃん・・・」

「そうね・・・それも考えたけど、もうお母さん年だし東京にはいたくないんじゃないかな・・・もともと向こうの人だから向こうの方が落ち着くみたい。

それに・・・」

「それに・・・?」

藤谷美樹は少し考えてから話し始めた。

「東京に行くとお父さんが借金地獄だった日々を思い出すから、東京にはいたくないみたい。お母さんにとってお父さんとの一番の思い出はあのボロアパートだからね。そこから二人は始まったわけだから・・・。だから・・・もうお母さんはずっと岐阜のあのアパートにいるみたい。」



家が別方向だったので東京駅で二人は別れることにした。何だか東京がとても久しぶりに感じた。疾走していたと思われる美樹が事務所に顔を出すと、事務所中が大騒ぎになった。美樹はスタッフ全員に心の底から謝った。ほっとしたものもいたが、お騒がせアイドルに疲れ果てているものもたくさんいた。勝田は美樹が帰ってきたことに半分は喜んでいたが、半分は怒っていて少しだけ美樹に説教をした。

「美樹ちゃん、本当こういうことは以後勘弁してよ・・・もうすぐ警察に捜索願い出すところだったんだからさ・・・」

「本当ごめん」

美樹はまた謝った。

松田優と藤谷美樹は警察にストーカー事件の真相を調べてほしいと思い、洗いざらい事件のことを話した。また、野々宮妙子という女優から恨みを買ってることも話をした。

警察はしばらく毎週のように美樹宅に差し出されていた脅迫文の手紙のことや、野々宮妙子のことを追って、やがてあることが判明した。差出元の住所は全く別の住人の住所になっていたが、野々宮妙子の所属する事務所の近くの3つのポストから定期的に怪文書が送られてきていることが分かった。時間帯も大体昼過ぎから夕方になっているようだった。

その3つのポストで一日中警察は待機して彼女が現れるのを待つことにした。




警察の張り込み当日。警察が待機しているところに、野々宮妙子が手紙を持って現れた。

「おい、お前ちょっと待て!」

警察はただちに野々宮妙子を包囲した。

「ちょ、ちょっと・・・何なのよ?」

野々宮妙子は訳が分からないという感じでそこにただずんだ。

「手に持っている手紙を見せろ」

「何よ?なんなのよ?」

野々宮妙子はまだ意味が分からないという感じだった。

「藤谷美樹からの依頼でお前がストーカー事件の犯人だというのは調査済みだ。」

「は?なんなのよ。何の権限があって?」

警察は全く遠慮せずに

「野々宮妙子、お前の事務所の近くの3つのポストから定期的に怪文書が郵便局の配送センターに届いているのは確認済みだ。」

野々宮妙子は警察の調べに驚いていたが、堂々と反論した。

「は?ちょっと待ってよ?だからってなんで私になるの?私が送ってるっていう証拠は?ほかの人が送ってるかもしれないじゃない。」

「動機からしてお前意外に考えられないからな。今その手元に持ってる手紙をこちらによこして見せろ。」

警察も負けずと野々宮妙子に食ってかかった。

「何よ、これプライバシーの侵害じゃない?これは友達に送る手紙よ。」

「いいからよこせ。見せられないのなら犯行を認めたことにするぞ?」

「ちょっとなんなのよ?」

野々宮妙子は必死に抵抗したが、何人もいる警察に手紙を横取りされてしまった。警察は手紙の封をやぶって中身を見てみた。

「お前を絶対に殺してやる 一番のファンより」

野々宮妙子はそれ以上言い訳ができなくなってしまった。

「なんだこれは?どういうことだ?説明しろ!」

警察は野々宮妙子にどなりつけた。

「知らないわよ・・・私は知り合いに頼まれただけ・・・」

「往生際がわるいぞ」

「本当に知らないのよ」

警察は野々宮妙子のことは信用せずに

「怪文書の脅迫罪とスキャンダル写真の名誉棄損罪で現行犯逮捕する」

そういうと警察は野々宮妙子に手錠を無理やりかけた。

「ちょっとなんなのよ?」

野々宮妙子が必死に抵抗しようとすると

「これであなたの方が終わりね・・・」

野々宮妙子が横を向くとそこに藤谷美樹が立っていた。

「藤谷美樹・・・あんたの仕業なの?」

「そうよ・・・悪人は捕まえなきゃいけないからね・・・」

「あんた・・・」

野々宮妙子は藤谷美樹をぎろっとにらんだ。

警察は野々宮妙子を必死に押さえつけていた。

「何で私だってわかったのよ?」

「まあ・・・何となく勘ね・・・最近では私に嫌がらせしてきそうなのはあんたしかいなかったからね・・・」

「勘って・・・ふざけるな!」

野々宮妙子は藤谷美樹にどなりつけた。

藤谷美樹は野々宮妙子のほほを思いっきり平手打ちした。

「ちょっと・・・何すんのよ!」

「ふざけてんのはあんたよ!私があの脅迫文と写真でどれけ迷惑したことか?どれだけ怖い思いしたか!スキャンダルのせいで事務所がどれだけパニックになったか!」

野々宮妙子は負けずと反論した。

「親の七光りの分際で何を偉そうに!普段から甘い汁吸ってるんだからあれくらい当然でしょ?」

「何が当然なのよ?言ってみなさいよ!」

野々宮妙子は急に薄気味悪く笑いだした。その後急激に怒り狂ったように話し始めた。

「私が・・・私がどれだけ苦労してきたかなんて知らないでしょ?あんたみたいに親のコネもないから、必死に努力して演技の勉強もして何百ってオーディションに落ちてやっと女優って座を手に入れたのよ!それなのに・・・あんたは親の七光りでアイドルやって金持ちで、おまけに大した演技の勉強もしてないくせして私たちの役まで横取りして。あんたは真面目に演技を頑張ってる私たち女優の敵なのよ!あんたの存在そのものが邪魔なのよ!」

野々宮妙子は言い終わってもまだ藤谷美樹を睨みつけていた。

藤谷美樹はまたもう一度野々宮妙子のほほを平手打ちした。パーンという音が鳴り響いた。さっきよりもさらに強い音だった。

「あんたは何もわかってない!私がどれだけ苦労したかって?そんなの芸能界でやってくんだったら当たり前じゃない!苦労するのは当たり前じゃない。それを自分だけが苦労してるって?何甘えたこと言ってんの!」

「だって、あんたは親の七光りで!」

「うるさい!」

藤谷美樹がどなると野々宮妙子はびっくりして黙ってしまった。

「その言葉はもうたくさんだわ・・・確かに私がブレイクしたきっかけは親のおかげだったのかもしれない。でもそれ以上に私は努力してきたし。それに・・・私・・・アイドルになりたかったわけじゃない。本当は父親みたいに演技をやりたかったし女優になりたかった・・・。」

「え・・・?」

野々宮妙子はそのことに驚いて茫然としてしまった。

「私は・・・本当は女優になりたかったの・・・でも・・・親が知り合いに騙されて、10億以上の借金抱えて・・・それで返済するためには女優だけやってたんじゃとてもじゃないけど返し切れない金額なのよ!私が・・・それ返すためにどれだけ大変だったと思ってるの?あんたみたいな無神経本当に虫唾が走る!」

藤谷美樹がそう言い終わると野々宮妙子は何も言えなくなってしまった。

「あんた・・・」

野々宮妙子はそれだけやっと言葉にすると、警察は彼女をパトカーの中に入れた。

「おい、早く入れ」

野々宮妙子は手錠をかけられたまま警察にパトカーの中に入れられそのまま連行されていった。そのときの表情は何ともいえず情けない表情でもあり、驚いた表情でもあり、悲しい表情でもあった。


ストーカー事件の真相がマスコミに公表された。

怪文書や写真の送り主やストーカーの話のでっちあげのこと、野々宮妙子のこと、動機のこと、など。野々宮妙子は留置所で暴力団関係の興信所のことを話して警察はそのことを追跡しようとしたが、すでに暴力団はその場所から引き払っていて、彼らの存在は謎のままに終わった。

また、松田優との恋愛スキャンダルのことはばれなかったのでそのまま公表されずにうやむやなままにされた。

事件が解決したので事務所は万々歳だった。しかし、例の松田優との恋愛の写真についてはいまだに未解決で世間は騒いでいた。

事務所としては、恋愛は絶対禁止ということではないが、藤谷美樹のイメージダウンになるので今後は彼女とは一切会わないでくれ、と優は勝田に言われてしまった。




藤谷美樹と会えないまま数か月もたったころ・・・

有賀泉からメールが来た。

「ウィーンの方へ帰ることにしました。出発は今日の13時半です。しばらくあえなくなると思うけど元気でね・・・」

13時半?もうすぐじゃないか・・・

優は成田まで慌てて急いで向かうことにした。

優は空港中を探しまわってやっとの思いで搭乗ゲートの近くに有賀泉の姿を見つけた。

「泉!」

優は慌てて走ってきたため息切れしていたので必死に息を整えようとした。優がなかなか話しかけないので

「あの・・・お見送り来てくれてありがとう・・・」

泉は優にそういった。

「あの・・・さ・・・向こう行っても・・・がんばれ」

優は月並みな表現しか思いつかなかったが、何とか泉にそう伝えた。

しばらく沈黙が続いたが、優は勇気を振り絞って言ってみた。

「有賀さんのこと好きだったんだ。今でもすごい好き・・・好きだけど・・・」

「好き・・・だけど・・・?」

「でも・・・あの・・・その・・・今は・・・ほかに好きな・・・人が・・・」

優がもじもじしていたので、有賀泉は少し笑いながら

「アイドルの藤谷・・・美樹さん?・・・でしょ?」

「え?・・・え!?」

「あれだけニュースになってたらいくら日本の事情に疎い私でも知ってるよ・・・あの写真どうみても松田君だし・・・アイドルと恋人なんて意外だったけど・・・」

「え・・・何でわかったの?」

「他人なら全く分からないけど、長い付き合いの私にはわかるよ・・・

あのパーカー昔からよく着てたじゃない?」

「あ・・・そっか・・・」

優は思わず笑ってしまった。

それを見て泉も少しだけ笑った。

二人はしばらく笑っていた。

「でもスキャンダルのストーカー事件解決したんでしょ?よかったね?」

「ああ・・・まあ・・・ね。いろいろ大変だったけど。」

「つきあってるの?・・・彼女と」

「よく分からない・・・だけど気になる存在ではある・・・」

「気になる存在ではある・・・か。」

有賀泉は優のお腹をどんとこぶしでたたいた。

「うっ・・・え?」

「もーはっきりしないな。昔からそういうところ。彼女がかわいそうだよ?はっきりしないと。」

「うん・・・」

「私のときみたいにちゃんとはっきりしないと、さ。」

「ああ・・・そうだな・・・本当俺って情けないな・・・」

俺が下を向いてそう言うと

「・・・そんなことないよ。」

泉はフォローするようにそう言った。

「じゃ・・・ね。頑張ってね。私も向こうで頑張るからさ」

泉は少しだけ励ますようにそう言った。

「ああ・・・うん」

「じゃあ・・・」

「じゃあ・・・」

泉との別れは名残惜しかったが、何故だか今までずっと引きずっていたうやむやみたいなものがようやく解決したような・・・そんなすがすがしい気分にもなった。きっと今まで残っていた彼女とのわだかまりがほどけてこれで二人ともようやく新たなスタートラインに立てるような気がした。

そして二人は別れた。

すがすがしさと悲しみを感じながら・・・


優はまた鎌田彩とバーでまた飲んでいた。

「そっか、有賀さんウィーンに戻っちゃったんだ・・・」

「そうだな・・・」

「例の藤谷美樹さんとは?事件は解決したんでしょ?なら万々歳じゃない?でもあれか・・・恋愛のスキャンダルの方は解決してないのかな?」

「あの写真が原因で事務所の方に彼女と会うのは今後一切禁止にされたんだ・・・だから・・・あの後、全然連絡取れてないよ・・・」

「そっか・・・厳しい処分だね・・・所詮スーパーアイドルさんだからね・・・私たちとは住む世界が違うのかもね・・・」



ある日、松田優の所属事務所ドリーム&カレッジの社長から電話が来た。

「スカラープロダクションの藤谷美樹さんから直々にお前に指名コンペが入った。詳細は向こうの事務所からそちらのメールアドレスに送られてくるそうだ。お前彼女と何かコネでもあるのか?一度連絡先聞かれたり・・・まあそんなことはどうでもいいが、とにかくうちの事務所としては大仕事になるからこういう話は大歓迎だ。」社長は大喜びだった。

指名コンペというのは実績のある作家何人かに声をかけて、直接作曲の依頼をして、その中から曲を決めるという方式のもので、本来は実績のない松田には縁のないはずのものだった。

数日たった頃、藤谷美樹のスカラープロダクションからメールが来た。

「松田優様

指名コンペの情報お送り致します。

今回弊社所属の藤谷美樹のニューシングル用のコンペ曲を募集致します。

今までの彼女の路線とは違う新たな彼女の一面を全面に押し出した切ないバラード調でかつアイドルっぽい曲を広く募集したいと思っております。そのため、彼女と弊社の決定権の高い上層部が協議した結果、直接指名させていただいた作家さんで今回指名コンペを初めて開催したいと思っております。以下に詳細を書きます・・・・」

指名者の名前の一覧が公表されていた。和賀直哉の名前もその中に含まれていた。どこにでも出てくるやつだ・・・

優は指名コンペなんてものに参加するのは初めてだった。

しかも、自分はサントラやBGM専門でアイドルの曲なんて一度も作ったことがなかった。


10

その指名コンペの話を高林教授にしたら大いに喜んでくれた。

「音楽業界何の縁でチャンスが生まれるから分かりませんからね・・・本当に良かったですね・・・きっとあなたの音楽を聞いてくれただれかがあなたのメロディーに心を動かされたのでしょう」

高林教授は相変わらず詞的で素晴らしいほめ方をする。




和賀直哉も指名コンペの情報を自宅のメールで見ていた。

「松田優が指名コンペに?やはりあの野郎彼女と何かあるのか?」

和賀はそれが気が気でなかった。しかし、今はそんなことより松田が今回初めて強敵のライバルになるかもしれないことの方が気になった。

「あの野郎には絶対負けられない・・・」

和賀直哉は嫉妬と闘争本能に燃えて闘魂が煮えたぎっていた。

それが藤谷美樹のコンペならなおさらだった。



優はバイトを何日か休んでこもって作曲活動をしていた。

でもなかなかうまくいかなかった。何しろアイドルの曲など興味ないし普段ろくに聞かないのでどうやって作っていいのかも分からなかった。

どうすればいいのかほとほと困り果ててしまった。

「はーどうすればいいんだ・・・」

優は大きなため息をついた。



そんなある日、優は自宅のボロアパートにあるぼろいテレビで藤谷美樹が心臓病かもしれないというニュースを見た。ニュースによると、すでに危険な状態になっていて手術の成功率も50%らしい。

「おい、ウソだろ?」

優はそのニュースが信じられなかった。

この前まで元気でぴんぴんにしていたのに、信じられないような話だった。。しばらく会っていなかった間に本当に大変なことが起きようとしていた。

ほんとお騒がせアイドルというか心配ばかりかけさせるやつだ。

藤谷美樹の事務所に電話をかけても詳しい事は教えてくれなかった。優はそもそも藤谷美樹と会うことすら禁止されているので、もっともなことだった。

何度も電話してようやく勝田につないでもらったが

「スキャンダル以来ストレスで彼女はこうなってしまったんだ・・・お前のせいだ」

と電話越しに罵られてしまった。

「彼女は・・・彼女は無事なんですか?」

「そんなことなんでお前に言わなきゃいけないんだ?彼女の病状はトップシークレットなんだよ。これ以上詮索するな?とにかく君は彼女とコンタクト取るのは禁止なんだよ?こっちに電話ももうするなといっただろ?」

「じゃあ、そちらの事務所はなぜ彼女の新曲の指名コンペなんかを開催したんですか?俺あてに?」

「そんなの知るか・・・美樹ちゃんが勝手に上と掛け合って社長を口説き落としたんだろ・・・俺は反対だったのに・・・いいからもう二度と彼女に会うな・・・」




ある日、藤谷美樹からLINEで連絡が入った。

「お元気ですか?私は今病棟にいて手術の準備をしています。あなたと連絡取ることは禁止されてるけど、病院の場所を教えます。」

その後病院の住所が書いてあった。

新宿の大病院のようだった。




優は新宿の病院にお見舞いに行った。

病院には関係者や張り込みなどがたくさんいて出来り禁止の自分は面会させてもらえないのかと思っていたが意外とすんなりと面会できた。勝田はしきりに彼女と会うなといっているわりにはガードが緩すぎるんじゃないかと思った。

優は彼女のいる病室の中に入った。

美樹は本当に来てくれるとは思ってなかったらしく驚いた表情をしていた・・・

「来てくれたんだ・・・」

「ああ・・・」

彼女はベッドで横になり、安静していた。

「元気?」

「元気なわけないじゃない・・・もうすぐ手術なのよ?」

「そっか・・・そうだよな・・・」

それもそうか・・・と優は思った。

しばらく二人は黙っていたが、美樹がゆっくりと話し始めた。

「私の心臓病・・・遺伝なんだと思う。遠い親戚の人とかおじいさんも若い頃に心臓病になったから・・・」

「そうなんだ・・・」

「仕事中に突然心臓が痛み出してね・・・救急病院に運ばれて、そこで検査を受けたら・・・心臓病だって・・・」

「そっか・・・」

「もう・・・今回ばっかりはダメかも・・・」

優は何て声をかけていいのか分からなくなった・・・

「そんなこと言うなよ・・・」

「だって・・・」

「お前らしくないな・・・何度もピンチを乗り越えてきたんだろ?」

「でも・・・」

「でももへちまもない・・・。頑張るしかないだろ。俺が曲作るから・・・それ歌ってもらわないと困る・・・だから治せよ・・・」

「あ・・・そっか・・・コンペ・・・あれ私が指名してあげたんだからね?感謝しなさいよ?」

「そうだな・・・」

「落ちたら承知しないから・・・スーパーアイドルの私が歌ってあげるんだから」

それを聞いて優は笑いそうになってしまった。

「何よ?」

「いや、いつものお前らしくなったなって思ってちょっと安心した。さっきまで今にも死にそうなくらい弱気だったから・・・」

「何よ」

藤谷美樹もつられて少し笑った。



松田優は自宅にいても散歩しても一日中考えてもいい曲が思いつかなかった。

曲というのは作ろうと意気込んでできるものじゃない。何かとっさにインスピレーションが起きないとできないものなのだ。

どうすればいいのか分からなかった・・・誰に聞いても答えなどない。

どうすればいいのか・・・

それはそうと優は必死に美樹の手術の無事を祈っていた。彼女は今でも病室で一人闘っている。自分の歌を彼女にどうしても届けたかった。そんなときふと頭の中に彼女との思い出が蘇ってきた。

初めて彼女と会ったこと、公園で再開したこと、海の見えるレストランのこと、遊園地でデートしたこと、アパートで喧嘩したこと、彼女の実家に行ったこと。

彼女との今までの思い出がフラッシュバックしてく。そんなことを考えているとふととっさにあるメロディーを思いついた。必死になってそのメロディーをつなぎあわせてPCに打ち込んだ。

一日中徹夜して、アレンジをした。何度も何度も打ち込みなおした。必死に作業してやっとできあがった。時間も忘れてやっていて気が付いたら朝方になっていてた。その後優は疲れ果てて寝込んでしまった。

夢の中で藤谷美樹に起こされた。

「ねえ、ねえ起きなって・・・」

は・・・何だこの女は?

「ねえ、もう何やってんのよあなたは?」

ふと我に返ってみたらもう昼の時間になっていた。

「あ・・・きょ・・・曲は?」

PCにデータが入ってるか気になった。

曲をもう一度再生してみた。ちゃんと完成されたメロディーが

PCから流れてきた。

「はー・・・」

よかったー・・・優は心の底からほっとした。

曲は今までにないくらい素晴らしいできだった。本当に自分で作ったのか疑問なくらいの美しいメロディーだった。

タイトルは瞬時に思いついた。

「絆-キズナ-」にすることにした。




手術の前日、曲が完成したので藤谷美樹のGmailにその曲データを送ってみた。

藤谷美樹は病室で一人その曲を聞いた。

「いい曲・・・」

藤谷美樹は少しだけ涙を流した。

「・・・私が歌詞を書いて歌ってみたい。」




手術の日、松田優は自宅で無事を祈った。何度も何度も必死に祈った。どうか治ってくれ。そう願った。



5時間にもおよぶ大手術の末、心臓病の手術は無事に終わった。術後の調子もよく順調に回復しているそうだった。オスカープロダクションは大喜びしていた。

藤谷美樹はだいぶ回復してから、松田優にメールを送った。

「無事手術は終わりました。後は手術後順調かしばらく様子見るみたい。」

「そっか・・・よかった・・・」

優は安心したと同時に心配から解放されてどっと疲れがでた。

しかし、藤谷美樹はしばらく安静にするため仕事は2ヶ月ほど休業をとることになった。




和賀直哉は藤谷美樹の次期シングルの選考について、オスカープロダクションの担当プロデューサーに聞いていた。

「本当に俺の曲に決まりなんだよな?」

「ああ、今のところ君の曲で間違いないよ。第一候補だよ。でもね・・・」

「でも・・・?」

「・・・松田優の曲が最終選考に残ってキープされている。」

「あいつの曲がキープ?冗談だろ?」

あいつが一般大衆向けのアイドルの曲なんて作れるわけがない。プライドだけは一人前だからな。

「ぜってーあいつには負けねー」

和賀直哉の闘志はますます燃えた。




優は彩と会っていた。一緒に昼食を食べていた。

美樹が手術が終わったことや、自分が指名コンペに曲を提出したことなど話した。

「優はその子のこと好きなの?」

「え?」

「だって、彼女のために曲を作るなんて。以前の優だったら他人のためになんて曲作らなかったじゃない?しかもアイドルのための曲なんて作らなかったじゃない・・・」

そういえば、そうだ・・・

誰かのために、誰かの無事を心から祈って、そうやって曲を作ったことなど今まで一度もなかった。

「よく分からないけど・・・今はただ彼女に歌ってほしいと心から思ってる。」




藤谷美樹次期シングルコンペの最終決定の会議。コンペの会議の内容は口外禁止で秘密裏に行われるため絶対に表ざたには公表されなかったが、和賀直哉だけは相変わらず特別待遇で呼ばれていた。今回も和賀直哉は松田優を特別ゲストであえて案内した。目の前で松田優を完膚なきまでやっつけて目にもの言わせてやるためだった。ましてや、これは自分の大ファンである藤谷美樹のコンペ。絶対に負けられない戦いだった。

優は会場について、席についた。会場中が何故かいつにもまして緊張感で覆われているようにも思えた。優もその雰囲気に少しだけ飲まれて、額に汗が出て心臓の鼓動が高鳴ってきてしまった。優にとっても負けられない戦いだった。この日のために必死に生み出した曲が今日選ばれるかどうか決まるまさに運命の分かれ道だった。心の中で必死に願った。

オスカープロダクションは芸能プロダクションだが、レコード会社やレーベルもいくつも関連会社に抱えていたので、決定権は親会社のオスカープロダクションがほぼ握っていた。

候補曲5曲をアイドル曲の物まねが得意なプロ歌手が一曲ずつステージで歌ってみせた。広いーオーディション会場のようなところで、社長やプロデューサーたちが一曲ずつ聞いていった。

賀直哉の曲は4曲目だった。

その歌手が和賀直哉の曲を歌い終わると、

「素晴らしい!」

プロデューサーやディレクターたちは大喜びだった。

最後の5曲目を流そうとしたが、曲の選考担当のプロデューサーの一人が突然選考をやめさせようとした。

「もう和賀直哉の曲で決まりでしょう、今回も素晴らしい出来です。」

「そうだな・・・」

「では・・・これにて・・・」

何人かのプロデューサらがそう話し合いながら言いかけたところで

藤谷美樹がステージに突然現れた・・・

「あ・・・あいつ・・・?」

松田優は美樹がステージに現れて驚いた。

おい・・・しばらく病院で安静にしてろって言われてたはずじゃ・・・

優は彼女のことが心配になった。

「病室で休養してろっていっただろ?」

プロデューサーの一人が叫んだ。

周りもどよめきだした。

「大丈夫、病院から今日だけ外泊許可とったから・・・最後の曲を歌わせて・・・」

「もう曲は決定してるんだ・・・」

「でも・・・最後の曲まだ聞いてないよね?」

「しかし、これは上層部の決定だぞ!」

藤谷美樹は引き下がらなかった。

「最後まで全部曲を聞かないで何が選考よ!これじゃ単なるやらせじゃない!」

「その言い方は失礼だぞ!山田社長もいらっしゃるんだぞ!いくら君でも口を慎みたまえ!」

「私・・・心臓の手術の前日・・・本当に怖かった・・・」

藤谷美樹は突然ステージの上で静かではあるが力強く話し始めた。

「私、スーパーアイドルなんて言われて、世間知らずのくせにわがままで周りは何でもいうこと聞いてくれて・・・何だか勘違いしてた。私は大物で超有名人で、みんなが自分のために働いてくれて・・・世界が自分中心に回ってるって本気で思ってたことがあった。そんな私が・・・初めて怖かったの・・・もうこのまま死ぬのかと思った。そう思ったら本当に泣けてきて・・・でも手術の前日に松田優さんの曲を聞いたの・・・何気なく聞いただけだったのに、なぜか心に希望が湧いてきて・・・救われた。もっと頑張って生きようって思った。手術絶対に成功させてやるって・・・その時の気持ちをつづって想いをのせたくて・・・私が初めて作詞しました。みんなには、是非聞いてほしいの!」

プロデューサーたちはざわめきだした。

優は藤谷美樹を見守っていた。

「しかし、これは決定事項だ!くつがえせん。どうしてもというなら社長に・・・」

そう言いかけたとき・・・

「もういい・・・」

山田社長が立ち上がった。周りがどよめきだした。

そしてやがてゆっくりと話し始めった。

「この業界に長いこと携わってきたが、本当にいい音楽なのかどうか・・・本当に価値ある曲なのか・・・それは個人個人意見が違う。人間はみんな趣味や価値観など違うからだ。だからこそ、それは皆さまがた一流プロデューサーが切磋琢磨して議論に議論を重ね必死に曲を毎回選んでいる。それは私も分かる。」

社長が突然業界について語りだした。社長がいきなりそのような話をし出したので、まわりはまだざわつき動揺していた。

「しかし、だ。コネや見栄え、見てくればかりで音楽が選考されることもかなりある。」

社長は続けて話し出した。

「しかし・・・クライアントのニーズに合ってるとか、イメージに合ってるとか、そんな理由だけではたして大事な1曲を選んでいいのか?それは、どの曲がいいか、必死に選ぶことを放棄してることなんじゃないのか?どれがいいのかは分からないし選べないから見てくれがいいのをとりあえず選ぶ。私はそういうのは実に嘆かわしいことだと思う。今回確かに見栄えやイメージなどは和賀直哉君の曲が一番いい出来なのかもしれない・・・でも、美樹の手術に対する恐怖を断ち切り、それに立ち向かわせた・・・そんな希望を与えた曲こそ本当に素晴らしい曲なんじゃないか?何よりも本人が一番歌いたがっている曲が一番の彼女にとっての光るべき曲なんじゃないのか?私はブレイクする前から美樹のことをずっとわが子のようにかわいがって見てきた。素晴らしいアイドルだが、わがままでどうしようもない、それでいて脆く危なっかしいところもあった。だから私はずっと彼女を見守ってきたし、だからこそ周りが反対することも多々あった中でずっと彼女のわがままもできるだけ聞いてあげてきたつもりだ。そして、それは単なる気まぐれなどではなく私が彼女を心の底から信頼しているからこそだ。単なるアイドルという商品などではなく、一人の人間としてだ。だからこそ、今回の指名コンペも彼女の意向をできるだけ汲みとって開催したつもりだ。そして・・・そんな彼女に生きる希望と勇気を与えた・・・そんな曲を是非私も聞いてみたいと思った。」

社長が話し終わると、周りは何も言えなくなり黙ってしまった。

会場中静まりかえってしまっていた。

すると、勝田マネージャーが突然拍手をしだした。

それに影響を受けて周りも次第に拍手をし出して、最後は大拍手の喝さいに

なっていった。

美樹はそれを見て「みんな・・・」とつぶやいた。

勝田マネージャーはステージの方へ登っていって、美樹の横に行くと

「音響さーん最後の曲かけてー。はい、美樹ちゃん頑張って。」と言って美樹にマイクを渡した・・・

「勝田・・・」美樹は勝田の方を見て嬉しそうな悲しそうなそんな感じでそう言った。

「みんな美樹ちゃんと社長の話に感動してやられちゃったよ。松田優のことはまだ好きになれないけどね・・・」そう言って勝田は笑った。

美樹はマイクを持った。緊張が走った。この自分の歌で曲の審査が決まってしまう・・・そう思うとすさまじく緊張した。

不安そうに会場内を見回すと、優がいることに気が付いた。美樹は優の方を見た。

優もうなずいた。

「がんばれ」優は心の中でうなずいた。

美樹はステージで最後の曲を歌った。

最高の想いを込めて・・・こんなに想いを込めて歌ったのは初めてだった。

まるで自分が生まれ変わった新たなアイドルになったかのように・・・

素晴らしいメロディーと歌声が会場中に響き渡った。

まるでそこだけ別世界のステージになっているかのようだった。

彼女が歌い終わると会場中がスタンディングオベーションで拍手喝さいが起きた。

和賀直哉は

「負けたよ・・・俺の負けだ・・・」と手で額を押さえながらため息をつきそう言った。

勝田は

「美樹ちゃんよかったね・・・」と言った。

優も立ち上がりながら嬉しそうに美樹の方を見た。

美樹も優の方を見てにっこり笑顔で返した。



品川で松田優は藤谷美樹と待ち合わせていた。

品川のビルの宣伝映像で藤谷美樹が松田優の作った曲「絆-キズナ-」を歌っていた。

「お待たせー待った?」

「いや・・・今来たところ・・・」

二人は事務所公認の恋人になった。なのでもうスキャンダルにもなることはないので、変装もしないで堂々と品川の街を歩いた。

できるだけ本人だと分かりづらいように帽子はしていたが、それでも

街を歩いているとファンがときどきサインを求めてきた。

「どう、最近仕事の方は?復帰したばっかりで大変だろ?」

「うんん・・・全然・・・何かいつもよりさらに体調いいみたい」

「そっか・・・まあ、お前の場合はどんな病気しても治りそうだけどな。

末期がんとかでも治るんじゃないか?」

「ちょっと何よそれ・・・本当無神経・・・」

「ははは・・・」

「ちょっと何がおかしいのよ・・・」

「いや・・・別に・・・本当は、元気になってよかったなって・・・」

「そう・・・ならいいけど。でも何かそれも上から目線ね。」

「上から目線なのはお互い様だろ。」

「それもそっか・・・」

二人は笑った。

「今日どこいくんだ?」

「あのね・・・行きたいところあるんだ・・・」

「どこ?」

「私たちが初めて会ったところ・・・」

「え?あのなんとかカフェ?」

「パインズカフェよ・・・」

「何で?」

「え、だって思い出の場所だから・・・」

「なんだよ、それ・・・」

「いいからいいから、ついて来なさい・・・」

「相変わらず度胸座ってるな。」

そんなことを言い合いながら二人はパインズカフェの方へ向かって歩いていった。

もう季節は夏だった。太陽はまぶしく二人を照らしていた。

この先どんなことがあっても二人はこんな感じで相も変わらず喧嘩したり仲直りしたり愛し合ったり・・・そういう日々を続けていくのだろう。

二人の中に出会いの絆がある限り・・・

Fin

 










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ピアノマン 片田真太 @uchiuchi116

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