弐
しばらく歩くと、万博の端までたどり着いた。「日本リバイバル産業館」という文字が壁に書かれた四階建ての建物だ。タダシはこの三階に、使徒研究の名目で研究発表をしている。
「セイジロウさん。行きましょう」
「久しぶりに会うからさあ、何話せばいいか……」
「僕もわかりませんよ。でも言いたいことはたくさんあるので」
ユキマサはもう、セイジロウがついてきているかどうかは気にしていなかった。入ってすぐ右手にあった上りエスカレーターを駆け上り、三階まで向かう。
ちらと後ろを伺うと、セイジロウが何とかついてきていた。
「あそこですね、父さんの展示」
第五展示室というプレートが下がる部屋へユキマサは向かう。ユキマサは白い鉄扉を開け、部屋の中に入った。
そこには机の前に座るハヤテの姿と、ひとりの男性の姿があった。
「よく来たね、セイジロウ、ユキマサ。待ちくたびれたよ」
重たそうな丸眼鏡をかけ黒い帽子を被った男性は、にこやかに彼らを迎えた。ハヤテはユキマサのほうを見もしないで、椅子に座ったまま俯いていた。
「……父さん、ですか」
ユキマサが何とか絞り出した言葉がそれだった。男性は嬉しそうに笑って頷いた。
「そうだ。大きくなったな、ユキマサ」
セイジロウが展示室の扉を閉める音がした。
セイジロウにはめられた。とっさにそう思った。セイジロウはタダシがハヤテを連れてくるまでの間の時間稼ぎをしていたのだと、ユキマサは悟った。
同時にタダシがユキマサに近づいてくる。
「お前のしたことはすべて知っている。仁科忠の技術で幸恵を蘇生させ、その技術で多くの人を救い、東京は伏龍街に名を変えた」
タダシは静かに、ユキマサに問いかけた。
「なぜ僕が死者蘇生の技術を捨てたか、わかるか?」
それは長らくユキマサが考えていたことだった。なぜタダシは、自分のすべてを注いだ技術を簡単に息子に委ねたのか。都合のいい解釈はいくらでもできた。
考えた中でも、ユキマサはいちばん可能性がありそうな答えを出した。
「人の手に余るものだと思ったから……ですか」
「惜しいね」
タダシは椅子に座ったまま人形のように動かないハヤテの肩に手を添えた。
「僕が作りたかったのは、こんな化け物じゃなかった」
ユキマサが考えていた理由のひとつに、それもあった。そうであってほしくないとも思っていた。ユキマサは闇に呑まれたように、声の出し方を忘れた。まるで死んだように黙り込んでしまった。
「お前は知らないだろうがね、ユキマサ。蘇生させられた死者は、埋め込んだ脳によって本能を抑え込んでいるだけなんだよ」
タダシは壁に視線を向けた。
「見てごらん、ユキマサ」
そこには、タダシの研究成果が書かれたパネルがあった。近づいて本文を読む。
「被検体三百二、核の質量を増やすことで使徒化に成功」
「被検体六百五十九、脳に直接核を埋め込むことでの蘇生に成功」
「被検体七百十三、核制御装置により再び心停止」
「被検体千百三十、核制御装置により標準量での使徒化に成功」
被検体が何百と連なり、そのすべてが核についてのことだった。残酷な人体実験が行われていたということは、聞くまでもなかった。
「被検体……」
ユキマサの呟きに反応して、ハヤテとタダシが彼のほうを向いた。
「被検体はすべて教団が提供してくれたのさ。彼らは本当にいい協力者だった」
ユキマサはふとセイジロウのほうを見た。セイジロウは黙ってそのパネルを見ていた。
「ユキマサ、父さんはお前が思うような立派な人間じゃない」
タダシはスーツの胸ポケットから、手のひら大の板を取り出した。
「これが僕の一番の成果。核制御装置だ」
タダシが板に耳を当て、「こっちへおいで」と声をかけると、ハヤテが椅子から立ち上がってタダシの傍に来た。
「まさか、それがシオンを攫った目的なんですか」
「察しがよくていいね。彼女は星神と波長が合っていた。その性質を借りたまでだよ」
タダシはハヤテの肩を抱き寄せ、ブライスの娘だ、と顔を見て言った。コーネリアの父に彼女の死体が欲しいと頼んだのも、きっと彼だったのだろう。
「なんでそんなこと――」
「教団の目的を果たすためだ」
タダシはハヤテを付き添わせながら、入り口近くまで足を運んだ。
「僕ら『新星教団』は、星神をこの星から追い出して、人間の支配権を取り戻そうとしていた。もうすぐゴールだったんだよ。そこの馬鹿警部のせいで解体されたから、もう叶えられない夢になってしまったけど」
タダシはセイジロウへ鋭い視線を向けた。セイジロウは信じられないというような視線を返した。
「で、でも、そのせいでシオンは記憶を失って別人になったんですよ」
「それがどうした?」
ユキマサは言葉を失った。この八年間の苦悩も後悔も、たったそれだけの言葉でもみ消されてしまった。
「人格を消して前と同じ人間に戻せばいいじゃないか」
「でも今の彼女は……」
「お前がする死者蘇生と変わらないじゃないか。死者蘇生も多かれ少なかれ、『死んだ』という事実を否定して、前と同じ人間に戻す行為だ。そこに何の区別がある?」
何も言えなかった。
たとえ今に至るまでカヲリの死体が完全な状態で残っていたとして、彼女を蘇生させるのは果たしていいことなのだろうか。誰かが喜ぶことなのだろうか。彼女が死んだときの悲しみは、否定されないだろうか。明確にそうだとは言えなかった。
「まあお前の勝手にすればいい。僕には関係のないことだ」
ユキマサは白衣の中の拳銃に触れた。すぐに出して発砲しなかったのは、目の前の男がずっと尊敬し続けてきた父親だったからというだけだ。
白衣の中に吊るした死者蘇生の書が憎らしく感じられたのは初めてだった。
「今日僕がやってきたのは、彼女を手に入れるためだ」
タダシはハヤテの細い肩を抱いた。白い生地に赤い花が描かれたワンピースにはひとつも傷はないが、彼女は人形のように無表情でユキマサを見ていた。
「誰も彼もサチエのことが大切だった。僕らは彼女のことを手に入れるために心血を注いだ。だのに息子だというだけで蘇生させられ、
セイジロウはタダシの視線の先で、申し訳なさそうに俯いて何も言わない。彼も騙された側の人間だ。きっとハヤテを取り戻す旨しか聞かされていなかったのだろう。
「燃やしてしまえばよかった、あんな本」
――それでも私はこれでいいと思ってるよ。
セイジロウはそう言っていたが、今はどう思っているのだろうか。後悔しているのか、それとも諦めて現状を呑み込んでいるのだろうか。
少なくとも、ユキマサにとっては納得のいかない展開だった。これが夢だったら、どれだけよかっただろうか。
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