第十一話 たのしい万国博覧会

 伏龍街三丁目。


 三月になり、この国初めての万博が招致された。三丁目全域に及ぶまで広大な会場が設営され、のべつ幕なしに人が行きかい、伏龍街の外からやってきたらしき観光客も見える。祭りの舞台から聞こえる民族音楽が、人ごみの喧騒の隙間からでも聞こえる。


 三丁目は数十年前に戦火を受け、崩れかかった建物に無理やり増築を重ねた街並みが特徴的だった。しかし万博のために大規模改築をしたおかげで、小綺麗な建物が並んでいる。


 そんなめでたい風景を背景に、ふたりの男が無言で立っている。


 ユキマサはセイジロウとともに万博を訪れていた。理由は目的の一致。ユキマサもセイジロウも、タダシの研究成果を見に来ていた。彼にとっては、非常に不本意ながら。


「ユキマサ君、行きたいところはある?」


 セイジロウは背伸びしてユキマサの耳元に口を寄せ、聞こえるように尋ねた。ユキマサはセイジロウのほうは向かず、真正面に向けて答えた。


「父さんの展示スペースですかね、強いていえば」


 ユキマサは手元に持った地図に一瞥を投げる。万博の外れにあるタダシの展示スペースまではかなり距離があった。


「そんなに焦らなくていいでしょ。結構距離があるし、いろいろ寄りながら向かおうよ」


 ユキマサは内心面倒に思いながら、その提案を呑んだ。タダシの展示スペースに向かう道中にも、興味をそそるような展示はあった。


「……はあ」


 ユキマサが頷くと、セイジロウは歩き始めた。賑やかな万博が、居心地悪かった。


「そういえば、キリガヤ君は?」

「学校の友人と一緒に行くと言っていました。多分今ごろ来ているはずです」


 セイジロウはそれを聞くと、「ほう!」と嬉しそうに相槌を打った。セイジロウの様子を見るに、ハヤテが一方的に嫌っているだけらしい。


「……あの、セイジロウさん。ハヤテと――母さんと、何があったんですか」


 セイジロウはにこりと笑って、「なんでそんなこと訊くの?」と質問を質問で返してきた。


「僕が見たところ、ハヤテは貴方を一方的に嫌っているように見えました。あいつは、理由もなく人を毛嫌いするような人間ではないので」


 セイジロウは声をあげて笑う。信用されているんだね、と自分のことのように嬉しそうに言った。


「いいよ、手短に話そうか」


 セイジロウはドイツ館の自動車展示スペースに向かいながら、話しはじめた。


「君のお母さん――サチエは、男の子として育てられたんだ。私も彼女とは、男友達として幼いころから接していた。


 でもね、サチエが警察官になろうと思って東京に行く日、彼女は私に女性だと打ち明けた。異性として好きだと告白した。私は裏切られたような気がしてさ、とっさに拒絶しちゃったんだ。


 それからサチエは、私と話したがらなくなってしまった。裏切られたと感じてたのは、私だけじゃなかったんだ」


 セイジロウは、簡単な話だろう、と自嘲的な笑みを浮かべた。ユキマサは長らくハヤテとともに生きてきたが、そんなことは一切知らなかった。


「でも私は、それを後悔しててね。

 あのときサチエの告白を受け入れて恋仲になっていたら、とか。たまに考えるんだ」


 セイジロウとしては軽い気持ちで発した言葉だっただろうが、ユキマサにとってそれは重要な分岐点だった。ユキマサは生まれていなかったし、この街もできなかっただろうから。


「それでも私はこれでいいと思ってるよ。自分で下したものだから、自分でいいものにしないと」


 それは悪い運命も自分で変えられるという慰めのようでもあったし、自分で下した選択の責任は取らないといけないという説教のようでもあった。


 シオンが攫われたとき、無理にでも追って彼女を守ればよかった。長年後悔していたが、いつかそれでよかったと思える日が来るのだろうか。


「ほらみてユキマサ君。この車超かっこいいよ」


 真っ赤な流線型のスポーツカーにもたれてセイジロウは笑みを浮かべる。さすがに試乗する勇気はないので、「セイジロウさんに似合いますね」と投げやりに褒めた。対するセイジロウは照れたように笑っていた。もう誉め言葉と認識されるなら何でもいいのか、とユキマサは悲しくなった。


「……セイジロウさん、早く父さんのところに行きましょうよ」


 セイジロウがあまりにいろいろなところに意識を散らすので、ユキマサはあきれて先を促した。彼はそうだねえ、と生返事を口にしながら、またほかのパビリオンへ吸い込まれていく。


「せ、セイジロウさん。僕もう先行きますからね」


 ユキマサは追うのを諦めて、セイジロウとは違う方向へ歩き始めた。しばらく歩いていると、人ごみをかき分けてセイジロウがユキマサの腕を掴んだ。


「ユキマサ君、待ってよ」

「……あの、なにか僕に隠し事してませんか?」


 ユキマサはセイジロウの手を優しく振り払い、代わりに疑念の目を向けた。セイジロウの好奇心が豊富なのは今に始まったことではないが、今の彼はどうも不自然に時間稼ぎをしているように思えた。


 そういえばタダシとセイジロウは友人だった。彼らがユキマサに秘密で連絡を取り合って何かを企んでいたとしても不可能なことではない。


「なにか、あるんですか。父さんの展示に」


 先日ハヤテからタダシが教団に所属していたことを聞かされたこともあって、ユキマサはそんなことを考えていた。タダシのことだからきっと何か事情があってのことだとは思っていたが、ここまで隠されると不安になってくる。


「いいや、人波が引くまで待とうと思ってさ」


 妥当な理由だった。声色にぶれはなかった。しかしそれでも一度生じた疑念は晴れない。


「……そうですか」


 ユキマサはまた前を見て、タダシがいる企業ブースまでまた歩きだした。

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